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五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

3月22日(火)曇り

2011-03-22 23:16:12 | Weblog

 9時起床。イギリストーストとレモンジンジャーの朝食。

 不動産屋から電話がある。今いる部屋をいつ退去するのか、という督促の電話だ。こちらは早く退去したいのだが、移転先の部屋がこの地震によって空かなくなってしまった。だから動くに動けない。その辺の事情は同じ不動産屋の別の担当者から説明を受けているのだが、と伝えると、居丈高だった電話の相手が急に恐縮し始めた。お互いいろいろ大変ですね、といって電話を切る。

 大学に出かける。近所のガソリンスタンドは店を閉めている。行く途中にあるコンビニも品薄な感じだ。

 研究室は、いつもならドアを開けると熱気が廊下に流れ出すような感じなのだが、こちらもスチーム供給が止まっているので底冷えがする。

 パソコンを開くと、午後に緊急の説明会があるとのメールが届いていた。うちの大学も他の東北や東京の大学と同様に、ゴールデンウィーク明けからの新年度スタートという方針がすでに発表されている。だが教育学部の場合、教育実習などのスケジュールがあるために、簡単に1ヶ月先延ばしというわけにはいかない。その辺の対応について説明がされるようだ。

 午前中は諸連絡で過ぎる。明日は学位記授与式だが、ゼミの卒業生から参加を諦める旨、連絡があった。平穏に過ごせるような大学においても、依然として影が落ちている。やるせなさが募る。それでも、まだ、と自分に言い聞かせる。

 スコーラムで昼食。味噌カツの定食にコーヒー。食材が不足するなかで、いろいろとメニューのやりくりも大変なようだ。じっくりと味わう。

 大教室に教員が集まって、新年度の授業日程に関する説明会。教育学部は1年次は他学部と同じように5月9日授業開始、2~4年次は当初の予定通り4月8日から、ということになった。ということは、例年と同様に4月から授業を始めて、夏休みは8月下旬から9月上旬までつぶれる、ということだ。教育学部ならではの不利の被り方だが、こればかりは仕方がない。

 もうひとつ問題なのは、研究室の移転の日取りが白紙になったことだ。半年間の我慢だから、と、多くの文献や資料を倉庫に送ったままだ。新年度に向けて、そろそろあれやこれやと引っ張り出して読み込んでおきたいところ、それがいつになるのかわからない。困った。

 研究室に戻っても、どこか手持ち無沙汰である。いや、やることはあるのだが、スケジュールが崩れてしまって、代わりに何から手をつけるべきなのか、整理できないでいる。

 生協の書籍コーナーに行くと、こちらは普段とあまり変わりはない。だがコンビニのほうに足を向けると、相当な品薄状態だ。パンの棚には何もない。学食に行ってみると、野菜サラダなどはなく、メニューもかなり種類が限られていた。今日の夕食はここで、と思ったのだけれど、いったん手にしたトレイをまた元に戻して外に出る。

 「プリムヴェール」はお休みかと思っていたが、ちゃんと営業していた。ただし当分の間20時閉店とのこと。チキンのマスタード焼きを注文する。こちらはいつもと変わらず、ゆったりと楽しむことができた。何だかほっとした。 

 ガソリンの供給のメドが立たないので、夜は自宅でじっとしている。考える時間と本を読む時間はある。こうした時間を有効に使わなくてはならない。


3月21日(月)雨(東京)→曇り(弘前)

2011-03-22 18:17:02 | Weblog

 9時起床。朝食はトーストとクリームシチュー。外はしとしとと雨が降っていて、昨日の暖かさから一転、かなり冷える。

 実家の牛乳が底をついて、近くの伯父の家に分けてもらいに行く。ガソリンももったいないから、雨のなかを傘を差して歩いた。お茶を出してもらって、しばし世間話をする。持参した小瓶に牛乳を入れてもらって、再び歩く。車はいつもよりずっと少ない。3連休であることを忘れてしまうほどだ。

 出発に備えて荷造りをする。本当は毎週何やかんやで帰京するつもりだったので、しばらく大きな荷物は置きっぱなしにしようと思っていたのだが、そうもいかないようだから、持ち帰ることにした。とローリーバッグにパソコンや衣類、本などを詰め込む。いくらかの食料も持たせてもらう。

 昼食はハンバーグ。午前中から母が準備をしていたもので、先ほど分けてもらった牛乳も、このために使うものだったのだ。両親と3人でおいしくいただく。

 雨が小やみになったので、墓参りに行く。お彼岸であることも、うっかり忘れてしまうところだった。タイミングよく雨が上がって、線香を供えることもできた。墓地の斜面から眺める街並みは、何ら変わるところはない。それがどれほどありがたいことなのかを思う。振り返れば、丘陵も泰然としている。

 そのまま立川の阿豆佐美天神社に行く。僕や弟が七五三のお参りをした神社で、何かあるとこちらで祈祷をしてもらう。今回は格別の思いをもって、お祓いをしてもらった。家内安全にとどまらず、広い安全を祈願する。

 神社の近くのガソリンスタンドが店を開けていた。幸い車列も大したことはなさそうなので、並んで給油する。市内に駅のない武蔵村山市民にとっても、ガソリンの確保は重要事である。何とかぎりぎりのところで給油ができた。もう数台分遅かったら、在庫切れで断られるところだった。

 昭島駅まで送ってもらい、羽田空港に向かう。電車はどれも空いていた。実にスムースに羽田空港に到着する。照明が少し落とされていて、ターミナルはいくらか薄暗い。そのせいか、行き交う人もうつむき加減のように思える。

