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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

人のドラマと比べない

2022-09-15 | 人生ドラマ
  一昨日は、人生ドラマの中で評論家には成らないでおこうと話をしていました。
一体化と実感が無いと自分のドラマを完結出来ないよという事でした(^.^)
それが人生ドラマの本当の完結!!


客観的に観ながら分析すると言ったけど
自分のドラマの観覧者でも勿体ない
観覧者になってしまうから上からとか、リング外から評論してしまう。
実感が必要 !(^^)!
あ~もう一つ、重要な事は絶対に人と比べないという事。
全てそんなの当たり前やん!って誰もが言うのでしょうね。
それなら自信をもってください (^.^)
観覧者になって上からとか、リング外からとか、人と比べないとか…、
意外と自分では気づかない。
そんな人は自分からの言葉に現れています (^.^)
そうで無いなら自分で自信をもつ事です。
自信が無いと、ちゃんと閻魔大王さんに
笑って報告出来ませんよという事でした!(^^)!

自分のドラマと人のドラマはそもそもの設定が違います。
生まれて来る時に決めて来た設定がちゃんと在るからです。

例えば…、ちょっと重たくて理解しがたい人もいるでしょうが、
人の命を殺めて罪を犯してしまった人のドラマでもです。
それは別やろ!と許されない人もいるでしょう。
許されないという人は許す事が必要なドラマになるでしょう。

その罪を犯した人は命の尊さを知るかも知れません。
罪を償う事を知るかも知れません。
生まれて来た事を考えるかもしれません。
産んでもらい育てられた事を考えるかもしれません。
感謝を学んでいるかも知れません。
挙げれば無限でキリがない。
だから人それぞれなんです。
その出来事の前後にどんなドラマがあったのか、
それを考え直すきっかけになるかもしれません。
両親や関わった人に何か矢が刺さるきっかけを与えたかったかもしれません。
何か出来事が起きなければそのドラマは展開して行きません。

その人と反対にそれに関わった被害者のドラマは…
不幸だけなのか?
不幸だと決めつけて良いのか?
ギャラリーは何も知らないから決めつけるかも知れませんが、
被害者の家族はたくさん受け入れるのに時間を要するけど、
被害者の前後のドラマ?、
生まれて来た意図があったかもしれません。
命を落として償いたい事があったのかも知れない。
人に「償う」(愛)事を与えたかも知れない。
親、子供に考えさせる課題を与えかも知れない。

いい加減な事言うな!!と怒られるかもしれないけど、
またそう思う人にとっても凄く重い影響を与えたかも知れない。

人それぞれのドラマがあります。
出来事は共有しますがストーリーは別物です
感情も様々です。

その人のドラマが与える影響は
たとえ加害者でも被害者でも少なくとも大きくとも
今の情報社会なら簡単に広く広がります。
それなのに、
駄目な事だとか、不幸になる事だとか、罪を償わなければならないとか、
知っているのに世の中に繰り返されるのは何故でしょう。
最近のバス置きざりも、車に閉じ込めも、親や子供を殺すのも
ニュースで何度もやっているというのに、
同じ間違いを犯すのは何故でしょう。


たとえこんな事でも、
人と比べる事も出来ないし、
反対に…無関心でも他人事でもない。
受け取った人には必ず答えが在る。

自分に入って来た情報は自分のドラマのただのエッセンス。
それに対しての意見を持つだけ。

この例の「命を殺める」という事でも…
自分は絶対にしないと思っていてもいつそうなるかは分からない。
そこに自分の信念が無いと。

昔の親は子供の問いにこう答えました。
「お母さん!なんで人を殺したらあかんの?」と子供。
「決まってるやろ当たり前や!」「なんでもや!」「そんなん知らんわ!」と親。

その時代の答えが解らないまま現代に見送られていたのか、
そんな昔の親子の問答が平和過ぎたのか、
なぜ親は命の大切さを教えてやらなかったのか
制限ばかりで答えに蓋をしてきたのか

