なんでも直そう・・・自分なりのエコを目指します。

ボランティアでおもちゃの修理そして自宅の電気製品などの故障にチャレンジ中です。其の他のことも気が向いたら書いてます。

研修バス旅行 (首都圏外郭放水路、国立歴史民族博物館 & ハプニング)

2015年12月09日 | 旅行

ボランティアの研修バス旅行に行ってきました。

埼玉県の庄和町在る首都圏外郭放水路と、千葉県の佐倉市に在る国立歴史民族博物館、武家屋敷を見てきました。

 

    首都圏外郭放水路

以前テレビで見た覚えがありましたが首都圏外郭放水路の水槽は実際に見てその大きさに驚きました。 

       

   とても暗い写真になってしまいました。

   上の明るい手すりの部分は進入禁止でした。

   その位置にいければ、更に深い穴の中が見えたのですが。

 

  そっくり返って、更にレンズを上に向けました。

  

  天井のほうを見上げると4本の光が見えます。

 これは地上から大きな掃除機を降ろす為の穴とのことでした。

 大水で流れ込む水を排出した後に残る多量の汚泥をその掃除機で取り除きます。

 そうしないと次の大水のとき更に汚れた水を流すことになり、下流の水質悪化になってしまうとのことでした。

 大水が納まる都度、この水槽は空っぽにし綺麗な状態にしておきます。

 長く太い柱はまるで昔の宮殿を思わせます。

 下流に排水する為、

 国道16号線の地下約50mにトンネルが建設されているとの説明を聞きました。

 大水で苦しむ人が大幅に減るように、

 このようなことの為に大切な税金が使われるのは納得が出来ます。

 

 自分も写真を撮ってみましたが、綺麗には撮れていないので、

 下記のほうのページをを 見たほうがずっと分かり易いです。

  1、 首都圏外郭放水路     2、 首都圏外郭放水路のページ

 

   国立歴史民族博物館

佐倉城の跡の高台に建てられた堂々たる 博物館で、入り口には堀が廻らされていました。

何故か、黒い服の人達が沢山あちこちに立っており厳重な警備を感じました。

上空にはヘリコプターが飛んでいます。

これは相当なお偉いさんが来ていると感じました。

4時半には入り口に来ないようにと指示され、異常な雰囲気での入場になりました。

あまり時間がなかったので急いでの見学となりました。

第一から第六展示室までありますが、第4からは駆け足となってしまいました。

古代の展示室には沢山の埴輪があり、とても素朴で穏やかなな顔つきです。

福岡市・志賀島で出土した金印のレプリカが有りました。

この金印の発見によって、邪馬台国が畿内でなく九州であったかも知れないとの論争が続いていますが、

箸墓古墳等が3世紀の中頃と科学的に突き止めたことにより

邪馬台国の女王卑弥呼の墓かもしれないとの説が強くなっています。

もしも、将来この箸墓古墳の中を窺い窺い知ることができた時に、

もう一個の金印が有るとして、それがここから見つかったら多分決定的になるのでしょう。

はたして本当に邪馬台国はどちらに在ったのでしょうか。

 

銅鐸のレプリカを鳴らしたら、案外すっきりとした音でした。

もっと渋い音がするのかと思っていたので意外でした。

貴族の御帳台などまるで中世のヨーロッパの貴族のベッドみたいです。

民衆の住む町並みやお祭り、仕事等など、

見たい物が沢山有ったのですが矢張りゆっくり時間を掛けて見ないともったいないです。

急いで見終わって出入り口に着くと、御夫妻が間もなくお帰りになるとのことでお見送りをしました。

車椅子の人の前を通るとき、「お元気でね」と声を掛けました。

声を掛けて戴いた人はとても感激して喜んでいました。

 

暫らく待機して、退出の許しが出てから私達はバスに乗り込みました。

その時も頭上にはゆっくりとヘリコプターが旋回していましたが、すぐにいなくなりました。

帰路は高速道路に入りましたが、三車線それぞれでパトカーが先導します。

対向車線は高速で走っています。

ずいぶん長い間パトカーが先導して高速道路を時速30~40Km位で走りました。

前方は全く車が走っていないので、車道が見渡す限り真っ暗です。

事情を知らないと思われる他の車も大人しくパトカーの先導にゆっくりと従っていました。

そのうち両サイドのパトカーが居なくなりましたが、

真ん中の車線のパトカーは赤いライトの棒を窓から伸ばしてそのままゆっくり走っています。

側道から車が普通の高速で入ってきても暫らくパトカーはゆっくり走りましたがそのうち居なくなりました。

ずいぶん長い間低速で走ったような気がします。

こんなにすごい警備が必要なのでは外出は大変なことなのだと思いました。

やっと高速道路が普通に走れるようになってホッとしました。

 

こんなすごい警備体制、このような経験は初めてです。

見学に支障を来たしたのではないかとの配慮で来年3月まで有効の無料招待券を貰いました。

でも、遠いので多分近いうちには見学に行くことは出来ないでしょう。

この経験は多分忘れられないことの一つになるのかも知れません。


カンボジア と ベトナム に行ってきました。 (1/4)

