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ジャズの歴史⑪”80年代、ジャズの復権”

2006-03-19 22:15:28 | ジャズの歴史
はい、ジャズの歴史の続きです。
前回は70年代のフュージョンによる席捲と、それ以外の細々とした流れについて触れたんだよね。
「フュージョン」ってのは、他の音楽のエモーションに、ジャズの大きな特徴であるインプロヴィゼーションを持ちこんで演奏するというもの。明確な定義はなくて、大雑把に言っちゃうと「ジャズミュージシャンがジャズ以外の好きな音楽をやる」ってな感じかな。音楽性は、ロックからポップス、ファンクなど、ミュージシャンそれぞれによっててんでんバラバラ。楽器の編成からリズム、メロディに至るまで、ジャズシーンはまったく統一性を失っていったのね。
そのことの良し悪しはともかくとして、音楽のひとつのジャンルが成立するためには「聴いてそれと判る共通項」が必要なものであってさ・・・・・それが育まれるには、長い時間をかけた歴史が必要なわけだよね。
その、ジャズが聴いてジャズと判る「共通項」が、短期間で一気に失われていったのが、70年代のフュージョンシーンだったってことね。

んじゃ70年代に伝統的な4ビートジャズはどうなってたかっていうとね、えーと、75年にフュージョンシーンをリードしていたMiles Davis(マイルス・デイヴィス、tp)が引退。フュージョンも少々停滞気味になってくるのね。
そんななか、そのMilesバンドの卒業生たちが、Milesが60年代に率いていた、所謂「黄金のクインテット」を再現するという企画で、76年にV.S.O.P.クインテット」(Very Special One-time Performance Quintet)というバンドを結成(tpには代役を立てる)。フュージョン全盛の最中にアコースティックな編成で4ビートジャズを演奏し、好評を得る。
このバンドは結成当初は、その名の通り一夜限りのスペシャル企画だったんだけど、あまりに反響が大きかったために77年、79年と再結成して世界ツアーを行う。
このバンドの好評に追随するようにして70年代末ごろには、引退、もしくはヨーロッパに活動の場を移していたベテラン勢がシーンに戻ってきはじめて、アコースティック回帰の流れに拍車をかけることになるのね。
単発の企画ながらも、このV.S.O.P.は4ビートジャズの流れを絶やさずに次の世代につないでいく役割を果たした、重要なユニットだったんだね。
そして、80年代に入って満を持したように、ジャズ発祥の地ニューオリンズから1人のトランペッターが登場してくる。

79年にニューヨークに進出したWynton Marsalis(ウイントン・マルサリス、tp)は、80年にArt Blakey(アート・ブレイキー、ds)のビッグバンドのに参加、その後Blakeyの率いるジャズ史上屈指の名コンボJazz Messengersに加わり、大きな注目を集める。
この時点でウイントンは若干19歳!。
翌81年、Herbie Hancock(ハービー・ハンコック、p)のカルテットに参加しツアー。同年に初リーダー作を発表。クラシックに裏打ちされた圧倒的な技術力と、ニューオリンズ由来のジャズの本道を往く揺るぎない音楽性を堂々と打ち出していく。
Wyntonの影響力は圧倒的で、彼の登場をきっかけに彼と同郷の若手ミュージシャンたちが続々と登場、それに同調するようにアメリカ各地の4ビート志向の若手たちも次々にニューヨークへ集結してくる。
ここに至ってシーンの趨勢は一気に4ビートジャズ復権へと動き始め、Wyntonを旗手として、伝統継承のうえに現代的な感覚で新たなジャズを演奏していこうという大派閥が形成されのね。
フュージョンの席捲によって着地点を見失ったジャズシーンに、「ジャズとは何か」そして「ジャズはなぜジャズなのか」を、あらためて示しなおしたという点で、この動向はジャズ全史を見渡しても極めて重要な役割を果たしており、以降のジャズシーンの中核を担っていくこの一派を「新伝承派」なんて呼んだりする。
この動きの背景には、ニューオリンズのNOCCA(New Orleans Center for Creative Arts-Riverfront)という芸術家訓練所的な専門学校の存在があったみたいね。
ここの音楽部長の地位にいたのがWyntonの父親Ellis Marsalis(エリス・マルサリス、p)。
彼によって、基礎的な音楽教育と、伝統に根差したジャズの英才教育を受けたWyntonとその兄Branford Marsalis(ブランフォード・マルサリス、ts,as,ss)をはじめとして、新伝承派の主なメンバーはほとんどこのNOCCA出身者が占めてる。
やっぱりニューオリンズはジャズの街なんだねぇ。

