『奥多摩いろは歌留多』を買った羽村市観光案内所から多摩川に向かって歩くと、河岸段丘の坂に差し掛かります。
坂を下りる手前の左へ入る道を進んだところに墓地があり、そのなかに中里介山のお墓があります。

ここは禅林寺の墓地です。

中里介山は羽村で生まれた文士で、小説『大菩薩峠』を執筆しました。
大正2年の28歳から昭和19年に59歳で亡くなるまで書き続けたというとても長い小説だそうで、私は読んだことがありません。
ただ介山は何度か私の伯母の家を訪問していて、叔母の家には直筆の短冊なども残されているので、子どものころからお名前だけは知っていました。

『奥多摩いろは歌留多』にも取り上げられていて、「小説で名高い大菩薩峠」と読むことができます。

この写真はずいぶん前に撮った、禅林寺を正面から見た様子です。
墓地は本堂の裏の坂を上って行ったところにあります。
坂を下りる手前の左へ入る道を進んだところに墓地があり、そのなかに中里介山のお墓があります。

ここは禅林寺の墓地です。

中里介山は羽村で生まれた文士で、小説『大菩薩峠』を執筆しました。
大正2年の28歳から昭和19年に59歳で亡くなるまで書き続けたというとても長い小説だそうで、私は読んだことがありません。
ただ介山は何度か私の伯母の家を訪問していて、叔母の家には直筆の短冊なども残されているので、子どものころからお名前だけは知っていました。

『奥多摩いろは歌留多』にも取り上げられていて、「小説で名高い大菩薩峠」と読むことができます。

この写真はずいぶん前に撮った、禅林寺を正面から見た様子です。
墓地は本堂の裏の坂を上って行ったところにあります。
