『小川水衛所』は明治27年に羽村から四谷大木戸の間に8ヵ所設けられた水衛所の一つです。
上水を管理する場所でしたが、今は水道原水としては使われていないので、跡として保存されています。

流れてきた木やゴミを除去するための鉄柵が川の中に残っています。

上水の両岸は、ここから下流では『小金井桜』と呼ばれる桜の並木になるのですが、その境を示す『境界石』が大正時代のままに残っています。

ここでもまた花にカメラを向けていた、私と同年代の男性に声をかけられました。(笑)

男性のカメラの先にはたくさんの金蘭があり、私の方を向いて「綺麗ですよね
」と言ったのです。(笑)

少し先にはフタリシズカ(二人静)が咲いていました。

葉っぱに虫が止まっていましたが、毒は無いのにキアシドクガ(黄脚毒蛾)という名がついている蛾の幼虫だと思います。
5月の終わり頃にはモンシロチョウのような白い蛾になって飛び回ることと思います。

ホウチャクソウ(宝鐸草)も咲いていました。

『商大橋』の名前の由来は、昭和8年に移転してきた東京商科大学予科があったからということだそうですが、今も一橋大学小平校として残っています。
上水を管理する場所でしたが、今は水道原水としては使われていないので、跡として保存されています。

流れてきた木やゴミを除去するための鉄柵が川の中に残っています。

上水の両岸は、ここから下流では『小金井桜』と呼ばれる桜の並木になるのですが、その境を示す『境界石』が大正時代のままに残っています。

ここでもまた花にカメラを向けていた、私と同年代の男性に声をかけられました。(笑)

男性のカメラの先にはたくさんの金蘭があり、私の方を向いて「綺麗ですよね


少し先にはフタリシズカ(二人静)が咲いていました。

葉っぱに虫が止まっていましたが、毒は無いのにキアシドクガ(黄脚毒蛾)という名がついている蛾の幼虫だと思います。
5月の終わり頃にはモンシロチョウのような白い蛾になって飛び回ることと思います。

ホウチャクソウ(宝鐸草)も咲いていました。

『商大橋』の名前の由来は、昭和8年に移転してきた東京商科大学予科があったからということだそうですが、今も一橋大学小平校として残っています。

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