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五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

9月6日(土)晴:報告にみる東アジア流

2008-09-12 00:38:31 | 仕事
 7時半起床。一日が濃厚なせいか、ぐっすり眠って気持ちよく目が覚める。ほとんど夢をみることがない。シャワーを浴び、近くのホットドッグの店で朝食。しかしホットドッグ1つとカフェオレ1杯で700円くらいするのだから、やっぱり割高だ。

 午前中はRC34以外のところをみることにした。9時からのセッションはRC4(教育社会学)のトランジッション研究の部会。ああ、教育社会学は外国においても教育社会学だ、と妙な安心感を覚えてみたり。統計を使って、こんなん出ましたけど、といったものが主流。ただし統計分析の手法はかなりベーシックな感じ。続いて本部校舎のほうに移動して、RC38(バイオグラフィー)の若者研究の部会を覗く。入れ墨の意味をカテゴリー化した分析と修復的司法のエスノグラフィーの報告が面白かった。

 本部校舎のほうは石造りで実に重厚。こんな大学建築は日本ではありえないなあ。

 ウニベルジタット駅近くのカフェでボロネーゼを食べる。昨日のイタリアンレストランでパスタを食べ損ねたからなのだが、どう考えても茹ですぎで、麺にコシがない。これなら僕が休日に自分で茹でているもののほうがうまいぞ。それで6ユーロだからなあ。

 このフォーラムの昼休みは長い。1時半から3時半まで2時間もある。少しの間ホテルで休む。プログラムをみていると、同じ時間に2つの会場(教室)でRC34のセッションがある。しかし司会者の名前は同一だ。どういうことだろうと思って会場に行ってみると、2つのセッションを合同でやります、とのこと。でも時間は2時間と限られているからどうなるんだろう、と思ったら、報告予定者のうち、実際に会場に来ていたのは半数以下だった。どうやらこの「無断欠席」を見越してこういったプログラムになっているらしい。日本の学会で直前キャンセルなんてやらかしたら、あれこれインフォーマルな圧力がかかるもんだがなあ。

 A先生、T先生、I先生の3人による日本の若者調査の報告は、きちんとペーパーが配られ(しっかり論文になっている)、パワーポイントもみやすく美しい。ここまでみてきた報告とは段違いにきちんとしている。データ分析も論理構成も群を抜いている。そのレベルの高さに、ただのオーディエンスなのにやたらとうれしくなる。アメリカの研究者はほとんど出てきていないが、日本の社会学のレベルは高いのだ、と思う。

 その後の香港の報告者の報告もまたペーパー、パワーポイントもしっかりしていた。どうも几帳面にしっかりプレゼンテーションを用意してくるのが東アジア流らしい。なかには早口で原稿を読み上げるだけで、ほとんど理解することができない報告もある(もっともこれは僕の英語力のなさが悪いのだ)から、その辺の文化の相違が面白く感じられる。

 5時半までRC34のセッションを聴き、ホテルに戻る。8時少し前に今宵もイアンさんと合流。たまたま彼がみつけてきたクラシック・ギターコンサートに行くことになっている。同行のメンバー全員参加だ。

 会場のカタルーニャ音楽堂は、カラフルで細やかな装飾が目を引く楽しい建物だ。もちろん歴史的建造物でもある。歌舞伎座の幕見席くらいの高さから、客席とその向こうにある舞台を眺める。

 ギター奏者はマニュエル・ゴンザレスさん。有名な人らしい。選曲は有名なものが中心。モーツァルトの「魔笛」をギター曲にアレンジしたもの、「アランフェス協奏曲」、「スペイン組曲」、そして「アルハンブラの思い出」などなど。一番面白かったのは、プログラムの最後に用意された「グラン・ホタ」。ゴンザレスさんのアレンジ版で、ギターを叩いてティンパニーのような音を出したり、ハーモニクスを駆使して多彩な音色を聴かせてくれた。アンコールでは「禁じられた遊び」を弾いてくれた。今まで聴いたなかで最も美しい「禁じられた遊び」だった。久々にギターコンサートに行って、僕もまたギターをやりたくなってきた。日本に帰ったら安いギターを買おうか。持って帰れるなら、こちらではいいギターがとても安く売っているのだけれど。