親の言うている事と社会の矛盾に混乱したのか、
試してみないと分からんわ!となったのか、


その人の人生ドラマはそんな脚本になってしまったんですね
どちらの人も一生を無駄にしたやんかという人もいるでしょうけど、
魂は続きのドラマを演じています。
その時に得た学びや気づきは続きに活かせるのです。
そうやって成長している魂です。
その魂のドラマを書き換えるのも自分には自由にできる。

人のドラマと比べてはいけないというのは、
魂のドラマでもうほぼ決まっているからです。
そんな無駄な時間より自分のドラマや自分の魂のドラマに集中すると展開が速く面白く実感も伴うのです(*^^*)



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自分の人生ドラマ

2022-09-13 | 人生ドラマ
  「人生ドラマ」客観視するのには良いですねという話。
でも評論家には成ってはいけませんねという事でした(^.^)
それは自分のドラマにも、人のドラマにもです。

自分と同じように他の人だって、どんな人生だって、ドラマを作っているのです。
歓びや楽しみのドラマだけではない!!
人生その人にとっても、その家族にとってもそれぞれの人生ドラマで、
辛く苦しく悲惨で無惨で心が詰まる……という重いドラマでも
その人にとれば一度や二度体験すると決めているドラマ、
何度もどん底まで体験しないと抜けるまでに行かない人もいる

だからこそ自分で作っているんだよと気づきたいし、
自分で書き換えられるんだよと知りたくなる。

行きつくところまで行くごとに感じる事も違う事に気づいて欲しい、
評論家になっているだけでは勿体ないよという事ですが、

自分の事も人の事もごちゃごちゃ上からとかリング外から言ってても楽しくないはず !(^^)!
なにしろ実感が一番!(^^)!
その時の感情を大切にしてやるんです
そんな体験でも!!


それで「自分の意見」を持つという事を昨日に言っていました。
それは自分の考えであるし、
自分の人生に対しても、人の人生の事にも、社会の事にも
自分の意見を持つという事。
それが自分の価値観も変えて行き、概念も広がり、深まり
人間の器も大きくなるのでしょう!(^^)!

いや!…こんな事も誰しもが知っている事なんですよね (^^;)
そうやって自分を信じていってる途中、
この世の卒業までいかに自分を信じれるか、
そうしたら閻魔大王さんの前でも堂々としている事が出来る。
自分がやって来た事を知らないとか、
やって来た事に自信をもって無いと
閻魔大王さんの前でおどおどしてしまう
人生ドラマの最終チェックですね !(^^)!
笑って話してやろうじゃないですか!!
それが終われば宇宙か、はたまた自分の思う天国に行けるのです
何もお墓に閉じこもらなくてもいい
いつまでも子孫や終わった社会を案じる事も無い
子孫達も自分のドラマを生きているんです。
自分のドラマを信じて生きれたら子孫の事も社会の事も
神となって信じて見守ってあげれる。
やっと制限からの卒業で、
自由の烙印もらうのですから !(^^)!

自分の人生は誰のものでもない自分のもの
人と比べるものでもない自分キャラの特別の物(*^^*)



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評論家だけには成らない様に

2022-09-12 | 人生ドラマ
  人生ドラマに繋げて感じた事や考えを続けて記事にしています (^.^)
昨日は「人生ドラマは自分が主役」という事で投稿しました。

TVドラマを観ている様に、その中の物語は自分。
一話完結にすれば尚イイ。
一話完結しなくても続いても良い。
〇〇編だったり、シーズン1だったり、
役者のキャラが変わっても良い、もちろん自分だけど。
脚本家も監督もプロデューサーも自分。
その脚本家だって監督だってプロデューサーも
どんどんスキルも磨かれバージョンアップ

それらを客観視しながら自分分析するには丁度いい。
その役者と一体化になってどんどん役者の幅が広がり、
同時に自分の世界観も広がって行くという。

そうやって未来を創って行くのも自分。
役者の世界観を知り、理解するのもスキルアップに必要。
相手役、背景の事も同時にです。
そこには必ず感情が付きもの。
感情を理解する事が世界観を知るという事。
演技にも深みが出て行くという事です。

これからの人生でも良い、
こうやって分析していく事で自分の世界観が広がり深まるという事ですが、
それはまた、過去の価値観や世界観を
塗り替えていく事にもなるのです。

私はたまたま幼い頃にさかのぼり、
自分の人生ドラマを理解して納得し直してという
ちょっと面倒くさい事してきましたが (^^;)
振り返る作業です!(^^)!
まあそれで私は自己肯定できたので良かったです(^.^)

そんな事しなくても未来を変える事が出来るのも
自分の人生ドラマです
そうする事で昔の価値観、世界観を広げる事は可能です。
それと同時に今の感情に向き合い見つめ直し深めるという事です。

それで過去の感情を切り離せるなら人生にかける時間も節約できる
そして無意識の間に器の大きな人間に !(^^)!