 ラウンジでコーヒーを飲みながら、夕暮れを眺める。搭乗するエアバスA300-600がやってきた。どんよりとした灰色の空も、やがて藍色に変わっていく。

 ラウンジで同僚の先生とばったり会った。普段は単独行動を好むのだけれど、こういうときには同行の人がいると何だか心強い。

 東京の夜景を楽しみに、窓際の席を取ったが、離陸して数分で、雲の下の景色は見えなくなった。時間通りに青森空港に到着した。

 1週間弘前を留守にしたので、その間の動向について、バスの車内でいろいろと教えてもらった。混乱のなかで新年度を迎えることになる。こういうときに、学校は何をできるか。学校のもつ潜在的な力を試されるときだと思っている。


3月20日(日)晴れ

2011-03-20 22:29:54 | Weblog

 8時頃に目を覚ました。夜中に一度地震があったらしいが、そのまま眠り続けていたらしい。外から差し込む日差しがまぶしい。不思議とよく眠れた。

 昨日買った焼きそばパンを食べる。カーテンを外して、電話機を梱包する。テレビだけは最後の最後までつけたままにしておく。あとは引っ越し業者の到着を待つだけだ。

 引っ越し主は大切な用事があるので出かけていった。僕は一人留守居をする。すると間もなく引っ越し屋さんのほうから間もなく伺います、との連絡があった。ならばとテレビを消して、梱包材で包装する。ここから先はラジオを付けて情報との接点を保っておく。

 前夜のうちに準備はほぼ済んでいたので、僕はただ荷物の搬出を眺めているだけだった。搬出作業中にも余震があって、部屋はガタガタと音を立てた。内心動揺しているが、淡々と作業を進める業者さんの手前、慌てるわけにもいかない。

 荷物がなくなった部屋は、やけにがらんとしている。運び出された荷物の裏からは、ちょっとした「お宝」が出てきた。しばらくそれを見つめる。

 手持ち無沙汰なので、いったん建物の外に出た。「中島書店」という、お気に入りの本屋さんで以下の本を購入した。

・原武史『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書)
・井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』(講談社現代新書)
・海堂尊『極北クレイマー 上』(朝日文庫)
・泉麻人編著『東京考現学図鑑』(学習研究社)

 この書店は、以前にも書いたことがあるのだけれど、ブックカバーの付け方が面白い。文庫や新書のカバーをいったん外して、そこに書店オリジナルのカバーを装着して、そして本のそのものを付け直す、という手間のかかる作業をしてくれる。今回買ったのは4冊で、店員さんにご面倒をおかけするのは重々承知していたが、後ろにお客さんもいないのでお願いすることにした。いかにも古くからの駅前の本屋さんという感じがいいのだ。

 駅前のファーストキッチンでコーヒーを飲みながら『極北クレイマー』を読み始める。3章ほど読んで部屋に引き返す。

 「天府記」という中華料理店で鶏肉と唐辛子のピリ辛炒めの定食を食べる。このお店も何度か食べたお気に入りのお店だ。安くて量が多い。味もしっかりしている。もうたぶん訪れる機会はないだろう。

 すべての後片づけを終えて、この街を後にする。自分の引っ越しでもないのに、どこか名残惜しい。電車に乗り込む。快速電車は東京湾岸を勢いよく駆け抜けていく。だが沿線の東京ディズニーリゾートが閉園中ということもあって、車内の乗客はかなり少ない。やはりいつもとは違う。

 東京駅に着く。エスカレーターは動いているが、動く歩道や電光看板の電気は切られている。何となく寂しいのは、JR東日本の駅を飾っていた、青森への観光をPRするポスターがことごとく撤去されていることだ。東北新幹線の復旧のメドが立たない今となっては、宣伝する意味がないということなのだろうけれども。

 中央線と青梅線を乗り継いで、実家に帰宅する。昨日の朝に出かけたのに、何だか数日ぶりに帰ってきたような気がした。家族揃って「笑点」を見る。震災前に撮影したのだろう、いつもと変わらない番組に心和む。

 バラエティ番組やドラマは、先週放映できなかった分をまとめたようなスタイルが目立った。未曾有の事態にあっても、改変期というスケジュールのなかでの編成というのが見えてくる。

 夕食はカレーライスとカボチャの煮付け、肉じゃが、野菜サラダ。スーパーではカレーのルーなども品薄になっているとのことだった。

 両親の配慮にすっかり甘えさせてもらって、のんびりと過ごす。少しずつ、今週の動きを考える。考えながら仕事ができるのなら、僕個人はもう大丈夫だろう。


3月19日(土)晴れ

2011-03-19 22:58:30 | Weblog

 7時過ぎに起床。トーストと卵焼き、唐揚げの朝食。父に昭島駅まで送ってもらう。

 青梅線の電車に乗る。電車の本数はいつもの土曜日とほとんど変わらないが、節電のために座席下のヒーターが切られている。気温は高くなるとのことだったが、朝方は思いのほか寒い。駅に到着するたびに冷たい風が吹き込む。だが、こんな寒さなんて東北に比べればどうということはない。

 電車を乗り継いで、目的地に到着。今日は引っ越しの手伝いをすることになっている。今回の帰京の目的のひとつでもある。先に用事を済ませて、母が朝握ってくれたおむすびと唐揚げ、卵焼きを食べる。おむすびはたらことじゃこと梅干しの三種類だ。

 腹ごしらえをしたら元気が出た。早速荷物の梱包作業に従事する。段ボール箱を組み立てる。スペースを確保するには箱をどんどん積み重ねていきたいところだが、地震で転倒すると危ないので、控えめにしておく。

 引っ越し作業のときの楽しみは、何といってもおやつだ。駅前のベーカリーで、小さなケーキを買ってきた。コーヒーと一緒に楽しむ。

 テープやら布団袋やらが不足したので、近くのショッピングセンターに買い出しに行く。こちらも節電していて、店内は薄暗い。商品を探すのに苦労する。だが慣れてしまえばこれくらいでも十分なような気がしてきた。要するに慣れの問題だ。

