日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

リトアニア   Republic of Lithuania

2007-08-11 | 世界地理
杉原千畝が6000人のポーランド難民を救助
1940年、ヒトラーに追われたポーランドのユダヤ人は、隣国リトアニアに逃げ、各国大使館に難民申請をした。日本領事杉原千畝は、日本の外務省の反対にもかかわらず、ポーランド難民6000人に、日本通過ビザを発給した。ユダヤ難民はシベリア鉄道でウラジオストクに行き、そこから船で敦賀へ着いた。ユダヤ人6000人の終着は敦賀ではなく、敦賀からアメリカに1000人、中国に5000人が向かった。リトアニアに残ったユダヤ人は戦中は処刑され、戦後はシベリアで強制的に働かされ、苦難の中で多くのユダヤ人が生命を失った。
杉原千畝はユダヤ人6000人を救助したが、外務省の規律に違反した行動であった。戦後、帰国した杉原千畝は、外務省をクビになった。
その後、ユダヤ人団体が杉原千畝を称賛する声が日本政府にも聞こえたはずだが、外務省は知らぬふりを通した。
杉原千畝の名誉回復ができたのは、1991年(平成3年)、鈴木宗男外務政務次官の尽力による。

ロシア依存経済からの脱却が最重要課題
1991年にソ連からバルト3国が同時に独立した。2001年にはWTO加盟、2004年にはNATOとEUに加盟した。
リトアニアでは人口343万人の90%がリトアニア語を使い、カトリックを信仰するリトアニア人である。ギリシャ正教を信仰するロシア人は8%である。
隣国はロシア植民地カリーニングラードである。リトアニア人と、カリーニングラードのロシア人には、相互の通行許可証が発行される。
リトアニアにはロシアから原油がドルジバパイプラインで送られているが、ロシアとの政治的緊張が高まるたびに、ロシア政府はドルジバパイプラインの元栓を閉めて、リトアニアへの圧力を強める。ドルジバの意味は友好、であるにもかかわらず、リトアニアをロシアに従属させる政治的パイプラインである。
ロシアへのエネルギー依存体質を改め、EUに接近するため、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国では、リトアニアに3国共同利用の大型原子力発電所建設を計画中である。

リトアニアのヤミ労働はGDPの20%
リトアニアでは土木・建設・農業・飲食業などにおいて、雇用主と労働者の了解で賃金や労働時間などの労働条件が決められる。雇用主も労働者も、税金・社会保障費用・残業への支出がないため、ヤミ労働は経営者・労働者ともに短期的には利点が多い。
労働者にとっては正規労働者よりは低賃金だが、公租公課の負担がないので、手取り給料は多い。雇用主にとっても、低賃金の労働力を確保できる利点がある。
ヤミ労働がGDPの20%以上と見られているのは、リトアニアとギリシャである。






エストニア Republic of Estonia

2007-08-09 | 世界地理
人口140万人、面積45,227k㎡の国
1940年に独ソ秘密協定でソ連に占領され、1991年に独立を達成した。人口140万人のうち、エストニア語を話す者が70%である。残り30%はエストニアの植民地時代に移住して来たロシア人である。
現在、ロシア人学校ではロシア語のみによる授業が行われているが、エストニア政府は近い将来、ロシア人学校でもエストニア語を必修とする予定である。
現在、ロシア人がエストニア国籍を取得するためには、エストニア語の試験に合格しなくてはならない。
エストニアのロシア人は、ソ連植民地時代にエストニアに移住して、政治的経済的に高い地位を独占した。1991年にエストニアが独立すると、ロシア人とエストニア人の地位が逆転した。エストニア政府は、ロシア語を使う範囲を次第に狭くし、ロシア語の自然消滅をねらっている。これはロシア人つまりロシア民族の自然消滅でもある。ロシア政府はロシアとエストニアの国境問題を提起し、エストニア政府をゆさぶっている。



エストニアはプロテスタントの国である。
エストニア語は北の隣国フィンランドと同じフィン=ウゴル語系だが、エストニア語とフィンランド語とは通じない。ウラル=アルタイ語系の日本語と韓国語が互いに通じないのと同じである。

