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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

思考癖の制限を外す

2024-04-12 | 意識・無意識
  またまた記事書いて投稿しようとした途端消えてしまった!!
いつも最後にすべて文章を選択してコピーして、文字の大きさ設定して、太文字にするんですが、その最初のすべてを選択した途端最後の顔文字だけ残って消えてしまうんです (>_<)
あれだけ思考働かせたのにって感じですね (^^;)
消えたものを悔やんでも仕方ありません、
ただ使った時間が悔やまれる!!
そう思うんだけど、
それまでボーっとした時間があったのは悔やまれんのかい!!って突っ込まれそうなので、悔やむことも止めとこう (^^;)

昨日の続きっぽく書き始めて、どんどん思ってたのと違う文章になって、うん良いんじゃないかと思ったので悔しいのはあるけど、きっと縁なかったんだろう。
どんな話に流れたか分かるだけに、同じ文章を書こうとしても書けないという。
これが思考脳と違うところかなと。
思いつきや閃きは思考とは違う脳が働いているんだと思う (^.^)

そして本質からの言葉はその時だけのもので、
そこで思考が働いたら切れてしまうもの。

よく会議など発表の場で考えて言葉にするのも難しいし、会議でもレジュメ通りに決めていても上手くいかず、本能的に閃きで進めた方が上手く行く時があるように、思考を挟まない方が良いという。

中には緻密に計画してという事もあるけど、そんな時にハプニングが起きると対応できない脳もある。
普段から臨機応変とか融通が利く脳であった方が良いでしょうね。

そのためには思考脳であっても普段からの制限を省いていく方が良いんでしょうね (^^;)

私は自由よ、とか、私はなんでも臨機応変に受け入れるよという人でも思考脳で制限があって、心にも制限ある人は、時に、自分を棚の上に挙げて人に厳しい人もいます。

人の考えややっている事にはいちゃもん付けるのに、同じことを自分もやってるやんって人。

思考脳って本来の魂とはうんとかけ離れているんだなと (^^;)
思考脳であるから制限や縛りや限界や枠や範囲を決めてしまう。
本来の潜在意識や魂や神様には思考では計り知れない考えられない、考えつかないから突拍子もない事を無意識にやっちゃう。

まだ今の世の中で、その突拍子もない事をやると受け入れられないという制限が多いし、言葉にするにしたとて受け入れてもらえない事ばかりでしょう。

それでもその制限を自分の中だけでも外して行かないと何も変わらないんでしょうね。


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思考脳を考える。

2024-04-11 | 意識・無意識
  いろんな行動の癖が自分の中で当たり前を作り、それが無意識化して行き。
その偏りや傾きや歪みに気づかずにいて、それが影響大になっていくという、そんな話をしていました。
それは思考癖から始まり、心の癖となっていく。
常にそんな事を考えながら生活している訳ではないけど、何かをきっかけに気づかされるという。
そんな時に必要なのが、受け止め方と捉え方と素直力。
素直に認めて受容して、そんな自分を直すというより受け止める。
色んな自分を知る事と認めることは魂の生き方です。
悪いわけではないので直すのではない、アップデートです。
自分の中で価値観が広がるのです。
後は、癖直しのリハビリです。

こんな事が無意識化になると良いですよねという話をしていました。

そうなると人間がホント楽しく生きて、歓びでいっぱいになって、産まれた事にも生きている事にも感謝できて、凄く納得して今生の終焉を迎えるんだろうなと、そう思っている私です。

その体験の中で思考というものがあるだけで、心を共にするというだけで。
お金だって出世だって、成功でもです、勉強も、そして恋愛も結婚も出産もそれぞれの体験の時にいかに自身がそんな直感で生きているかという事。

そう思っているんですが、何でも無意識なんで気づくまでに時間ってかかるなぁ~って思うのも理解できるなと。

昔、幼い頃なんて関西の大阪に生まれたって事だけでは無いでしょうが、
お笑いが好きで、いつも笑っていました。
漫才も吉本も喜劇もドリフも何も考えずにいつもお腹を抱えて転げまわって笑っていました!!