 夕方に大きめの余震に見舞われた。マンションの5階はかなり揺れた。びっくりして部屋を飛び出す。外では子どもたちが「大きかった~」と口々に言い合っている。僕などは3階に住んでいて、それでもかなり揺れる感じがするから、5階、さらにはそれ以上の階となると大変だろう。それにしても一日に一度はハッとさせられる。いつまでも忘れるんじゃない、といわれているような気がする。

 しばらく落ち着かなかったが、豪勢な夕食をご馳走になって、再び元気を取り戻した。途中「出没!アド街っく天国」のスペシャルを見ながら箱詰め作業をする。今日の企画は素晴らしかった。最近の失われた東京をプレイバックする。僕も鮮明に覚えている場所が数多く登場した。

 どうにかこうにか明日の搬出に間に合うように荷造りをすることができた。こんな時期の引っ越しだけれど、とにかく無事に行えるよう、願うばかりである。


3月18日(金)晴れ

2011-03-19 22:41:04 | Weblog

 10時起床。朝食はトーストとマカロニサラダ。すでに両親は仕事に出かけている。

 帰京の前日から、体中に発疹が出て、かゆみに悩まされている。弘前に戻ってから、と思っていたのだが、日に日に症状が悪化してきたので、皮膚科にかかることにした。近所の皮膚科にかかるのはかれこれ10数年ぶりだ。年期の入った診察券を持っていく。

 待合室は混雑していた。じっと順番を待つ。節電で電灯が消されているが、日当たりのいい待合室は明るい。時々ウトウトしかける。ずいぶんと待った割には診察時間は短かった。アレルギー治療薬と軟膏を処方される。どうやら花粉症との関連もあるようだ。

 昭島駅の辺りは正午過ぎから計画停電とのことで、モリタウンの専門店街などはさっさと店じまいをしてしまった。対してエスパのほうは停電したら閉店します、と宣言して、そのまま営業を続けている。たくましい。

 おかげでスターバックスのコーヒーを飲むこともできずに帰宅する。昼食は仕事から帰ってきた両親と一緒に食べる。どうもみんなどこか手持ち無沙汰である。

 午後に伯父さんを訪ねて行った。つい先日大きな手術を受けて、退院したばかりなのに、僕のことばかり気にかけてくれていたようだ。心遣いが何ともありがたい。

 イオンモールに買い物に出る。つい先ほどまで計画停電を想定しての一時閉店をしていたようだが、ちょうど再開店したようだ。いつになく人が少ない。何だか気味が悪いくらいだ。映画館は当然休業である。

 何か元気が出るようなことはないだろうか。幸い、今日もうちの辺りは計画停電を免れそうである。松原名倉堂に行ってみる。こちらはいつもと変わらぬ活気であった。先生方もずいぶんと心配してくれたようだったが、無事に今日もグリグリと揉んでもらうことができた。

 夕食はクリームシチュー。この温かさを、幸せとともに味わう。学部からは、在校生本人は全員無事、との連絡が届いた。まずはよかった。だが彼ら彼女らと関わる人々すべてが無事というわけではない。重たい日々を、これから分かち合っていかなければならない。


3月17日(木)曇りのち晴れ

2011-03-18 15:40:22 | Weblog

 9時起床。昨夜はパジャマを着て、テレビもつけずに眠った。こうやって安眠できたのは久しぶりのような気がする。

 萌留珠のパンを食べる。久しぶりに食べた。これも両親がわざわざ買い置きして置いてくれたものである。いろいろ気遣いをしてもらって、すっかり甘えさせてもらっている。

 今の僕には、そう大した不安があるわけではない。だが、どこか力が抜けて、やるべきことは多々あるのに、何から手をつけたらいいのか、わからなくなっている。東京ではいろいろと用事があったのに、多くがキャンセルになって、スケジュールがぽっかりと空いてしまった。

 母が昼食にちらし寿司を作ってくれた。みんなで食べてから、弟夫婦の家に行くことにした。国道16号を走る。かろうじて営業しているガソリンスタンドには、長蛇の列ができている。どこまでが給油待ちなのかもわからないほどで、後方の車はそのまま渋滞と思っているようであった。

 圏央道を走って、弟の家に行く。昼寝をしていた姪っ子が起きてきた。こちらはかなり揺れたようで、家の内壁に大きなひび割れが走っていた。それ以上に弟は震災直後の対応で相当に疲労したようだった。今日は早めに帰宅している。父と弟と僕の3人で、ごろうの散歩に出かける。風が冷たい。こうして歩いている分には、何にも変わらない日常のように思えるのだが。

 姪っ子は世間の混乱も知らずに、無邪気に部屋のなかを歩き回っている。その姿を見ていると何ともいえず心が和む。さっきは昼寝から起きたばっかりで少々ぐずっていたが、もうすっかり絶好調だ。

 計画停電に備えて、明るいうちに帰ることになった。途中立ち寄ったショッピングモールでも停電に向けて早じまいをしていた。

 帰りも圏央道を走る。真っ正面には富士山が見える。車のなかからしんみりと眺める。

(写真はバックシートから撮影したものです)

 国道16号は、行きと同様にガソリンスタンドに向かって長い車の列ができていた。

 夕食は鶏の唐揚げを食べる。いつも以上に自宅での食事を味わって食べた。「空から日本を見てみよう」「和風総本家」という、テレ東のお気に入り番組を見る。何だかとても気持ちが安らいだ。

 プロ野球の開幕がセ・パで分かれることとなった。たった12球団でも足並みが揃わないというのには呆れてしまう。「盟主」とは一体何なのだろう、コミッショナーの存在意義とは何だろう、と考えてしまう。


3月16日(水)曇りのち晴れ

2011-03-16 23:16:18 | Weblog

 8時起床。やはり寝覚めの悪い朝である。朝食は摂らず、さっさと支度をしてホテルをチェックアウトする。

 大井町に泊まったのは、今日の目的地に行くためのルートが2つ確保されているからであった。ひとつはりんかい線、もうひとつは京浜急行バスである。りんかい線の大井町駅に行くと、電車はそこそこ動いているようだったので、そのまま移動した。

