緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

婚姻生活解消となりました (^.^)

2023-11-19 | 夫婦の事
  そろそろ今年も終わりです (^.^)    
次女が結婚宣言して、長男が一人暮らし宣言して、まあその前に長女が大阪を離れ東京暮らしを始めて、段々自身の周りも変化が多かった年 (^.^)
その前に重大な変化は、自身の婚姻生活解消した事でもある (^.^)
まだ友達にも伝えきれていない話を大きな枠でぶちまけてしまっている訳です (^.^)
誰に隠す事でもないけど、余程の事の会話の繋がりが無い限りこんな話にならないからです。
傍から見てたら多分信じられない事だと思われてるし、
あまり普段から愚痴や悩みを話す私ではないし、愚痴や悩みを言う前に自分で考える習慣があるし、
そもそも愚痴や悩みっていう概念ではなく、自分で解決する問題とぐらいにしか思ってないので、傍から見れば言いたいこと言うお気楽な悩みも無い人間にしか見えていないと思う (^^;)
実際に今となってはそうかもだけどね (^^;)
そもそもはネガティブなんでなんでも考え込んで、真面目に解決したい人間でもある。
ブログでは私の考えや思い、価値観や概念、そして生きる上での真理を率直に伝えている場なので気軽に話せて良いかなと (^_-)-☆


世の中では独身もシングルマザーも結婚観や離婚感もあらゆる生き方の価値観や概念が変わってきている。
ただまだ社会がそれらに整っていなかったり、人間の意識自体もついて行けて無かったり、
まだまだ過去や古い常識や呪縛に囚われている事が多いだけで、
それも結局は個人の意識の囚われと体裁やカタチにハメる安心感もあるんでしょう。


自分の人生にどれだけ責任持てるかという事を考えだして、自分と向き合うようになって初めて型にハメると窮屈感を覚えるようになったことで、その安心感が真反対となったという。


私にとったら結婚も人生の大きなターニングポイントとなり、その解消ももっと大きなターニングポイントとなるんでしょう。
まだまだ始まったばかりだけど (^.^)


安心感と開放感と解放感は半端ない ヽ(^。^)ノ
結婚がターニングポイントとなったというと、その達成感も半端ない!!


途中何度も何度もいつも言うように全てに「哲学」し、「答え」を出してきた!!
親を哲学し、宗教を哲学し、結婚、夫婦、離婚、出産子供、仕事、趣味、お金、身体、病気、命、などなど。
その人生の途中に向き合ってきたのが親やパートナーや子供や周りの人だったんだけど、
ホント絡むことも多いし、迷う事も多い。
途中に何度もそれらの哲学の答えを出す前にはたくさんの物事や体験に遭遇し、
答えにもっと迷う事も出てくる。
婚姻生活にしてもすんなり解消できたら楽じゃないかと思った事はあるけど、
もちろん潔く直ぐに決断できる人もいるけど、
心を後回しにする事や、体験しないといけない事を後回しにする事が出来なかった私。
それに色々な呪縛に囚われていたんでしょう。
昭和ならではの我慢と忍耐体質があったのと、
自分自身について気付いていなかったことが多く、
自分の心や感情を蔑ろにして自分以外を優先する事の方が多かった (^^;)
まあそのお陰で人を客観視し尊重する事も訓練できて良かったですが (^.^)


その都度心にけりつけて、やるだけやって、自分の器も大きくして、
自分の納得いくまでやり切りたかった (^.^)
自分の人生に十分に向き合ったなと!


自分自身が創り始めた家族では、子供や主人によって自身が成長できて自律できたと思ってる。
子育てでは母性愛、主人では無償の愛です。
無償の愛は求めない期待しない、与えるだけ。
これは無関心や無視ではない愛でと思いながらです。
やり切りました ヽ(^。^)ノ


最終的には次元が混ざり合わなかったわけですが、
自身の人生にとっては有難い存在でもありました。


仲が悪かったわけでもなかったし、根は悪い人でもなく、傍から見れば普通に幸せそうな家族って感じでしたが、
嘘と秘密が多かった人で、最初はそうさせるのも私の責任かと思ったりして悩んだ時期もありましたが、
その本質にはそうさせるものもあったんですよね。
それも認めていましたが、何でも許されると当人自身が自身を許せなくなるんでしょうね。
嘘と秘密の土台ではいくら頑張ったって、信頼関係も嘘になります。
お互いそれぞれも自身の自己承認できないし、
いくら幸せそうに見えても自身に真の実感が湧いてこないんでしょうね (^.^)