 素晴らしいギターの演奏は、僕のような浮かれ者には大きな感動を、そして報告に全力を注いだ先生方には心地よいうたたねのひとときを与えてくれた。

 音楽堂近くのお店で、今宵もカタルーニャ料理を楽しむ。貝料理がひときわおいしい。ジューシーで味が深い。パエリアは少し水気が多いような気がするが、これまたうまかった。スペイン料理はクセがなく、日本人には食べやすい。

 相変わらずランブラス通りの辺りは深夜だというのに賑やかだ。ライトアップされた建物を見上げながらホテルに戻る。

8月29日(金)曇:責任

2008-08-31 02:19:54 | 仕事
 9時起床。シリアルの朝食を済ませ、大学に出る。憂鬱な朝だ。家にいる間に実習グループのチーフの先生と連絡を取り、さらに当の学生さんともメールでやり取りする。一番気が気でないのは学生さんだろう。

 研究室に着いて、話す内容をひととおりメモ書きしてチェックする。実際には大して役に立たないことはわかっている。相手の出方次第で会話なんてどんなふうにも変わる。

 11時少し前にお電話したが、生憎席を外されていた。お昼にかけ直します、と告げて電話を切る。その間、昨日手をつけられなかった鰺ヶ沢調査のインタビューテープをPCに録音し、CDに焼き付ける作業を行う。メンバー全員の枚数を、午後のミーティングまでに準備できるか、こちらも気が気でない。

 1時になるのを待ってお電話する。とにかく詫びるしかない。直接僕が何かをしたわけではないが、学生さんの言動については担当教員が責任を負わねばならない。もちろん、僕の判断する限りにおいて、学生さんのほうに大きな問題があったとは思えないのだが、行き違いがあったとしたら、こちらで責任を引き受けなければ。まして相手は学校の先生である。立場というものを最大限尊重しなければならない。

 一応こちらの意図は何とか伝わったようだ。そして最終的な解決は僕が直接訪問することによって図ることにした。弘前に戻る日を一日繰り上げて、学校に出向いてご挨拶という名の陳謝をすることになる。これもまた仕事だ。別に苦にすることじゃない。

 電話を切ってから、チーフの先生に報告をし、それから学生さんには直接研究室に来てもらって話しをすることにした。こういうとき、周囲の状況を的確に把握できるだけの優秀な学生さんというのはかえって不幸である。敏感であるがゆえに、僕に迷惑をかけたといってさんざん申し訳ありません、といっていた。うちの大学にたくさんいる、鈍感タイプならこんなに気苦労をしなくてもいいのにな、と思う。

 とにかくこれで一件落着だから、もう気にせずに、自信をもって堂々と実習に行ってこい、と励ます。僕もようやく肩の荷が下りた。ここまでのケースはそうはないが、教育学部の教員というのは因果な商売だと思う。次の職場は教育学部以外のところにしたいものだ。

 スコーラムで昼食。ほっとしたものの、時間があまりないので急いで食べる。研究室に戻ると、CDの焼き付けを大急ぎでする。何とか2時までに間に合った。

 2時から研究室で鰺ヶ沢調査のミーティング。2年生の2人が来られず、Yさん、TさんとTAのAさんの3人で今後の作業について打ち合わせる。CDを配布し、僕が留守にしている間にこれだけの作業を進めておいて、と指示する。そのうえで報告の組み立てについても話し合う。インタビューに加え、学芸員のNさんに提供していただいた資料などもあり、材料は盛りだくさんだ。むしろ何を捨てるかということのほうが問題。昨年以上に規定の時間内に収めるのに頭を悩ませることになりそうだ。

 Aさんは、おやつの時間に合わせて青森の「栄作堂」のラスクやパンを買ってきてくれた。みんなでラスクを食べる。パンもうまいが、ラスクも香ばしく、実においしい。ミーティングが終わってからも、しばらく3人は研究室の書棚の本を思い思いに取り出して眺めたりしながら歓談していた。

