空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

(当方基礎人文系)

2015-06-13 18:32:38 | Weblog
 以前の記事メモ:

空野雑報 地方国立大学(特に人文系)教員は「デカンショ」で半年暮らしているモノか否か 2014-10-25

 で、お上から出てきたオーダーが「『役に立ってなさそうなところ』を中心に3割削減ね」とからしく、その筋の世間が再度沸騰している様子。



 いやほんと、超その通りであって、例えば分かりやすくは(穏健なところでいけば)国際共著だの海外招待講演だの海外出版社からの出版だの、そういうのを出し、弟子達をその水準に育てていって、今後もそうしますよというだけのことだと思われる。

 …なにかおかしいのか、それは。

 たとえば国語学あたりなら国外展開は難しいのだろうが、それでも音韻の理論は世界に通じる議論だろうし。
 よし国外展開が難しい分野があるというなら、その分、ほかの学科が援護射撃をすればいいだけだろう。何のために懇親会とかやって仲間意識を養成してきたんだ、それは。

 …うちみたいに、(悲しいので現状認識は記入しない)ようなところならともかく。




 これはご尤もかと。そうした大改革も視野にいれて活動すべきなのだろう、おそらく。



 問題は、実学をやっているはずの人でも、なんか(以下憤懣やるかたないので記入なし)
 なによりまず、アクティヴィティの問題であろうかとか(以下悲しくなるので記入なし)



 決め台詞として是非いただきたいくらいのお言葉であるが、我が本務校でこれを言うとたぶん恐ろしく孤立する。



 東大教授は実務担当者と同等(以上)の現場の議論ができるのだろうか、という非常に普通の一般人の発想、ないしその変奏かと思われた。
 簡単な突込みを入れれば、「じゃあ実務家、いらないじゃん」。実務の現場にいる人が、その現場の仕事について、その現場にいない教授と同等である―というなら。それなら、その実務家に「なにやってんの」のひとことじゃなかろうか。

 なんのために「~原論」「~概論」などという講義があるのか。専門家たちが共通に理解・認識しておくべき基礎を養成するためではないか。そうした基盤が形成されていればこそ、個々の労働者はいったん首になっても社内でものすごい配置換えされてもなんとか対応していける(余地がなくもない)のではないのか。

 そうした基盤の確かさを確かめ、さらに問い直し…という、ど基礎作業は、これが学者の仕事であって、学者はこの点でいえば、そういう種類の専門職なのだ。

「君は応用をしらないだろう。だから君は東大教授として不適格なのだ。法哲学だって? 法とついているんだから法の専門家なのだろう。○○○○法について実務的に論じろ。実務家と同水準で言えないんだからお前は(ry」ここまで落ちれば、本格的に井戸端政談レベルだが、学者と言うのはその領域の専門職なのであって、”その領域と想定される(受動形)ところのあらゆることの専門家”ではないのだと、正当に認めるべきだろう。

 なので、相互にそのような(各々の分野の専門家であるという)事情を認識し、ともに手を取り合い歩むべきではないのか―そうしてともに(何らかの意味で)豊かになろうではないか、という、初等道徳のような話じゃないのか。

 まあその上で、「いやあ、基礎分野の学者が多すぎますねえ」「いや、基礎は大事ですよ? でも応用にも目を向けてくれませんかねえ」といわれたら、まあそうかなあ、そうだろうなあ、と思う今日この頃(当方基礎人文系)。

 まあアピールは必要ですよ、現場に知を還元できますよ、とか。
 ところで現場は



 と言う状況であり、『やってられっか』と投げ出したくなるのもその通りなのだが。

 だがまあ、職があって、その責務に前向きな(で、まだ倒れていない)人はそんな状況でやっているのではある。
 なので、上に挙げたような人に対して「ふざけんじゃないよ」「甘えてるんじゃないよ」といいたくなるだろうなあ、とは。いや私は無職期間が長くて(※主観的に、ではあろうが)、非常勤講師にもしてもらえなかったくらいなので(時給900円未満で仕事したりした)、無職層に同情的なんですが。



 …木村先生の場合は、また別種のリスクを負いまくって仕事しているので、さらに大変。さすがに、分野が分野なので…。

 …ともあれ、「いやあ私、基礎領域でして」と言えば誰もがそれで済んだ時代は終わったのだろう。せめて帝大だけでも基礎研究の楽園として生き残って欲しいけれど、我々のようなところはそうも行かない。なので、顧客(ちょっと違うか)のオーダーに応じて、出来るだけ多様なアウトプットを出していこうではないか。出来る人からはじめれば良い、そうして出来るだけ皆が生きていけるようにしようではないか、と、信仰告白をしておこうと思った今日。

 なんか、私の某アレ、文科省に報告されるって話で(覚書)。安請け合いはしないほうがいいなあ、でもこういう仕事は請けていかないとダメっぽいからなあ(日記)。

 …いつか某Aの人から接触あったときは微妙に避けたけど(メアドがものすごい嫌な感じでガチだった)…あれも請けておけばよかったんだろうか。



 素晴らしい。
 なんというか、「枠」にこだわるのはよろしくない。とりあえず私は、『私の同僚、○○を採用してくれれば、論文業績も外部研究費取得額も今の(私ひとりの場合の)2.5倍に引き上げることが出来ます』と上役に言ってみた。なお政治的な見解は、私と彼とは異なるし、出身大学も異なる。しかし回答は”同分野のひとは採らない”であった。

 残念でしたね(いろーんな意味で)。

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