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日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

ウィンドファーム立川

2008-05-01 | 世界地理
山形県立川町(現在の庄内町)では、夏の局地的季節風「清川だし」を利用する風力発電が行われている。風力発電用の風車本体はデンマーク製である。
観光あるいは町起こし的な発電ではなく、地球温暖化問題に対する解答としての実用的風力発電である。11の風車で年間1200万kwの発電が可能である。



「清川だし」は新庄盆地から庄内平野に吹く風である。旧立川町の最上川渓谷狭窄部を吹き抜ける時に、強風になる。その局地風が清川だしである。
ただし、風力発電は常に一定量の発電ができず、電圧が不安定である。電気の品質としては良くない。風力発電を大型蓄電池に一度蓄え、100ボルトの電圧にしてから送電する設備が必要である。







高麗館 最上川の韓流

2008-04-29 | 世界地理
山形県戸沢村「高麗館」



高麗館からは、最上川を見下ろすことができる。
一応は戸沢村直営トイレ「道の駅」と、第3セクターの「高麗館」が隣り合っている。戸沢村に、なぜ高麗館なのか不明である。最上川舟下りの観光客が異様な光景に驚くが、その意外性をねらって建設したのであろう。
一説には、戸沢村の韓国人花嫁さんにお料理上手がいて、韓国料理を目玉とした道の駅を建設した、ということである。



高麗館で販売される韓国土産。当然、キムチもある。



以下、地元新聞による。

山形県戸沢村の国道47号沿いにある、村の韓国テーマパーク「高麗館」の運営が、2008年4月1日から同村で最上川の舟下りを手掛ける「最上峡芭蕉ライン観光」(鈴木富士雄社長)に委託されることになった。
「高麗館」は1997年9月開業。13万平方メートルの敷地に、韓国文化が色濃く反映された物産館やレストラン、広場などを備える。同村と韓国・忠清北道との農村交流が縁で、村が総事業費11億5000万円で建設した。
これまでは、第三セクターの村産業振興公社(社長・柿崎敏弘副村長)が運営していた。韓流ブームで2003年から2005年にかけては毎年40万人が訪れ、一時は単年度で500万円の黒字となった。
しかし、ブームが下火になった2006年以降、客足も26万人まで落ち込み、2年連続で1000万円の赤字を計上し、累積損失は4500万円に膨らんだ。
2008年4月1日から運営を担う「芭蕉ライン観光」は、物産館の商品構成やレストランメニューの見直しなどを計画。鈴木社長は「舟下りで培った経営ノウハウを生かし、3年で結果を出せるよう努力したい」と話している。
運営者変更に伴う準備のため、レストランは4月16日、韓国物産館は4月23日で一時営業を休止する。なお、高麗館に併設されている。村営「道の駅」のトイレ利用できる。
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また別の地元新聞によると、最上川の世界遺産指定も、遠くはないようである。最上川が文化庁の文化的景観研究の地域指定を受けた(2008.5.7)。その記事。

世界遺産登録を目指し、山形県が準備を進めている最上川の文化的景観が、国の文化的景観保護に関する調査研究の重要地域に選ばれました。
文化庁が、平成17年度から19年度にかけて、全国2032か所を対象に、調査研究を実施した結果、重要地域として最上川をはじめ全国66か所が選ばれました。
このうち河川では、最上川と、高知県の四万十川が 選ばれました。文化庁では、最上川を重要地域に選んだ理由として、「製造・流通・往来、居住などの面において、文化的景観としての価値が高い」としています。斎藤山形県知事は「世界遺産登録に弾みがついた」として今後、各市町村などと連携を強め、国の文化的景観選定を目指したいと述べました。 


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平泉の世界遺産指定は絶望的だが、当然
岩手県が平泉の世界遺産指定に全力で取り組んできたが、失敗に終わりつつあることを、ある全国紙はまわりくどく書いている。

世界遺産の京都・奈良との違いを打ち出せずに悩んでいた平泉関係者は、平泉の文化遺産を「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」とすることで合意していた。今回の登録延期勧告は、浄土思想が平泉を構成する各資産にどれくらい反映されているのかに疑問を投げかけ、資産の再構成を迫った。
奥州藤原氏関連の5資産のうち、柳之御所遺跡を除く、①中尊寺、②毛越寺、③無量光院跡、④金鶏山の4資産は浄土思想と関係が深い。
だが、岩手県などは文化庁の「資産に広がりと厚みを持たせた方が良い」との助言を受け、⑤達谷窟、⑥白鳥舘遺跡、⑦長者ケ原廃寺跡、⑧骨寺村荘園遺跡、と浄土思想と関連の薄い4資産を加えた。

浄土思想と①~⑧が無関係、ということで世界遺産の指定がダメになった。かつて平泉の住民としては、ある意味、当然と思う。
①中尊寺:金色堂をきんきらに、金箔を貼り直しが、アルマイト弁当箱のような趣味の悪さ。それにエアコンによる漆の劣化問題はどうなったのか、ね。
②毛越寺:京都平安神宮が明治の建築であるように、毛越寺は昭和の建築。それに曲水の宴なんて、誰がいつ始めたのか、ね。荒寺に泥池のままにしておいた方が、歴史的な価値はあるだろう。
中尊寺も毛越寺も、京都観光寺をモデルとしての改修が進み、歴史遺産としてはとても無理である。それに北上川堤防、国道バイパス、新幹線。すべて歴史遺産としての価値を損傷するものばかりが目につく。
100年後、200年後、平泉の観光的地位が低下し、中尊寺にも毛越寺にも、誰も来なくなった、その時が世界遺産に登録申請すべき時であろう。

