しばらく前の内田樹の研究室でのエントリー、「半分あきらめて生きる」を読み返してみました。日本人は、半分、あきらめたり、半分、人生を降りてみたり(中島義道さん)、とりあえず今日を生きてみたり(なだいなださん)、外国人には多分よくわからない中途半端さが好きなようです。和を尊び、予定調和にそって、上下関係の中で他人の意思を忖度しながら自分の居場所を確保する、そうしてきました。そのために何かをあきらめることにそれほど抵抗がないのではないかな、と思います。人生を降りるということは、出世とか、成功とか、子供時代に植え込まれる価値観に沿ってがんばる、というのを放棄するということでしょう。かと言って、全面的に人生を降りたり、あきらめたりして、ゾンビのように生きるのもイヤだ、とりあえず、半分だけ降りてみよう、半分だけあきらめてみよう、それが日本人的プラグマティズムなのでしょうね。
あきらめることは選択することであり、選択するとは決断をするということでもあります。そんなポジティブなコノテーションもあきらめるという言葉には多少あるのかもしれません。
しかし、福島原発事故に関しては、現場はとっくの昔に、半分あきらめたように見えます。半分(もしかしたら全面的に)あきらめていはいるのだが、あきらめていないフリをしている、そのように見えます。
燃料棒の取り出し、汚染水、一触即発の危機の中を、あたかもギリギリの線で踏ん張ってきたかのような報道が昨年末ぐらいまではありました。今年になって、汚染水のことも燃料棒のことも殆ど報道されなくなりました。良い進展があったのであれば、政府もマスコミもどんどん報道するはずですから、便りのないのはヤバい証拠です。
事故を起こした原子炉そのものは、放射能が強過ぎて人間が近づく事もできないお手上げ状態、加えて汚染水の問題。つまり、ただでさえお手上げなのに汚染水が余分な問題を創り出し続けているというお手上げの二乗状態に近いのだろうと思います。それこそ沈没を待つタイタニックの上で、成り行きを見守るしかない乗客の心境なのかもしれません。「これはもうだめかもわからんね」との日航機123便の機長の最後の言葉が、最近は原発事故のニュースを聞く度にしばしば心に浮かぶようになりました。
NEVADAブログの記事をリンクします。
崩れ始めた安倍総理発言:完全にコントロール
きっこのブログでも同じ問題が取り上げられています。ご一読下さい。
消えた汚染水
また、海への排水に関して、次のようにあります。
つまり、もう汚染水をタンクに溜め続けることはできなくなり、これまではコッソリと海に流していた汚染水を、これからは大っぴらに流すということにしたい、ということです。福島原発の敷地を写真で見てみればわかりますが、1000基も林立した汚染水タンクで一杯です。毎日300トンの汚染水が増え続けて行く中で、この泥縄式応急処置を永久に続けることができないのは自明です。最後は大っぴらに海に垂れ流すというのは最初からわかっていたことでした。
それにしても、この政府や東電のやり方は姑息で卑怯です。じわじわと情報を小出しにし、国民を騙しながら、既成事実にしていって、最後はなし崩し的に認めさせるのです。原発事故の収束が不可能なのであれば、その現実を国民が認めるのは遅い方がいいと考えているのでしょう。
昔の高田渡さんの「値上げ」という歌を思い出しました。
「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会でどう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。 、、、
人間は何かを諦めなければならない。これに例外はない。自分が平時向きの人間であるか、非常時向きの人間であるかを私たちは自己決定することができない。それは生得的な「傾向」として私たちの身体に刻みつけられている。それが言うところの「あるがままの自己」である。だから、「あるがままの自己」を受け入れるということは、「システムが順調に機能しているときは羽振りがよいが、カオスには対応できない」という無能の様態を選ぶか、「破局的状況で生き延びる力はあるが、システムが順調に機能しているときはぱっとしない」という無能の様態を選ぶかの二者択一をなすということである。どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない。
人間は何かを諦めなければならない。これに例外はない。自分が平時向きの人間であるか、非常時向きの人間であるかを私たちは自己決定することができない。それは生得的な「傾向」として私たちの身体に刻みつけられている。それが言うところの「あるがままの自己」である。だから、「あるがままの自己」を受け入れるということは、「システムが順調に機能しているときは羽振りがよいが、カオスには対応できない」という無能の様態を選ぶか、「破局的状況で生き延びる力はあるが、システムが順調に機能しているときはぱっとしない」という無能の様態を選ぶかの二者択一をなすということである。どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない。
あきらめることは選択することであり、選択するとは決断をするということでもあります。そんなポジティブなコノテーションもあきらめるという言葉には多少あるのかもしれません。
しかし、福島原発事故に関しては、現場はとっくの昔に、半分あきらめたように見えます。半分(もしかしたら全面的に)あきらめていはいるのだが、あきらめていないフリをしている、そのように見えます。
燃料棒の取り出し、汚染水、一触即発の危機の中を、あたかもギリギリの線で踏ん張ってきたかのような報道が昨年末ぐらいまではありました。今年になって、汚染水のことも燃料棒のことも殆ど報道されなくなりました。良い進展があったのであれば、政府もマスコミもどんどん報道するはずですから、便りのないのはヤバい証拠です。