2014年11月26日 | 旅行

先日、ベトナムとカンボジアに行ってきました。

 

今迄は旅行のことは余り書かなかったので、ほとんど忘れ去ってしまいました。

今回、思い出すものだけでもブログに書いておこうと思いました。

せっかくなのでブログに写真も載せようと思ったら、        

画像が大き過ぎて登録できません。                

希望の大きさに縮小するのがとても難しいです、        

      でも遺跡の写真を拡大してみたらとても素晴しいのです。         

一枚ずつ縮小して、今後のんびりと 時間と日数を掛けて   

写真や文を付け加えていこうと思っています。           

今までやってないことが多いので、頭の体操になることでしょう。

          

日本語しか話せない自分は個人での旅行は100%無理、

勿論 旅行会社の企画ツアーです。

 

 まずは旅行前の準備です。

ベトナムの場合、日本人の短期旅行(15日以内)にはビザが要らないのですが、

カンボジアは必要です。

地下鉄の青山一丁目から徒歩で5~6分の所に在るカンボジア大使館に行き、

自分で取得してきました。

 

ビザ取得に必要なものは、

 ビザの申請用紙(インターネットで取得)に必要事項を記入したもの。

 写真(35ミリ×45ミリ)1枚。

 申請料金2300円(2014年10月からは3600円)。

 パスポート。

ビザの申請は9:00~12:00、受け取りは翌日以降の13:30~15:30なので

一日では取得できません。 詳細はこちら。

 

 目的地は、気温が高く湿気も多い所です。

日焼けを防ぐ為の長い手袋、帽子、サングラス、虫よけ剤、日焼け止め、

日除けと雨に備えての傘、洗面用品、パジャマ、ティッシュペーパー、

カメラ、充電器、電源変換プラグ、半袖とエアコン対策の薄手の上着、

ただし連泊があるので洗濯すればよく、そんなに沢山の洋服は不要です。

洗濯バサミ付きのプチハンガー、スポーツセンターで買ったアスリートのセームタオル、

其の他色々。

ついつい あれもこれもと不要なものも沢山スーツケースに入れてしまいます。

 

1日目

 当日は交通の遅れも無く成田空港に到着できたので、まずはホッとしました。

どちらの国もドルが便利とのことで、早速円からドルに両替をしました。

            

  空港内の直ぐそばの両替所でも両替のレートが違います。

 

 飛行機は6時間半位でハノイに着きます。

まず時差2時間なので時計の針を2時間遅らせました。

北ベトナムのハノイ空港に午後2時半に降り立つと、むっとする暑さです。

 

 バスで早速ハノイ市内の観光とショッピングに向かいます。

ホーチミン廟は入らず、外から見るだけです。

現在は定期的な遺体の永久保存処理の為に開放していないようでした。

ハノイではちょうど卒業式の時期なので、

文廟やタンロン城にはおしゃれをした女子学生が沢山居ました。

ただ、慣れないハイヒールを履いたようで、

多くの女学生が綺麗なアオザイ姿なのに裸足でハイヒールを手にして歩いていました。

この様子は、失礼になると思い写真には撮りませんでした。

この日は、ハノイからバスで3時間程のハロンで宿泊しました。

 

2日目

 朝食後、時間が有ったのでホテルの周りを散策しました。

道端の露店には羽を毟られた鶏がそのまま売られているのでビックリです。

    (写真をクリックすると拡大します)

        

世界遺産ハロン湾のクルーズと鍾乳洞の見学。

     

    (ハロン湾の不思議な形の多数の奇岩群です。)

 さすが世界遺産とても幻想的で綺麗な光景が見られました。

この湾では新鮮な魚介類が沢山採れるということです。

船の中で湾の中にそそり立つ島や奇岩などの絶景を見ながら、

ここで獲れた物を昼食として海鮮料理を美味しく食べることが出来ました。

途中で鍾乳洞に寄りました。中はライトアップされているのですが、

色がどぎつく自分としては余り感心しませんでした。

船に戻り、ハロン湾のクルーズを続けます。

 女性の乗組員が突如販売員に変身し、色々な物の販売を始めました。

まずはショールが出てきました。

「シルク・シルク」と強調、色々なショールがテーブルに並びました。

そのうちシルクの中でもこれは最も高級だという物も出てきたりしました。

その後、刺繍の札入れ(?)、ポーチ、宝石、絵画、竹製ランチョンマット等々。

海水真珠のときなどはライターを出して真珠を炙りだしました。

何の為にやっているのかさっぱり判らなかったのですが、

多分本物であるというのを言いたいのかな?????。

旅が始まったばかりなのに、皆さん沢山買い物をして楽しんでいました。

ハロン湾クルーズが終わると、また3時間ほどバスに乗りハノイの空港へ向かいました。

 

