第十五番 金龍山浅草観音堂 浅草観音 盛岡市夕顔瀬町
浅草観音または金龍山観音ともいわれますが聖観音様です。以前は厨川の天昌寺の末寺で、荒廃していたところを、昭和の初めにJR山田線の工事の方が、工事の安全施工を祈願のためにか?天昌寺の了解を得て御堂を修築し、新しく石の鳥居を寄進され、御本尊も新しく東京浅草の金龍山浅草寺よりお迎えし立派に再興を果たされたということです。
この地は以前、新田町通りといい、北上川の方から雫石川方面に抜ける道路で、浅草観音のすぐ傍をJR線が横切り遮断機が付いておりました。現在は線路の下に地下道をつくり、、歩行者と自転車は通れますが、車は通れなくなり、線路の北上川側が夕顔瀬町、雫石川側が新田町になっております。車道は北上川に架かる夕顔瀬橋からまっすぐに雫石川に架かる太田橋に抜けるようになっている。
浅草観音または金龍山観音ともいわれますが聖観音様です。以前は厨川の天昌寺の末寺で、荒廃していたところを、昭和の初めにJR山田線の工事の方が、工事の安全施工を祈願のためにか?天昌寺の了解を得て御堂を修築し、新しく石の鳥居を寄進され、御本尊も新しく東京浅草の金龍山浅草寺よりお迎えし立派に再興を果たされたということです。
この地は以前、新田町通りといい、北上川の方から雫石川方面に抜ける道路で、浅草観音のすぐ傍をJR線が横切り遮断機が付いておりました。現在は線路の下に地下道をつくり、、歩行者と自転車は通れますが、車は通れなくなり、線路の北上川側が夕顔瀬町、雫石川側が新田町になっております。車道は北上川に架かる夕顔瀬橋からまっすぐに雫石川に架かる太田橋に抜けるようになっている。
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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡から)
春ならず紅きもとめん花もなし終(はて)なる里をいづれ知れとか。
小林茂雄宛 明治35年7月20日 於白蘋閣 白玉楼認 で2首(その1)
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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡から)
春ならず紅きもとめん花もなし終(はて)なる里をいづれ知れとか。
小林茂雄宛 明治35年7月20日 於白蘋閣 白玉楼認 で2首(その1)
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