 病院に行き、受付を済ませる。今日は一日がかりで検査だ。1階のコンビニに行って、文庫本を物色する。待ち時間にアカデミックな本を読むのはどうも苦手だ。だから宝島文庫の「タブー」シリーズなんかを買ってしまう。こういう本を読んでいると気が紛れてよい。

 院内も節電で、エスカレーターは停止しているし、中待合の自動ドアも開放されたままだ。テレビの音声が聞こえる場所に腰掛けて順番を待つ。
 
 午前中の検査が無事に終わり、ようやく今日最初の食事。病院内のレストランでポークピカタのランチを食べる。次の検査まではずいぶん時間がある。コーヒーを飲みながらのんびり構えていたら、例の緊急地震速報の警告音が鳴る。病院の1階でもずいぶん揺れた。テレビの前に人だかりができる。一日に一度はこうした余震にドキリとさせられる。

 午後の検査はかなり前倒しで行われた。それ以後は読書をしようという気にもならず、カバンに入れておいた『東京都内乗合バス・ルートあんない』を眺めながら、鉄道が止まった際の帰宅ルートを考えていた。

 診察も終えて病院を出ると、強い風が吹いている。この地震のことですっかり忘れていたが、今日は花粉症がひどい。急に思い出すことになった。

 都営バスで門前仲町に出る。いつもなら車窓の眺めが楽しいバスでの移動も、今日はどこか落ち着かない。地下鉄東西線で大手町に出て、中央線に乗る。予想に反して、電車は空いている。乗った電車は立川行きだったが、通勤快速も走っている。沿線は夜になっているのだが、暗い。計画停電のためではなく、節電で電気を点けていないところも多いようだ。

 青梅線への乗り換えもスムースで、父に昭島駅に迎えにきてもらって、無事に帰宅することができた。伯母さんが揚げてくれたてんぷらを食べる。こういった普段通りの食事がやけにうれしい。何よりもみんなで食べる食事というもののありがたさを感じた。

 テレビ東京の「いい旅夢気分」を見る。こんなときだからこそ、かえっていつも通りの番組がいい。震災報道はもちろん重要で、それが助けになっているところは大きい。しかし全部が全部そうなってしまうと、かえって不安は増大する。だからこういった「息抜き」できる場が必要なのだ。


3月15日(火)曇り(弘前)→曇り(東京)

2011-03-16 22:26:17 | Weblog

 9時起床。朝食はイギリストーストとレモンジンジャー。それなりに睡眠時間は確保しているにもかかわらず、テレビとラジオを付けっぱなしにしているせいか、どうも体が重い。おまけに全身に湿疹が出ている。心身のバランスが崩れているのだろうか。

 大学には出ずに自宅で仕事をする。連絡も自宅のメールで行う。昼食はレトルトのカレーライスと味噌汁。よく噛みしめながら食べる。

 東京へは飛行機での移動となる。東北新幹線は当分走りそうにない。「はやぶさ」は、走り出してからわずか1週間で走るすべを失ってしまった。どんよりと重たい空の下で、青森空港行きのバスを待つ。予定よりも1本早い便に乗った。時折雪が舞ってくる。昨日の暖かさは失われてしまった。この寒さが被災地を襲うのか、と、虚ろな気持ちで思う。

 空港の気分も重たい。狭い空港ラウンジを早めに出て、荷物検査を通過し、待合室のテレビを眺める。時間があっという間に過ぎていく。そしてつい先日、青森便から撤退したエアバスが、こんな形でまた戻ってきた。陸路が断たれて増大した需要に応えるための復活である。

 もともと通路側だった席は、機材変更のおかげで窓際になっていた。じっと外の景色を眺める。厚い雲が覆って、陸地はほとんど見えない。

 操縦席からのアナウンスも、いつもとは違っていた。型どおりのお見舞いのことばがあった後、自身が飛行訓練を受けた仙台の航空学校の被災について言及し、その切なる思いを語っていた。今まで聴いたどのスピーチよりも、心に沁みるものだった。

 日暮れの空を、飛行機は快適に飛んだ。少しずつ夜になっていく時間をぼんやりと過ごす。揺れるとのアナウンスがあったが、それほどでもなかった。もっとも着陸したときにはあちこちに汗をかいていたが。

 空港からのバスで大井町に移動する。実家に帰るつもりでいたが、明日の用事と交通機関の混乱を考えて、こちらのホテルに泊まることにした。

 京浜東北線の電車は、何の変わりもないかのように走っている。一見すると普段通りのようにも思える。ただし街が節電モードになっているせいか、少しばかり暗く感じる。

 夕食は「とんかつ丸八」というお店に入った。何となくとんかつが食べたかったのだ。店先から中が見えなかったので、少々不安であったが、入ってみるとお客さんがたくさんいて、店員さんも元気で活気がある。何だかこのお店の雰囲気がうれしい。

 並とんかつ定食を注文する。カウンター席で、かつが揚がるのを待つ。特段気取ったところはなくて、ごくごく普通のとんかつ、といったところ。今は様々な凝ったとんかつがあるなかで、昔ながらの普通っぽさがかえってとてもうれしい。キャベツとご飯のおかわりをした。いい夕ご飯だったなあ。

  駅前のイトーヨーカドーの地下を覗く。モノがないのに驚く。弘前のほうがよっぽどマシだ。ここまで品不足になっているとは…。近所のコンビニも何軒か回ってみたが、ほぼ同様であった。青森よりも東京のほうがずっと混乱しているようにさえ思える。