 ハノイからカンボジアのシェリムアップへは飛行機で2時間弱です。

機内に乗り込むと、すぐに出入国カードと税関申告書が配られました。

英語とカンボジア語(?)表示です。

パスポートやEチケットを見ながら記入に四苦八苦している内に夜食が出てきてしまいました。

同じツアーの人や添乗員の助けで出入国カードを何んとか書き上げました。

シェリムアップの空港ですぐ入国審査と思ったら、その前にまた用紙が配られました。

何の用紙かさっぱり判らなかったのですが、

どうやら健康に関するもののようでした。

これも添乗員の助けでやっと書き上げ、入国審査で関係書類を全部提出しました。

審査するところには、入国者の顔を映し出すモニターが有ります。

もしかすると録画をしているのでしょうか。

パスポートには先ほど書いた出国カードに入国の印が押され、ホッチキスで留めてあります。、

パスポートと共にEチケットと税関申告書も戻ってきました。

カンボジアの入国手続きは慣れていないので面倒です。

荷物を受け取り、税関申告書を提出し、空港の建物から出て、

やっとカンボジアに入国したと感じました。

 

 空港からホテルに着く前、そんなにお腹は空いてなかったのですが、

夕食の中華料理を食べてからホテルに向かいました。

ここのホテルは連泊なので寝る前に洗濯をしました。

ここで役に立つのが薄いスポンジみたいな セームタオル です。

水を絞った洗濯物をこのセームタオルで包んで更に絞ると

気持ちが良い位水を吸い取ってくれるのです。

これを繰り返してから、バスタオルにはさんで押さえると

薄いものなら朝までに乾いてしまいます。(厚い物は翌々日?)

 

3日目

 アンコールワットの朝日観賞です。

朝4時にモーニングコール、5時にはホテルを出発、

その時はかすかに星が見えていました。

 アンコールワットの入り口でIDカードを作成する為の写真を撮りました。

IDカードを首から提げて入場です。

(入場料は1日10ドル、3日20ドル、4日以上60ドルとのことでした。)

 まだ辺りは真っ暗で懐中電灯で足元を照らしながら歩いていくうちに雨が降りだしました。

一番観賞に良い場所に到着する頃にはザーザー振りになり、

これでは朝日は絶望かと思いました。

日の出は見えなかったのですが、朝日で空が赤くなってくるのは見ることが出来ました。

   

 

段々明るくなったので遺跡の中の観光をしました。

            内戦の時の弾丸の痕でしょうか ? 

  

  壁画 いたずら書き水に映るアンコールワット               

 

                  

  (とても急な階段)(上智大学の遺跡活動に関して    ( 痩せた猿のお出迎え)

               ブログでは読めませんが・・・。)

 

 

 アンコールワット見学後、ホテルに戻り朝食その後すぐ観光へ。

 

   パンテアイ・スレイ

          

 長い年月で壊れてきた  これらの見事な造形物、観れば観るほど惹きつけられます。

実はこのブログを書くとき、写真を拡大してみてこの造りの素晴しさに気が付きました。

板こそ敷いてありますが、無造作に置かれている物も有ることにも驚きました。

(画像を2回クリックすると更に大きくなるものもあります)

 

午後はアンコールトムへ

  南大門

  

  バイヨン寺院の壁画

  

  象のテラス

 時間が無く遠くから見ただけでした。

壁に彫られた象の鼻が何本もあるのが微かに見えただけで残念でした。

 

 

   タ・プロ-ム寺院

             

 

  1186­年ジャヤヴァルマン7世が母の菩提として建てたものです。

王が自分の力を誇示する為に建造されたこれらの寺院。  

砂岩に刻まれたとても見事な彫刻の数々、それらを無残にも破壊していく木々。

スポアンやリエップなど(ガジュマルの一種)の巨木が今も遺跡を呑み込んでいます。

  これを現場で目の当たりにし、自然の力の余りの威力に驚き、虚しさも感じました。

この遺跡を見て、どんな権力も自然と時間の持つ力には敵わないと思いました。

でも、今はインド等の国が協力して遺跡の復旧に力を入れています。

木を取り除くと遺跡が壊れる為、木に飲み込まれている所以外は

時間を掛けて再現されていくことでしょう。

この遺跡は特異な情景から、「トゥームレーダー」などの映画の場面にも使われたそうです。

     

   プレループ遺跡での夕日の鑑賞

     (この画像を拡大すると、太陽の下に遺跡らしいものが

                    微かに見える様な感じがします。)

 この遺跡の最上部からはアンコールワットのジャングルを背景にした

夕日が素晴しいと聞き、驚くほど急な階段を登っていきました。

本当に大変です、 降りる時はどうしようかと思いました。

幸い、降りるときは同じ急勾配ながら手摺のついた階段がありホッとしました。

 

   ユーチューブにこの場面がありました。(投稿者は kyousuke1375 氏です)

 (もし動画を観るならクリックし、急に音が出るかもしれないので音をしぼってください。)

    

 

この観光は元気な中に行くべきと思いました。

 


カンボジア と ベトナム に行ってきました。 (2/4)

2014年11月26日 | 旅行

4日目

      カンボジアのトンレサップ湖クルーズ

 シェリムアップのホテルから川沿いにトンレサップ湖に向かいま した。  

川沿いには高床式の家が連なっていました。

           

     (家の後ろは川が流れています。) 

