空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ワクチン接種のお話メモ

2018-01-29 12:46:56 | ノート
huffingtonpost インフルエンザ大流行。日本から失われた「集団免疫」とは? 2018年01月27日 11時16分 JST | 更新 2018年01月28日 09時30分 JST 錦光山 雅子 Masako Kinkozan

 まあその、いわれるまでもなくそーやろ、という内容。
 もしかしたらワクチンの副作用で引き起こされたのかもしれない謎の症例というのをなくすには、そりゃまあワクチンを排除してしまえばいいわけだ。ワクチンのせいかどうかは、それでわかる。だが、ワクチンで予防できていた事態は別件で大流行しますよね、という極めて単純な話。

集団接種が始まるきっかけは、1957年の新型インフルエンザ(アジアかぜ)の大流行にさかのぼる。約300万人が感染し、約8000人(推計)が亡くなった。このときの教訓から、1962年から子どもへの接種が推奨されるようになり、1977年には予防接種法で小中学生の接種が義務化された

だが、ワクチンを接種した後に高熱を出して後遺症が残ったと、国に損害賠償を求める訴訟が相次ぎ、国が敗訴するケースも少なくなかった。こうした社会情勢を背景に政府は法律を改正し、1987年に保護者の同意を得た希望者に接種する方式に変更、 1994年には、打っても打たなくてもいい任意接種に変わった

 で、こんどはインフルエンザによる死者が続出した、と。これを「病気で死ぬのは仕方ないよね」でどこまで納得できるか、という問題でもある。

研究からは、子どもにワクチンを打つことが、子どもたち自身の発症や重症化を抑えていただけでなく、インフルエンザで亡くなることの多い高齢者の発症をも抑える役割を果たしていたことが分かる

 他方で

いま、日本のインフルエンザワクチンは、定期接種の対象になっている高齢者らを除き、任意接種なので、医療機関で打つと1本3500円前後する。接種率が90年代のように数%という事態は脱したが、小中学生で6割前後にとどまるのは、こうしたお金の事情もからむ

 ということで、地味にイヤ気にある貧困問題とも絡み、『高齢者は定期接種でそれなりに安全だけど、貧乏人の子供は自己責任でガンバレや』という姿にもなりつつあり。『ちゃんとワクチンをうったウチの子がさらなる無駄なリスクに晒されるのはいやだ!』という意識がたかまればゲーテッドコミュニティへの道が舗装されるよなーということもあり。



 そりゃあまあ、異物を入れるわけではあるから、気分の悪くなるひとも時折いるだろう、珍しい事例ではあれ事故も起こりえる。それを踏まえたうえでワクチンを延々やって来たのであって、それはリスクとベネフィットの関係である。
 で、やるべきことは、より安全なワクチン開発であって、今現にあるワクチンを単に禁じるのは、単純に瞬間的対策に過ぎない。長期的視野を持ちたいもの、とおもうわたくし。

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