百醜千拙草

何とかやっています

大統領選討論、チョムスキーの涙

2012-10-05 | Weblog
最近、気分が上向いたり下向いたりと振幅することが多くなりました。理由は、なかなかまとまらない論文のせいかと思います。終盤がやはり一番、キツいですね。終盤と思ってから一年以上経っています。年をとって気分の変化をコントロールすることがちょっとはできるようになったと自分では思っていたのですが、まだまだ未熟です。小さなことに一喜一憂しながら、おろおろと日々を過ごしております。

水曜のアメリカ大統領選のオバマとロムニーの討論、見ましたけど、双方、パッとしませんね。ロムニーはオバマの第一期目に約束したような成果が上がっていないことを主に攻撃しました。かといって冷静に見れば、ロムニーが何か具体的に現状を良くするための具体的な処方箋を提示しているわけではなく、聞いている方は、ロムニーの方がマシかどうかの判断はつかなかったでしょう。オバマは挑戦される方なので、受け身になるのは仕方がないでしょう。私は自分の偏見もあるのでしょうが、この討論、言葉の端々に出るロムニーの人間性とでもいうものが鼻につきました。とにかく自分第一なのでしょう。大阪市長と似てますね。国を良くしたいという熱意ではなく、とにかく自分が上に立ちたいという欲が言葉から漏れ出してるように私は感じます。昔、上院の選挙で当選できず、その後、民主党の州、マサチューセッツの知事になり、自分が批判しているオバマの皆保険制度(オバマケア)と似た保険制度をマサチューセッツで先駆けて導入したのがロムニーです。討論では、オバマの保険制度をしきりに批判していましたが、一方で過去に自分自身が似た制度をマサチューセッツでに導入してるのですから、オバマケアとのビミョーな違いをいくら強調しても、説得力はありません。経済に関して、トリクルダウン型とボトムアップ、理屈では二通りあるわけですが、結局は両方がポジティブに回らないとどうしようもありません。ロムニーは大企業が大雇用者でなのだから、大企業を優遇しないと雇用が減ると言い、オバマは中小企業の負担を減らすべきだと言います。大企業にいくら税制優遇を与えても、それがトリクルダウンとなって雇用者が潤い、雇用者が大企業の製品を買うことがなければ、最終的には大企業の収益減り、結局、雇用者はリストラされていきます。ロムニーの理屈はそのヘンをすっ飛ばしています。最初に切られるのは雇用者です。
ま、どちらが大統領をやっても大差ないでしょうが、テレビでオバマを見るのとロムニーを見るのとどっちがマシかと言われたら、オバマですかね。

あと、ま、ほんとにどうでもいい話なのですけど、解散「するする詐欺」のペテン師、ドジョウ、「問責」喰らっているくせに、内閣改造するかなー。今回の入閣者の中でもっとも話題になっている田中眞紀子氏。私もこの人が何を考えているのかよくわかりません。国民の中には破壊兵器として何かやってくれるのではと期待していた人も多かったのではないでしょうか。しかし民主党がデタラメをやり続けて離党者が続出するなかでも何故か党に残り、消費税増税には賛成票を入れ、ドジョウを信任し、インターネット言論封鎖に繋がるACTA法案の座長をやり、そして、今回入閣した、という最近の動きを見ていると、ドジョウと同じく官僚組織に折伏されたのかという感じが否めません。多分、8割の人は、あの角栄の娘でありながらいまやどちらかと言えば小沢一郎と逆の立場にいるのは裏切りだと感じているのではないでしょうか。一方、田中眞紀子は民主党を内部から破壊するトロイの木馬であり、敵を欺くにはまず味方からと、変心したように見せかけているのだという人もいます。どうでしょうか。私は、どうもこの人の旦那が足を引っぱっているような気がするのですが。あるいは、かつて、「伏魔殿」と呼んで外務省官僚とやりあった後、官僚組織からすごくイヤな目にあわされたのかも知れません。外相を更迭されるまで自民党内閣で大臣をやり、そして民主党へと鞍替え、思うに、やはり、大臣の椅子が恋しかっただけなのか、という感じもします。いや、ほんとーにどうでもいいことです。この人が大臣であろうと木馬であろうと、民主党が壊滅するのは時間の問題であり、長くても一年の命ですから。

最後に、前回の話にちょっと関連したことですが、藤永茂さんが、「ノーム・チョムスキーが泣くのを私は見た」というFred Branfman という人の回想記の翻訳をブログにアップされています(連載中)。貴重な記録だと思うのでリンクします。チョムスキーはアメリカ構造言語学を創始した言語学の巨人、藤永さんは物理学者、研究室に閉じこもって世間と離れて学究生活しているのが普通の人々です。そのような「象牙の塔」に籠っていてもおかしくない人々が、「真実を知ってしまった」がゆえに、自分の領域を踏み越えて世界をよりよい場所にしようと活動されてきています。私も研究者のハシクレなのでよくわかりますが、自分の研究分野にこもって、自分の研究のことだけを考えている方が余程、ラクに違いありません。しかし、知ってしまった上は行動せざるを得ない、知らないフリはできない、きっとそういう思いに駆られるのでしょう。
 この記事は、ラオスを訪れた時、アメリカ軍がベトナムやラオスに行った非道極まりない行為と、それがラオスの人々に与えた苦しみを知って、チョムスキーが泣いたというエピソードがその中心になっています。人間として最も大切なもの、ダライラマの言うように、私もそれは「compassion」であろうと思います。おそらく、チョムスキーはラオスの人の苦しみを強く自分のものとして感じて、こらえきれずに涙が出たのでしょう。
 一方、日本をふりかえれば、日本の政府にはこの能力、立場の違う人々に人間として共感できる能力をもたない低級な人間ばかりのように見えます。国会で責められて泣き出したかつての民主党代表候補がいましたが、果たして、彼らが国民のためにその苦しみを思って泣くことがあるのでしょうか。空きカンのフクシマ訪問時の行動を思い出すと私は悲観的です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本当の犠牲者 | トップ | iPS、翼の下、河原の石 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事