  現地ガイドからこの辺りの生活について聞きました。

台風や地震が少ないので簡単な造りでも家が壊れにくいようです。

ここに住んでいる人は雨季は漁師、乾季は農業で生活をしているが収入が少ない。

電気がまだ来てなく、飲み水には雨水を利用で癌の人が多いとのことでした。

でも、写真を拡大すると綺麗な家も建っていて、電線(?)も有りました。

この国では貧しくても国からお金が出ないので、ホームレスが多くお金の無い人は

お寺で食べ物をもらったり物乞いで暮らし、食べ物の無い時は

ゴミ箱から食べ物を拾う人もいる。

健康保険が無く薬局で薬を買ったり、田舎の人は薬草を良く使う。

学校が少ないので午前、午後に分けて授業を受け、空いた時間に働いて

生活費を稼いでいる子供が多い。

カンボジアでは50歳になると頭髪を剃ってお寺に入る人が多いそうです。

子供のうちにお坊さんになる子も居るが、学費の為そして親孝行の為とのことです。 

      

  トンレサップ湖は東南アジアで最大の湖、水上生活者は100万人以上とのこと。

雨季と乾季では面積や水位が大きく違い、それに合わせて船を移動したりするそうです。

    乾季のときはこの樹木の周りは地面が出ているそうです。

     

   小学生ぐらいの子が蛇を巻き付けての見世物、親の生活の手助けをしています。

              

   水上の学校、船で通学。   レストラン&お土産屋(拡大したら鰐がぶら下がっています)

           

魚が良く獲れるので叩いて網から魚を外している光景が沢山見られました。

湖上の舟の生活は陸上と同じ、犬を飼ったり、花を植えたり、マーケットや

修理工場、土産屋などありとあらゆるものがある。

ハンモックで寝ている人、食事をしている人、開けっ広げで明るい雰囲気を感じました。

 

 ポン・ポン・ポンとリズミカルに大きな音がするので見ると、

カンボジアの子供が船に乗り込んでいて、客の肩を叩いていました。

この子達も生活の為に働いているのですね。

突然、私も肩を叩かれびっくりしました。   

実は肩を叩かれるのが苦手なので、残念ながらすぐ止めてもらいました。

 

 船から降りて、午後からはツアーでお約束の買い物です。、

その後は畳敷きの和室広間を借り切っての休憩、のんびりとお昼寝タイムとなりました。。

 

 2泊3日だけのカンボジアでしたが、

衝撃的な場面が沢山あり、もっと長かったような気がしました。

 

 シェムリアップ空港から20時発の飛行機でベトナムのダナンに向かいました。 

機内でパスポートを確認するとカンボジアの出国証は取り外されて

その場所にはホッキスの針の穴が残っていました。

出国証を、もしも無くしていたら出国できなかったのかもしれません。

ベトナムのダナン空港からバスでホイアンに向かい、

夜の11時にホイアンのホテルに到着しました。

 

5日目

朝9時に出発なので朝食後は時間が有りました。

勿体ないので街を歩いてみると海岸があり、そこには沢山のオートバイが停車していました、

通勤途中なのか遠くから見に来ているのか判りませんが、人々が海を眺めています。

ブルドーザーで長い鉄板を海の中に立てているようでした。

言葉も通じず、文字も読めないので、看板を見ても何をやっているのか判りません。

         

後でガイドさんに聞くと、

海の侵食が進み、海岸が狭くなるので護岸工事をやっているとのことでした。

そう言えば椰子の木が根っこから倒れていました。

その近くには海水浴用品や雑貨を売っている、小さな店や露店が沢山あります。

海岸がこんなに狭くなったので、今ではでは海水浴場としての営業は、

中々難しいのではないでしょうか。

 

   世界遺産のミーソン遺跡 

  ホイアンからバスで山の奥のほうに1時間半ほど掛けて登っていきました。

入り口から暫らく歩いていくと、音楽が聞えてきました。

ステージの有る建物の中では、綺麗な民族衣装の人たちが民族舞踊を舞っていました。

暫し椅子に座って観させて貰いました。

 ミーソン遺跡は6世紀から13世紀に交易で栄えたチャンバ王国の聖地です。

この遺跡はベトナム戦争の時、米軍の空爆で殆どが破壊されてしまいました。

残っている僅かな物から、昔はどのような物だったのかを想像しながら見学しました。

壊れた残骸を見ているような感じがしてしまい、

残念ながらカンボジアで感じた様な感動は余りありませんでした。

でも、ジャングルの中にはまだ発見されず、破壊されていない遺跡が有るかもしれません。

繁栄したチャンバ王国が高いレベルの建築技術を取入れて造ったというミーソン遺跡、

今後の発掘で、破壊されていない遺跡が見付けられることを期待します。

     (ここでは残念ながらカメラの充電が切れてしまい写真が撮れませんでした。

      連泊なのでホテルに戻った時に夕方まで充電しました。)

      