そんな頃は本当に思考も働いていなかったんだなと今思います (^^;)
現代の子供みたいに勉強もそんなに必死に考えてやっていたわけでもないし、
ましてや分からん問題を必死に頭働かせて解いていたわけでもない。

ただただ好きな教科の家庭科と音楽だけをやっていただけ。
小学校の頃から洋服を作ったり、子供が好きだったので、近所の子供とか従兄妹の面倒をみたりして、楽しんでいた。

そんな私も人生やっているうちに思考がいろいろ働くようになったんですね。
あんなにお笑い好きだったのに、そのお笑いでも好き嫌いが出て来たりして、全てを笑うわけではなくなった (^^;)

えっ?何でこれが面白いの?って思ったりね、
子供たちがお笑い観て笑ってるのに私は何で?どこが?って思うようになったり。
多分笑いのスイッチの入るスピードが遅くなっているんだと思うけど。
それも何かの思考が入るせいで直ぐにとはいかず鈍感になっているんですよね。
イコール、感情も外へ出すのも鈍感になってるし、うちの感情に気づくのも鈍感になっているという事だと。
ある意味思考癖がそうさせているんだと (^^;)

人の魂ヒーリングをしていた時、脳の思考整理と胸のチャクラのお掃除する事が多かった。
それは無意識の領域がそうさせるんだけど、
ふと我に返ると、それに、後に思うと、人間の脳の疲労がどんどん加速して行ってた時だったんだなと思う (-_-)

コロナ始まりの前後ぐらいから感情の吹き出しが激しくなって行ったけど、そうして我を取り戻す人もあったり、それ以上に自分の感情に翻弄される人が出て来たり。

まだまだ膿は出されているけど、
とにかく脳が、というより思考が……、という感じですね。
自分では何も考えてないよという人でもただ気づいていない思考癖はあります。

まだ自分を俯瞰できていて、どんな自分でも素直に認めている人の方が、ある意味正解かも知れませんね (^.^)



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癖の立て直しと無意識化

2024-04-10 | 意識・無意識
  癖が→当たり前になり→無意識化に発展していく。
そんな話をしていました。
本来はよくスピリチュアル系の人などが言う直感というのは、その思考や癖や当たり前を通過しない無意識化なんですよね。

でも生まれてきてある人間や社会に育てられて生きながら心も思考も育って行くという。
その中では制限があり、規則や縛りなどがあるのでいつしかその直感に邪魔が入るのです。
その内に傾き偏り歪み固まりという感じで変化していく。
こういった邪魔な思考や心が癖になっていくんです。

それは何にでもに対して言える事で、どんなことでも知らず内に気づかぬうちにそうなっているという。
誰が悪いわけでも、間違いな訳でもない。
ただ気づくためにあるもの。

それが脳の疲労となるし、
ストレスとなり、ストレスから肉体の機能の働きのバランスが崩れたり、壊してしてしまうという。

当然壊れると、肉体の表面や内部に症状が出るという事です。
誰でも分かるし理解出来ることだと思います。

ただそれがどういう事か分からない人は理屈と理屈が繋がっていないだけ。
それも普段の自分自身の思考の偏りによってシナプスが繋がれていないだけ。
それと活用できていないだけ。

何でもですが専門的知識が無くても理屈が分かればやってみるだけというのと同じだと。
まあそれによって専門家(医学とか)に任せることも出てきますが、
最低でも同じことを繰り返す事が無くなるし、
病気であれば再発や後遺症が無くなります。

まあ最低限の癖直しのリハビリは必要ですが (*^^)v

例えば痛みで言うと、腰、足、膝の痛みでも
普段の歩き方を自分で俯瞰してみた事あるでしょうか?
座り癖も見直してみた事あるでしょうか?
スポーツ選手などは自分のフォームを必ず画像や動画でチェックしますよね。

それを仕事しているプロだからだと言ってしまえば話は終わります。
こんなプロで、プロで無くなった時にもこの経験は後に役立ったりします。
そういう簡単に話を終えてしまう思考も自分の諦め癖や投げやり癖などですよね。
思考で理由や言い訳を探す。
それも脳を余分に働かさせています。
直結しないので、続け過ぎると絡むのは当たり前で、すんなり答えが出なくなるのです。

足腰やひざの痛みでも近年ではすぐに手術を進めるお医者さんもいます。
痛みがすんなり取れて助かると患者さんも仰ってます。
でも歩き方や体重の掛け方やもろその体重を直していないとまたその元の歪みが負担となり同じことの繰り返しとなります。
結局は一度処置をしたので後遺症と言われたりします。

