高住神社公式ブログ

英彦山豊前坊高住神社の公式ブログです。

毛谷村六助の墓とかかしワールド

2011年11月17日 15時50分00秒 | 毛谷村六助物語

『むかーし帆柱ん山ん向こうん毛谷村に六助さんちゆう大層な力持ちの武芸者がおったち。力のほうな十人力じ向かうとかぁ敵なし、武芸んほうな豊前坊の天狗さまに習うち…』

(犀川の民話)

 

英彦山大分県の山国町へ向かう途中、毛谷村という地域があります。

その槻木(つきのき)という集落に、毛谷村六助の墓はあります。

500号線を道なりに走って左側。『毛谷村六助の墓』と書かれた看板が目印。

集落に向かって少し行くと、こんな看板が見えてきます。

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ここの右手に古びた石の墓が。

 

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墓前にはお供え物があり、今でもお参りの方がいるようです。

その横には説明板があり、こう書かれています。

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毛谷村六助は、父母が子宝に恵まれず、英彦山の豊前坊(高住神社)に祈願して授かった子であると伝えられ、七月六日(七夕の前日)に生まれたので六助と名づけられた。(中略)成人した六助は、太閤秀吉の前で角力をとり、三十七人抜きをするほどの怪力であった。やがて、加藤清正の家臣にとりたてられ、名を木田孫兵衛と改めた。そして、朝鮮出兵(文禄の役)の戦場では、至るところで一番槍の功名を馳せたことで知られている。(後略)

 

六助は仕官した後、木田(貴田)孫兵衛と名を改め、清正公の家臣として加藤十六将に名を連ねるほど大いに活躍したそうです。

その豪傑ぶりからどこで鍛えたのだろう、そりゃあ英彦山の天狗さんから習うたんやろう、といった具合になったのでしょう。

ちょうど牛若丸が鞍馬山の天狗から剣術を習ったように、英彦山の豊前坊天狗から武芸を伝授してもらった。人ならぬ存在から神通力を得るといった英雄譚につきものの話が六助にもあるようです。

 

細かい経歴はまた別の機会に紹介するとして、ちょうど今、山国町では「かかしワールド」といって、町のあちらこちらでかかしを見ることができます。

そして毛谷村で展示されているのが郷土の英雄・六助。

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毛谷村では、六助を題材にした歌舞伎の演目『彦山権現誓助剣』の様子をかかしで表現しています。

 

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若き六助が師匠・吉岡一味斎に剣術の手ほどきを受けているところ。

足元のはイノシシ。髪の毛とイノシシはシュロ皮でできているようです。

 

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これは成人した六助。立派な体躯を彩るのは鯉のぼり。歌舞いてますねえ(笑)

 

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父の敵である京極内匠(微塵弾正)を仇討ちをするお園。

手前はそれの助太刀をする六助。

 

どれもこれものっぺらぼうなのに、躍動感ある動きで表情豊かです。

かかしワールドは今月の26日まで開催されています。

耶馬溪から英彦山までの道すがら、紅葉と一緒にかかしを見学してみてはいかがでしょう。

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