事故を起こした原子炉そのものは、放射能が強過ぎて人間が近づく事もできないお手上げ状態、加えて汚染水の問題。つまり、ただでさえお手上げなのに汚染水が余分な問題を創り出し続けているというお手上げの二乗状態に近いのだろうと思います。それこそ沈没を待つタイタニックの上で、成り行きを見守るしかない乗客の心境なのかもしれません。「これはもうだめかもわからんね」との日航機123便の機長の最後の言葉が、最近は原発事故のニュースを聞く度にしばしば心に浮かぶようになりました。
NEVADAブログの記事をリンクします。
崩れ始めた安倍総理発言:完全にコントロール
昨日、東京電力は以下のような発表をしているのです。
【福島第1原発の≪港湾内と港湾外≫の計5カ所で、海水中の放射性物質濃度が過去最高値を更新した】
その具体的な内容は以下の通りです。
港湾のすぐ北にある採取ポイントで12日に採取した海水で、トリチウムが同8.7ベクレルと最高値を更新。
南へ約3キロの地点で同日に採取した海水からもトリチウムが同4.3ベクレル検出され、これまでの最高値の
2倍超となった。
<1、2号機取水口間> 15日に採取された海水からは、ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が同840ベクレル検出され、この場所の最高値である同540ベクレルの1.5倍超となった
<2、3号機の取水口間> 福島第1原発2、3号機の取水口間で12日に採取された海水で、トリチウムが1リットル当たり1900ベクレル検出され、この場所での最高値は4月14日の同1400ベクレルだった。近くの別の採取ポイントでも海水にトリチウムが同1400ベクレル含まれており、これまでの最高値の同1200ベクレルを上回った。
時事通信は以下のようにこの事実報道を締めくくっています、
≪安倍晋三首相は昨年、同原発の汚染水の影響について「港湾内で完全にブロックされている」と述べていた≫
そして今回の最高値更新の理由を東電は以下のように述べていると時事通信は伝えています。
≪原因は分からない≫
【福島第1原発の≪港湾内と港湾外≫の計5カ所で、海水中の放射性物質濃度が過去最高値を更新した】
その具体的な内容は以下の通りです。
港湾のすぐ北にある採取ポイントで12日に採取した海水で、トリチウムが同8.7ベクレルと最高値を更新。
南へ約3キロの地点で同日に採取した海水からもトリチウムが同4.3ベクレル検出され、これまでの最高値の
2倍超となった。
<1、2号機取水口間> 15日に採取された海水からは、ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が同840ベクレル検出され、この場所の最高値である同540ベクレルの1.5倍超となった
<2、3号機の取水口間> 福島第1原発2、3号機の取水口間で12日に採取された海水で、トリチウムが1リットル当たり1900ベクレル検出され、この場所での最高値は4月14日の同1400ベクレルだった。近くの別の採取ポイントでも海水にトリチウムが同1400ベクレル含まれており、これまでの最高値の同1200ベクレルを上回った。
時事通信は以下のようにこの事実報道を締めくくっています、
≪安倍晋三首相は昨年、同原発の汚染水の影響について「港湾内で完全にブロックされている」と述べていた≫
そして今回の最高値更新の理由を東電は以下のように述べていると時事通信は伝えています。
≪原因は分からない≫
きっこのブログでも同じ問題が取り上げられています。ご一読下さい。
消えた汚染水
港湾内の数値が過去最高値の1.5倍以上になり、港湾外の数値が過去最高値の2倍以上になったことに対して、東電は「原因は分かりません」とコメントした。海では自然界に存在しない放射性物質の濃度がどんどん上昇し続けていて、原発からは高濃度の放射能汚染水が来る日も来る日も大量に海へ流出してるのだから、「原因」は小学生でも分かると思うんだけど、東電には「分からない」そうだ。
また、海への排水に関して、次のようにあります。
一方、東電は、毎日汲み上げて巨大な貯水タンクに溜め続けてる汚染水について、「山のほうから流れてくる地下水が1日に400トンほどあり、それが原子炉の周辺で汚染されて汚染水になっている」「毎日400トンの地下水を汲み上げないと溢れてしまう」と説明した。だから、流れてくる地下水を原発より手前の「まだ汚染されていない段階」で汲み上げて海へ放出する「地下水バイパス計画」なんてのを発表して、周辺の漁協の了解も取り付け、今月の21日から放水を始めることになった。
つまり、もう汚染水をタンクに溜め続けることはできなくなり、これまではコッソリと海に流していた汚染水を、これからは大っぴらに流すということにしたい、ということです。福島原発の敷地を写真で見てみればわかりますが、1000基も林立した汚染水タンクで一杯です。毎日300トンの汚染水が増え続けて行く中で、この泥縄式応急処置を永久に続けることができないのは自明です。最後は大っぴらに海に垂れ流すというのは最初からわかっていたことでした。
それにしても、この政府や東電のやり方は姑息で卑怯です。じわじわと情報を小出しにし、国民を騙しながら、既成事実にしていって、最後はなし崩し的に認めさせるのです。原発事故の収束が不可能なのであれば、その現実を国民が認めるのは遅い方がいいと考えているのでしょう。
昔の高田渡さんの「値上げ」という歌を思い出しました。
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