エストニア経済
バルト3国は1991年にソ連から独立して国連加盟。1999年WTO加盟。2004年NATO加盟、EU加盟。ソ連邦離脱後のエストニアは西ヨーロッパに急接近した。
エストニア政府は、多国籍企業をエストニアに招致するため、企業の規模・利益にかかわりらず、法人税率は23%(定率)とした。EU加盟国など先進諸国の法人税率は40~50%、エストニアの2倍である。エストニアの法人税はEU加盟国では最も低率である。さらにエストニアから国外に再投資して得た利益には、法人税をゼロとしている。また、エストニアの一人当たりGDPは7000ドル、東ヨーロッパ諸国並みの低賃金である。
EU諸国の多国籍企業本社が、節税を目的に、EU加盟後のエストニアへ続々移転している。さらにエストニアの低賃金に注目したコンピューター・自動車関連工場の流入も多い。
エストニア経済は外資による工業化の進展により、年間経済成長率は5~8%の高率を維持している。

インターネット先進国
エストニアは小学校段階からIT教育に力を入れてきた。小学校でさえ、一人1台ずつのコンピューターを用意している。ハッカーの発信数は、エストニアが世界第1位である。
2002年から地方選挙においては、インターネット選挙が取り入れられた。次第に全国選挙に拡大する予定である。このオンラインシステムを利用するには、IDカードが必要である。エストニアでは2002年以来、全国民にIDカードの携帯を義務付けている。このカードは通常、事務処理に必要な書類や各種取引に身分証明が必要とされる銀行や役所などで、国民が身分を証明する手段として使用することを意図して作られている。
自宅のコンピューターからオンラインで投票するには、コンピューターのリーダーにIDカードを差し込み、投票用ウェブサイトにログオンする。認証されたら、暗号化システムを通じて投票し、さらにデジタル署名を行なって投票内容を確認してから送信する。簡単な仕組みだが、利用率は3%であり、97%は投票所に足を運んで投票する。





ウクライナ Ukraine

2007-08-08 | 世界地理
チェルノーゼムにおおわれた穀倉地帯
ドニエプル川流域の黒色土壌(チェルノーゼム)は、厚い腐植質におおわれた肥沃土である。肥料を与えなくても小麦栽培ができる。2004年生産量は1752万トン、世界第11位である。反収は3163kg/haであり、オーストラリアやロシアの2倍以上である。しかし、前年の2003年には359万トンの大凶作であった。


ウクライナの土壌は肥沃なステップである。しかし気温・降水量が小麦の栽培限界のため、しばしば凶作に見舞われる。豊作・不作の大きな変動が、国家財政の不安定要因になっている。



ドネツ炭鉱のスタハノフ
1933年、ウクライナのドネツ炭鉱で働いていたスタハノフが新しい掘削技術を考案し、ノルマの14倍の石炭を掘削した。スタハノフの掘削技術は、ソビエト連邦における生産性向上運動のシンボルとなった。ウクライナをはじめ、ソ連の石炭生産性向上運動は、スタハノフ運動といわれた。スタハノフは国家的英雄として称賛され、レーニン勲章が授与された。
しかし、多くの炭鉱でスタハノフを良きモデルとして、炭鉱労働者の採掘ノルマが引き上げられた。無理な採掘のためにドネツでは炭鉱事故が相次いだし、長時間労働のために労働者の生活も家庭も崩壊した。多くの炭鉱労働者にとってスタハノフは、悪しきモデルとして語られた。労働者には何のプラスもなかった。否定すべき存在であった。



ソ連崩壊後はスタハノフ運動は、労働者に犠牲を強いる誤った労務管理とされた。行きすぎたノルマを強制する、悪い意味でスタハノフ運動が語られるようになった。1990年のソ連崩壊後も、ドネツ炭田とその周辺の事故は続いた。
1990.2.14・・・13名死亡(行方不明も含む)
1992.6.9・・・ 56
1994.3.6 ・・・11
1994.5.2・・・ 12
1994.9.17 ・・ 5
1998.5.11 ・・ 5
1998.8.16 ・・ 24
1999.5.24・・・49
2000.3.11 ・・ 80
2004.7.19・・・36


