一人旅をして、一人旅の心境の話もして、
こうだなぁ~、あ~だなぁ~と気持ちを書いていましたが、
コロナ禍になって、「ひとり」っていう状況にならざるを得なかった人も多いですね。
人間関係のしがらみから一旦解放されて「自分」「ひとり」「個性」「繋がり」「協調性」「共有」「合わせる」を考える機会になった人も多いと思います。
そんなところには規制や束縛などもあり、
一旦解放されることにより、その本質と向き合う事となった部分も。
余程世の中の人間の疲れを集約しているようでした。
やっとコロナ禍から解放されたとしても、自身の心の解放も同時行われないとまた引き寄せてしまう事ばかりですね。
そんなコロナの時にも一人旅やソロ車中泊やってた私。
車も県をまたがっての移動を規制されてましたから強いて背きませんでしたが。
その前から自分と向き合い自分を尊重するという事もやっていましたから気持ちはコロナには無縁でした。
でも人に合わせるとか、人のためにという事は自分を押してまでやっていたところがありました。
身勝手や独りよがりには到底成れないし、
常識には背けないという所もありました。
反抗心を出すにも勇気すらない小心者。
どことなくそんな事をやってみたい私もいたんだと思います。
コロナ禍のワクチンやマスクでも自分のためでありながら人のためとか言ってる人も多かった。
私はそんな事絶対言いたくなかった!
なので、右に倣えのワクチンも受ける気も無いし、受けてもいない。
単純に注射が苦手で大嫌い、ワクチンなんて体に入れたくない、そんな理由です。
マスクだって嫌でした。息苦しいし、顔を隠すのも嫌。人のためでもなく偏見の眼で見られるのが嫌だっただけ。
人の気を逆撫でするのは自分の本意ではなかった。
そんな「右へ倣え」とか、「人のためだけ」とか自分の本意が無いところの方へ流されていく自分の方が怖かった。
その前に自分の意志とか選択とか決断を信じて尊重できるようになりたかったんだと思います。
それイコール一人行動、旅だったり、ソロキャンプだったのかなと今ふと気づいたような (*^^)v
今までの常識から抜け出す時はめちゃ不安です。
今は特に世の中の仕組みや状況も過渡期だから、まだ何でも少数派と言われる事が多いからという事もある。
いつか気が付いたらそんな事が逆転しているんだろうけどね。
少数派で動いている時とか、右へ倣えでいるときは中々そこから抜け出せない。
いつかは誰でもが右へ倣という呪縛から解放されると思っている。
本物の自由とか、自分の世界観からそれ以上に大きな世界へ飛び出した時には最初に惑うのは当然です。
いきなり頼りにしていたものをいきなり失うと途方に暮れる感覚になる。
不安になる。怖くなる。意気消沈。それも当然です。
そんな時に本能が蘇る。
自分自身に気づき、本能を出せる。
それが唯一の魂と繋がっている潜在意識なんでしょう。
一人になって一人を信じて、だからこそ全てが繋がっている事に気づける。
身勝手や独り善がりとは違う繫がりを奥に感じる。
その時に出て来た不安や恐怖や意志や感情にさえ感謝できる自分を見つけたい。
そんな私もいます (*^^)v
旅って、みんなと行ってた時もそうだったけど、
帰ってからの方が改めていろんな事に気づかされますヽ(^。^)ノ
そこの土地や空気にも縁があるからでしょう。
だから良いんでしょうね。
だからみんな旅へ行きたがるんでしょうね ヽ(^。^)ノ

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