 2年生の2人が帰った後で、Aさんと教育実習の話しをする。Aさんももうすぐ附属中学校での集中実習を控えていて、指導案を作成している最中なのだ。僕も指導案をみせてもらいながら、こんな本があるけど使えないかな、と何冊か引っ張り出してくる。かつて社会科教育法を教えていた(今思うと畏れ多いことだ)者としては、指導案をみるとついついちょっかいを出してみたくなるのである。

 お腹が空いてきたので、紅茶を淹れて、パンのほうもいただくことにした。僕はナイトという種類のほうをもらう。コーヒー味のパンにバタークリームが挟んである。懐かしい味だ。聞けばAさんのお祖父さんの好きだったパンだそうである。メロンパンのほうもおいしそうだった。今度行ったときに買ってみよう。

 しばらく仕事をした後、早めに帰宅。昨日買った長谷川自然牧場のハンバーグを温めて食べる。冷蔵庫にある野菜も、残らないようにたくさん食べる。早めに風呂に入り、ソファーに横たわっていたら、そのまま眠り込んでしまった。夜中のどこかの時点でベッドに移ったようだが、記憶はない。まだまだ、ソフトな仕事をこなしていくには十分な余裕というものが、僕にはないようだ。

8月28日(木)雨後曇後雨:長い一日

2008-08-29 02:00:12 | 仕事
 9時起床。食パンを食べようとしたらすっかりカビていた。予備に買ってあった菓子パンのほうは無事で、こちらを食べる。外は曇りでお天気は何とかもちそうだ。車で出かける。途中給油をして、大学へ。

 研究室に行くとすでにTAのAさんが着いていた。コーヒーを飲みながら今日の調査内容の確認をする。テープレコーダーとICレコーダーを忘れていないかチェックする。

 11時に今日の参加メンバー4人を乗せて大学を出発。このころには雨が降り出した。さて鰺ヶ沢のほうはいかに。先週と同様、広域農道を快走して正午過ぎに鰺ヶ沢に到着。

 今日の昼食ももちろん「たきわ」で。店のおばちゃんは先週も訪れたわれわれのことを覚えていてくれて、「若い女の子をたくさん引き連れていいわね」といった。いや、これも仕事なのですよ。マグロの中落ちともずく酢、イカの沖漬けにご飯とおつゆのセットを付ける。だがゼミ生のTさんやYさんが食べていた丼物もうまそうだった。

 食事を終えるとタイミングよく雨が上がる。約束の1時ちょうどに廠舎に到着。すでに公民館のHさん、学芸員のNさん、そして今日お話しを聞かせていただく、現在の所有者のお二方もみえていた。廠舎の中に入って建物のあちこちを眺めながらインタビューする。

 僕自身はお話ししてくださるお二方のライフヒストリーに関する質問を主にした。そこにはそれこそ筆舌に尽くしがたいほどの苦労話や、何気ないところにみつけた楽しさなど、感じ入る内容がたくさん詰まっていた。やはり僕にとっては建物そのものの歴史よりも、建物とともに生きた人々の人生のほうがより興味をそそられる。

 廠舎の前でスイカ畑を営んでおられる現所有者の方(その方にとってはこの建物はかつての学び舎でもある)が、もぎたてのスイカを切って振る舞ってくださった。甘い。そして瑞々しい。こんなスイカは滅多に味わえるものではない。このころになるとようやく学生さんたちも少し打ち解けて、進んで質問をするようになっていた。

 記念写真を撮った後、Nさんの案内で廠舎を囲む土塁と空濠や、随所に残る境界票などを見学する。そのなかで新たな発見もいくつかあった。まだまだこの廠舎と演習場跡には研究する余地があるということだろう。

 Nさんからはわれわれのプレゼンテーションにとって重要なヒントとなるメッセージをいただいた。一番身近なところで地道に研究を重ねてこられた方のことばだけに、しっかりと受け止めて生かしていきたい。

 今年度はこれで現地調査はひとまず終了なので、イカ焼き通りに行ってイカ焼きを食べる。昨年食べた店は店じまいするところだったので、近所の店で食べる。海沿いのコンクリートに腰掛けて、水平線とカモメを眺めながら食べる。やはりこれは鰺ヶ沢調査には欠かせない。

