緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

個性が混じり合う

2022-11-29 | スピ的視点
  うちの母親は人付き合いが苦手です。
気を使い過ぎるからだという。
近所付き合いも嫌いだし、友達もいません。
まあそれでも生きて来れたんですよね
母親の母、私の祖母もそんな人でした。
祖父がその分近所付き合いとかしていました。
祖母は早くに亡くなっていますが、
母親はそれよりも20年以上長生きしています。


どんな人生でも生きて来れたという事は凄い事。
どういう思いで生きて来たかが重要だと思うし、
その思いがどれほど本心であるかですよね。
親子であっても人生は別物ですから。
数日前の記事でも話しましたが、
人生の生きた証、証拠は自分の中に在ります。
亡くなっての四十九日の最後の審判は閻魔大王さんの見守る中で自分で行います。
娘であってもその審判には関われません。
生きている時にどれだけどんな風に関わっているかだけです。
だからそれぞれが正直に関わり合わなければお互いの為にならないのかなと。

人付き合いが少ない分自分の世界観も小さく狭くなってしまうのも仕方ないのかなと思いますが、
自分の考えが正しいと思い込んだり、
人に強制するのはしんどい事やろうとずっと見てきました。
人付き合いも無いのでその強制する相手もいないので敵は造りませんが、
真の味方もいないのかなと。
それで自分の人生を認める事が出来るのかなと思ってしまうのです。

それとは真逆で私は人との交流の中でずっと生きています。
親子なのにこんなにも違うのかと言うほど違う性格と生き方です。
母親には「あんたは図太いからな!」と言われ続けてました
母に言わせれば、気を遣う人間は痩せて行くんやと
私は図太いから太っているんやと (^^;)
太ってても気は遣ってますよ~心の中でつぶやいていました
なので、気を遣っていないと思わせるようにガードするようになりました。

だから人との交流も出来たのかも知れません。
でもそんな事では自分が壊れる事に気づいたので
自分を知って、本心を知って、本心を見せるようになっていった。
人との交流の中で生きていると大変な事も辛い事も半端ないですが、

人(人間)を数多く見て、関わっていると、もっと思う。
人の個性。個性の無限。
まだ知らない世界も在るだろうと思う。
必要なら死ぬまでいろんな個性を見せられるんだろうなと。
この個性が混じり合うと理不尽な事も起こってしまうのも仕方ないのかなと思う程。
これってホント認め合うしかないんだろうなって思うんですよね

先日のフェスティバルでもたくさんの人が集まって来ました。
スタッフも100人ほどです。
その個性も混じり合いますが、それをまとめる人の度量の深さも重要です。
リーダーによってはその個性も混じり合わせる技となり、
リーダーシップって凄いなと思う。
今の政治には無いリーダーシップはこれやなと思った。
派閥などが出来ると余計にリーダーシップも働かなくなる。
その狭間では個性の対流も起こってしまうのですが、
リーダーシップによって引っ張られ混ぜてしまうという。

そこで、いろんな個性を見せられながら身勝手のままだと成長も無いけど、
人間が集まる場、こんな成長の機会は無いです。
一つでも二つでも、少しでも他の個性を見て自分を緩める。
個性の混じり合いを自分にも許可する。
今回のその人間達の集いでは私も色々受けとめる事が多く
いろんな大きなエネルギーが混じり合って向かってきたもんで
身体にも変調が起きてしまった。
整うまでもう少し瞑想でもしようと思う。
瞑想イコール睡眠でもあるけど (^.^)




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