    世界遺産ホイアン旧市街

 明るいときに旧市街を散策しました。

ここには16世紀終わりごろ日本人が造ったといわれている日本橋(来遠橋)が有ります。、

小さな川に架かるこの橋は、中央に航海の安全を祈願した小さな寺があり、

立派な屋根瓦で出来た屋根付きの独特な形の橋です。

当時1000人以上の日本人が住んでいたが江戸時代の鎖国で日本人は帰国、

その後は多くの中国人や西洋人がここで交易を続けたとのこと、

その為中国風建物が多くありました。

この橋に続く道の両側には小さな店が多く、

工芸品や革のバッグやお土産品などの雑貨を売る店が観光客で賑わっていました。

 

 暗くなってからこの旧市街にまたやって来ました。

河に架かる大きな橋の欄干には明かりの入った飾り付けがあり、

河沿いでは、ヒューン、ヒューンという音と共に花火みたいなものが上がったりしていました。

店頭には多くのランタンに火が入りとても綺麗でした。

暗くなっても大勢の人が町に出ていて賑やかです。

この時間になっても女の人や子供達が物売りをしていました。

          

 

 この辺りは洪水が多く、川沿いの黄色い壁には人の頭ぐらいの位置に

洪水の年を書いた物が貼ってありました。

標識には高いほうに2009、 低いほうは2013と書いてありました。

                  

 

6日目から8日目までの分は次に書きます。

 


カンボジア と ベトナム に行ってきました。 (3/4)

2014年11月26日 | 旅行

6日目

 ホイアンからバスで3時間、古都 フエ へ。

バスの乗車時間が長いので、現地ガイドがベトナムの現状を話してくれました。

 

小学校5年、中学校4年ここまでが義務教育。

しかし、無償でないためお金がなく退学する子が多い。

いい学校に進学する為、塾に行く人も多いので親は大変である。

金持ちは学校給食があるが、貧しい人は給食が無く家に戻って食べてくる。

オートバイは18歳以上(中高生は駄目)で免許が取れる。

飲酒運転はOKではないが飲酒運転は多い、罰金は安く、捕まっても賄賂で解決することも。

オートバイは大人は2人までだが、10歳以下なら3人から4人乗りすることもある。

牛肉や豚肉以外にも色々な肉を食べるが、価格の比は

鶏 8、 犬肉18、 蛇25、 ヤギ26、 猫はもっと高いがとても美味しいとのこと。

(はっきりした金額を聞き漏らしたので後でガイドに確認しようと思ったのですが 

忘れてしまいました。)

収入は 北ベトナムでの月収は1万円ぐらい、南のホーチミンでも月収は2万円ぐらい、

生活はとても大変そうです。

 

 

        昼食はフエの宮廷料理です。

      

      

      

      

このほかにも沢山ご馳走がでてきました。

美味しい物も有ったのですが、油が強すぎる物が多いと感じました。

この飾りすごいです。でもこの飾りは食べませんでした。    

   

  フエは1802年から1945年まで13代続いたグエン(阮)王朝の都が置かれていた古都です 。   

フランスはグエン王朝に巧みな軍事と外交を使って、ベトナムを植民地にしてしまい、  

徹底した同化政策と理不尽な重税をベトナムに嫁したので国民はとても苦しみました。

そして、それまで使用していた漢字表記をローマ字表記に変えさせてしまいました。

フランスに抵抗した王もいましたが圧倒的な軍事力で押さえつけられていたようです。

       

     阮朝王宮

                      

  

屋根の飾りがすごいです。

   

 昔の写真が展示してありました。

 

       カイディン帝廟

 1920年より造られた廟で、グエン王朝12代目のカイディン帝を祀っています。

最後の王様はフランス人と結婚してフランスに行ってしまい、

ここには祀られていないそうです。

 127段の階段があるとのことで、登るのが結構大変でした。

モザイクがとても綺麗といわれたので頑張って登りました。

      

    

現物はとても綺麗なのですが、残念ながら写真の上が切れていました。

 材料には石を使っているのかと思いましたが、

陶磁器やビール瓶等を砕いて使っているとのことで、

よく見るとビール瓶の 「ビ」 が見つかりました。

 

      ティエンムー寺 (天女の寺)

 1601年に創建された由緒有る寺です。

ベトナム戦争の時、南ベトナム政府に抗議してサイゴンで焼身自殺したお坊さんのことを

テレビのニュースで見たことがありました。

この行動に対して南ベトナム大統領の親族の女性が

「あんなのは、人間バーベキューだ」 などと発言したと報道されたのを聞いて

何と酷いことを言う人がいるものだと思ったことを思い出しました。

この寺のお坊さんだったのです。

彼が乗っていった乗用車が今も小屋の中に展示されていました。 

お坊さんの車なのに、ライトブルーの結構派手な車なのでチョッと驚きました。

この時はとても急いでいたので残念ながら写真は撮れませんでした。

 

ベトナム中部 フエの空港を午後8 時半頃出発

午後10 時頃にホーチミンの空港に到着し、

 これで6日目の観光は終わりホテルへ向かいました。


カンボジア と ベトナム に行ってきました。 (4/4)

2014年11月26日 | 旅行

 7日目 

  最後の宿泊地はホーチミン市のLE VAN SY 通りに有るホテルでした。

午前中は自由時間となっているので、どんな街か歩いてみました。

ホテルの周りは下町という感じがしました。

    花屋には綺麗な花が一杯 です                     

    

    車道にリヤカーの野菜売り

 

米屋

   

 電気屋には沢山の扇風機

街の中の教会                      

  

カレンダー屋(?)