チェルノブイリ原子力発電所
ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所は、黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉4基が運転していた。最新の4号炉が1986年4月26日に原子炉溶融事故を起こし、周辺地域が放射能で汚染された。事故後も1号炉~3号炉の運転は続けられたが、2000年12月に停止した。建設中の5号炉と6号炉は、建設が中止された。
世界的に原子力発電の危険性の認識が高まり、フランス以外では、新規の原発建設が中止された。

チェルノブイリ原発事故の死者は、ソビエト政府の発表では運転員・消防士合わせて31名である。しかし、事故処理にあたった軍人や炭鉱労働者に多数の死者が確認され、約13,000人に達した。ロシア科学アカデミーは、周辺住民の多くが放射線障害で40,000人は死亡したと発表した。最終的な被害者は公表されていない。
原発から1か月以内に、30km以内の住民20万人が移住した。すぐに戻ることができる約束であったが、戻る許可はなかなか下りず、大半が無許可で戻りつつある。


ロシアが天然ガスを供給停止し、ウクライナに政治圧力
2004年11月の大統領選挙で、親ロシア派のヤヌコーヴィチが当選し、親米派のユシチェンコが落選した。ユシチェンコ支援者は大統領選挙に不正があったとして、再選挙を要求した。2004年12月の再選挙では親米派のユシチェンコが当選した(オレンジ革命)。
ロシアはウクライナの親米政権に、天然ガスの輸出価格を3倍に引き上げると通告、新政権はこれを拒否した。ロシアはウクライナへのガス供給を停止した。
コシチェンコ政権がロシアとの良好な関係を構築できないため、2006年の議会選挙では親ロシア派が多数を占めた。ウクライナ議会は、首相に親ロシア派のヤヌコービッチを選出した。ロシアはウクライナが親ロシア路線に傾斜すると、天然ガスの輸出価格を2倍の引き上げにおさえて、ウクライナへの供給を再開した。
ウクライナは首相は親ロシア、大統領は親米・親欧派である。毎日の生活に追われる国民多数は親ロシア派のようである。


イタリア  Republic of Italy

2007-08-07 | 世界地理
イタリア全土が地中海性気候ではない


イタリア南部と沿岸は地中海性気候Cs
夏には亜熱帯高圧帯におおわれて、晴天乾燥が続く。砂漠のような気候である。夏は乾季、冬は雨季というのが地中海性気候である。
ぶどう、オリーブのような耐乾性作物が栽培される。低所得者が多い。イタリア北部の富裕層は、イタリア南部をアフリカと思っている。イタリアの南北における経済的格差が、イタリアの南北問題である。

北部の気候は日本と同じ温暖湿潤気候Cfa
イタリア北部のポー川流域には平野が広がる。ポー川の平野の意味でパダネベネタと呼ばれる。パダノベネタでは、年中雨が降り、乾季はない。
米・小麦・とうもろこしなどの栽培、肉牛・乳牛の飼育が盛んである。先進国共通の商業的混合農業である。
パダノベネタの農業生産の高さが、イタリア北部にハイテク産業や、外国人観光客相手の高級ブランド品製造業を育てた。北部の混合農業は豊かさの象徴であり、南部の地中海式農業は貧しさの象徴である。



イタリアは新期造山帯、活動中の火山がある
ベスビオ火山  1281m
79年8月24日にベスビオ火山が噴火、火砕流がポンペイの町を襲った。人口1万人の生活がそっくり火山灰に閉じこめられた。18世紀末からポンペイの町の発掘調査が進められ、古代ローマの市民の生活が分かってきた。
市街地は区画整理され、町中には劇場・公衆浴場があり、下水道まであった。ローマ市民の享楽的生活を繁栄する家財道具や壁画も、火山灰の下から現れてきた。
ベスビオ火山はしばしば噴火する。最近の大噴火は1973年である。


エトナ山  3350m
シチリア島には富士山と同じコニーデ型火山エトナ山がある。富士山同様、火山であるにもかかわらず、観光化が進んでいる。
登山バスで1920mまで登り、そこから2920mまではロープウェー、そしてロープウェー終点から山頂付近まで改造バスで行くことができる。
2002年10月27日にエトナ山が噴火し、溶岩が2250m付近まで流れた。しかし、観光客の登山が途絶えたのは3日間限りであり、ツアーの予定にしたがって山頂をめざす人の波が再び続いた。


大衆化したブランド品生産は、イタリアの重要産業
ルイ・ヴィトン
フランスがルイ・ヴィトンの発祥地である。現在はフランスだけではなく、スペイン、イタリアの工場で大量に生産されている。特にイタリアはブランド靴の生産が盛んである。


エルメス
パリが発祥地で、パリにはエルメスが何でもあるが、日本からの観光客はイタリアでエルメスを買う。エルメスはフランスメーカーなのに、イタリアメーカーと勘違いしているのかもしれない。


グッチ
グッチオ・グッチがイタリアのフィレンツェで、高品質の革製品を生産した。革靴、革バッグなどが人気がある。


シャネル
フランスで帽子、香水の高級品生産販売を手がけていたが、化粧品全般、宝石、靴などにも手をのばした。ヨーロッパ各地のみならず、日本にも専門店があるが、イタリアとフランスのシャネルが本物と信じられている。大衆化したブランド品の典型。


nana'
イタリアの靴・ミュール製造の専門メーカーである。手作りのため、世界中で大量販売は不可能である。入手困難なnana'のサンダル。





イギリス UK

2007-08-05 | 世界地理
イギリスは連合王国 

イギリス(United Kingdom of Great Britain & Northern Ireland)はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4国の連合体である。4国のうち、ウェールズは独自の文化の色が濃い。イギリスの国旗には、ウェールズを除いて、イングランド、スコットランド、北アイルランドの3国の国旗を重ねたデザインである。なお、この国旗は左右対称ではないため、上下・左右を誤って飾ることがある。正しい掲揚方法は難しい。

イングランド

イングランドは人口5,000万人、グレートブリトン島の大半を占める。面積13万k㎡である。
1536年にイングランド国王ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンと離婚した時、ローマ法皇はカトリックの教義に反するとしてヘンリー8世を破門した。ヘンリー8世は、ローマ法皇に対抗して英国教会をつくりあげ、カトリックの所有する英国内資産を没収した。
英国教会はイングランドの国教であり、牧師の給料は国費である。イングランドの国教徒数は、現在700万人、実質200万人である。英国教会はイングランド以外にはほとんど見られない。
イングランドでは法的に信教の自由が認められている。しかし、キリスト教そのものへの信仰心が薄れ、英国教会かキリスト教諸派かは問題にされない。イスラム教徒の移民増加の方が大きな問題である。
なお、イングランドの国歌は、「God Save the Queen」である。

スコットランド(1707年併合)

300年間、イギリスからの独立運動を続けてきたスコットランド民族党の勢力が拡大、スコットランド議会における第1党となった(2003年。さらなる自治権を得、将来はスコットランドの独立をめざしている。
スコットランドの人口は512万人、面積は78,768k㎡である。スコットランド語と英語が公用語である。宗教は、プレスビテリアンが最も多く、次いでカトリックである。イギリス国教徒はごく少数である。
なお、スコットランドの国歌は「Flower of Scotland」である。

ウェールズ(1284年併合)

ウェールズは人口300万人。学校教育では、伝統的なウェールズ語と英語が、ともに公用語として履修される。学校段階にも、ウェールズ文化が残った。
歴史的には18世紀のウェールズ語訳聖書はウェールズ人の愛国心を高めた。19世紀にはウェールズから英国教会がなくなり、カルヴァン派メソジスト教会が優勢になった。ウェールズ文化が、イングランド文化に侵略されることはなかったのである。自治政府の権限も強化され、ウェールズ議会が発足した。
なお、ウェールズの国歌は、「Land of My Fathers」である。

北アイルランド

北アイルランドはイギリス植民地である。面積14,139k㎡、人口168万人。英語とスコットランド語が公用語である。イギリス系プロテスタントが多数を占める。かつてIRAのテロ活動がイギリス政府を悩ませたが、イギリス政府とカトリック団体との和平交渉が進み、北アイルランドに自治政府をつくることになった。




北海油田
北海の大陸棚地下に海底油田が存在することは、第2次大戦中から分かっていた。海上に掘削船を静止して、200mの海底から、地中に1,000m以上のボーリングをする、その技術的困難さと高コストのため、1970年までは海底油田の具体的開発計画はなかった。
1973年の第1次石油危機で、国際原油価格が1バーレル1~2円から15~20円に値上がりし、北海油田の採算の見込みがでてきた。
イギリスが中心になり、技術的困難を乗り越えて海底油田の掘削をした。
北海油田最大のエコフィスク油田は、ノルウェー領海内である。イギリスはエコフィスクから海底送油管でミドルスブラまで原油を運んで精製している。エコフィスク油田からは、イギリスはノルウェーから原油を輸入する形になって、ノルウェーは、イギリスから原油輸出収入を得ることができた。ノルウェー国民の一人当たりGDPは世界のトップクラスになった。
イギリス領海ではフォーティーズ油田が最大である。原油はアバディーンまで海底パイプラインで運ばれた。スコットランドの経済的発展の基礎になった。
イギリスはOPECには加盟していない。OPECのような不当な価格操作をしないので、北海原油の輸出価格は高値で安定している。イギリスの原油輸出額は年間150億ドル、約2兆円である。
北海油田で現在の生産量を維持し続けると、10年以内にほとんど全部の油田が枯渇する。現実に枯渇した海底油田がいくつかあるが、老朽化したプラットフォームや掘削設備をどのように処分するのか、適切な処分方法が決まらず、放置されている状態にある。



イスラム移民は、イギリスの下層社会
2005年7月7日朝のロンドン。満員の地下鉄車両が3か所で同時に爆破された。2階建バスも同時刻に爆破された。このロンドン同時爆破事件により、56名が死亡した。
監視カメラの解析から、イスラム移民労働者の子弟4人による自爆テロであることが判明した。テロリスト4人は、すでにイギリスの市民権を得て、通常の日常生活を送る若者であった。4人の実行犯は、少額の報酬をもらい、時限爆弾入りのリュックサックとは知らずに、地下鉄に運び入れた。結果的に自爆テロ実行者になってしまった。
4人の若者をテロリストに仕立てた黒幕イスラム系3人の男が、2007年3月22日にロンドン警視庁に逮捕された。年齢が23歳、26歳、30歳ということ以外は公表されていない。泥沼化長期化したイラク戦争に悪影響があるためである。

地下鉄テロの原因として、次のようなことがいわれた。
①イギリスのブレア政権が、ブッシュ米大統領が始めたイラク戦争に、7,000人以上を派兵するなど、積極的に協力している。
②ロンドンの人口700万人のうち400万人が移民労働者とその家族である。イスラム系は200万人であり、最も賃金の安い仕事を与えられているか、失業中である。
③移民がイギリス市民権を得ても、イスラム教徒は、生活費にもならない低賃金労働を強いられる。



2005年7月7日のテロに対し、イギリス政府中枢のネオコンは、次のように言った。
イスラム教徒がいかに卑劣なテロを実行しようが、イギリスはイラク戦争から撤退したり、テロリストとの戦いを見直すことはない。最終的に、イスラム原理主義の敗北になるように、現在の戦略を強化していく。

アンドラ公国 Principality of Andorra

2007-08-04 | 世界地理
スペイン(司教)とフランス(大統領)の共同支配は1993年に終了
アンドラ公国はピレネー山中にあり、人口7万人、面積468k㎡の小国である。10世紀以降、スペインのウルヘル司教とフランス国王が、「対等の宗主契約」を結び、徴税・裁判については、対等の共同領主になっていた。
1993年、アンドラの新憲法がアンドラ国会と住民投票で承認され、アンドラは主権国家として独立した。フランス大統領及びウルヘル司教には象徴的権利だけが残された。1993年7月、アンドラ公国は国連に加盟した。
EUには未加盟であるが、国内の通貨としてはユーロが使用される。アンドラ公国の公用語は、スペイン語系でイタリア語の混じったカタルーニャ語である。



OECDはアンドラ公国を租税回避地と認めている
アンドラに行くにはバルセロナ(スペイン)からでも、トゥールーズ(フランス)からでも、自動車で3時間を要する。ピレネー山中には悪路もある。空港がないため、航空機で短時間に行くことはできない。しかし、人口7万人のピレネー山中の小国に、年間1000万人以上の観光客が訪れる。
アンドラ公国では相続税と関税がかからない。一般消費税4%が2006年から導入されたものの、ヨーロッパ各国よりははるかに低率である。このため、アンドラ公国内の商店はすべて免税店であり、世界中のブランド品などを安く買うことができる。
フランス、スペイン、イギリスなどからの観光客は、夏は高原の避暑、温泉、買い物などを目的として訪れる。冬はスキー、温泉、買い物などを目的とする。
1980年代、日本の電器製品がヨーロッパに集中輸出され、EUが輸入制限をした。しかし、日本のVTRがアンドラ公国経由でEU各国に流れ、EUは輸入制限に失敗した。当時、アンドラ公国は、「ピレネーの秋葉原」といわれた。今でもアンドラ公国では、日本の電器製品に人気があり、よく売れている。
アンドラ公国には銀行が多い。国際金融の不公正取引や莫大な資産隠匿を目的に、世界中の金融業者や資産家が、アンドラの中小銀行を利用する。OECDはアンドラ公国を、悪い意味で「租税回避地」に区分したのである。


アンドラ公国そのものがピレネーにできた国である。
市街地は狭い平地に、ホテルは狭い谷間にある。




アルバニア Pepublic of Albania

2007-08-04 | 世界地理
農業の難しい自然環境
夏の乾季に植物・農作物が枯れてしまう地中海性気候である。しかも平地は少ない。人口350万を養うだけの農業生産をあげることができず、小麦が最大の輸入品である。山岳地域では羊・山羊の飼育が見られる。一人当たりGDPは2120ドル。ヨーロッパの最貧国である。



独裁の果ては鎖国と無神国家
1912年にオスマントルコから独立した。アルバニアには軍事力も外交能力も乏しく、独立後にイタリア、ギリシャ、ドイツに占領された。
第2次大戦後、1946年に人民共和国宣言をし、ソ連の影響下に入った。
アルバニアの最高指導者ホッジャ労働党第1書記は、熱心なスターリン主義者であった。スターリンの死後、1961年にフルシチョフがスターリン批判を始めると、ホッジャはソ連と国交を断絶した。
中国毛沢東政権から潤沢な資金・食料援助を受け、ホッジャは独裁を続けた。中国の文化大革命では、毛沢東崇拝と宗教否定が大きな流れになった。ホッジャは中国の文化大革命をモデルに、1967年、アルバニア国内の宗教施設2000を閉鎖し、無神国家を宣言した。アルバニア国内においては、宗教の一切が禁じられた。
1978年に中国とアメリカが国交回復したことを理由に、ホッジャは盟友中国とも国交を断絶した。ホッジャはソ連・中国と国交断絶をし、鎖国という異常な国家体制になった。ホッジャは自給自足をアルバニア国民に求めた。
宗教禁止と鎖国を誤りとする政府関係者や宗教指導者は、処刑粛清されて、ホッジャの独裁政治が強化された。1985年にホッジャが死去するまで、アルバニアでは無神国家と鎖国体制が続いた。




