たとえば父親が子供に「出て行け」と怒鳴ることがあったり、匿名卑怯なネトウヨを、わいてでてくる「ゴキブリ」と呼んでも、それは罵倒語ではあってもヘイトスピーチではありません。法律の文脈が核心的精神なのです。法務省は歪んだ見解が流れないためにも、もう少し丁寧に説明した方がいいでしょう。 https://t.co/XTYBdvq79c
— 有田芳生 (@aritayoshifu) 2017年2月6日
前段は子供に対する虐待の疑いがあるが、それはさておき言いたいことは後段のほうであると思われる:「匿名卑怯なネトウヨを、わいてでてくる「ゴキブリ」と呼んでも、それは罵倒語ではあってもヘイトスピーチではありません」。
これは、どれほど憎しみに満ちているように見え、また相手の人格を衛生害虫と同一視するほどに貶めるように見える表現であっても、相手が「匿名卑怯なネトウヨ」であれば(正統な)罵倒の言葉であるという意図であろうか。
…罵倒は罵倒で、好ましくないんじゃないかなーというのはまあ、あるが、ともかく。
さて、この「ネトウヨ」というのは「ネットで元気な、右翼的人物」というもののはずで、朝鮮半島出身者に向けて罵倒ならざるヘイトスピーチを行う類のものを言う。そうした特定の国・地域の出身者に対して「ゴキブリ」云々と罵倒するのは「典型的なヘイトスピーチ」であると法務省が例示したわけである:
毎日新聞 「これがヘイトスピーチ」 典型例を提示 2017年2月6日 10時52分(最終更新 2月6日 15時12分)
「ヘイトスピーチの典型例としては、「○○人は殺せ」などの脅迫的言動や、ゴキブリに例えるなど著しく侮蔑する言動を挙げた。地域社会からの排除を扇動する言動も該当し、「○○人は強制送還すべきだ」などの言動を例示。その上で、背景や前後の文脈などの諸事情によって「どのような意味が含まれる言動か考慮する必要がある」としている」
有田先生の見解では、「ネトウヨ」に対するゴキブリ呼ばわりはヘイトスピーチではない。というのもヘイトスピーチ対策法とは「正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」」である。
ここで「本邦外」の用語に注意すべきである。要は、多数派(「日本国民」)による少数派の排除の言動こそがヘイトスピーチである、という理解だろう。この「本邦外」の用語を適用する限りにおいて、「日本国民」の一部をなす(と推定される)「ネトウヨ」に対する罵倒はヘイトスピーチたりえないわけだ。
さてこの際、有田先生がその日本国民の一員である(だろうさ、調べてもないけど)ことにも注意を向けたい。ということで、彼はヘイトスピーチをなげかけられる当人ではありえないはずだ。
衛生害虫扱いされて名誉を傷つけられる当の者は、この文脈では、主として朝鮮半島出身者と想定される。彼らがそういう扱いに対して抵抗するのは、そりゃ正当なことという以外にない。そうした不当な呼ばれようを停止せよ、と主張する権利がある。
が、まあ、その「不当な呼ばれよう」を相手に投げつける自由は、果たして保障されるものかどうか。確かにヘイトスピーチ対策法ではフォローしないかもしれないが、なんでそんな法律を要するか、こんな例示がなされるか、といえば、この「不当な呼ばれよう」が人道的に不当だからだろう。
だから、「不当な呼ばれよう」をされて沸き起こる怒りのあまり、激越な言葉を発することもあるわけだ―「ネトウヨ」のひとたちだって、怒る権利はある。彼らが傷つけたと想定される、朝鮮半島出身者と同様にだ。なにしろ、同じ人間で同様の人権をもつと想定される間柄であるわけで。
さて有田先生は、ヘイトスピーチの対象者たちに対する共感のあまり、激越な言葉を発することがあるようで。これに対して「ネトウヨ」の人たちが怒ることもあるようだ。この際、「ネトウヨ」が人権のない存在なら、まあ別に抑圧される人権もないわけだが、この解釈はダメだろう、もちろん。当然、「ネトウヨ」たちも相互に尊重されるべき人格であり、もし歪んでいるなら善導すべき対象だろう。
で。「お前らこそが真の衛生害虫だ。なおこれはヘイトスピーチではない。これは、あたかも父親が子供にどなるようなことがあるだろう、それと並列できるようなものだ」と―国民に選ばれたる我らが選良が、至らぬ「ネトウヨ」を(父親が子供にするように)善導しようとあえて激越な言葉を用いてみたというものらしく。
…この場合、「子供」の「かんしゃく」はどこに向かうかな、と思ってみてもよい。「親」~有田先生には(あまり)向かわない。なぜなら、親の如く、比較を絶するほどの権力者だからだ。しかも彼に手出ししたら、国会議員に対するテロ行為ということで、下手人は民主主義の敵として槍玉にあげられる。その恐怖からしても、彼に直接手出しすることはまず、考えられない。
また、そのご意見は「子供」たちとちがい、遠くまで届く。そういう点からみても、非対称的じゃあないか。ということで、この「かんしゃく」は、すると―。
…この場合、有田先生は、自分に「正義」の衣をまとわせることで弱者(の味方)を装い、そのことから発するリスク・コストは当の弱者たちに転嫁してやしないか、と疑問を立てることができるだろう。
いやまあ、有田先生の活動により、「ネトウヨ」の異常性が誰の目にも明らかになって、「ネトウヨ」が無視して構わないレベルのごく少数派になっていく…という理屈・現実が成り立つなら、それはそれでありえる活動方針ではあると思うんですが。
ところが新聞報道だのなんだのを見ると、日本の右傾化は(戦後極短期間を除いて)足早に進んでいっているようなので、もしや右翼とやらを罵倒して回るのは、非効率的なのかもしれない、むしろその広報になっているのかもしれない、もしや新たな手法を求められてやしないか、とも感じる今日この頃。
つうか、めんどくさく考えたけど、「ヘイトスピーチは悪いことだし、罵倒もよくないことだよね」とゆーいわゆる小並感の超単純な言葉で終わりっちゃ、終わりですな、これ。
@nk12 この場合「無敵」というのは、単に「耳に痛く言い返せない」というだけの話です。耳が痛いのは聞く側の問題であって、「弱者」の人は普通のことを普通に言ってるだけです。それを「最強の弱者」みたいに責任転嫁したくなるのは、昔からよくある古典的な錯覚です。
— 海法 紀光 (@nk12) 2014, 12月 31
>RTs 弱者そのものというより、「弱者の声」を語る/騙る人たちが問題にされてるんじゃないかねえ。
当の弱者の声を聞くというのがこの問題の解決策の一つであるところ、代弁の虚偽が暴かれることを恐れる人々の行き着いた先が「決して現前し得ない弱者」サバルタンやね、という悪口は昔書いた。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2015, 1月 6
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます