緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

趣味も人生の一部分!

2020-02-08 | 日々気づき
  昨日も絵を描いている時にちょっと遠くから見てみるという話をしましたが

絵の教室での気づきは本当にたくさんあります

もう10年以上通っていますが

スピリチュアルな世界に足を踏み入れた頃からですから

全てにおいてスピリチュアルな観点から感じ、全てがそこに繋がっていくと確信しています

誰しもがそうなればとは言いませんが、趣味も人生の一部だと思っています

その教室では人間観察にもなります

その本質も観えてきます

それに、昨日の話ですが人生の捉え方も人間観察しながら学べます

絵を描く技術とかだけでなく、人間像やその人の人生の道のりや性格も見えてきます

小説を読んでいる感じです

良いとか悪いとかではなく、どんな人だって全て個性で、いろんな世界があって良いという事もたくさん教えてもらいました

うちの先生はどんな人でも、どんな材料で何をどんな風に描いてもオーケーです

時に「ちょっと座らせて」と言って、その人が描いている絵にアドバイスをしてくれます

時にキッチリ技法を教えてくれる時もあるし、どうでもいい世間話をする時もある

時に、乱筆で、ぐちゃぐちゃに色を入れたりします(多分先生には考えがあります)

汚い色に変わってしまって憤慨する人もいます

先生は「うわぁ~ごめんねぐちゃぐちゃになった」とか言いながら、後はまた好きに描いてって放り出して離れていく時も

全然手を出さない人もいますが、その人との会話には先生の意思を感じます

面白いぐらいに先生の意図が伝わってきます

何でも自由なので、教室の途中でコーヒー買って来て飲む人もいます

先生の教え方に違うと感じたり、耐えられない人はやめていくし、人と比べて自分に負けていく人もやめていきます

そういった事が絵にも表現されていたり、その人の絵の構図やタッチや色使いや止めていく理由なんかも

本当に自由

そんな中、

絵の教室では、自由にウロウロもオッケーで、たまに人の絵を見ながらも褒め合ったり、ちょっと意見や感想言ってみたり

みんな言うけど「人の絵には何とでも言えるのよね」って笑いながら (^.^)

自分の事となると中々分からないと言う、私もです

私もみんなが見に来たら何かアドバイスちょうだい、何なら何か描いて行ってとか言ったりして

私と違う人の感性が欲しい時もあるので (^^;)

でもそれをそのままそっくり頂きませんが、ちゃんと自分のものにしたいという意思があったりします

先生も人の絵に、何か描いてあげればって、落書きでもっていいますが

先生みたいに人の絵を崩したり邪魔したりする事なんて出来ません(笑)

意見は言うけど、手は出せません、自信もないしってみんな思っています

「教えてあげよう」なんて思って、手を出してもまたそれを消されたらそんな人は腹も立つでしょうきっと

先生は、先生が生徒の絵を崩してまたそこから描き足し新たなものが生まれてくる事を知っています

崩してもいい人をちゃんと分っています、その人は気づかなくて怒ってしまう時もあるけど

先生は先生が描き足したものを消されても絶対に怒りません

絵は積み重ねで、深いという事を教えてくれます

でも崩されたらどうしたら良いか分からなくなってしまいます

それも分かる

自分の枠を超える、自分の未知を知るとかって凄く難しいし勇気もいる事だけど

いつも私も心の中で「私の枠も外して!」って思っていました

ところが私の絵はあんまりむちゃくちゃにしてくれません

まあ、元がむちゃくちゃだからなんでしょう

それに多分知ってくれているのか、自分の世界を持っているって!

かと言って、放りっぱなしではないですよ (^.^)

ちゃんと無駄話の中からヒントもらっています

厳しいアドバイスをサラリと流していかれる時もあります

それに他の人と先生の会話もちゃんと聞いていいっぱいヒントをゲットしています

ただただ教えてもらうだけじゃなく、盗んでくる(^.^)言葉悪いですね

昔からの職業柄ですが、技術も話術もヒントも目で見て盗むって言われてそうしてきたもんで (^_-)-☆

自分の感性を磨きながら、人の感性も認め尊重する

それが人生にも言える事なんでしょう



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