自分の人生は一旦この世に生まれた時から始まっている。
今の大きな器の自分で昔のキャラを受け止めてやるのも良い。
やんちゃで嫌なやつでも今となってはちゃんと理解してやれる。

今、世の中に色んな事が起こっているけど、
そんな事に対してもおおらかになれる。
評論家でごちゃごちゃ、あれこれ言っている自分をどう変えてやろうか!
自分を観てどう思うのか
自分の意見を持ってみれば、評論ばかりしないようになる。

人生ドラマの主役は自分、
その自分を観てやるのも重要な観点
最近の報道とか情報番組でも評論家の意見は様々です
正しいとか間違いといった価値観で物事を観る事をやめる。
自分の意見を持つという事です。
そうする事で自分の人生ドラマの主役の自分の事を
しっかり理解してやれるのです。

自分に対しても他者に対しても評論家にはならない様に!! (^.^)
本質を見失います!(^^)!


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人生ドラマは自分が主役

2022-09-11 | 人生ドラマ
  人生はドラマだという話をしていました。
自分自身が脚本家で、監督でプロデューサーで演者ですよね

生まれて今までのどんな体験も一つずつ全てがドラマですよね
ノンフィクションで、一話完結しましょうという話をしていました。

その時に感情も精査しながら切り離しましょうという事です。

現に俳優や女優さんも役になり切るために
実際にその役の体験をしたり、陶酔するほど成りきる方もいると言います。
沢尻エリカさんも後に薬で世の中から離れていますが
ヘルタースケルターの撮影をしている時、
物語も蜷川実花さんの作品で女優の話で役だったんですが
凄く重たい役で、憑依するぐらい入り切っていて、
共演者の桃井かおりさんも蜷川実花さんも心配していたと話されていました。

撮影後、沢尻エリカさんも3ケ月元の普段の生活に
戻れなかったと言っていました
自分の肉体に別の感情が入り込み、何が自分か、
どの部分が自分かがごっちゃになって分からなくなるんでしょうね

絶対駄目な事だけど、自分が余計に壊れるだけなんで駄目なんだけど、
薬に逃げる気持ちもちょっと理解した私もいました。

役者さんの中には、同時期にいくつも作品を受けないという人もいます。
反対にいくつも引き受ける人もいるという。
撮影が終わったら海外旅行に行ってリセットする役者さんもいます。
忙しい中でもちょっと時間が空いたら旅に出るとか、
農業をするとか、山に登るとか、そんな役者さんもいるようです。

どこかで我に返るとか、リセットが必要になるぐらいに
感情が入り交ざるのでしょう。

長い間ドラえもんの声優をしていた大山信代さん、
自分の人生と同じだけドラえもんの世界を演じて来た、
どちらが本当の自分なのか分からなくなる気持ちも解りますよね、
最後は認知症になっていました。
それも分かるように思います。


普通の私達もそうだと思うのです。
いろんな体験が全てドラマなんです。
感情が溜まりに溜まると訳が分からなくなるのです。

ちゃんと感情を切り離して生きれているかなんて、
昨日も話したように、その最中は分からないのです。
その仕組みを分かり出すと、
やっと一話完結できるようになってきますが
3次元の見える世界に浸って惑わされていると中々気づきません。
ましてや自分の事を棚にあげたり、自分の感情なのにスルーして
人の人生とごっちゃにしている人が多いと気づけません。

たとえ親でも子供でもそれぞれのドラマを演じると決めて生れてきています。
過多の干渉は必要ありません。

他者の人生ドラマに登場はするけれど、
感情も共有するけれど、同情はしません。
それぞれ影響も与え、与えられるけど、
ドラマの脚本は別物です (^.^)
相手の役柄の心情も理解しながら演じるのです。

