田川市石炭・歴史博物館のブログ

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石炭の運搬 その3 石炭車

2016年12月12日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回前々回と2回に分けてお伝えしてきました『石炭の運搬』についてですが、最終回となる今回は『石炭車』についてです。

明治20年代ごろから、筑豊では石炭輸送を目的にしたいくつもの鉄道路線が、炭鉱経営者の共同経営の鉄道会社(筑豊興業鉄道、九州鉄道、豊州鉄道など)によって建設されました。
これらはのちに統合され、戦前の鉄道院・鉄道省、戦後の日本国有鉄道(国鉄・JR)の路線へとなっていきました。

大手の炭鉱では、選炭場と上記鉄道路線の最寄駅までの区間を、自前の機関車と石炭車を運用している場合もありました。

日本で石炭が採掘されていた最盛期、蒸気機関車による石炭輸送では、多い時には50両もの石炭車を引いて、炭坑から消費地や積出港まで石炭を運んでいました。

筑豊の石炭は、門司港と若松港に集積されて西日本各地へ送られ、さらに海外にも輸出されました。
また田川の石炭は、豊前市宇島港や苅田港経由でも出荷されていました。

石炭を載せる貨物車を『石炭車』と言います。
石炭車を表わす記号は「セキタン」の頭文字「セ」です。
さらにこの記号の後に荷重(積載量)を表わす記号が付きます。

13トン以下は無記号
14~16トンには「ム」
17~19トンには「ラ」
20~24トンには「サ」
25トン以上には「キ」が付きます。
順に並べると「ム・ラ・サ・キ」となり、語呂がよくなるようにつけてありますね。

九州においての石炭輸送には「セ形」・「セム形」・「セラ形」の3種類が使われました。
これらは車輪が4個の比較的小型の貨車で、車両の真下に石炭を排出する形式の仕様です。

一方、本州と北海道では車輪4個の台車二組(計8個)を持つ大型の石炭車で、車両の両脇下部から線路両側石炭を排出する形式の「セキ形」が主に使われました。
「セキ形」に似てやや小型の「セサ形」は、のちに国有化された小野田鉄道でセメント輸送に運用されました。

なお、香春〜行橋間では、香春岳で産出される石灰石の輸送用として、北海道から転入した「セキ形」も使われました。また田川市船尾山の石灰石も一部「セキ形」が使われ、筑豊本線を経由して戸畑(現在の北九州市戸畑区)へ運ばれました。
しかし、石灰石輸送に使われた「セキ形」は、九州には保存車両がありません。
これは、炭坑が閉山し、かつ石灰石輸送の需要が減った筑豊で不用になったのち、当時まだ石炭採掘が行われていた北海道に戻されたためではないかと思われます。

石炭輸送には、上記の石炭専用貨車以外にもトラックの荷台に似た仕様の「ト形」も使われており、「ト形」「トム形」「トラ形」「トキ形」などの形式がありました。

 

写真はトラ45000形の模型です。トム、トラ、トキ形の保存車は九州には残っていませんので実物の写真は無理でした。

 

 


また、炭鉱の専用線で使われた「ト形」の仲間に、三井三池炭鉱の「ハト形」や、直方と宮田の石炭記念館などに保存されている貝島炭鉱の貨車で、採炭後の坑道を充填する土砂の運搬に使われた「ロト形」もありました。ロト形はセキ形のように線路両脇に土砂を排出するようになっており、石炭を運ぶこともあったそうです。

 

直方石炭記念館のロト22号

 

 

ここからは、九州で使用され保存されている石炭車をご紹介します。
これらは、全国でも数少ない貴重なものです。

1…セ1208 田川市石炭・歴史博物館

当博物館に蒸気機関車59684とともに保存展示されています。
荷重は10t、つまり積載量10トンなので記号はセ形で、1208号車となります。
三井三池炭鉱で使われていた社有の貨車で1両のみ残っています。



2…セム1 直方市石炭記念館

荷重15トンのセム形の1号車です。
飯塚方面と田川方面の両方からの路線が合流する当時の直方は、筑豊の中心的な鉄道基地でした。





3…セム1000 JR若松駅前

同じく荷重15トンのセム形1000号車。
石炭輸送の終点であった若松駅前に、筑豊炭田と若松間で活躍した9600形機関車19633とともに展示されています。

4…セラ1239 JR門司港駅前九州鉄道記念館

セラ形1239号車で荷重17トンです。
セラの前の()は黄帯とともに最高速度65kmの制限を表わすために付けられています。

5…セラ1200 団体保有

セラ1形1200号車で, 門司港のものと同じ形式です。現在は公開展示はされていません。
写真は保管前のもので、団体の責任者の方よりご厚意で提供していただきました。

 

6… セラ2206 長崎県松浦鉄道たびら平戸駅展示

セラ形2206号車で, 4・5と同じ形式です。
長崎県の北松浦郡から佐世保にかけての北松炭田沿線の松浦線で使われたものです。



かつて石炭時代の田川では、蒸気機関車に引かれた数十両のセム形やセラ形の、長大な石炭列車が頻繁に見られました。
踏切で出くわすと、スピードが遅いため通り過ぎるのに長いこと待たされるということもよくありました。

そんな思い出のなか今回調べてみますと、現在残っている石炭車が6両だけとは、ちょっと驚きで、寂しい気がしますね。

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