 今夜はホテルでじっとしている。そのうちに大きな揺れを感じて、驚く。今夜はホテルの寝間着に着替えていたのだが、慌てて私服に着替え直した。だが部屋から出ると、フロアはしんとしている。富士宮市は震度6を記録した。おそらくうちの先祖代々のお墓の石は倒れてしまっているだろう。すぐにでも駆けつけて直してあげたいが、そうはいかない。

 ここ数日と同じ形で眠る。2時41分の緊急地震速報の音で飛び起きる。揺れを覚悟して身を固めていたが、ほとんど揺れは感じなかった。それからはしばらく眠れず。 こんな夜はいつまで続くのだろうか。


3月14日(月)晴れ

2011-03-15 00:58:43 | Weblog

 8時起床。暖かな朝だ。平穏な一日の始まりだが、テレビはまったくの非日常を伝えている。朝食はイギリストースト。昨夜立ち寄ったコンビニでたまたま入手することができた。

 僕にしては比較的早い時間に大学に出る。大学の正門のあたりには受験生が集まってきている。今日、延期になった大学入試に関するアナウンスがされることになっている。

 教育学部の前に来ると、同僚の先生から12日の試験を受けにきて、そのまま帰ることが困難になった受験生や親御さんが多数いることを教えられた。これまでの3日間、さぞかし不安な時間を過ごされたことだろう。ようやく朝から本格的な対応がされるようになったと聞いた。

 研究室でゼミ生に安否確認のメールを送る。一部のゼミ生とは連絡がついていたが、あらためて全員に確認を取ってみる。幸い早くに無事を伝える返信が届く。しかし全員ではない。気がかりだ。

 館内放送で、大学に出ている教員が集められ、「延期」になった入試の「中止」が伝えられた。もっとも、毎日新聞は今日実施するかのような「誤報」を打ったようである。僕は長年毎日を愛読しているが、その記事を見落としていた。大きな混乱を招かなかったのは、こちらでは毎日の購読者が少ないからかもしれない。あとで帰宅して確認してみると、確かに「誤報」の記事は掲載されていた。記事の内容は以下のとおりである。

「弘前大入試 きょう実施  弘前大学は13日、入学試験後期日程を14日に実施することを決めた。当初は12日の予定だったが延期していた。」(3月14日付15面)

 小さな記事とはいえ、ちょっと信じられないようなミスである。毎日新聞はスクープも多いが誤報も多い。その辺も好きなところではあるのだが、自分の職場に関わるこういった誤報を出されるのはどうもねえ。

 学部からも教員と学生の安否確認を行うよう指示が出された。すでにメールで確認できた分に加え、返信がない学生や、新しくゼミに入ってくる学生には、電話をかけて確認する。電話がつながって、直接声を聞いたときには、何ともいえずほっとした。学生たちのなかには、ご家族といまだに連絡がつかない人も少なくない。さぞかし心配だろう。僕らがしてあげられることはわずかだけれども、とにかく話せることがうれしい。本当にうれしい。

 何とかお昼までにすべてのゼミ生の安全を確認することができた。

 講座の先生方で分担した安否確認の情報を、1枚のシートに転記していく。気がかりなのは自分のゼミ生ばかりではない。学生たちの顔を思い浮かべては、ときに安心し、またときに心配する。

 各方面への連絡に追われる。安全を伝えてくれた学生には一人ずつ返信を送る。ここ最近では最も多くメールを送信した一日になる。僕自身の安否を気遣ってくれた友人や先輩にも返信をした。

 16時に収集した情報を取りまとめて事務方に提出する。事務の皆さんは、われわれが確認できなかった学生を対象に、引き続き確認をしてくれる。事務の方々もわれわれ教員も協力してことに当たらなくてはならない。

 先ほど招集された説明会のなかで、限られた重油を附属病院に重点的に回すため、今日の午後からスチーム暖房の供給が打ち切られる旨、アナウンスがあった。それこそ電力や燃料事情を慮れば、仕方のないことである。だが、この先どうなっていくのだろう、という不安感をぬぐい去ることはできない。いや、われわれの不安感なんて、そう大したことではないのだ。

 テレビとインターネットで、東京の状況の把握に努める。明日からの帰京は、先がどうなるか、皆目見当がつかない。とことん歩くつもりで帰る。


3月13日(日)曇り

2011-03-15 00:33:18 | Weblog

 10時起床。付けっぱなしのテレビは、繰り返し被災地の映像と原発の映像とを交互に流し続けている。果たしてこれが必要とされている情報なのだろうか。いや、実際に必要としている人は大いに違いない。だが、ローカルな情報はほとんど入ってこなくなった。やはりラジオが手放せない。

 自宅の固定電話は、携帯電話と比べてかなりつながるようになっている。だが、普段滅多に使用しないうちの電話は、SHARPのUX-MF40CLという、名うての欠陥機で、とにかく通話性能がよろしくない。子機(そもそも親機がない)で通話していると、自分の声ばかりが大きく聞こえ、しかもキーンというハウリング音がたびたび入るので、比較的ましな場所というのを移動しながら探さなくてはならない。

 やはり服のままで眠ると、どうもよく眠った感じがしない。もちろんテレビやラジオを付けっぱなしにしているせいもあるのだけれど、いろいろポケットに入れたままだから、寝返りを打った際などに、腿だの胸だのが痛くなる。だが用心に越したことはない。

 昼食はレトルトのカレーとフリーズドライのもずくスープ。食事のありがたみを噛みしめながら食べる。

 弘前駅まで歩いて行く。みどりの窓口や券売機にはシャッターが下りていて、駅員さんが払い戻しの対応をしていた。新幹線の復旧見込みを尋ねてみたが、皆目わからないとのこと。日本海縦貫線のほうは比較的早く走るでしょう、とのことだった。なぜかテレビは新幹線の被災状況をちっとも報道してくれない。どうも同じようなところに偏って、知りたい情報が皆目わからないというもどかしさがある。