 

       踏切が上がるといっせいにオートバイが

 

踏切が有った所から一旦ホテルに戻りました。

 

  時間がまだあるので近くのマーケットへ行こうと思いましたが、

地元のマーケットでは ドンしか使えないと聞き、 ホテルで千円だけ両替、

19万ドンぐらいを受け取り出掛けました。

ベトナムでは、日本のどの街にも有るスパーマーケットは見当たりませんでした。

しかし街角の一画に個々の小さい店が沢山集まっているマーケットを良く見かけました。

 

ここのマーケットは品物がとても豊富で活気があります。

    

洋服や生活雑貨などあらゆるものを売っていました。

ここでは日本語は勿論駄目です。欲しい物を身振り手振り最後は絵に描いても通じません。

相手からフランス語(多分)が飛び出てきました。

目的の物は諦めて、 多くのべトナム人が使っているマスクを記念に買いました。

こんな可愛い模様のマスクです。

これは立体裁断の確りした作りです、多分 洗濯して何回か使うものなのでしょう。     

  表     裏

          

午後からサイゴン市街を観光。  

 ここでも地元のマーケットに入り買い物をしました。

特に必要でない物が多く、少しだけ買って店を出ようとすると、引き止められました。

仕方なくもう少し買い物をして店を出ようとすると 、

赤ちゃんを見せて「チップ、チップ」と言われてしまいました。

今まで買い物をした店からこの様なことを言われたことがなったのでびっくしてしまい、

急いで店から出てきてしまいました。

ただ日本に帰ってきてからこのこと旅慣れた人に話したら

「そういう事は良くあること、向こうの人はお金の有る人は、

貧しい人にお金を恵んであげることは当然のことと思っている」 と言われてしまいました。

買い物をしたのに何故なのと思い、何となく後味が悪いものを感じました。

 

    統一会堂

 南ベトナム政権時代の旧大統領官邸。

        

        1975年4月に北ベトナムの戦車が敷地内へ乗り込み、サイゴン陥落。

        15年にも及んだベトナム戦争はこの地で終結しました。

        現在の建物は1962年から4年間かけて建てられたもので、

        南ベトナム大統領府当時のままで保存されています。

        建物内の一部の部屋は現在でも国際会議などで使用されているようです。      

                                    

 大統領が一段高い位置から話す部屋   ヘリポートには大統領が脱出する為の

                            ヘリコプター(複製品)がありました。

 

               

       贈り物の象の足         映画を上映する為の映写機や音響装置

 

 

        中央郵便局             

    中央郵便局の正面                        郵便業務のカウンター      

       

 正面にホーチミンの肖像画            郵便局の中央はお土産売り場

     

 

    ドンコイ通り散策  

 この通りはとても賑やかなモダンな商店街です。

道路を歩いていくと T字の交差点があり、道の向こうに側に川があるようでした。

道を渡って見に行こうとしましたが、

信号が変わっても曲がってくる車が全速力で沢山走ってきます。

何回も交差点を渡ろうとチャレンジしましたが、車は歩行者のこと等全く無視です。

とても怖くて渡れないので、 仕方なく諦めました。

後から地図を確認するとサイゴン川でした。

見ることが出来なくて本当に残念でした。

 道沿いのブティックでは窓ガラスにクリスマスの準備をしていました。   

    

   こんな素敵な店が有りました。

 

 

 

 

     ペンタイン市場

  朝 ホテル近くの地元のマーケットに行ったときは、店がごちゃごちゃした感じでしたが、

ここのマーケットはとても大きく、通路も広く碁盤の目になっているので、

方向さえ見失わなければ迷子にはなりにくいです。

市場で買い物をする前にガイドから

「ここで売っている宝石等は本物と思わないで、ばらで売っている食べ物は

不衛生な物があるので気を付ける様に、 スリに貴重品を盗られないように」

などの色々な注意を聞いてから自由行動になりました。

ここでは、ベトナムのドンと共にドルが使えました。  

 

空港に向かうバスから見たサイゴン市内の道路       

 

 

ホーチミン空港では飛行機の出発時間や搭乗ゲートの番号が知らせも無く変更になることがあり、

気を付けていないと飛行機に乗れないことがあるようです。

実際に自分達の乗る飛行機も搭乗口や時間の変更がありました。

添乗員が皆に知らせる為、あちらこちらと動いていました。

搭乗口前で待つ時間がとても長く感じられましが、

なにはともあれ無事飛行機に乗り込めてホッとしました。

 

   8日目

飛行機が 0 時 15 分にハノイの空港を飛び立ち、5時間20分ほどの飛行が始まりました。

日本の入国証は日本語でホッとし、アーこれでやっと日本に戻れると思いました。

海外旅行に行くのは勿論楽しいのですが、安心して帰れる所があるからこそです。

 

