空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

プリキュアのパンツを性的だと思うのは、既にプリキュアのパンツを性的対象だと思っている精神だから

2018-10-17 15:32:31 | ノート


 いろいろすっ飛ばして妄想ドライブした成れの果てであり、ちゃんと一歩目から考え直そう、と呼びかけたい。
 まず、まあ、成人男性の視点から、生殖可能年齢の女性のパンツが性的な興奮を呼び起こすものである、ということを正当に認めよう。プリキュアの主人公たちは、中二以上くらいのはずで、まあ一応生殖可能に到達したものであり、なるほど性的興奮の対象となりえるということまで認めよう。

 さて、この事実から、『ああ娘よ、このパンツが見えるフィギュアと言うのは、成人男性が興奮するために作られたものであり、これを可愛いと感じるお前の感覚は間違っている、あってはならないものなのだ。これをよいものと思うのは、おまえ自身をキモイおっさんの性的玩弄物としようという、男性が支配するこの社会の規範がしからしめるものであって、自然であるべきおまえ自身の感情ではないのだよ。だからお前は、おまえ自身が自然で、あるべき、自立した女性となるようなふうに自分の欲望を正しく方向付けなければならない!』と我が子に教え込むひとがいるなら、なんか頭、おかしいんじゃないのかと。

 パンツというのは、成人男性ないしキモイアニオタの性的玩弄物として存在するべく作られ、そのようなものとして女性が着用しているものなのか? もしもそうなら、なぜ女性はパンツをはき続けているのだろう。基本的には男性の性的対象にまあならない年代の女性もパンツをはくだろう、その理由はどこにある。

 端的には、排泄器官周辺を覆い、上着に排泄物の汚れが付着するのを防ぐ・遅らせる機能があるだろう。幼児はしばしばパンツもはかずきゃーきゃー暴れまわったりするだろう。そのため、「パンツははいておくものだ、君がふだんみるアニメ等の登場人物のように」と例示する機能があるわけだ、プリキュアのキャラのパンツには。
 むりやり大人によって穿かされる乳幼児状態を脱し、意識的に「パンツを穿く」という動作を習慣付ける契機としての機能がそこにあり、それは習慣として根付き、その内側に生殖可能な状態の生殖器を包む時期に至れば、それは性的興奮のアイコンとして機能するだろう。

 とまあ、順番が逆なのだ。「おっさんの性的消費の対象」として作られたのではなく、まずはそれは「子ども向け玩具」としてつくられたのだ。『こういう女の子になりたいよね?』という呼びかけとして、「きちんとした身なり」「格好良い女の子」「可愛い女の子」として。

 おそらく、プリキュアキャラのパンツは白だろう。それは主たる消費者である女の子たちが(まあ象徴的に言えば)グンゼのパンツ(※無地)を穿かされているからだろう。つまりアンパンマン・プリントやプリキュア・プリントのパンツを卒業し、歳相応に”おとな”になった象徴である。
 おそらく、ポイントつき・柄つきのパンツを選ぶシーンがプリキュア等には用意されるだろう。それは、白パンツを”卒業”し、自分が可愛いと思うものを”選ぶ”という自己決定がはじまる、その意味で”おとな”になる象徴として用いられる。

 そういう教育目的・効果がまずあって、そうして育ったあとの”我々”はそれらに”我々”からの意味づけを付与するようになるが、それは二義的、三義的であって、当初の主たる目的とは言いがたい、と判断すべきだろう。

 これについてはブルマの歴史を想起すればよい。
 はじめは、あれをはいて運動することは女性の解放の偉大なる一歩であったはずだ。
 あんな”はしたない”ものを穿いて運動するようなアバズレ女というか、ウーマンリブばりばりの煙たい女など、性的対象にはなりにくかったのではないか。ほかの”まっとう”な女にこそ性的興奮を覚えただろう、当時の普通の男は。

 ところがあれが普遍化して、女子生徒・学生が悉くブルマをはくことになったら、あれが若い女性を指し示すアイコン、生殖可能になった生殖器をその内側に隠している何ものかというフェティシズムを喚起することになった。
 ではこの状態をもって、ブルマ夫人(百数十年前の)に、『おまえはなぜ、男性の性的興奮・性的消費のためのアイテムをつくり出したのだ、お前など女性解放運動者などではありえない、お前は男性による女性の性的搾取を促進した歴史的犯罪者だ』と文句をいうとしたら―これがどれほど馬鹿げた主張かわかるだろう。

 …だいたい、「スカートがめくれ上がっていて」というのもマリリン=モンローのよーなポーズならともかく、ミニスカはいててくるりと振り返ったらスカートのすそが踊った、と言う程度であるわけで。

 幼時にはかされてたものとは違い、それなりに丈があって、しかし本体=自分の動きに微妙に追随しない布の挙動に新鮮な驚きを見出すころの視点と、スカートというのはその内側に生殖可能な生殖器をもち、それを包んだパンツというものがあり、角度・めくれ上がりの程度によってはそれが見えるところの何ものかであり、それによって挿入可能な生殖器を持った=成人男性の性的興奮を呼ぶのである、という視点は…こう記述してみれば、かなり歪んだ観点だとわからんだろうか。

 マリリン=モンローの地下鉄の風によるまくれあがりも、文脈によって決定的に情報が違う。
 あれは、初回だからこそ、そんなキケンに気付かないうっかりさん☆という、世慣れぬ可愛い娘というイメージを喚起するだろう。
 そうした知識が行き渡ったいま、マリリン=モンロー的なそれを狙ってだれかが地下鉄からの風が吹き出す通風孔の上にスカートをはいて立っていたら、それは見せたがりの痴女だ。

 この情報の差を考えるべきだ。

 プリキュア・フィギュア(幼女向け)は、まず対象者の幼女たち(たぶん小学1-2年以前)に、『こんな女の子がカッコいい!』というイメージを刷り込むもので、それが成人男性の性的対象たることを第一に考えて創作されたものだと判断するのはさすがにゆがみすぎてる。

 ちなみに、毎年ちがうプリキュアが登場し、こうしてちょっとずつ「カッコいい女の子像」はリニューアルされていくのであり、それに応じて性的対象となる女性像もちょっとずつリニューアルされていきます。
 なので



 いつかの段階で(教条主義的)フェミニストがそんな運動を起こし、その運動が勝利する可能性がありますが、どっちみちこんどはパンツルックが性的興奮の対象になるだけです。
 私は、未来予測はあまりしないように自制するほうだが、これは明らかだとほぼ信じる。だって100年で、ブルマは性的興奮の対象として排除されるはめになったよ?
 当初のブルマと排除されることになったブルマは別物だ、というひともいるだろうけど、動きやすさと格好良さを追求すれば、身体にぴったりする方向に動くのは当然の方向性で、パンツルックだってどっちみち、ボディラインをそれなりに出していく方向になるにきまってる。つーか出てる。

関連:「萌えとエロと、そうした感覚に関する世代差とに注意(2018-10-07)」

 追加


 せやな。

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