新国立競技場についての話題が続いてます。
前回の当ブログ記事で書いた通り、地震や火山の危険度を判断している最中の2012年の時期に、新国立競技場のデザインが決まったわけで、それなりの状況説明がなされればそれ程困難な話ではない、とも思えます。
現状では「民主党が新国立競技場関連で下村文科相の辞任を要求」とか、安倍首相や森元首相が頻繁にコメントしなければいけない状況とか、まあ大変ですね。
これ、単純に「地震リスクの増大が確認され、場合によっては富士箱根の噴火、或いはアーチにダメージを与えて観客に犠牲者が出る可能性のある震度や地震波を想定しなければならず、以前の金額どころかその構造自体がではとても無理。1兆円とかで多少安全性を増そうとも決め手にはならないし、国民負担を考えると現状では無理。だからデザイン変更か或いは規模を1/10以下とかに縮小して対応します」で良いだけでは?
デザイン契約したザハ・ハディド氏もそれを言われたら、同意するのではと思います。
何故かと言うと、ザハ・ハディド氏も「いいえ、そんな火山噴火や地震は起きません」とは言えないからです。仮に「無い」と言って本当に大地震や噴火が起き、更に犠牲者が出るとなる可能性を考えると、「そんなリスクは無い」と言い切るのは相当の「博打」になるはずなのです。
「大地震や火山噴火が起きない」とは誰も予測できません。
「地震や火山噴火が起きる」と言う100%予測が誰にも出来ないのと同様、「地震や火山噴火が起きナイ」と言う100%予測も誰にも出来ないのです。
それと前回の記事で、新国立競技場に小さい規模のザハ・ハディド氏デザインのものを、旧国立競技場に大きいのを、と書きましたが、敷地面積の関係でやや困難かも知れません。
その場合、旧国立競技場を建替えて、かつ移転と言う形にして、ザハ・ハディド氏デザインの小さな新国立競技場を旧国立競技場に設立、と言う手もあるのかも知れません。
デザイン案を一度白紙の戻したのはいけなくはないでしょう。
規模を小さくして復活させるのは簡単ですから、自由度は増すわけです。
一度契約した事を何とか一形状だけでも守ろうとした、と言う姿勢は国際社会でも認められるとは思います。
前回の当ブログ記事で書いた通り、地震や火山の危険度を判断している最中の2012年の時期に、新国立競技場のデザインが決まったわけで、それなりの状況説明がなされればそれ程困難な話ではない、とも思えます。
現状では「民主党が新国立競技場関連で下村文科相の辞任を要求」とか、安倍首相や森元首相が頻繁にコメントしなければいけない状況とか、まあ大変ですね。
これ、単純に「地震リスクの増大が確認され、場合によっては富士箱根の噴火、或いはアーチにダメージを与えて観客に犠牲者が出る可能性のある震度や地震波を想定しなければならず、以前の金額どころかその構造自体がではとても無理。1兆円とかで多少安全性を増そうとも決め手にはならないし、国民負担を考えると現状では無理。だからデザイン変更か或いは規模を1/10以下とかに縮小して対応します」で良いだけでは?
デザイン契約したザハ・ハディド氏もそれを言われたら、同意するのではと思います。
何故かと言うと、ザハ・ハディド氏も「いいえ、そんな火山噴火や地震は起きません」とは言えないからです。仮に「無い」と言って本当に大地震や噴火が起き、更に犠牲者が出るとなる可能性を考えると、「そんなリスクは無い」と言い切るのは相当の「博打」になるはずなのです。
「大地震や火山噴火が起きない」とは誰も予測できません。
「地震や火山噴火が起きる」と言う100%予測が誰にも出来ないのと同様、「地震や火山噴火が起きナイ」と言う100%予測も誰にも出来ないのです。
それと前回の記事で、新国立競技場に小さい規模のザハ・ハディド氏デザインのものを、旧国立競技場に大きいのを、と書きましたが、敷地面積の関係でやや困難かも知れません。
その場合、旧国立競技場を建替えて、かつ移転と言う形にして、ザハ・ハディド氏デザインの小さな新国立競技場を旧国立競技場に設立、と言う手もあるのかも知れません。
デザイン案を一度白紙の戻したのはいけなくはないでしょう。
規模を小さくして復活させるのは簡単ですから、自由度は増すわけです。
一度契約した事を何とか一形状だけでも守ろうとした、と言う姿勢は国際社会でも認められるとは思います。