
本来悩みなんてあって当然 (^.^)
悩んで考えて成長する。
そのバランスが大事!
昔ご近所付き合いとかで、井戸端会議などと言われていた事があります。
凄く良い習慣だと思っていました。
ご近所で集まって心の交流して助け合ってって……
話して聴いて助け合っていた時は良かったんでしょうね。
家族の愚痴や文句だったり、家族同士を比べたり、
お金や物の時代になれば何を持つとか持っているとか、だれが持っているとか、興味が多く深くなって行ったりした。
人間の見栄や恥や妬みや嫉みなども絡み、その井戸端会議の習慣はそんな感情のはけ口になって行ったりした。
それも良かったんだろうし、必要でもあったんだろうけど、
低次元のはけ口は吹き溜まりや肥溜めの様にもなるので綺麗ではないし純粋でもない。
そうなると人間の成長にも繋がらない。
だから井戸端会議を避けようとする人も多くなってきた。
それも良い事だろうけど、愚痴も文句も吐けない人も増えるでしょうね。
そうすると自分の中に吐けない愚痴や文句や妬みや嫉みも溜まります。
自分の中に溜まっている事にも気づけない。
そうすると成長もない。
それと共に良い習慣にもなっていた助け合いの精神も薄れて、
ご近所も疎遠になり、薄情にもなっていく。
そこでどこか社会に出て行き広い世界やコミュニティに交わり自分の居場所を見つけることが出来ればいいんだけど。
それに良いコミュニケーションの場が見つかると良いんだけど。
それがどうしたら良いか分からず籠ってしまうと心も籠りますね。
井戸端会議の進化系となればよかったのに
自分自身が自分に合うコミュニティーを探していくっていうのも必要ですね。
それも人生だったりします。
昨日も話したように、
ただ会話が出来ればいいし、ただ対話が出来ればいいのにね。純粋な (^^;)
あの昔の井戸端会議が女性の、またはおばちゃんのエネルギーの元にもなっていたのにね。
それでも自律が出来る場でないと続かないもんなですが……
大人たちのご近所離れが進むと
それと共に子供もご近所離れ状態になっていきましたね。
昔は近所のおばちゃんが近所の子供を育ててたような感じでした。
みんなで育てるという。
そこにはプラスの面もマイナスな面もありましたが、
大人自身の自律という事にぶれなければ良かっただけで。
子供時代にそんな事に成れていたら多くの愛のエネルギーも得ていたようにも思います。
それも無くなり偏り……愛を受け取る事に不慣れになったかもしれません。
大人の環境が変われば子供の環境も変わってしまった?。
この世にそんな連鎖が続いているから悩む事も繋がっていくのかも知れませんね。
昔の良いところ……
お世話をすること、世話を受けること。
そんな交流も多くて、それにも慣れていたけど。
薄情になりエネルギーの交流も薄れ心も固まって行ったのかも知れません。
今となってはお世話もお節介となったり、行き過ぎたり、
それを受け取る方も受け取る事が苦手になり拒否する心も変に感情的になったり。
難しい迷える時代になった始まりのような (~_~;)
それでも迷っているのは自分自身で、悩ましているのも自分なんですね。
子供たちにとってもそんな運命からのスタートでも進むしかないのかな。
自分自身と向き合う人生を。
迷わず自身と交流すればいい。
対話と交流も自身とです。それをスムーズに運んでくれるのが他人さんだったりするのです (^.^)
悩みとは自分との葛藤、自分の迷い。
相談とは相対する対象と談話する事。
その中から気づく事があるもの、自分でね (*^^)v
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