 国道101号を五所川原から浪岡に抜け、青森に行く。このころには再び雨が降り出し、しかも徐々に雨脚は強くなってきた。Aさんを家の近くまで送り届け、われわれは夕食を摂ることにする。国道7号線沿いの「わらじ亭」でハンバーグを食べる。そういえばイカ焼き→津軽道→「わらじ亭」でハンバーグというパターンは、昨年の調査のときと全く一緒だ。あのときはいいお天気だったけれど。

 雨の中、途中道に迷ったりもしつつ無事弘前に到着。雨が強いので、2年生3人を順番に家まで送り届ける。9時半を過ぎた。200㎞近くドライブをして、疲労困憊。だが今日はもうひと仕事入った。

 研究室に戻ると、僕の受け持ちの教育実習生がやってくる。詳しくは書けないが、昨日挨拶した学校との打ち合わせのなかでトラブルが発生した。ことがことだけに僕の独断で対処するわけにはいかない。関係する先生と連絡を取りながら、善後策を協議する。何より重要なことは、すっかり憔悴しきっている学生さんの肩の荷を軽くしてやること。責任は僕と学部のほうで引き受けなければならない。はあ、明日もまた苦手な電話交渉か。気が滅入る。だがこれも教育学部教員の仕事なのだから仕方がない。

 いろいろと電話連絡や本人との会話を済ませると0時半になっていた。さすがに今日は長かった。そして疲れた。しかも明日早々に厄介ごとに対処しなければならないと思うと気が重い。

 今日いただいた「旅行のお守り」をみつめる。いくつかの種類の石のなかにフローライトというものがある。ストレスを洗い流し、精神を安定させるとのこと。水晶は物事の流れをより良い方向にかえるそうだ。まだ旅に出る前だが、早速このお守りの効力にすがってみたい気分だ。

8月27日(水)晴:コミュニケーションの格

2008-08-28 01:03:14 | 仕事
 10時に起きる。食パン1枚を食べ、大学に出る。メールチェックの後、スコーラムで昼食。チキンのトマトソース。先日豚・豚となったら、昨日と今日で鶏・鶏だ。昨日と比べると今日は肉厚でやわらかい。ソースとの相性もいい。

 ドリンクコーナーのところでNさんにお会いしたので、ポークソテーを最低月1回お願いします、といったら、それくらい出てますよ、とのこと。確かに先月も食べたな。Nさんもお好きなメニューだそうだ。そんなこともあって、食後にアンケートに答えることになった。直接的に書けばよかったのだが、とにかく僕にとってはスコーラムあっての生協である。もし将来食堂が人民食堂だけなんてことになったら、僕は生協を見限るであろう。僕にとっちゃあスコーラムは「泥田の蓮」みたいなもんである。

 今日も1時きっかりにデータ入力の学生さんがやってくる。毎日きちんと来てくれて頭が下がる。僕も2枚モニタを活用して入力作業。紙をめくる手間がないだけラクだ。そのうちどこかから安いモニタをもう1枚調達してくるかな。

 おやつの時間には昨日に続いてアイスクリームを食べる。何とか明日までこの天気がもってくれれば。

 教育実習関連の電話を3件。9月から始まる4年生の実習の挨拶という形なのだが、いずれも相手はずっと年上の先生なので緊張する。何歳くらいになれば気後れがなくなるのかについては興味あるところである。40歳を過ぎたあたりだろうか。今の時分は附属中学校の先生と相対するときでもどこか腰が引けてしまう。向こうは向こうで「大学の先生」として立ててくれるものだから、余計に変なコミュニケーションになってしまう。難しいところだ。もっとも、たまたま僕が担当している学校の先生方はかなり親切なので、ずいぶんと助けられている。

 夕方に、実習に行く学生さんが研究室にやってくる。他校の学生さんと比べて受け持ち予定の授業数がべらぼうに多いとのこと。時間数を聞いてびっくりした。この辺のことは明文化されておらず、学校の裁量になっているので、僕から「何時間にせよ」とはいえない。が、先方に任せきりだと学生さんの負担が甚大になる。困った。とりあえず学生さん自身に明日交渉してもらって、その結果次第では僕が交渉しようということになった。

