修行僧にして破戒僧の御珍(ごちん)が、
得度(とくど。本僧になる為の手続き)の為に、
とある寺を訪問した。
この寺の坊主たちは快く御珍(ごちん)を迎え入れた。
夕飯時、
御珍(ごちん)は寺の坊主たちに、
「立派な鐘がありながらなぜ鳴らさないのでしょうか?」と尋ねた。
坊主たちの1人が、
「あれは、鐘つくり職人の梶本殿が作られた鐘で、見えない鐘の境界を突かなければ音が出ません(2021年2月10日記事『職人列伝~梶本』参照)」と悲しく語った。
別の坊主も、
「私たちは誰ひとりあの鐘を鳴らせないのです。於道(おどう)様が梶本殿に意図的にあの鐘を作らせたのです」と語った。
御珍(ごちん)は於道(おどう)という名を聞き、
ご飯が喉に引っ掛かってしまった。
先の坊主が、
「於道(おどう)様は私たちに仏の光より鐘の光だと言って私たちの頭を錫杖で叩かれます。けど、あの鐘を鳴らすことは不可能です」と重ねて語った。
御珍(ごちん)は坊主たちに、
「もし私があの鐘を鳴らすことができたら、今度の托鉢でいただいたものを私に渡すのですよ⁉️」と言って来たので、
坊主たちはニヤリ😁と、
「よろしゅうござんす。その代わり、あの鐘を鳴らすことができない時は、毎日托鉢に行かれていただいたものを私たちに渡すのですよ」と返答したので、
御珍(ごちん)と坊主たちの契約が成立した。
この出来事は、
『托鉢合意』という名目でこの寺の汚点として名を残すことになる。
翌朝。
数人の見張り役の坊主を置いて、
多くの坊主たちが托鉢に向かった。
御珍(ごちん)は鐘撞き台で鐘を突きまくったが、
わずかな音しか出せなかった。
御珍(ごちん)は躍起になり、
何度も鐘を突いたが徒労に終わった。
やがて昼となり夕となった。
托鉢から帰った坊主たちは御珍(ごちん)に、
「諦めて食事をなさいませ。今夜のおかずは大根飯ともずくの酢の物にてございます」と言ったが、
御珍(ごちん)は、
「そんな粗食よりもドライカレーと卵スープがほしゅうございます」と言って、
鐘を突くことを諦めなかった。
夕闇迫る頃、
御珍(ごちん)の手は腫れ上がり、
肩が痛み出した😖
それでも我慢して御珍(ごちん)が必死に鐘を突こうとした時に足元がよろけた。
そのため御珍(ごちん)は頭から鐘に突っ込んでしまった。
そのとき、
鐘の音色が美しく響き渡った。
部屋に集まっていた坊主たちはこの鐘の音色に心を奪われるほど感動した🥹
そこに、
額に血を滲ませた御珍(ごちん)が入ってきて、
「境界を極めたり❗️」と叫んで気絶した。
鐘が鳴ったとの知らせは本寺にまで届き、
指導僧の於道(おどう)が寺にやって来た。
於道(おどう)は額に絆創膏を貼った御珍(ごちん)と他の坊主たちを鐘突き台に集めた。
於道(おどう)は一同に、
「み仏に、血と痛みと命を捧げよ」と言い、
目を閉じて拝み出したので、
全員於道(おどう)に倣った。
そして於道(おどう)が鐘の前に立ち手を合わせていると、
本尼(ホンニ)が来て、
「この鐘が鳴ったとのことを聞き本尼(ホンニ)はほんに、うれしゅうございました」と言った。
於道(おどう)は振り返ることなく、
「本尼(ホンニ)よ。そなたの声を聞くだけで読経に励んでいることがわかる。いつのまにかそなたも尼僧の見本となり申した」
とほめると、
本尼(ホンニ)は顔を赤らめて、
「嫌ですわ!本尼(ホンニ)はほんに恥ずかしゅうございます!」と言って於道(おどう)を強く押したので、
於道(おどう)はその勢いで頭から鐘に突っ込んでしまった!
すると、
再び素晴らしい鐘の音色が寺に響き渡った。
於道(おどう)は額に血を滲ませ半分白眼になりながらも寺の坊主たちに、
「仏の光より鐘の光」と言って、
読経し始めた。
一同も於道(おどう)に倣い読経した。