夫婦で二人でいる時の方が孤独で寂しかった時期がありました!!
何でも一人で頑張ってやってたけど、一方通行だった感。
私の父親よりひどい昭和男、玄関一歩入ったら一切何もしなかったという。
家ではトイレとお風呂入る事とご機嫌に合わせて朝か昼か夜に一食ご飯を食べる事。
相手側は支配感、征服感、自己満足感と優越感に満たされていたかも知れない。
そうさせてあげるのも良いのかなという男を立てるという一人で何でも抱える私の昭和感。
欠かさないのは夜の営みぐらい。
長年いつも同じダブルベットで寝ていても、
肉体は求められて繋がったとしても心の奥は繫がることは無く、当然のお勤めの様に。
そんな時でも冷静に哲学してたかも (^^;)
思いとか、価値観とか、たとえ違うものでもそんなものが通じ合わないと、
実感がない……だろうね!!
じゃあなぜもっと早く……、となるんだったんでしょうけど、


しっかり私の人生を生きる事は認めてくれていたんです。
家で飼ってる働く家政婦さんか乳母かペットとでも思ってたのか、
それは相手の見栄とプライドがそうさせていたというのもあるでしょうが、
自分もあまり束縛されるのも嫌いみたいだったし、肉体さえ繋がっていればいいだろうという安易な考えだったようです。
そうさせてやってると自分も自由で居れると思ってたんでしょう。
だから嘘も平気で付けた。
嘘がばれても許してくれるし、秘密がばれても嘘でごまかしたら許してもらえると、そんな繰り返し。
自由と自分勝手な束縛の人だった。
私を自由にさせながら我慢と忍耐だったかも知れないけど。
お互い素直に心が交わることが出来なかったんでしょうね
だから私もそれを観察や洞察しながら自由に哲学を学ぶことも出来たと感謝もしてる。


子供たちも夫婦がどんな関係を築いてきたかなんて気づくことも無く、
青天の霹靂か、天変地異のような出来事だったみたいだけど、
やっぱりこの家族に生まれてきてくれたって事は魂的にそんなことは承知のようでもあったみたいです。
動じることなくあっさりしていた。
自身のお父さんがどんな人なのかというのは子供目線では分からないけど、
それ以上に独立心が強く生きる事を選択してきている人生なんだろうと子供たちを観てて思う。


子供達には普段から私と出会ってくれたことに感謝しているし、
過干渉ぐらいに子育てして、尊重もしてしてきた。
父親の分まで頑張って育てて来たと思ってる。
子供たちにとっては、父親は仕事ばっかりして優しくて変人で気ままな人間だと思っているんじゃないだろうか、
嫌がることも無く、普通にそこにいる人称がパパって人って感じ。
色んな意味で父親が子供の人生にとって何かのトラウマにだけはなって欲しくないので、
それ以上の愛を子供に与えて来たと思ってる。


いつも子供に言う事の一つに、
お母さんやパパに似ている事や性格で、
好きなところは認めて真似して、尊重して、進化させて。
嫌なところとか駄目やと思う所は素直に認めて自分の代で終わらせて浄化なり昇華して進化させてって (^.^)
そうする事で自分のトラウマになる事ないって!!
ホント人生は自分のための自分にとっての出会いだと思うからだと。
母親の考えかも知れないけど、そういった考えだけはしっかり伝えて行けばいつか自分なりの理解もするだろうし自分なりの考えを持とうとするだろう。
私も自分の人生を歩み、自分の人生に責任を持つ。
それがまた始まるのかな (^^;)

またこのブログでは夫婦の事も書くことになると思うけど、それはただの自分の体験の事実で、事実はただの事実。
それ以上でも以下でもない。
そこの感情は処理済みという事で (^.^)
ただ厄介だった元カレって感じですね (*^^)v





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自己承認欲求も進化させる。 | トップ | 初めての独り暮らし »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