で、80年代のジャズシーンはこの「新伝承派」の影響を中心として、全体的にアコースティック路線へと傾倒しながらも多様な展開を示す。
70年代以前までのように、ひとつかふたつのムーブメントに圧倒的に埋め尽くされるのではなくて、各派閥が新伝承派の音楽性に引っ張られながらも、それぞれがそれぞれのスタンスを確立していったところに、この年代以降の面白いところがある。
書く方としてはかなり面倒くさいんだけどね。

まず81年、Miles復帰。
Milesはご存知の通り、過去を振り返らない男(笑)なので、4ビート回帰の流れに乗ることは80年代にはなかったんだけど、様々な音楽の影響を取り入れながら、周囲のジャズシーンに捉われない孤高ともいえる独自の活動を続けていく。

フュージョンシーンで活躍していたミュージシャンたち、これはジャズ出身もフュージョン出身も含めてね、新伝承派の影響でジャズ寄りなアプローチをするようになっていく。
この音楽はそれまでのフュージョンとも、正統派の4ビートジャズ、新伝承派の現代的な4ビートジャズとも違う、極めて自由な新しいジャズの方向性を示す。
「ジャズなんだけどフュージョンでもある」・・・・・この流れは「コンテンポラリージャズ」と呼ぶ。
フュージョンそのものは、そのメインソースだったロック、ポップスへのアプローチはほぼやりつくされ、さらに限りない電化の影響で演奏に必要な機材の量もどんどん増え続け、ステージで演るのには向かない音楽になっていく。
これによってフュージョンの音楽性にもアコースティック志向が芽生え、題材になる音楽もそれまでのロック、ポップスだけでなく、ファンクからヒップホップ、西洋音楽から民族音楽に至るまで、さらに多様な音楽性を獲得する。これを「ポストフュージョン」なんて呼んだりするね。
もうわけわからん(笑)。
以降はフュージョンとコンテンポラリージャズのミュージシャンはほぼボーダーレスで行き来しながら、自由な活動を行っていく。

ううむ・・・・・これらの流れの支流や末端に、まだまだ書くべき動向があるんだけど・・・・・長くなるからとりあえず今日はこの辺で勘弁してやらぁ(ニャハハ)。
80年代はフュージョンによって多様化したシーンが、新伝承派の影響で一様にジャズ寄り、アコースティック寄りに引き戻された時代だったのね。
ただ、圧倒的だった新伝承派の影響力を持ってしても、ジャズシーンを「ジャズの」シーンとしてひとつの流れに収束することは、もう不可能なくらいジャズそのものがグローバルなものになっていたということ、かな。
この「ジャズの歴史」シリーズは、80年代を書いた時点で終わりにするつもりだったんだけど、80年代がまだ書ききれていないのと、90年代も書くべきことがあるような気がしてきたので、まだやることにします。
あとこのシリーズの最後に、今まで書いてきた派閥、動向、ジャンルの代表的なアーティストと同時期のアルバムを紹介するような記事もチランとやるかもしれません。歴史を学んでも、その時期の演奏を知るのに何を聴いたらいいか判らないんじゃ、記事としては片手落ちだしね。
でもこれは難しい。
そもそも僕のアルバムのコレクションがジャズ全史を網羅するのには程遠いし、書いてきたなかでも音を聴いたことすらない派閥だってたくさんあるんだから・・・・・特に90年代以降とアーリージャズ、あと西海岸は弱い(泣)。
まあいいや、とりあえずまだまだやります。
ハァー(もう書くの嫌んなってる)。

ではでは。


3 コメント

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がんばって (ブルジョワジー)
2006-06-13 19:34:17
がんばってください
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Unknown (いまさらだけど)
2010-12-05 20:34:50
60年代以前のアコースティックジャズ好きから見た80年代のジャズの世界は60年代的な例えで言うと
・コンサバ路線の新伝承派
・リベラル路線のブルックリン派
・中間派?のECMジャズ
に分けられないだろーか
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はじめまして。 (とおりすがりのJAZZ初心者)
2016-01-19 20:41:05
本日はじめて拝見しました。
とても勉強になりました。もうしばらく書かれていないようですが、もし続きを書かれる気になられたらぜひお願いします。楽しみにしていますね。
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