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映画と渓流釣り

コロナに負けるな子供たち


コロナの一年が終わろうとしている
還暦間近のわたくしにとってはそれほどの打撃はなかった。
毎年楽しみにしていた野外音楽フェスの中止とあいみょんコンサートのお預け、そして何より東京五輪の延期が残念だったけど、映画館や図書館は比較的早期に解放されたし渓流釣りのようなアウトドアは殆ど制約を受けなかった。

反面、若い人たち特に学生たちは限られた学校生活でのイベントがことごとく中止になってしまい、可哀想だなと思う。修学旅行や学園祭、部活動で頑張った成果の発表(大会)の場が失われた悲しみはもう取り戻せないもの。

修学旅行。
中学生の時は伊豆半島一周の旅だった。山峡の温泉場に育った我々同級生20人(それしかいない過疎地でした)にとって、いつも潮騒の音が聞こえる海辺の旅は新鮮だった。足を骨折した友人を置いてゆくことなく男女兄弟の様に過ごしたあの時間を今懐かしむ。
高校生の時はお決まりの京都奈良。京都のお寺さんで知り合った他校の女子生徒たちと一緒に写真を撮って暫く文通した。その頃は知る由もなかったが、彼女たちの学校は神奈川県でも屈指の進学校横浜翠嵐高校だった。横浜に住んでみてその校名の偉大さに気付いたものだ。今でもあの子たちのなかで、一人くらいは写真を撮ったことを覚えていて懐かしんでくれるだろうか。

キャンプ。
中学二年三年生の時、生徒会のフィクサーみたいな立ち位置で暗躍していた。授業をサボりたいがために、イベントを次々企てた。冬の腕相撲大会(跳び箱を台座に全校全員参加で盛り上がった)、春の体育祭(それまでは秋に小学校と合同の運動会しかなった)、そして夏のキャンプ。
それまでのキャンプは学校の校庭で一泊するだけの味気ないものだった。当時カネイチ河原と呼ばれていた川縁に群生していた葦を刈って広場を作り、燃料は自分たちで調達するという本当に手作りキャンプを行った。キャンプファイアを盛大に炊き、ドキドキしながら肝試しをやって二泊三日全力で楽しんだ。
どのイベントもそうだったけど、ちゃんと計画表を作って校長先生に直談判したことも良い想い出だ。今思うと生徒の自主性を尊重し、危険を伴うような突拍子もない企画をも受け入れてくれた角田校長先生の教育者としてその偉大さを、今大人になって実感する。

学園祭。
大学生になって小さいころから大好きだった映画をトコトンやってみたくて映画研究会に入会する。大酒飲みの芸能クラブだったけど夏休みに制作した8mm映画の発表のため文化祭は大掛かりな準備をしたものだ。二年生の時にリーダーを任されて70人の会員を率いて没頭する毎日は辛いことも多かったけど充実していたな。後夜祭の花火が打ちあがる中、大きな噴水池に胴上げと共に落とされ11月の寒さに震えながらも暖かい心で夜空を見上げていた。

時代も取り巻く環境も全然違うけど、学生の時にしか体験できない事ってたくさんあると思う。それは40年前だって今だってそんなに変わらないはずだ。だからこそ、そんな貴重な経験ができなかった子供たちには同情してしまう。「また次があるじゃない」と言って慰めることができないのが辛いな。
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