 駅ビルのドトールは営業していたが、フードメニューは限られていた。ミルクレープのケーキセットを注文する。ぜいたくをしている自分に後ろめたさを感じつつ、でも何だかこういったものを食べているとどこか安心する。

 乾電池は軒並み単1形が品切れ状態である。もっとも僕のダイナモ式ラジオや蛍光灯形の懐中電灯は単3と単4使用なので、まとめて仕入れておいた。

 イトーヨーカドーの食料品売り場に行く。思っていたほど混雑はしていない。品揃えもそれほど普段とは変わらないような気がする。ただし米とパンは完全に売り切れていた。これらはもうしばらく手に入らないだろう。缶詰などを買い込んで帰宅する。

 テレビをずっと見ていると、被害の状況や原発事故のリスクといったものに、感覚が鈍磨していくような気がしている。そういったものにすっかり馴らされてしまっているような、不思議な感覚だ。

 夕食を摂り、しばらくして桃太郎温泉に行く。いつものように人がいて、ほっとする。だが交わされている会話に耳を傾けると、沈鬱な気持ちになる。

 帰宅して、『レ・シトワヤン』のゲラの校正をする。4年生の卒論要旨で、本来は書いた当人が直すところなのだが、皆実家に帰っていて、郵送するといつ到着するかわからない。幸い3人とも無事であることはわかっている。それでも不安で不便な生活を送っているようだ。朱を入れながら、それぞれの境遇を思う。それを思えば、これくらいの作業はどうということはない。


3月12日(土)晴れ

2011-03-14 23:44:26 | Weblog

 7時に目が覚めた。もうこれ以上は布団にくるまっていても無駄だと観念して、起き上がる。ガスが使えることに気がついた。どうやらガスは昨日も大丈夫だったようだ。

 バナナ1本とカロリーメイトを食べる。お湯を沸かせたので、熱いお茶を飲む。スーツに着替えて大学に出る。大学から弘前駅のほうに向かって歩く受験生と思しき人々とすれ違う。正門に着いてみると、今日の後期日程の試験は「延期」とのアナウンスがされていた。

 停電は続いている。教育学部の建物に、時間限定で入ることができた。だが入ってみたところで何もすることはない。今日も地理学研究室にお邪魔して、先生方と情報交換する。ラジオが大いに役立つ。NHKよりもRABのほうを聴く。地方局のほうが地域に密接した情報を提供してくれる。

 建物を出なくてはならなくなったので、帰宅する。スーツを脱いで、再びポケットにあれこれ詰め込んだ服装に着替える。まだ10時半だ。もうとっくに正午を過ぎているような気がするのに。

 ダイナモ付きラジオで携帯電話の充電ができることがわかった。ダイナモのハンドルをぐるぐると回すと、充電ができる。かなり電池の状態が悪くなってきたので、単調な作業を淡々と続ける。今の僕にはこれしかできることがない。何も考えずにぐるぐると回し続ける。

 正午の時報を聴いて、フライパンで冷凍のチャーハンを炒めて食べた。ガスが使えるというのはありがたい。普段はレンジでチンして食べているのだが、ちゃんと炒めたほうがおいしく感じた。いや、こういう状況だからこそそう思えるのだろう。食べ終えると、再びダイナモのハンドルを回す。

 余震も収まってきたようなので、外出することにした。車のガソリンはあまりないが、近場ならば大丈夫だろう。コンビニの駐車場はどこも満杯だ。城東のショッピングセンターに行ってみる。電器店は電池などの販売のみ、スーパーも店は開いているが、入店制限をしていて、行列ができている。僕も並んでみたが、まだ食料はあるな、と思い直して、結局何も買えずに帰宅した。

 ガソリンスタンドにも長蛇の列ができていた。だが近所のスタンドが店を開けたばかりのようで、まだ列は短い。スクランブル発進して、5台ほどの列に並ぶ。だが給油は10リットルに制限されていた。

 14時を回ったところで、電力が復旧した。真っ先にテレビをつける。映像を見られるようになって、ようやく被害の甚大さを実感することができた。ラジオの音声からイメージしていたことをはるかに越えていた。

 少しして、今度は歩いて外出する。マクドナルドの回転看板が回っていたので、大して食べたくもないのに店に入り、ハンバーガーを食べた。いざ食べてみると、やけにおいしく感じられた。

 イトーヨーカドーは本日も休業で、明日には店を開けるようだ。結局、食料に関しては何も調達することができなかった。

 帰宅して米を炊く。夕食はレトルトカレーとフリーズドライのスープ。ご飯を食べると何だか力が出たような気がした。

 風呂の浴槽には非常用の水を張ったので、シャワーのみで済ます。少々寒い。だがこたつに入ると、その暖かさに、いかに自分が恵まれているのかを実感した。

 今日も早くに眠る。本を読む気も起きないのだ。洋服のままで、枕元にはラジオをかけ、テレビもつけっぱなしにして眠る。時折緊急地震速報の音声によって目を覚ます。余震が来ると、飛び起きる。そんなことを繰り返しているうちに、だんだんと小さな余震には驚かなくなってきた。こうした「慣れ」が怖い。


3月11日(金)曇り時々雪

2011-03-14 23:24:24 | Weblog

 9時起床。朝食は昨日拝島駅のリトルマーメイドで買ったパン。金曜日なのだが、昨日まで東京にいたものだから、何だか月曜日のような気がする。

 雪がちらちらと降るなかを大学に出る。いろいろと郵便物がたまっていたり、連絡すべき用件も重なっている。午前中は事務処理であっという間に過ぎていった。

 スコーラムで昼食。パスタとコーヒーを注文する。しばらく読書をして、会議に行こうと思ったところで、研究室にネームプレートを忘れてきたことに気づく。明日は後期入試だから、ネームプレートがないと建物に入れない。

