日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

アンドラ公国 Principality of Andorra

2007-08-04 | 世界地理
スペイン(司教)とフランス(大統領)の共同支配は1993年に終了
アンドラ公国はピレネー山中にあり、人口7万人、面積468k㎡の小国である。10世紀以降、スペインのウルヘル司教とフランス国王が、「対等の宗主契約」を結び、徴税・裁判については、対等の共同領主になっていた。
1993年、アンドラの新憲法がアンドラ国会と住民投票で承認され、アンドラは主権国家として独立した。フランス大統領及びウルヘル司教には象徴的権利だけが残された。1993年7月、アンドラ公国は国連に加盟した。
EUには未加盟であるが、国内の通貨としてはユーロが使用される。アンドラ公国の公用語は、スペイン語系でイタリア語の混じったカタルーニャ語である。



OECDはアンドラ公国を租税回避地と認めている
アンドラに行くにはバルセロナ(スペイン)からでも、トゥールーズ(フランス)からでも、自動車で3時間を要する。ピレネー山中には悪路もある。空港がないため、航空機で短時間に行くことはできない。しかし、人口7万人のピレネー山中の小国に、年間1000万人以上の観光客が訪れる。
アンドラ公国では相続税と関税がかからない。一般消費税4%が2006年から導入されたものの、ヨーロッパ各国よりははるかに低率である。このため、アンドラ公国内の商店はすべて免税店であり、世界中のブランド品などを安く買うことができる。
フランス、スペイン、イギリスなどからの観光客は、夏は高原の避暑、温泉、買い物などを目的として訪れる。冬はスキー、温泉、買い物などを目的とする。
1980年代、日本の電器製品がヨーロッパに集中輸出され、EUが輸入制限をした。しかし、日本のVTRがアンドラ公国経由でEU各国に流れ、EUは輸入制限に失敗した。当時、アンドラ公国は、「ピレネーの秋葉原」といわれた。今でもアンドラ公国では、日本の電器製品に人気があり、よく売れている。
アンドラ公国には銀行が多い。国際金融の不公正取引や莫大な資産隠匿を目的に、世界中の金融業者や資産家が、アンドラの中小銀行を利用する。OECDはアンドラ公国を、悪い意味で「租税回避地」に区分したのである。


アンドラ公国そのものがピレネーにできた国である。
市街地は狭い平地に、ホテルは狭い谷間にある。




アルバニア Pepublic of Albania

2007-08-04 | 世界地理
農業の難しい自然環境
夏の乾季に植物・農作物が枯れてしまう地中海性気候である。しかも平地は少ない。人口350万を養うだけの農業生産をあげることができず、小麦が最大の輸入品である。山岳地域では羊・山羊の飼育が見られる。一人当たりGDPは2120ドル。ヨーロッパの最貧国である。



独裁の果ては鎖国と無神国家
1912年にオスマントルコから独立した。アルバニアには軍事力も外交能力も乏しく、独立後にイタリア、ギリシャ、ドイツに占領された。
第2次大戦後、1946年に人民共和国宣言をし、ソ連の影響下に入った。
アルバニアの最高指導者ホッジャ労働党第1書記は、熱心なスターリン主義者であった。スターリンの死後、1961年にフルシチョフがスターリン批判を始めると、ホッジャはソ連と国交を断絶した。
中国毛沢東政権から潤沢な資金・食料援助を受け、ホッジャは独裁を続けた。中国の文化大革命では、毛沢東崇拝と宗教否定が大きな流れになった。ホッジャは中国の文化大革命をモデルに、1967年、アルバニア国内の宗教施設2000を閉鎖し、無神国家を宣言した。アルバニア国内においては、宗教の一切が禁じられた。
1978年に中国とアメリカが国交回復したことを理由に、ホッジャは盟友中国とも国交を断絶した。ホッジャはソ連・中国と国交断絶をし、鎖国という異常な国家体制になった。ホッジャは自給自足をアルバニア国民に求めた。
宗教禁止と鎖国を誤りとする政府関係者や宗教指導者は、処刑粛清されて、ホッジャの独裁政治が強化された。1985年にホッジャが死去するまで、アルバニアでは無神国家と鎖国体制が続いた。




国民総参加のネズミ講事件
アルバニアでは1993年から経済の自由化が進んだ。国内10~20社の投資会社が月利5~8%の利子でカネを集め、新興企業に融資していた。
投資会社の中には、ネズミ講の形でカネを集めるものもあった。投資会社が月利50~200%を支払うので、投資家が新たに3人の投資家を集める、という手口であった。3人勧誘のネズミ講は、10世代で6万人が参加、20世代で35億人が参加しなくては成立しない。早晩、破綻は目に見えていた。
しかし、多くの投資会社は、アルバニア人の3割からカネを集めた。海外出稼ぎのアルバニア人も送金した。麻薬資金のロンダリングを目的にイタリアのマフィアも参加した。
最大の投資会社VEFAは、国営テレビで出資を呼びかけるコマーシャル放送を流した。ベリシア大統領や民主党幹部もVEFAにカネを出した。
アルバニア国民は、ネズミ講を政府保証の国債を買うつもりでカネを出した。ルールにもとづき、先ず、自分でカネを出し、次に新たな出資者3人以上を紹介した。高い利子付きで出資金が戻るはずであった。
しかし1977年、ネズミ講投資会社は支払うカネがなくなり、次々と倒産した。出資した国民には利子どころか、元金さえも戻らなかった。
アルバニアは内乱状態になったが、ベリシア大統領は暴動をおさえきれず、多国籍軍の派遣を要請した。また、財政金融制度再建のために、IMFが乗り出した。
ホッジャ政権の統制経済が終わり、自由経済の知識が乏しい国民がネズミ講に出資した事件であった。結果的に、アルバニアの年間GDPの3割が失われた。

ホッジャ、スターリン、毛沢東が生きていたら、どう思うだろう
並みの国同様、アルバニアでもミスアルバニアコンテストがあった。アルバニアの独裁者ホッジャはどう思うだろう。怒り心頭で全員処刑かも。