成田に無事到着

いつもは京成線を使っているのですが、今回は高速バスで東京駅から帰ることにしました。

東京駅でホームではないところに、まさかの10段ほどの階段が有りました。

スーツケースは重いので以前は宅配便で空港まで送っていたのですが、

どこの駅もエレベーターやエスカレーターが完備されたので最近は自分で持ち運んでいます。

スロープかエスカレーターが無いか周りを見ても見当たりません。

他に回ろうかと思いましたが、中途半端に少ない段数なので持ち上げることにしました。

ヨイショヨイショと一段ずつ持ち上げていたら、若い男性がサッと来て持ち上げてくれました。

自分にとっては本当に重かったので、感謝感激しました。

日本って良い国だなと再認識しました。

 

今回も考えさせられることがとても多くありました。

遺跡等の多くは王などの命令で造られたものですが、

その国の人々が一生懸命造ったものです。

造った国民たちの子孫の宝として、生かされていくようにと思います。

中には国外に持ち出そうとする不届きな人もいるようで、とんでもないことです。

 

旅の途中で聞いた話、もしかすると聞き間違いや勘違いしたことがあるかもしれませ。

でも今回、出掛けてみたからこそ直に感じ取ることが出来たことも多く、

とてもよい旅が出来たと思っています。

 

 


知床のナイトサファリ&納沙布岬 (北海道旅行)

2013年10月24日 | 旅行

10月上旬、北海道に行って来ました。

女満別空港から世界遺産のオシンコシンの滝、知床5湖の内の1湖の展望台、

知床峠の展望台、などをめぐり宿へ。

一日中天気が悪く、雲が厚く空を覆っていました。

知床峠からは国後島が見えるはずなのにガスってしまい、全く見えませんでした。

 

オプションの「夜空の星座観察と北海道の野生動物を見るナイトサファリ」に参加しました。

残念ながら、小雨の降る一日だったので星座の観察は諦め、

色々な野生動物を真近で沢山見たいと出掛けました。

 

ネイチャーガイドが付いて、走行するバスの中から動物を探すというものです。

強力な懐中電灯で強い光を当て、

動物の目がその光を反射するということを利用して動物を探します。

世界自然遺産知床のこの地域は電気が来てない為、街灯などは全く無いので真っ暗です。

ネイチャーガイドの指示に従い(対向車に光を当てない等)皆で順番に光を照射しました。

森の繁み、川の対岸、車道の脇など動物の歩き易そうな所

目を凝らしながら光を当てていきました。

でも、動物が全く発見できません。

ネイチャーガイドの人も、「動物は人間の都合で出てくるものではなく

お腹がすけば出歩くし、お腹が一杯だったり、休憩したいときは出てきません」などと、

懸命に言い訳していました。

キタキツネ(北海道のキツネは全部キタキツネだそうです)が

3匹 車道の脇をのんびりと歩いているのを見つけたときは、皆が歓声を上げてしまいました。

それ程動物が見つかりません。

昼間に見学した、知床5湖の入り口の所で車から降り 空を見上げると、

あんなに曇っていたのに晴れ渡っているのです。

満点の星と言うほどではありません。

月は無いのですが、丘の向こうの海にイカ釣り船が沢山操業している為

西側の空が明るいのです。

その為スバル(プレアレデス星団)がかすんでいます。

「イカ釣り船がなければ今の百倍位見えるのに」 とネイチャーガイドが残念がっていました。

しかし自分の住んでいる所よりはるかに沢山の星を観察できました。

おりひめ(ベガ)とひこぼし(アルタイト)はこの星と言って

レイザービームで指し示してくれました。

その光は星に吸い込まれていくような不思議な感じです。

天の川はここと指し示すところに、薄い雲のような感じのものが幽かに見え、

そして気のせいか北極星が少し高いところに有る様な感じがしました

色々な星を観測をしている時、小さな流れ星が2回流れていきました。

 

そこからの帰り道、大きな角のエゾシカに出逢いました。

角が4つに枝分かれしている堂々たる男鹿です。

人間が見ているのには気が付いているようですが、

余程お腹が空いているのか、草をバリバリとむしり取りながら食べています。

ライトは一つだけにして、皆黙ってジーと見ていましたが、

その後ゆっくりと私たちのバスから離れて行きました。

とても堂々としていて威厳さえ感じました。

あまり、動物を見ることは出来ませんでしたが、少し感動しました。

 

納沙布岬では、 高さ96mの AURORA TOWER 「望郷の塔」に登ってきました。

高倍率の望遠鏡で北方四島の方を見ても国後島は曇って見えませんが、

歯舞群島の一部が良く見えました。

ボートみたいな小さな舟で漁をしている人がいました。

その後、少し大きな船に何か物を移している様子が見られました。

日本人が漁をしているのかと思い、タワーの下で受付をしている人に聞くと

「あれはロシアの漁師で蟹などを獲り稚内に売りに来ている」とのことでした。

考えさせられる光景を見たような気がしました。

 

釧路の和商市場で買い物のついでに、秋刀魚、しめ鯖、ばふんうに、

花咲蟹などの刺身を食べました。流石に新鮮で特に秋刀魚が美味でした。

満足、満足。

 

