本日の高住神社の状況です。
◆雨
◆15℃
昨日の続きです。
今回は収蔵品のうち、奉納物と調度品の紹介です。
絵馬(昭和三年八月捨二日 松末村中村 田中長五郎)
これは絵馬。
馬具をつけた馬が描かれていますが、絵馬の由来は神様の乗りものとして生馬を奉納したことに始まり、それが現在のような板絵の馬へと代わりました。
今では様々な絵柄や形状の絵馬がありますが、五角形をしているのは馬小屋の屋根を表しているから。
写真のように枠がついているのは額として飾れるようにでしょう。
“御願成就”と書かれているので祈願の折に奉納したものだと思われます。
そしてこちらは伊勢の神宮地図。
伊勢両宮参拝順路之図(大正元年十二月吉日 筑前国朝倉郡松末村 小川藤五郎)
だいぶブレてますが、内宮外宮の地図が書かれていて伊勢詣りの記念に奉納されたのでしょう。
どちらも朝倉郡松末村(現在は朝倉市)出身の方による奉納ですが、当時は汽車もなかったので徒歩で英彦山まで参拝しに来たのでしょう。大変な思いだったに違いありません。
今までのは大正~明治期のものばかりでしたが、さらに古い時代と思われるものも。
鍋島藩?の家紋入りの旗です。
英彦山神宮に鍋島藩からの寄進があったように、高住神社でも元和9年(1623年)に細川・鍋島両藩主によって社殿再建がなされました。
その名残として鍋島藩ゆかりの杏葉紋が今も斎館などに残されているのですが……
写真の旗の紋は杏葉ではなく、どうやら茗荷のようです。
抱き茗荷 鍋島花杏葉
杏葉紋と間違えて茗荷紋になったのか、それとも茗荷紋になる理由があったのか。謎は深まるばかり。
家紋に詳しい方がいらっしゃったら教えていただきたいものです。
収蔵物は年代物のためほころびや虫食いがひどく、掃除のうえ丁寧に保管し直しました。
ここは展示館がないので公開はできませんが、そのうち綺麗に写真を撮り直してデジタルアーカイブスを作ろうと考えています。
完成したらお知らせします。
奉納物と調度品の数々が拝見できて、嬉しいです。素晴らしいですね!
狛犬好きな私には、たまんないです~。
家紋の件ですが、私の家も抱き茗荷です。
実は銀杏を間違えたまま代々続いている家も多いらしいですね。
以前、自分のルーツ探しの為に、家紋と名字について調べまくった経験があります。
ある時期に、私と同じ名字の人達が、北九州へ大量に来たらしく、何故 来たのかまでは、記載されていなくて「高い本のくせに、何だよ」と中途半端にムカムカした思い出があります。(*_*)
ルーツを辿ると、平家知行国内の村(私の名字の村)出身だったので、源平合戦の時に集められた足軽かな~なんて思っています。。。あはは。
当時の合戦も、一千騎出陣とかいわれても、実際は、大半が農民やら大工やらが、かり出されたらしく、武士なんて一握りみたいですね。
武将の乗ってる馬もポニーみたいに小さい馬でした。鎧が40キロくらいだから馬が可哀想です。
平家好きな歴女の私は、平家と御縁が深く、平家一門が暮らしていた京都の六波羅にある六波羅蜜寺の家紋も抱き茗荷でした。(平家だから蝶かと思っていたのに)
家紋って沢山あって、面白いですよね。
こういう伝統的な物も廃れて我が家の家紋が何か解らなくなる家も多いでしょうね。
だらだら長く書き込みしてしまい、お許しください。
ではでは、失礼致します。
こんにちは。
紫月様が歴女だったなんて初耳です。
まさかこの抱き茗荷紋が家紋だったなんてこれまた奇遇というか。
私は歴史があまり得意ではないので勉強中なのですが、私のセンセイから地名が苗字になったという話を聞いたことがあります。
なぜ紫月様と同じ氏族が北九州に移住してきたか、理由が分かればまたひとつルーツの解明に繋がるんでしょうけど。
茗荷紋が平家と関わりがあるとは。英彦山にも落人伝説がありますが、それとも何か関係があるのか。時間ができたらじっくり調べてみようと思います。
またお越しの際に家紋の話でもしましょう。