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スピリチュアルというのは心でもあり精神でもあり、霊性であります。
肉体で身勝手(身の勝手)だけで生きている人には中々霊性と言ってもピンとこないでしょうが、
どうぞその人はそのまま3次元の意識で生きていれば良いんじゃないかと。
普段の生活を送るというのは体験であり経験です。
肉体の体験は3次元ですが、心は高次へ繋がります。
その3次元の体験経験と共に在る心や霊性にもポイントを置いてみるという事です。
体験している時には必ず心も大小でも何か感じています。
長い経験を通してみてみると大きく心が変化している場合もあります。
何を感じているのか…、
心や霊性を観るという事は、
その表現となっている体験や経験の本質が分かるという事
表面からは分からない事でも観えてくる事がある。
反対に心や霊性によって体験や経験に影響も出てるという事です。
癖はその長年の強い歪みや負荷の表現であって、
それと共に在る心や霊性の現れでもあるという事です。
どちらか一方だけ見ていても自分の人生がどうなのかは観えてこないという事です。
今生の答えは死ぬこと、また、ゴールは死んで寿命を全うする事だと思っている人もいますが、その時の心はどんな状態なんでしょう。
魂はどうなのか、
半分諦め状態なのか、妥協の人生なのか、
それは自分がその時にならないと分からないのでその時を素直に迎えますという人もいるかもしれませんが、
人生納得して終わりたいとは思わないのでしょうか。
見えている癖に人生の表現や偏りや負荷が現れているとして、
それを見つめ向き合う事で人生全うできるとすればどうでしょう (^.^)
難しいようで簡単、簡単なようで難しい、
それでも少しの努力でやってみれば案外簡単で
自分の心が溢れてくるのが分かるという。
感謝も歓びも楽しみもカタチの表面的ではなく
魂から心の奥から溢れてくる感覚を味わえると思う
そんな感覚に気づくために
ある意味癖が導いてくれている。
それに、癖が長引いて病気や痛みとなり教えてくれています。
癖はその人にとって特性でもあり個性にも繋がるのです。
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