国民総参加のネズミ講事件
アルバニアでは1993年から経済の自由化が進んだ。国内10~20社の投資会社が月利5~8%の利子でカネを集め、新興企業に融資していた。
投資会社の中には、ネズミ講の形でカネを集めるものもあった。投資会社が月利50~200%を支払うので、投資家が新たに3人の投資家を集める、という手口であった。3人勧誘のネズミ講は、10世代で6万人が参加、20世代で35億人が参加しなくては成立しない。早晩、破綻は目に見えていた。
しかし、多くの投資会社は、アルバニア人の3割からカネを集めた。海外出稼ぎのアルバニア人も送金した。麻薬資金のロンダリングを目的にイタリアのマフィアも参加した。
最大の投資会社VEFAは、国営テレビで出資を呼びかけるコマーシャル放送を流した。ベリシア大統領や民主党幹部もVEFAにカネを出した。
アルバニア国民は、ネズミ講を政府保証の国債を買うつもりでカネを出した。ルールにもとづき、先ず、自分でカネを出し、次に新たな出資者3人以上を紹介した。高い利子付きで出資金が戻るはずであった。
しかし1977年、ネズミ講投資会社は支払うカネがなくなり、次々と倒産した。出資した国民には利子どころか、元金さえも戻らなかった。
アルバニアは内乱状態になったが、ベリシア大統領は暴動をおさえきれず、多国籍軍の派遣を要請した。また、財政金融制度再建のために、IMFが乗り出した。
ホッジャ政権の統制経済が終わり、自由経済の知識が乏しい国民がネズミ講に出資した事件であった。結果的に、アルバニアの年間GDPの3割が失われた。

ホッジャ、スターリン、毛沢東が生きていたら、どう思うだろう
並みの国同様、アルバニアでもミスアルバニアコンテストがあった。アルバニアの独裁者ホッジャはどう思うだろう。怒り心頭で全員処刑かも。




アイルランド Ireland 

2007-08-03 | 世界地理
北アイルランド問題
北アイルランドを除くアイルランドは面積7万k㎡、人口415万人の共和制国家であり、大統領はメアリー・マッカリース(2004年11月就任)。アイルランドはケルト系で、カトリックが88%を占める。
アイルランドが19世紀にイギリス植民地になってからは、独立運動の歴史であった。1949年に独立を達成したが、北アイルランドはイギリス植民地のまま取り残された。
北アイルランドのカトリック教徒が武装組織IRAを結成、北アイルランド独立をめざして激しい武力闘争を展開した(1968~98)。北アイルランドは面積14,139k㎡、人口168万人で、イギリス系プロテスタントが多数を占める。和平交渉が進んだが、北アイルランドの具体的行方については決まっていない。
2005年7月には、アイルランド共和軍(IRA)が武装闘争放棄を宣言した。アイルランドとイギリスが、北アイルランドを自治政府とする交渉を始めたが、交渉は難航している。


日本の外務省の地図(2007年)。
北アイルランドが「英国」と記載されている。


略史
1800年:イギリスがアイルランドを植民地化
1845~49年:じゃがいも飢饉で100万人が餓死
1919~1921年:アイルランドの独立戦争
1922年:英連邦内自治領。北アイルランドは英国領のまま
1937年:アイルランド憲法制定(大統領制)
1949年:共和制を宣言(英連邦離脱)
1955年:国連加盟
1968~98年:北アイルランドでイギリスからの武装独立運動
1973年:EC加盟(NATO未加盟)
1998年:北アイルランドの和平合意成立 
2005年:IRAが武装解除
2006年:北アイルランド自治政府成立交渉が難航


植民地アイルランドでじゃがいも飢饉
イギリス植民地アイルランドでは、農民は小麦の栽培が強制された。小麦は全量をイギリス人が買いたたいて本国に運び、アイルランドには食用の小麦は残らなかった。
アイルランドの主食は、アンデス原産のじゃがいもであった。栄養豊富で栽培も簡単であった。
1845~49年、アイルランド全域でじゃがいもに伝染病が発生した。じゃがいもの連作の農地で伝染病発生、翌年には周辺農地に拡大した。小麦をイギリス人地主に取り上げられて、じゃがいもを主食としていたアイルランド農民は、たちまち饑餓に陥った。当時の人口700万人のうち、餓死者は100万人といわれた。
饑餓を逃れて新大陸アメリカ・オーストラリアなどに移住する者は80万人を越えた。新大陸移住者の中には、のちにアメリカ大統領を輩出するケネディ一家がいた。また、反イギリス感情から、北アイルランドの独立戦争に資金・武器を提供してIRAの軍事活動を支援する者も少なくはなかった。