人間って二本足で立って歩きますが、
それが当たり前でもなく、何故そうしてくれたか神様にも意図があると言われています。
その意図から人間の意識が離れて行くに従って気づきが訪れると。
その時にはしっかり本質やもとに立ち返るという。

二本足で歩くにも絶対に癖は出てきます。
体重の掛けかたも人それぞれ。
職業によっても負担もあるでしょう。
いつも言うように肉体や心のSOSでもある

でも一番は神様や魂の意図から離れた事の気づきでもある。
軌道修正のきっかけです。
軌道って一言でも単に物体が運動を行う際に描く道筋などの意味があるけど、
人間は地に足を付けて歩くにも横たわっている時にも人生は動いていて、地球天体の運行と共にその道を進んでいる。
しっかり密接な関係が意図するものだと思います。

後はどうするのかは昨日に話したように、
自分の俯瞰力を養い、価値観のアップデート、癖の見直しが出来る素直力。
そして、楽しい感謝の無意識化でしょう (*^^)v

普段からこんな事を考えなくても良い無意識化が出来る様にセットし、コントロールできるようにしておく事でしょうね (^.^)
人間素直が一番ということをよく言いますが、その通りだと !(^^)!



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思考癖が無意識化

2024-04-09 | 意識・無意識
  思考癖のある人はそれもまた当たり前になり、そうしている事にも気づかない人もいる。
その当たり前が無意識化されて、いつでも常に、日常に思考が働く。

たとえそれが最初は趣味の事で楽しい事だったとしても、仕事の事ばかりとか、家族や人間関係の事ばかりとそれぞれ違っているとしても。
思考癖となると、いつしか常に脳がどんな事にも同じように働いたりする。
それが癖というもので、当たり前になり、無意識化となる。

そのうちにいつも緊張状態にもなり、
そこから悩みにも発展していく。
脳のシナプスも絡み、思考も絡み合い、脳の疲労となる。
その時には同時に心も動いたり緊張したり連動しているのです。

現代人病と言っても良いのでしょう。
それが総称のようにストレスと言われる。
簡単に何でもストレスという名前で処理するなと言われるけど、
更年期だと言ってその時期の名前にされる。
片頭痛や、胃炎、腎炎、肝炎、鬱、アレルギー
こんな現代病だって人や社会との境界線が思考癖によるものでもある。
ただ症状や反応に出ているだけで、
ほとんどは脳の思考癖による疲労と言って良いでしょう。
それに気づかず、まあ脳卒中になる人はそれが破裂した状態のようでまだ気づきを与えられて克服するきっかけとなる場合もあるけど、そこが最後の分かれ道みたいなもんですね。

それが過ぎ去り、そのまま高齢になったり認知症になったりと月日と共に進み、人生の岐路を逃していく事にもなる。
人生の岐路って、行動や環境ばかりではない。
心の岐路が一番人生にとって大切だと思うのです。
そうなる前に思考癖を見直せる自分、俯瞰できる自分、価値観をアップデートできる自分となれたらどうでしょう。

思考癖も考えるのを止めるのではない。
時に考える事は必要で。
答えの出るもの出ないもの、自分の事なのか他人の事なのか、
それを精査できる基準をもつこと。
判断しているようで出来ていない人も多い。
いわゆる自分の事は棚に上げてという人。
思考癖で思考のスパイラルループに入り込まないように。

いつもブログでも私はお酒の席が大好きって話してるんですが、
お酒自体が好きなのかと言えば全くそうでもない。
お酒ならなんでも飲めるって感じ (*^^*)
たしなむようにオシャレな上品な飲み方が出来るほどではない (^^;)
かといって、酒癖が悪くもない。
いつでも楽しいお酒です。

そして私も思考癖があるという話もしていました。
それがお酒の席では楽しいし思考がストップするんだなと気づきました。
だから脳の緊張も緩むから楽しい。

昔にPTAとか町会などで真剣にビジョンとか方針とかの話をしてた時などは語り酒で白熱したりして思考がガンガン働いた時には悪酔いもあったかも (^^;)
食べて飲んで無茶して家に帰宅して便器抱えてた (^^;)

そのお酒の席の好きな理由も分かると、そんな時の自分も分かるという (*^^*)


