なんでも直そう・・・自分なりのエコを目指します。

ボランティアでおもちゃの修理そして自宅の電気製品などの故障にチャレンジ中です。其の他のことも気が向いたら書いてます。

カンボジア と ベトナム に行ってきました。 (2/4)

2014年11月26日 | 旅行

4日目

      カンボジアのトンレサップ湖クルーズ

 シェリムアップのホテルから川沿いにトンレサップ湖に向かいま した。  

川沿いには高床式の家が連なっていました。

           

     (家の後ろは川が流れています。) 

  現地ガイドからこの辺りの生活について聞きました。

台風や地震が少ないので簡単な造りでも家が壊れにくいようです。

ここに住んでいる人は雨季は漁師、乾季は農業で生活をしているが収入が少ない。

電気がまだ来てなく、飲み水には雨水を利用で癌の人が多いとのことでした。

でも、写真を拡大すると綺麗な家も建っていて、電線(?)も有りました。

この国では貧しくても国からお金が出ないので、ホームレスが多くお金の無い人は

お寺で食べ物をもらったり物乞いで暮らし、食べ物の無い時は

ゴミ箱から食べ物を拾う人もいる。

健康保険が無く薬局で薬を買ったり、田舎の人は薬草を良く使う。

学校が少ないので午前、午後に分けて授業を受け、空いた時間に働いて

生活費を稼いでいる子供が多い。

カンボジアでは50歳になると頭髪を剃ってお寺に入る人が多いそうです。

子供のうちにお坊さんになる子も居るが、学費の為そして親孝行の為とのことです。 

      

  トンレサップ湖は東南アジアで最大の湖、水上生活者は100万人以上とのこと。

雨季と乾季では面積や水位が大きく違い、それに合わせて船を移動したりするそうです。

    乾季のときはこの樹木の周りは地面が出ているそうです。

     

   小学生ぐらいの子が蛇を巻き付けての見世物、親の生活の手助けをしています。

              

   水上の学校、船で通学。   レストラン&お土産屋(拡大したら鰐がぶら下がっています)

           

魚が良く獲れるので叩いて網から魚を外している光景が沢山見られました。

湖上の舟の生活は陸上と同じ、犬を飼ったり、花を植えたり、マーケットや

修理工場、土産屋などありとあらゆるものがある。

ハンモックで寝ている人、食事をしている人、開けっ広げで明るい雰囲気を感じました。

 

 ポン・ポン・ポンとリズミカルに大きな音がするので見ると、

カンボジアの子供が船に乗り込んでいて、客の肩を叩いていました。

この子達も生活の為に働いているのですね。

突然、私も肩を叩かれびっくりしました。   

実は肩を叩かれるのが苦手なので、残念ながらすぐ止めてもらいました。

 

 船から降りて、午後からはツアーでお約束の買い物です。、

その後は畳敷きの和室広間を借り切っての休憩、のんびりとお昼寝タイムとなりました。。

 

 2泊3日だけのカンボジアでしたが、

衝撃的な場面が沢山あり、もっと長かったような気がしました。

 

 シェムリアップ空港から20時発の飛行機でベトナムのダナンに向かいました。 

機内でパスポートを確認するとカンボジアの出国証は取り外されて

その場所にはホッキスの針の穴が残っていました。

出国証を、もしも無くしていたら出国できなかったのかもしれません。

ベトナムのダナン空港からバスでホイアンに向かい、

夜の11時にホイアンのホテルに到着しました。

 

5日目

朝9時に出発なので朝食後は時間が有りました。

勿体ないので街を歩いてみると海岸があり、そこには沢山のオートバイが停車していました、

通勤途中なのか遠くから見に来ているのか判りませんが、人々が海を眺めています。

ブルドーザーで長い鉄板を海の中に立てているようでした。

言葉も通じず、文字も読めないので、看板を見ても何をやっているのか判りません。

         

後でガイドさんに聞くと、

海の侵食が進み、海岸が狭くなるので護岸工事をやっているとのことでした。

そう言えば椰子の木が根っこから倒れていました。

その近くには海水浴用品や雑貨を売っている、小さな店や露店が沢山あります。

海岸がこんなに狭くなったので、今ではでは海水浴場としての営業は、

中々難しいのではないでしょうか。

 

   世界遺産のミーソン遺跡 

  ホイアンからバスで山の奥のほうに1時間半ほど掛けて登っていきました。

入り口から暫らく歩いていくと、音楽が聞えてきました。

ステージの有る建物の中では、綺麗な民族衣装の人たちが民族舞踊を舞っていました。

暫し椅子に座って観させて貰いました。

 ミーソン遺跡は6世紀から13世紀に交易で栄えたチャンバ王国の聖地です。

この遺跡はベトナム戦争の時、米軍の空爆で殆どが破壊されてしまいました。

残っている僅かな物から、昔はどのような物だったのかを想像しながら見学しました。

壊れた残骸を見ているような感じがしてしまい、

残念ながらカンボジアで感じた様な感動は余りありませんでした。

でも、ジャングルの中にはまだ発見されず、破壊されていない遺跡が有るかもしれません。

繁栄したチャンバ王国が高いレベルの建築技術を取入れて造ったというミーソン遺跡、

今後の発掘で、破壊されていない遺跡が見付けられることを期待します。

     (ここでは残念ながらカメラの充電が切れてしまい写真が撮れませんでした。

      連泊なのでホテルに戻った時に夕方まで充電しました。)

      

    世界遺産ホイアン旧市街

 明るいときに旧市街を散策しました。

ここには16世紀終わりごろ日本人が造ったといわれている日本橋(来遠橋)が有ります。、

小さな川に架かるこの橋は、中央に航海の安全を祈願した小さな寺があり、

立派な屋根瓦で出来た屋根付きの独特な形の橋です。

当時1000人以上の日本人が住んでいたが江戸時代の鎖国で日本人は帰国、

その後は多くの中国人や西洋人がここで交易を続けたとのこと、

その為中国風建物が多くありました。

この橋に続く道の両側には小さな店が多く、

工芸品や革のバッグやお土産品などの雑貨を売る店が観光客で賑わっていました。

 

 暗くなってからこの旧市街にまたやって来ました。

河に架かる大きな橋の欄干には明かりの入った飾り付けがあり、

河沿いでは、ヒューン、ヒューンという音と共に花火みたいなものが上がったりしていました。

店頭には多くのランタンに火が入りとても綺麗でした。

暗くなっても大勢の人が町に出ていて賑やかです。

この時間になっても女の人や子供達が物売りをしていました。

          

 

 この辺りは洪水が多く、川沿いの黄色い壁には人の頭ぐらいの位置に

洪水の年を書いた物が貼ってありました。

標識には高いほうに2009、 低いほうは2013と書いてありました。

                  

 

6日目から8日目までの分は次に書きます。

 



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