緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

生きる仕組みは単純です

2022-05-19 | そもそも編
  今を生きるという話をよくしていますが…。
簡単なようで結構難しいもんです。
呼吸に意識を合わせるだけですと言いながらもです。
言葉で言うには簡単だけど、実行にするにはハードルも高い。

ハードルが高いというのも、その時々によるからです。
感情も入りますからね (^^;)
でも、そう思うと単純なんですよね。
感情さえコントロール出来れば…とか、
実行するハードルの基準を明確に持てば良いだけ…とか、

この地球上の生命の仕組みや生きる事の仕組みって
本当は単純なはず
命があるから生きるだけなんでしょう。
本来はそれだけで良い。
命を与えられたんだし、生きて良いよと与えられたんです。
なんなら…神様が創ったんですよね(^^;)
魂が一緒に生きてよと肉体動かしてるんですよ。
それに抵抗したってハードルが上がるだけ!
ハードルが壁のようになるだけ!

先日も言ったように、
日本では日本国憲法に「幸福追求権」というものがあるんだし、
でも…、じゃあ…、どうして…とか言う風に違和感や矛盾が出て来るからややこしく絡んでくるんですよね。


まあそこにはいろんな因果応報とか言われるものが在ると
昔から言われているんですが。


ホント、心底、根本的に、戻るというか
信念として持っていれば単純に生きれるんだろうと思いますよね (^.^)


そしてそれぞれ各々がそうなんだから
無関心という訳ではなく全てを受け入れ認めるという。

目の前にいる人、目の前に起こる出来事を受け入れ
尊重するという事なんだろうなと思いますよね。


如何に「そう捉えている自分」を許す事です。


人間は色んな感情をもつ生き物と言われているけど、
単純にこの世の仕組みを生きる事なんですよね。


自分のハードルを「許す事」とする。
それも人を許すよりも
「そう見ている自分」
「そう考えている自分」
「そう捉えている自分」
そんな自分を許す。


それは良いとか悪いとか言う概念での出来事ばかりじゃない。
観えている事、物事を景色の様に客観的に捉えて、「そう見ている自分」を許す。


老人施設に通っている自分や、病院に通っている自分は、
自分の事を棚に上げて、自分もそこに通っている事すら忘れて
そこに居ている人を自分の主観で観ている事があると思うんですよね、
そこにいる人の人間像を想像しながら
中には思い込んだり決めつけたりします。
自分に必要な情報を得たんならもう終わりです。


そこに居てる人を意識している自分を終わらせる、許す。
そうすると…そこにいるミッションも終わります。
情報の上書きすれば終われます。


自分のハードルを越えて次に進みます。
単純です。
そうやって仕組みを自分で単純にして行きます。


私の場合は、ある時に「全てはオーケーなんだ」というハードル(基準)を決めました。
そのハードルで毎日起こる事や、
毎日出会う人に対応していくだけです。
目の前に観ているのに、現れているのに、
無関心だったとしても、無感心だったとしても、無視してたとしても
脳には映像が残ってしまう。
そして必ずまたやって来る。
だとしたら早く対応対処する。
それに向けて自分の価値観を変えて行くだけでした。
単純です。
頑なになって葛藤しているとしたら
そんな自分を許してあげるだけ。


それは幸せになって良いんだと自分を許して
自分に許可してあげるだけ
それも単純です (^.^)





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