 あらためて総合教育棟に入る。男女共同参画推進室のミーティングがある。推進室は手狭なので、向かいの学生ホールの円形テーブルを並べて席に着く。

 会議が始まって45分ほど経ったときに、大きな横揺れがした。ゆらーん、ゆらーん、と大きく揺れる。しかもなかなか揺れが収まらない。ここは1階だ。1階でこの揺れだとすると相当のものだろう。間もなく電気が落ちた。そのときにはすぐに復旧するだろう、と思っていた。だがなかなか電気は点かない。

 そのまま会議は続いたが、そのうちどの建物では避難命令が出た、といった情報が入ってくる。だがわれわれのいる建物に関してはそんな放送も入ってこない。携帯電話のワンセグ放送をつけてみる。お台場のフジテレビの向こう側で建物から火が出ている映像が流れている。次第に事態が深刻なものであることがわかってくる。それでも会議はひととおり用件が片づくまで続いた。

 ようやく研究室に戻る。すでに相部屋の先生方はお帰りになったようだ。携帯電話のバッテリーが怪しくなってきたので、ポケットラジオの電源を入れる。用心のためにいつもカバンに入れておいたのだが、電池が切れている。インタビュー用のICレコーダーのために用意して置いた電池を入れる。受信状態がよくない。

 こういうときには専門家の側が安心、と、お隣の地理学研究室にお邪魔する。続々と入ってくる情報に眉をひそめる。状況は刻一刻と悪化しているようだ。もし一人でいたら、到底落ち着かなかっただろう。

 頃合いをみて帰宅した。研究室に備蓄してあったカップラーメンなどをすべて持ち帰る。ペットボトルの水も持ち帰った。雪が静かに降っている。信号はすべて消えている。携帯電話には何本もメールが入っていた。公衆電話から安全であることを伝える。実家のほうもかなり揺れたようだ。

 アパートに帰ると、大家さんにお会いした。申し訳なさそうに、電気・ガス・水道全部ダメです、といわれた。

 部屋に入って、押し入れの奥にしまってあった灯油ストーブを出す。以前父に買っておけ、といわれて、それから3年近く眠っていたものが、ここでようやく出番となった。

 ありったけの懐中電灯を集める。これまた父にいわれていたこともあって、6つほど買い置きがあった。ストーブでお湯を沸かし、カップラーメンを食べる。弟の結婚式の引き出物でもらった、ダイナモ付きのラジオを聴く。携帯電話の乾電池式充電器が壊れていることがわかる。困った。

 外は雪がしんしんと降っている。そして外は真っ暗だ。再び公衆電話で連絡を取る。幸い、どちらへもスムースにつながった。

 部屋に戻ると、服を着たまま布団に入る。ポケットには必要なものを入れて、靴は枕元に置いた。余震でたびたび目が覚める。なかなか寝つけない。ただひたすらに明るくなるのを待つ。少しばかりまどろんで、余震で目を覚まし、時計を眺めて、まだ朝が来ないことにがっくりする。ただただ外が明るくなるのを待っている。


2月27日(日)雪

2011-03-10 01:03:37 | Weblog

 11時起床。朝食は省略。それなりに眠ったはずなのだが、疲れが抜けない。気だるく日曜日のお昼の番組を見ながら、昼食のパスタを食べる。

 それにしても部屋がえらい散らかりようだ。脱ぎ捨てた服と乾いた洗濯物とがごっちゃになって、ひどい有様である。今日は一日片づけに充てることにした。掃除機もちゃんとかけなくては。

 窓の外は雪が降っている。間もなく2月も終わろうとしている。まだ2月なのか、それとももう2月(の終わり)なのか、どちらともつかないような心持ちでいる。新年度まであと1ヶ月とちょっとだ。それでも例年の春休みと比べると、今年はいくらか落ち着いているような気がする。ふと昨年の今ごろがどんなだったかを覗いてみたら、今と大して変わりはしない。ということは、多少なりとも余裕が出てきたということなのかもしれない。

 車の雪を下ろして買いものに出る。今年は灯油の消費ペースが速い。例年よりも自宅にいる時間が長いせいか、それとも単にストーブを焚く時間が長くなっただけだろうか。それにしても灯油が高いな。ほんの少し前までは、18リットル1缶は1,000円あればお釣りがきていたような。一人暮らしのせいか、光熱費というものにあまり頓着していない。こういったところから生活の見直しが必要なのかもしれない。

 「笑点」を見る。スリムクラブは面白い。

 夜になってもちっとも片づきはしない。来月には部屋を引っ越しするのだから、それほど根を詰めてやらなくても、という気持ちでいるのがいけないのかもしれない。

 自宅で夕食を摂り、福家に出かける。雪道を走るのは少々難渋したが、そうやって足を運ぶだけの価値はある。じっくりと温まった後で、冷たい空気に触れる。気持ちがいい。


2月26日(土)晴れ(札幌)→曇り(弘前)

2011-03-10 01:01:16 | Weblog

 8時起床。すぐに支度をして、札幌駅に向かう。予約していた列車よりも1本早いものに変更しようと思っていたのだが、生憎満席だった。自由席に並ぶという手もあるが、やっぱり窓際の席で座って帰ろう。しばらく時間をつぶすことにした。

 映画でも観ようと札幌シネマフロンティアに行ってみる。すると「午前10時の映画祭」というのをやっている。これから始まるのは「シベールの日曜日」という作品だ。まったく予備知識はない。だがこれも何かの縁と思って観ることにした。

 第一次インドシナ戦争で活躍したパイロット、ピエールは、事故によって記憶を失っている。そんな彼を恋人マドレーヌや友人たちはあたたかく見守るが、それでも満たされることはなく、日々駅へと通っている。記憶の断片を求めて。そんななかで、彼はフランソワーズという少女に出会う。父に棄てられ、寄宿学校に入れられた少女と彼との交流が始まる。