それぞれの人のドラマが、それぞれ次々に展開していくだけです。
役柄もどんどん展開と共に次々と変化して行く。


そうやって人生ドラマも広がって行く。
ドラマでも役柄の世界観を学び知り、
共演者の世界観も知り、
人生の世界観が広がる。

それは自分の人生ドラマです。
役も広がるように自分の意識や世界観も広がる。
その時の感情の深さや世界観も知るように自分の意識も深まる。

広くというのは縦にも横にも広がります。
それは、縦×横×深さで面積も広がります。
そこに入る世界観は体積で、積もって行きます。

そんな大きな器の人間になる。
大きな体積の世界観で自分の人生ドラマの役を演じる。

自分のドラマなんだから人から見れば変で変わっていても
面白く楽しく可笑しく演じれる事が出来れば良いんじゃないかと (^.^)

そうなると、他人のドラマに登場はするけど、
こちらがごちゃごちゃ言わなくても合わせてあげれるかも (^^;)
こちらの役が無いとその人のドラマが一話完結にならないからです。

こちらは人のドラマに登場して知らなかった役柄や世界観を教えてもらっただけの事なんですよ。

それをちょっと理解したら自分のドラマが広がった事になっただけ (^.^)
人の脚本に合わせてばかりいて、
自分の脚本の事を忘れていたら完結しませんよね。


いつでも自分のドラマだったら書き換える事だってできます。
登場人物を選ぶ事だってできます。
なんせ脚本家も監督もプロデューサーも全て自分ですから (^^;)

人生最後の終焉までそのドラマは続くし、
自由に脚色だって出来る。

もっと自分の感情を知ってやって
それに合わせて脚本を書いてやると良いんじゃないでしょうか (^.^)

自分の中に切り離せていない感情が残っていたら
思うように描けないかも知れないから、
ちょっとだけ自分を大切に観てやって欲しいな (^.^)
そしたら自分の中の脚本家も監督もプロデューサーも
どんどん共に広がり変化するでしょうね

楽しいドラマにしたい私です!(^^)!



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感情がクローズアップされてくる。

2022-09-10 | 人生ドラマ
  考える事やしなくてはいけない事が多い時、
忙しいと言います。
忙しという感じは心を亡くすと書きます。

というように、頭の中も考える事が多いと
ごちゃごちゃしていると昨日の記事で書いていましたが、
脳の自律神経にも影響があると。

情報もいろいろ吸収したり、吐き出したりしながら
優先順位や精査しながら…
必要なのか、必要でないのか…
自分の事なのか、人の事なのか、
片付けして順番にこなして行けることが一番で、
その時も感情を一つずつ切り離して行けると(^.^)
心もスッキリしていけるという事です (^.^)

高齢者になって、自分にやる事が無くなっても、
情報は入って来ます、
社会情勢の事、自然界や季節や気候
自分の身体の内側と外側との関わりは続きます。
そんな話もしていました。
よく、想定外とか予想以上とか言われますが、
今までの体験にはその想定外な事にも対応できる
土台の意識がきっと自分の中に在ります。
昔の体験や経験をどうにか活かしていけるだけの
情報も自分の中にきっとある。

無意識の間に自分の外側に頼り過ぎている、
又は、依存し過ぎているだけで無責任に言葉を吐いたり、
考えもしないで愚痴や文句のように言って
最初に脳に聞かせていると、今までの体験も活かせまん。


私は60歳なので、何となくいつも世代の真ん中意識があります。
昔も知ってるし、今の時代にも意外とついて行ってる。
活用できているか出来ていないかは分からないけど、
それを活用できる時の為に準備しておきたいなと思っている。


例えば、病気に関しても、食べ物に関しても
昔の事も、今の情報も大切にしていて、
最終的に自分の考えを持つようにしています。


病気に関していえば、直ぐに数値には頼らないし、惑わされません。
直ぐに医者にも頼りません。
事実、西洋医学も有れば東洋医学も中医学もある様にです。


食べ物で言えば、消費賞味期限の数値もです。
豆腐でも牛乳でも、ちょっと口につけてみて確かめてみます。
今世話になっている生活クラブの食品にも一応それらの期限は書いていますが、牛乳でも豆腐でも一週間なんて全然問題なく食べれます。