ケルティック・タイガー
「ケルティック・タイガー」(ケルトのトラ)とは、最近10年間のアイルランド経済の急成長を表す言葉である。低賃金・高学歴労働者が多く、コンピューター関連産業が発展した。アジアNIEs(台湾、韓国、香港、シンガポール)とよく似た、多国籍企業依存の工業化である。1980年代のアジアNIEsを威勢のあるトラと見て、アイルランドの経済発展を「ケルティック・タイガー」と呼んだのである。アイルランドの工業化が進んだ理由は、
①ケルト語と英語が公用語で、EUや米国との意志疎通が容易。
②教育水準が高いが、賃金がいわゆる先進国よりは安いこと。
③労使関係が良好であり、多国籍企業においてもトラブルがない。
④法人税が低いので、先進国企業の進出が盛んなこと。
⑤シリコンバレーと人・技術・資本が結びついていること。


アイスランド Republic of Iceland

2007-08-03 | 世界地理
大西洋中央海嶺の島国は、現在分裂中
アイスランドは大西洋中央海嶺が海面上に現れた島である。アイスランドは、中央海嶺としての火山活動をともないながら分裂中である。
アイスランドの最高峰クヴァンナダルスフニュークル2,119m、氷河におおわれている。エイヤフィヤットラヨークトル1,666mは、氷河におおわれた火山である。氷河末端から流れ出る水量が、非常に多い。



北緯60度でも、西岸海洋性気候
暖流の北大西洋海流がアイスランド南岸を洗う。このため、首都レイキャビクは最寒月平均気温が下がらず、温帯の西岸海洋性気候になる。ただし10℃以上の月は7月8月の2か月だけなので、ケッペンの気候区分記号ではCfcである。
島北部は最暖月平均気温が10℃にならず、ツンドラ気候ETである。海岸はフィヨルドであり、氷河の雪解け水が大量に流れ込んでいる。





地熱発電と水力発電
アイスランドのエネルギーは電力中心である。地熱発電16%、水力発電84%である。国内全住宅の85%が、地熱の電力を暖房を利用している。地熱から高温水蒸気をつくり、農作物の温室栽培などに利用している。
水力発電は氷河の融けた水を利用する。家庭用電力とアルミニウム産業に使われる。アルミニウムは「電力の缶詰」といわれるほど、電力を大量に消費する。スイス企業がオーストラリアからボーキサイトを輸入し、レイキャビク近郊の工場でアルミニウムを生産し、スイスなどヨーロッパ諸国へ輸出している。

アイスランドは世界一裕福で、EU非加盟
面積10万k㎡、人口30万人のアイスランドは、一人当たりGDPが54,427ドル(2005年)、世界第1位である。島周辺は漁業資源に恵まれ、水産物の輸出が多い。日本にはメヌケヌケ、カレイ、シシャモ、タラなどを輸出する。島近海の漁業資源を独占するため、EUには加盟していない。
アイスランドの電力料金は1kwが4円、日本は26円である。安い水力発電を利用し、アルミニウム産業が盛んになった。アルミニウムは、水産物とともに重要な輸出品である。

NATO加盟国だが、軍隊もないし、名字もない
1944年にデンマークから独立、1949年にはNATOに加盟した。冷戦時、ワシントン・モスクワを結ぶ大圏航路上にアイスランドがあり、アイスランドにはソ連攻撃用の米空軍基地があった。イギリス漁船がアイスランド領海内に侵入してでタラを漁獲した時、アイスランドはNATOに軍事基地撤去を要求し、イギリス漁船を撤退させた(タラ戦争)。冷戦終了後の2006年、アイスランドから米軍が撤退した。アイスランドの軍事力は沿岸警備隊の130人だけであり、戦闘員としての軍隊はない。
アイスランドの人名には苗字(名字)がない。父がチチロー、息子がイチローの場合、息子の姓名は「チチロウ・息子・イチロー」である。娘ハナコの場合、娘の姓名は「チチロウ・娘・ハナコ」である。