緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

本気モードで神だと信じる。

2023-09-10 | そもそも編
  本気モードになるという関連話を続けています (^.^)
本気にさせたなぁ~と人の力を借りてやっと本気になる時も有ると……。
それが例え怒りでさえ、戦いでさえ本気です。

その時はやっと自分に向き合った時、向き合えた時。
今までは目の前の出来事や、目の前の人が視点。
自分を見てなかったし、見えてなかったのだと。

神様や仏様の事もですが、
本来は、仏になるためにこの世で修行すると言われていました。
神様(神格化)になるためにこの世で楽しみ自由になると言われています。
本来は本気で仏様に向かい、神様になる。

それなのに昔のその時代やその世のリーダー達が上に立ち支配し権力欲や征服欲に心奪われいつしか誰もが仏を目指し、誰もが神に成るという事をどこかに置いてきてしまった。
上に見るようになり、別の遠い世界のように教え込まれてきた。

本来は本気モードが自分と真剣に向き合うという事であるのは自分の魂と向き合い仏を目指し、神を目指し、一体化になるという事。
魂はそもそもが神様、源からの分魂。
いづれ魂の源に帰って一体化になるという。

それなのに、その時代が経典の本質をも心と共に外れて行ってしまった。
だからみんな魂はどこか奥から求めているから神社仏閣へ行こうとするんだろうけど、
年をとると弘法大師様の歩いた道を実体験したいと願い西国や四国の道を求めていくんだろうけど、
本来は同じ道を歩くだけではなく、その道を大師様がどう歩かれたか何をしながら歩いたか、それも実体験すると良いんだろうに。
そして地元に戻り同じ体験を地元で繰り返す道なんだろうに……。
少し本質から離れて行ってる人も多い時代になってしまいましたね。

本当は自分自身が仏を目指して自分自身も神であるという事を認めて本気モードになり覚悟しないといけない。
それでどう生きるか、どう死ぬか。
神様は生きる道を教えている、仏様は死ぬ道を教えてくれている。
それも本気モードでその道に向き合うか。

仏を求めるのでもなく、神様を求めるのではない。
自らの魂が神だと認める事。
自らがその道を本気モードで向かう事。
間違ったアホは上の世界のものだと思い込みながら自分が神だとかいうようになっから歪んできたのです。

神社仏閣へ行くという事はその本気モードを覚悟しに行く事。
そこで誓いの祈りをしに行く場所なだけで、
本来は自分の心に誓って覚悟を決める事。
自分自身が神だからです。
次元の低い神に成らないように、
上だとか下だとか、高いだの低いだのとならないように、常に自身を俯瞰し続けながら。
自身の内なる魂と対話しながら。
世の中の遍満する低次元の神様に操られないように振り回されないように惑わされないように常に俯瞰する眼を養いながら。
そうして本気モードで神になる。神であると信じる。そこへ向かう道を行く。






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