 2人は自然のなかで、日曜日をともに過ごすようになる。だがそうした2人は、やがて周囲の好奇の目にさらされ、引き離されていく。最後のときに、彼はフランソワーズの本当の名前を知る。しかし束の間の幸福の時間の後、彼は命を絶たれてしまう。

 モノクロ映画だが、木々の瑞々しささえ伝わってくるような、美しい映像である。そして、単なる恋愛や友情の物語としてではなく、贖罪や反戦のメッセージも込められている。ピエールは、戦争で殺してしまった少女とフランソワーズとを重ね合わせているのだ。だからこそ、フランソワーズとの交流は、彼にとって人生を取り戻すための機会にもなっているのである。

 思いがけず、いい時間を過ごすことができた。列車の時間にもちょうどいい。札幌駅のホームで駅弁を買い、「スーパー北斗12号」に乗り込む。電車のなかで駅弁を開く。中にお品書きが入っているのだが、ん、なんだか書いてあるものと中身とがずいぶん違うぞ。確かに「一部食材が変わることがあります」といった但し書きがあるものの、それにしても違う。なんだかなあ。

 復路は山側の座席を取った。うつらうつらしながら、時々目を覚ましては景色を見る。JR北海道の特急車両は、今どの辺を走っているのかを電光表示してくれるからわかりやすい。ああ、今ここいらで、あれはどの山か、といったことが容易にわかる。

 明るい内に函館着。新青森行きの「スーパー白鳥40号」に乗り換える。

 だんだんと曇っていて、せっかくの海側なのに、函館山はほとんど見えなかった。北海道の景色にしばしの別れを告げる。

 青森駅に到着するころにはすっかり暗くなっていた。青森駅で乗り換えるか、新青森まで乗っていくか、少し迷って後者を選ぶ。少しでも長く特急列車に乗っていたいけれども、接続列車を待つのには新青森だと少々退屈する。

 19時過ぎに帰宅する。仕事の内容の割には少々くたびれる出張だった。自宅で夕食を摂り、桃太郎温泉に浸かる。旅の疲れを癒やすには、近くの温泉が何よりである。


2月25日(金)曇り時々雪

2011-03-10 01:00:15 | Weblog

 6時半起床。朝食は昨夜コンビニで買っておいたパンとコーヒーで済ませる。

 地下鉄に乗って出かける。この地下鉄独特の、ジュー、という走行音が好きだ。乗り心地もまた格別。
こちらでの用務は滞りなく終わった。お弁当を食べて、バスを待つ。時折雪が舞い、文字通りの凍てつくような寒さである。

 札幌に戻る。まだ何とか弘前に帰れる時間だが、こちらにもう1泊することにした。快速「エアポート」に乗り、小樽へと向かう。車窓から見る海は、これまた寒々しい。

 小樽駅前からバスに乗る。この街を訪れたからには、まず足を運ばなくてはならないところがある。小樽のおじいさんの家である。ここ最近は、連絡もせずにいきなり訪れている。

 おじいさんの家に行く前に、そう遠くないところにある小林多喜二のお墓にお参りしようと考えた。だが墓地に行ってみると、すっかり雪に覆われて、墓参りどころではない。雪のなかに墓石の先端がちょこんと顔を出している。また春になったらお参りすることにしよう。

 おじいさんの家を訪ねる。今日も暖かく、しかしいつもの口調で出迎えてくれた。少々口が悪いのは、元気な証拠だから、僕としてはかえってうれしい。手みやげを持参したら、「今度こんなものを持ってきたら(気を遣うのなら)出入り禁止にするぞ!」といわれた。でもまた今度訪れるときにも、何かを持っていくだろう。そういう気にさせてくれる人なのだ。

 短い時間の間にも、また面白い昔話を聞かせてもらった。ビジネスマンとしての誇りが伝わってくる。また春にでもお邪魔させてもらいますよ。

 バスで小樽市街へと戻る。駅まで行かずに小樽市役所を訪れる。堂々たる庁舎は、外観よりも内部の意匠のほうが面白い。細部まで実に凝っている。

 ここから無謀にも近代建築めぐりを始める。凍てつくような寒さ、加えて時折雪も吹きつける。だが何だか無性に歩きたくなった。じっとしていると気分が悪くなりそうだったから。あまりの寒さに、デジタルカメラのレンズカバーの動作がおかしくなった。かまうもんか。手でこじ開けて、シャッターを切る。

小樽組合教会(日本基督教団小樽公園通教会)

小樽無盡(株)本店(おたる無尽ビル)

小樽聖公会

水天宮に向かう道から街を眺める

水天宮

 念のため雪用のブーツを履いてきたのだけれど、ぐしゃぐしゃになった。スーツのズボンの裾も濡れている。それでもかまわずに歩く。頬の感覚がだんだんなくなってきた。

 日が落ちたところで、メルヘン交差点のほうに下りていく。灯の点った建物は実にいい雰囲気である。

共成株式会社(小樽オルゴール堂)

戸出物産小樽支店(スーペニールオタルカン)

 堺町本通りを歩いて、僕の好きな交差点に至る。

北海道拓殖銀行小樽支店(ホテルヴィブラント小樽)

旧三井銀行小樽支店

 小樽運河も少しだけ覗いてみた。さすがにこの寒さで、人出は少ない。それでも記念撮影を頼まれる。手が震えてぶれないか気を遣った。

 何か温かいものが食べたくなった。お気に入りの洋食店「マンジャーレ」で、あったま~れを食べる。うん、やっぱりうまい。そしてほどよく体も暖まった。

 小樽駅から各駅停車に乗る。快速「エアポート」の車両だから、uシートが付いている。この車両を目がけて並んで、首尾よくリクライニングシートに座る。

 札幌駅からホテルまでは歩いて帰った。時間は21時を回ったところ。まだまだこの街は明るい。

 今日はよく歩いた。大きな風呂でよく温まって、よく寝られそうだ。