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リアルとファンタジー

2024-03-12 | 意識・無意識
  前に話した今クールやってるドラマの話、
ある恋人を助けたくて自分の五感と奇跡を交換するという。

まあ実際に現実には五感を失うという病気はないそうだけど、
まあそれは置いといて、
五感を失うなんていうのも、恋人の命をそれを捧げて救うというのもファンタジーな話です。
この話をブログでした時には五感について話していたんだけど、

五感というのもある意味ファンタジーな話ですね。
みんなは当たり前になっている人が多いけどって、無くなると人生の凄いハードな障害となる。

それと命を交換するなんて、この世には絶対あり得ない話だと。
昔は伝説と言って本当はあり得ないだろうという話がいっぱい言い伝えられたりしていた。
そこにはファンタジーもあったり、憧れたり、強い思いを育てたりした。

最近ほとんど聞く事無くなったなぁと思いませんか伝説?
遠い世界、別世界、別次元だと見て見ぬ振りして自分は現実に戻る。
そしてアニメやこんなドラマや映画でファンタジックに描かれています。

伝説もある意味見えない世界や先人から聞き伝わった話。
今度はアニメやドラマや映画、
そのアニメやドラマや映画でノンフィクションとなると最初から絶対にありえない話だと決めつけながら見てしまうんでしょうね。
そうすると絶対に自分とリンクさせることなんてのも無いよね。
その奇跡の事実はどんな事であれ、
その強い思いがいつか強ければ強いほど伝わるのが「奇跡」だという事を伝えているんでしょう。
今の世の中はどっぷり3次元に浸ってる。
そしてその見える世界で生きて、その世界に依存して誰も奇跡を信じようとしない。
もう既に見える世界しか信じない、と。

昔は神様の前にたたずみ祈ったように、思いを込めたように、
お空、天に向かって思いを願ったように。
それを毎日朝から晩まで願ったように。
そんな事をする人もどれほどいるでしょう。
天に願う事をすることも無ければ自分の心に願うことも無く。
現実に手に入るぐらいの願いで終わってしまっているからでしょうね。
3次元の物質次元にいるからですよね。
お金さえあればすべて手に入るという次元になってしまっているからですね。

昔なら奇跡を起こした人や伝説が多かったけど、
歴史が好きでも、歴史人物を尊敬しようとも、歴史上の人物の軌跡をたどろうとも、歴史の土地を訪れようとも、
今の神社仏閣お城古墳巡りなどもそんな感じ。
その時の思いとかと願いとか祈りが伝わり、奇跡を起こしてきたことに教訓を得て今を生きないとファンタジーにもならないですよね。

五感を無くしたらどうなるのか、そんな事も考えない。
耳や目、口、鼻、悪くなれば病院へいけば良いとしか考えないでしょう。
自分のライフスタイルを見直すことも無い。
ましてや奇跡を信じて祈ることも無い。

そのファンタジーな世界は遠くデジタルな世界のように思い込んでしまったという。
リアル(現実)とファンタジーの境目っていうのはある意味自分の意識が作っているだけかも知れないというのに (^.^)
その境界線を外すのも自分だというのに。

思い続けるという事と、強く思うという事は、現実をも変えるという事を見失ってしまったのが現代人かも知れない。

私もこのドラマを見始めた時には、「絶対あり得ない~」とちょっと馬鹿にした感じで半笑いでした。
そのうちに五感が全部なくなるってどうやろって考えたり、
前にも話したように最近はこの五感についてのドラマや映画が多いなと、それはどんなメッセージやろうとか、
そして最初ファンタジー過ぎると半笑いだったのが、そうやなぁ~現代人は現実を生き過ぎて奇跡を忘れつつあるかもなぁ~って考えたり、
自分の思いを考えた事あるのかなぁ~
自分の思いに気づいているかな~
自分の思いを強く持った事があるのかな~
ましてや、いつも言うように自分をしっかり俯瞰できてるのかなって!
自分の事を知っているのか、本当の自分ってって考えた事あるのか、

人の事も思った事あるのか、
愛おしい人がどれだけいるか、
その愛おしさってどんな愛おしさか、
自分の事を愛おしく思っていないと、人の事も愛おしく思う事なんてないよねとか、
ふとドラマを見ながら思いはせた (*^^*)

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