そして”なかのひと”つまり我々の世代交代とともになんてことない問題扱いになっていき、今現在、真剣な倫理問題云々ということになっている問題は置き去りになったりする、と何も見ず言ってみる:
世代的には思い出して貰いたいのだが、生体肝移植とか、起こり始めた最初はもう、えらい騒ぎだった。が、いまではなんてことない日常扱いに近いし、若い子たちに聞いてみても、何が問題なのかぜーんぜんっ!ということはしばしばだったりする。
なので、自動運転支援技術も、「あ、なーんか、これ、便利っぽい。有利っぽい」という認知が行き渡ったら、その技術が行き渡ったら、それを前提にひとはあれこれの法律だの認識だのを変えていくのではないかな。
まあ、講義用の小ネタということで。
おわかりでしょうか。「事故が起こった時に誰が責任を取るのか」の議論が未成熟なまま、時代はすでに「(責任論をしてる間に)運転支援技術の支援範囲を広げないままでいることによって失われる命がある。その責任だって誰も取れないでしょ」という、議論が一段階上のレイヤーに移りつつあるのです。
— 『ベストカー』編集部 (@bestcarmagazine) 2017年6月25日
世代的には思い出して貰いたいのだが、生体肝移植とか、起こり始めた最初はもう、えらい騒ぎだった。が、いまではなんてことない日常扱いに近いし、若い子たちに聞いてみても、何が問題なのかぜーんぜんっ!ということはしばしばだったりする。
なので、自動運転支援技術も、「あ、なーんか、これ、便利っぽい。有利っぽい」という認知が行き渡ったら、その技術が行き渡ったら、それを前提にひとはあれこれの法律だの認識だのを変えていくのではないかな。
まあ、講義用の小ネタということで。
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