限界集落である僕の田舎に3年前、若者が移住してきました
— ゆきひろ@トレードトラベラー (@yukihiro_fx) 2018年7月12日
移住から3年経った今、どういう思いでいるのかを聞きましたよ
・スローライフを送れる
・みんな優しい
・チャンスにあふれてる
こんなのウソです
甘い言葉で田舎に移住者を呼び込むのは害悪だと思います
https://t.co/onXZLUAfkM
なぜその地区に若者がいなくなったのか?
— 再独身エンジョイ中 (@enjoyresingle) 2018年7月13日
若者にとって魅力のない場所だったからに決まっている。
そのことを隠して宣伝する自治体等も悪いし、そういうところにまで想像力が及ばない若者にも問題がある。
田舎批判は必要だが見通しの甘さの反省も必要。
なんというか、当たり前の話で、資源があればあるほどみんな余裕が出来て気楽になる。衰退する田舎と言うのは、当然、資源が少ない・減っているからこそ衰退しているのであり、まあ優しくはなれないな、と。
なお我が故郷のあたりでは、「オウムの残党じゃないか」と疑われたイシキタカイ系の移住者が来たが、まあ無事に地元に溶け込んだらしい。この人の場合、外部から富を呼び込む器量があって、しかも成功した。そりゃ受け入れられる。
つまり外部にむけて通販したりしたのだな。味噌をつくって売り払う。地元農家から豆を買い入れれば、生産もあがる。売った側は、なんぼなでもタバコ代くらいにはなる。その代金で、村には幾つかしか入ってこないプレモルでも買えれば、まあ舌は満足するし景気がいいということで周りにも顔がたつ―威信財として機能する。
とまあ、地元経済・地元の贈与関係・人間関係の中にプラスの効果をどう発揮できるか、という問題でもある。
上掲事例の場合、ジビエ民宿経営希望だったそうな。そういうのにやってくる客の数は、あまりなさそうではあるし―従って食事に出す野菜・山菜も量に限度があり、地元への経済還元は限定的と見える。
―恐らく、土産物・通信販売での、日持ちのする(在庫を抱えておける)商品開発が肝ではないか。
(追加)放火殺人事件の犯人に共感した記事でした。
— Yumiko Yamano (@japagoki) 2018年7月13日
これとは別に、このツイ―トに似た記事があります。https://t.co/uRxZOSv8Ag
紹介されている東洋経済の記事もなかなか。
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