赤ちゃん育てる時もそうです、
最近のママは自分の母親の経験よりネットの情報を信じます。
母親は自分を育ててくれているんですよ。
それも無視してしまう。
昔の知恵が正しいとか間違いだと言っているわけでは無くて、
母親の考えが押し付けだったり、
普段からブレていているから
聞いてもらえないのかも知れないだけです。

その時の自分が健康なら親にも感謝で、
親の責任だけじゃなく、
自分がその事に関してどう取り組んでいるかでも変わって来ます
親の育て方も活用できると信じられるし、
反面教師であったり、意見を取り入れてみたりして
自分流に進化させるのです。

昔の知恵や考えをしっかりと理解しながら現代に合わせて活用していくと良いんじゃないかと思うのです。

そんな事が高齢者になると、
自分の中にたくさんの人生分の情報を持っているのです。
たまたま無駄に脳を使っていて、
無駄に脳を活用していない。

想定外の気象にも、想定外の災害にも
きっと知恵がたくさん。

現に戦争を生きたおじいさん程、生きる力が凄いと思います。
私もたまに思いますが、仕事したり、遊んだりはするけど、
生きる力ってあるかなって、
もちろん我慢強かったって事もありますけど(^^;)

昨日の話の中に、
旅行や遠足や行事に向けて常にずっと頭がごちゃごちゃリプレイし働かせていた子供の頃や若い頃だったという話をしていました。

なんでも体験には感情が付きもので、
その感情も精査し切り離して行きましょうという話でもありました。

体験や経験の時に必ず感情がクローズアップされてきます。
それに気づかずアップアップしている場合もありますが、
必ずある。

私のこの頃の場合ももちろん気づきませんでした。
真逆のオットにより緩和されて行ったと言いましたが、
そんな時に、
なぜオットに疑問を感じたか、
なぜ真逆だと分かったか、
オットに伝えたところでオットが変わるわけではなく、
自分が自分をどうにかしないといけないと自分をみつめる。


そうすると、昔のその行動に対しても
自分が如何に心配性だったか、
如何に不安性だったか、
如何に恐れが強かったかがクローズアップされてきました。

忘れ物は無いか、
もしこんな事があったらどうしよう、
もしもの為にこれもあれも準備しておこう、
みんなの為にこれもあれも用意しておいてあげよう、
怪我したらどうしよう、
トイレが無かったらどうしよう、
みんなの行動も気になる、
自分に向いてくるみんなの気も感じる、
体育とか動物が苦手なのも、恐れの想像が膨らむ、
挙げればキリがないぐらい色んな事が巡ります。

それは決して悪い訳ではない事ばかり。
人の為であっても結局は自分の事。

その頃には気付かなかったけど、
今ならその頃の自分に声を掛けてあげたい事や
理解してあげれたら良かったなと思う事や
心寄せてあげて思いやりで包んであげたい事
それも挙げればキリがない。

不安とか心配とか怖れって当たり前の様で当たり前ではない。
自分の中に在るよって簡単に言う人もあるけど、
人の基準は分からない。
だから自分が解かってあげれたら良いのかなって思います。

人間にはもっと色んな感情があります。
それは仏教の中でも煩悩の内です。
経典や勉強では認識するけど、
自分の中の体験と共に在った感情だけは
自分で解消し、切り離していく方が良いと思います (^.^)


この夏からごちゃごちゃしていた私の脳も
一つずつ熟そうと落ち着てはいますが (^^;)

自分の事ならどうにかなるよと思いつつ、
人やグループなどで役割があるとちょっと責任感がクローズアップされるのでしょうね。

そこには心配性や不安性も残っているかも知れないけど、
見栄や羞恥、等もしっかり客観視しています。

頭が忙しい時に…出かけた途端「玄関の鍵かけたかな」とか、「ガス栓締めたかな」とか何か忘れていないか不安や心配になるのと同じようにです。

何でも過ぎるとよくないです。
程々にバランスよくです。


















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