やはり本州とは気候が違い冬は寒さが厳しいので、

それに応じた家の構造、農業、道路などの違いも見てきました。

今回の旅行は天気が悪かったのですがそんなに寒くもなく、摩周湖も良く見ることが出来たり、

ここぞという時にはなんとかなりました。

 

道東の旅とても満足しました。


沖縄で美味しいコーヒーを飲ませてくれるカフェテラス

2013年03月01日 | 旅行

沖縄に行ってきました。

沖縄の喫茶店で不思議なコーヒーを飲みました。

話を聴いたときは 「エー」と思いました。

そして、汚いじゃないかとも思いました。



試飲したコーヒーなのですが、

今回初めて焙煎した「狸のウンコのコーヒー」と言うことでした。



狸がコーヒーの実を食べるそうです。

鳥が木の実を食べ、その種が排泄されて芽を出すように、

狸も種までは消化できないそうです。

その為ウンコの中にコーヒー豆が消化されずに出てくるので、

その豆を綺麗に洗ったものが「狸のウンコのコーヒー豆」とのことです。



ケージの中でコーヒー豆を沢山食べさせて作るものや、

野外でコーヒー豆を食べていた狸から取ったもの、

その中間的な状態で作ったものと色々有るようです。



その豆ををテスト的に強めに焙煎したものと、

弱めに焙煎したものを少しずつ飲ませてもらいました。


最初に焙煎したもののときは、

まず口に含んだとき強い苦味を感じましたが、直ぐ苦味が無くなり。

その次に口に含むと少し酸味を感じました。

その次に口に含んだときはまろやかな味を感じました。

でも飲むたびに味が変化するなんて、こんなことは経験したことは有りません。

多分自分の味覚がおかしかったのかもしれません。


次に焙煎したものも試飲させてもらうと、

これはとてもまろやかな感じで、美味しく飲むことが出来ました。

但し、この狸のコーヒーはたまたまこの豆を持ち込んだ人がいたので、

今回試飲できたものです。



実は、このコーヒーを飲む前に普通のコーヒーをゆっくりと時間を掛けて

美味しく飲んでいたので、充分にコーヒーを堪能しました。


業者にも卸している自家焙煎の専門店で、

焙煎したての豆から抽出したコーヒーを飲ませてくれる、

本格派のカフェテラスです。


http://r.gnavi.co.jp/af4xs57u0000/

カフェテラスAIAI


オーナーはとても素朴で気さくな人でした。

焙煎や抽出などコーヒーに関して、実体験に裏打ちされた知識が豊富なようです。

そして、「うちは沖縄で一番美味しいコーヒーを出しているよ」と言っていました。


どんぐり倶楽部に行ってきました

2012年12月23日 | 旅行


船で韓国の釜山や沖縄等のツアーに行ってきました。

その船旅のオプショナルツアーで「森と暮らす どんぐり倶楽部」に行き、

川のそばでバーベキューをやったり、ピザパイを自分で焼いて食べたりしました。

そして工作体験で写真のようなものを作ったのですが、

小学生より幼稚なものしか出来ません、しかも持ち帰るときに花が取れてしまいました。

でも記念になるので飾っています。



この地域は美浜原発の近くです。

美しい海が広がり自然が豊かですが過疎化が進み、

大きな産業が無く経済的に豊かな生活がしにくい地域でした。

そんなところに原発がやってきてしまいました。

誰でも心の中では、

こんな危険なもの無ければよいと思っても

地域に沢山のお金が流れそれで生活が潤ってくると

反対しにくくなります。


とても反対しにくい状況の中、

異を唱え、原発に頼らなくても暮らしていける社会を考え、

提案しながら前向きに活動している人達が沢山いました。

この「どんぐり倶楽部」の人も、頑張っていく内に沢山の賛同者が出来てきました。

でも誰でも普通の社会人です、皆生活がかかっているのです。

原発は嫌だ、でも生活がある、将来この地域はどうなるのだろう、

活動をすると反感をもたれる等など、心の中の葛藤、本音を聞いてきました。




原発の資料館等も見てきました。

とても景色の良い場所にあります。



ナトリウムをカッターでカットする体験もしてきました

ナトリウムが溶けて、まるで水銀のように流れ出てくるところも見ることが出来ました。

資料館の人たちはとても丁寧に説明をしてくれました。



ナトリウムは冷却効率が高い為

高速増殖炉「もんじゅ」に使われるようです。

ナトリウムは98℃で溶けて883℃で沸騰するので効率が良いそうですが、

でも水や水蒸気が有るととても強い反応を起こす為非常に危険なものだそうです。

ナトリウムの取り扱いはとても難しく、海外には取り扱いを体験できるところが無いので

外国の人たちはこの施設に来て研修をするとのことでした。




何はともあれ、現在発電できない状態の「もんじゅ」ですが、

インターネットで調べると、

当面の運転にかかわる経費は年間 約230億円(会計検査院)掛かるようです。

事故も無く無事に廃炉にすることが出来てもその経費は膨大な金額になります。


重大な事故が起きたら日本の国が滅茶苦茶に為ってしまうのではないでしょうか。

万一効率よく発電ができたとしても、


こんなに怖い施設が存在する意義とは?????。