緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

臨界点を超える時代はきている?

2023-11-30 | スピ的視点
  昨日の話で……、自分自身気づいていない自分がまだ自分の中に潜んでいるという事でした。
何か気が緩んでいる時に、ふと露わになり、溶け出し、ふと気づいたりして……、という話でした。

中々人に対してだったら嫌いなところとか、苦手や弱点を見つけることが出来るのに、自分で自分に気づくって難しい事ありますよね (^.^)

やっぱり、苦手や弱点に対しては自分で認めたくないんでしょうね、
だから頑張ってしまうし、かたくなに頑固になってしまうのでしょう。

気が緩んで解けた時だからこそ、緩く自身も許せるときなのかも知れませんね。

人に対して、人の嫌な部分が露わに出た時は、思い切り指摘する人もいます。
自分だと認めたくないのに、人だったら指摘する。
ズルいですね (^^;)
そんな、自分でも人でも認めたくない感情とか性格なんでしょう。

緩い時に緩く溶けだした事って、わりと許せるって事みたいに、人によっては同じ事でも許せる事があるというのと同じですね。
その人に対しては気が許せているんでしょう。

出そうで出ない時に中で固まってしまって塊になってしまった過去や執着に蓋されたものがそうだという話をしていましたが、

それが許されない理由が何なのか、それに対する概念を変えて行けば頑なになることも無くなります。
怒りはそれを越えると理解が進むと言われます、
それと同じことです。
自分の中での思い込みの概念を理解してあげて、どんどん変えて行くと良いだけです。
思い込みが嫌だ嫌いだ苦手だ弱点だと決め込んでいる。

それを変えるだけで、自分を許せる人を許せる。
病気や痛みがそれで無くなると言われてどうですか?
信じられませんか?
それも思い込みでしょう。

嫌だ嫌いだ苦手だ弱点だという感情でも、
本来悪い事ばかりではない、
そんな事が人の役に立っている事だってある。
表面に出てきて、相手に反映されているのも観て、
それは自分じゃない!!と思って受け入れられないうちは難しいかも知れないけど、

それも自分の中に在るんだと受け入れると、自分に溶け込む。
一旦自分の中に取り込んでみる。
そしたら無意識の域に取り込んでいくと気にならなくなります。
それでもそこは理解を超えての無意識の域です。

また、
自分が表現している事で、低い次元の表現、
人にはどんな事でも指摘するけど、自分には気づかないという事がある。
そんな自分でも自分らしくしていて俯瞰して、
自分らしいと思うか!?
俯瞰してみて考えてみる。
怒っている自分は自分らしいか、相手に対して怒りを見せていても、たとえ人に怒っている自分でも。

その自分らしい自分を好きだと言えるか、
楽しいと言えるか。
自分らしく生きている自分が好きか楽しいか。

自由な表現している自分が自分らしく好きで楽しければそれはそれで良いんじゃないかと (^.^)
自分で自分の事が好きなら、自分がその自由な表現をしている事が楽しければ良いと思います。

人の指摘、人への評論、世の中の講評している自分が好きで楽しければ、今から先の時代、残りの人生はその中で生きて行く事になります。

自分らしい自分が露わに出て、自由に表現できて、そんな自分が好きで楽しいそんな時代が既にやって来ている。
だから今の自分が自分らしくそのままで良いならそれで良い (^.^)
奥の奥の自分が出てしまった後は、それが幸せで楽しい人生なんだと (*^^)v

臨界点超えた自分は幸せでしかない。
今まだ世の中に起こっている事件や災害や戦いだって気にすることが無くなるぐらい次元が分かれている。
気にしている間はまだ過去に縛られているかも知れない、過去世の魂を生きているんですね (^.^)



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