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たまびと日記 2

記憶力が衰えないようにとブログに記録しているのに、
記録したものはどんどん忘れていくという悪循環に陥っています。

お食事会

2016-11-21 15:21:59 | 日記
中学時代の同級生とのお食事会です。
去年同窓会をした時の幹事さん達なのですが、幹事だけで同窓会が出来ちゃうくらい大勢います。(笑)
話題はどうしても病気と体が痛いという話になってしまうのですが、そう言いながらもみんな空元気(からげんき)で頑張っているところが凄いと思います。(笑)
私が「夫が作っていた落花生をカラスに食べられちゃった」と言ったら、隣に座っていた男性が「私はハクビシンにやられた」と言ったのでビックリ
ところがそれを聞いた反対側に座っていた男性が「うちもハクビシンが来る」と言ったので、ますますビックリ
それから青梅に熊が出た話やイノシシが青梅線にぶつかって電車が遅れた話などが続々と。。。。。(笑)


次々運ばれてくる中国料理をおいしくいただきましたが、中に綺麗な赤い花を乗せたお皿がありました。
みんなで「これは大根で細工した花よね」などと話していたら、隣に座っていた男性が花に手を伸ばして、
花びらを一片ちぎり、口に入れたのです。
それを見ていた女性たちは自分では食べないけれど、興味津々で「ねえ、それ大根」とか「お味は」とか聞きました。
彼は一言「大根。 味は無い」と言いました。
誰も食べるはずがないという前提で、味は付けずに色だけ付けてあるのですね。
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上信越自動車道

2016-11-20 16:25:24 | 他府県
りんご園から帰る時の写真です。
真田一族が何度も渡ったかもしれない千曲川を渡っています。(笑)


上信越自動車道を東京に向かって走っていますが、途中左手に浅間山(あさまやま)が見えるところがあります。
テレビの『真田丸』では主役は信繁(幸村)ですが、その後の真田氏は信繁の兄の信之によって存続し続けました。
信之が沼田城を本拠としていた頃には、浅間山が何度も大爆発を起こしたとか。
徳川の時代には信之は松代藩の藩主にもなり、93歳で亡くなるという当時としては相当な長命だったようです。


紅葉の『日暮山(にっくれやま)トンネル』に入るところです。


『高岩山トンネル』、この辺りの北側は軽井沢で、標高が高いので紅葉も綺麗です。


この橋、毎年撮っているような気がしますが、『碓氷橋(うすいばし)』です。


関越自動車道本線に入り、だいぶ車の数が増えましたが、途中止まってしまうほどではなく、夕方無事に家に着きました。(笑)

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真田氏本城跡

2016-11-18 15:29:23 | 他府県
長谷寺(ちょうこくじ)と同じ真田町長(さなだまちおさ)にある真田氏の本城跡に行ってみました。
上田城築城前まで真田氏の本城として使用されていたらしいということで、幸隆(信繁の祖父)、昌幸(信繁の父)の時代のことだったようです。


観光客が訪れる場所には駐車場があり、地元の方が座っています。
でも駐車料金をとるわけでもなく、どこに止めろと指示されるわけでもなく、のんびりおしゃべりしていらっしゃるので私たちも気楽でした。(笑)
座っている男性にこちらから話しかけたら「一番上まで登ると上田の街が見えて、とっても見晴らしがいいから行ってらっしゃい」と言われました。






ほんとに素晴らしい景色が広がっていました。


小さなトンボが飛んでいました。








ここにも観光客が置いた6個ずつの小銭がいっぱいありました。
でも真田の家紋と言われる六連銭は戦の時用で、普段は洲浜(すはま)と結び雁金(むすびかりがね)という家紋を使用していたようです。


ここにもこのセットがありました。
綺麗な公衆トイレと『真田の郷周遊観光バス』の停留所。(笑)


帰り道で小さな消防車を見てビックリしました。
大きさは軽自動車、うちの近くでは見たことがありませんから。
細い山道を行くには、これくらいの大きさが重要なことなのかもしれないと考えてみたのですが、合っているかな

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長谷寺(ちょうこくじ)

2016-11-17 15:10:44 | 他府県
真田の郷へ行くには、上信越自動車道を上田菅平ICでおり、北東に向かいます。
上田市真田町に入ると、『真田氏発祥の郷』と刻まれた石碑が目に入りました。
『御屋敷公園』となっているようですがここは通過しました。


菅平に向かう国道144号は、このあたりでは道幅も広く、結構な市街地になっています。


ところが少し進むと、のどかな田園風景に変わりました。


そんなのどかな場所にある長谷寺(ちょうこくじ)を訪問しました。


長谷寺(ちょうこくじ)は信繁(幸村)の祖父幸隆が開いた寺で、本堂の背後に真田家の墓があります。


何度も火災にあっているので、本堂の建物は新しいようです。
したがって、珍しいアーチ型をした石造りの山門が最も古いとか。


幸隆(信繁の祖父)夫妻、昌幸(信繁の父)の墓が並んでいます。


左の奥に見えているのは信繁(幸村)の供養塔です。
苔むした石柵の上には、訪れた人が六文銭のつもりで置いた小銭が並んでいます。
穴が開いている5円玉が理想なのでしょうが、1円玉も10円玉もありました。


近くに並んでいる献灯の上にも、こんな風に置かれていました。
私たちが行ったのが早朝だったのでこの風景が見られたようで、この後、掃除をしていたお寺の人が袋に入れて回収していたそうです。(笑)


たくさんの古い墓石が、この寺の歴史を物語っていますね。




NHKドラマ『真田丸』を見た観光客が来ることを予想して新たに建てたらしい綺麗な公衆トイレがありました。


トイレの前に止まっているのは『真田の郷周遊観光バス』です。
1日300円のフリー切符が便利なようです。

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陽泰寺(ようたいじ)

2016-11-16 16:39:23 | 他府県
NHKの『真田丸』のおかげで、上田市がこの1年観光地として賑わったことはテレビの情報で知っていました。
『上田城』は勿論のこと、真田の郷も観光客がどっと押しかけたのではないでしょうか。
と、ひとごとのように言っていますが、私も真田の郷に行ってきました。(笑)

まず行ったところは砥石城(といしじょう)跡です。
古いお城ですが、真田氏が上田城を築いたあとも重要な支城として存在し、第一次上田合戦では正面から『上田城』を攻める徳川軍に対し、
砥石城から信之が出陣して横から攻撃するという戦法で徳川軍に勝ったとか。

山裾まで行ってはみたけれど、山登りをしなければ砥石城跡にはたどりつけないことがわかって断念しました。
1年間頑張ってきた赤い幟は、風雨にさらされてもうボロボロです。


砥石城の山麓にある陽泰寺に行きました。
ここは観光からは外れていて、六文銭の旗の1本もありませんでしたが、どうしても行きたかったお寺です。


真田一族の主家、海野氏の菩提寺で、白鳳時代の建立です。


本堂がかなり高いところにあり、石段を登らなければなりませんでしたが、裏山にあるお墓に行きたかったのです。
海野氏第四代幸真の墓があると伝えられているので探してみたところ、数基の古い墓石がありました。


本堂のてっぺんに、海野氏の家紋『洲浜』が寺紋として掲げられているのですが、写真に撮ってみたら、
朝日があたって金色に輝き、家紋の様子がまったくわからないじゃありませんか。(ガッカリ


門の屋根にあった『洲浜』を拡大してみました。
『洲浜』は浜辺に出来る三角州を表しているそうです。

コメント (2)
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