三富新田の農業用水

2008-04-01 | 世界地理
農業用水池か?
武蔵野台地は、隆起扇状地で、地表面を流れる水がない。そのために、農地としての開墾は江戸時代以降である。
地形図に見られる池の大きさは100m×100m×10m。武蔵野台地の開墾用ため池に見えるかもしれないが、それは間違い。1960年代に建設された新しい調整池である。



都市型水害防止の排水路と調整池
新田開発で武蔵野台地が畑になったのは17世紀である。20世紀には、建設省が武蔵野台地の都市化で洪水が起こることを予測して、砂川堀を建設したのである。


砂川堀は都市化に備えた排水路
武蔵野台地の農地における、排水路である。都市化の進展にともない、排水路に流入する水量の増大することを、建設省ではすでに予測していた。砂川堀は新河岸、荒川に合流する。



農業用水ではない
手前のネットにはさまれた砂川堀の水路には水がほとんどない。向かいの下富新田の農業用水ではない。下富新田は、雨水だけで耕作可能な畑作中心である。


下富の池には水がない
野球場ほどの広さの池に、水がない。砂川堀があふれた時の調整池、つまり洪水時の遊水池であり、建設省所管である。下富調整池は、農林省所管の農業用水ではない。



砂川堀
ナラ、クヌギなどがある。武蔵野のおもかげである。



砂川堀沿いには茶畑が広がる
防霜ファンを備えた茶畑が広がる。狭山茶のブランドで売られる。





下富新田(しもとめしんでん)

2008-03-27 | 世界地理
三富新田(さんとめしんでん)
隆起扇状地は洪積台地の一つであり、水を得にくいので農業開発が遅れた。1694年に川越藩主柳沢吉保によって開発が始められた。上富新田91戸、中富40戸、下富49戸が入植した。集落は道路道沿いの路村、農地は平均5haの畑地ができた。



典型的新田集落(下富)
一戸当たり5haの畑作農地を開墾所有した。農業用水は深井戸を掘って得たが、大量の水を得ることができず、恒常的に水不足の問題があった。水不足に強い、茶・麦・野菜類が栽培された。



狭山茶
三富新田の茶は狭山茶(さやまちゃ)として、江戸で好まれた。茶は関東ロームの舞い上がるのを防ぐ役割も果たした。住居は路村であり、ケヤキ、ナラ、クヌギなどの屋敷林に囲まれていた。



屋敷森
下富新田集落の中には、ケヤキの巨木に囲まれている農家もある。ナラやクヌギなどもある。季節風を弱める、落葉を肥料にする、木材として利用する。巨木を保存するのか、伐採して苗木と植え替えるのか、景観保護の点から議論がなされている。



防霜ファン
茶栽培を本業とする農家では、茶の霜害を防ぐため、茶畑には防霜ファンを設置している。初夏の新茶取り入れの頃、霜がないように、茶園の冷気と上層に暖気を、ファンでかきまぜるものである。霜害を防ぐ効果が大きく、全国的に普及している。

三富新田の景観破壊

2008-03-27 | 世界地理
下富新田から、東京都心まで50分、いつまでも大根、にんじん、ごぼう、さつまいもをつくるより、宅地・学校・病院などに、農地を売る方が、経済的合理性がある。土地の高度利用である。こうなることを、40年前に建設省が予想し、都市下水の役割を果たす細川堀を建設していた。あるいは、政府には、大都市郊外の緑地を保存する意志はなかったのかもしれない。


下富の茶畑の向こうには、清和病院ができた。


病院は、建設許可を簡単に得られる。将来の宅地化と人口増を見込んだ先行投資であろう。



伊勢丹デパートの物流センターもある。トラックの出入りが激しい。



武蔵野台地は洪積台地である。古い扇状地の隆起した地形であり、水害(洪水)や土砂崩れの恐れがすくない。宅地開発が進む。



ふだんは自然保護に熱心な生協も、農地をつぶして巨大な老人保養施設を建設した。施設名は「さんとめ」、漢字で「三富」と書く。ついでながら「下富」は「しもとめ」と読む。



一見、新田集落の茶畑とケヤキ林が残っているが、手入れが行き届いていない。この農地も、なくなる日は遠くない。



こんなことが、すでに現実になっている。


だからどうしろ、と言うのではない。歴史的経済的必然としての土地利用高度化が進んでいる。その現実を直視しよう、ということである。





紙はなくなるか。

2008-03-13 | 世界地理
紙はなくなるか。

英経済学者W.S.ジェボンズ(1835~1882)の「石炭問題」
イギリスの産業革命時、1800年と1850年を比較すると、人口が2倍になり、石炭消費量は8倍になった。19世紀末には石炭が枯渇する。英国の産業革命はいきづまり、再び貧しい農業国家に戻るであろう。その最大の原因は、石炭の枯渇にある。
これがジェボンズの石炭問題であるが、石炭は地球上では最も埋蔵量の多い資源であるし、さらに石油を使うことができるようになり、ジェボンズは石炭についてはあわてすぎた。

紙の問題
ジェボンズは紙の大量消費が森林を枯渇させ、地球上から森林が消え、将来は紙を使うことができなくなる。森林の枯渇と紙のなくなる日は遠くはないと、考えた。
ジェボンズは白紙や包装紙などを大量に買い込んだ。
原稿も紙の表裏両面を使い、封筒も裏返して再利用した。しかし、ジェボンズの紙の買いだめした量は膨大であり、死後、半世紀を経っても使いきれなかったそうである。 

伊能忠敬

2008-03-10 | 世界地理
伊能忠敬像(ブロンズ。東京の富岡八幡神社)


伊能忠敬は34歳で佐倉の酒屋の家督を長男に譲って、天文・測量を江戸で学んだ。
55歳で蝦夷地の地図測量に出発、以後10回の地図測量で、世界に類例のない正確な日本地図を作製した。