 ライオンズ-イーグルス戦のネット中継を、細川選手の一発でほぼ勝負が決したところまで見届けて帰宅。冷蔵庫にある野菜を早く消化しなければならないので、生野菜てんこ盛りの夕食。野菜といえど少々食べ過ぎた。何ごともほどほどにしなければいかん。

 『武将列伝』の勝海舟のところの続きを読む。西郷隆盛は短かったのに、海舟さんにはずいぶんな紙幅が割かれている。そして抜群に面白い。勝海舟の伝記は小学生のころに読まされたが、今になってみると立身出世譚として楽しく読める。

 天気予報によれば、明日はあまり芳しくないようだが、いい方向に外れてくれることを願う。

8月26日(火)曇後晴:テープ起こしに向けて

2008-08-28 00:40:18 | 仕事
 10時起床。食パン1枚を食べ、洗濯を済ませてから家を出る。弘前駅で新幹線の切符を手配する。調査に必要なカセットテープの補充をしたりしていたらお昼どきになったので、ブロッサムホテルの1階にある「BE-SIDE」でランチを食べる。スコーラムと比べると多少値は張るが(997円)、少しぜいたくをした気分になれてよい。小ぶりのチキンソテーもこれまた小盛のご飯も上品な感じ。食後にはデザートとコーヒーも付く。

 1時少し前に研究室着。今日もデータ入力のアルバイトの学生さんがやってくる。僕は先日インタビューで録音したテープをPCに取り込もうとして悪戦苦闘する。接続は間違っていないはずなのだが、録音したものは雑音ばかりで、かすかに会話が聞き取れる程度である。サウンドカードの性能の問題か。

 鳴沢公民館のHさんから明後日の調査スケジュールについて連絡が届く。学芸員のNさんも先日と同様に同行してくださるとのこと。インタビューもさることながら、前回時間の関係で十分にできなかった現地踏査もできるとのこと。ますます楽しみだ。

 午後になっていいお天気になってきた。久しぶりに少し暑い感じだ。生協のコンビニでアイスクリームを買ってきて、学生さんと食べる。8月の終わりに夏の名残を楽しむといった感じ。今日は頑張って5時まで作業をしてくれた。

 夕方から新しく買ったモニタを設置する。22インチといってもそれほど大きくは感じない。横に広いだけといった感じだ。ただし縦に回転させてみると確かに資料の画像はかなり大きくなる。これでかなり判読不能の箇所が入力できそうだ。もっとも、今日は新しいモニタでスパイダソリティアやテトリスをし、もとからあるほうでライオンズ-イーグルス戦のネット中継をみるといった具合だったが。

 日中うまくいかなかったカセットテープの音声取り込みを学生用パソコンのほうでやってみる。こちらではうまくいった。CDへの焼き付けもできて、メンバーに配布することができる。僕が出張している間に大まかなテープ起こしをしておくように指示するつもり。

 人民食堂で夕食。まだまだ人の数は少ない。10時まで作業をして、帰宅。風呂に入りながら『武将列伝』の西郷隆盛のところを読み終え、勝海舟のくだりに入る。この間読んだ松本清張の『日本合戦譚』では西郷についてかなりネガティブな評価が目立ったが、海音寺潮五郎のほうは薩摩の人であるせいか、思い入れが感じられる。この辺のコントラストが面白い。

 ここで書いたことにすぐ反応して、メールをくださる方のために一応書いておくと、体調はすっかり戻って、すこぶるいい。

8月25日(月)曇時々雨:整理整頓

2008-08-26 01:09:05 | 仕事
 10時半起床。決して寝る時間が遅いのではなく、朝長々と寝ているのである。おかげで体調はかなりよくなってきた。寝るのが何よりの養生だ。

 時間も時間なので、ヨーグルトドリンクを1杯飲んで大学に出る。届いた郵便の確認とメールチェックを済ませると、生協に寄ってからスコーラムへ。今日のランチは僕の一番のお気に入りのメニュー、ポークソテーだ。しかも大根おろしがけとは満点である。

 取り寄せた鈴木正七『復員船が来た』(文芸社)を読む。歩兵32連隊に入隊して、中国・ニューギニア戦線から辛くも生還した元兵隊の体験記。大半は戦場での経験談なのだが、ほんの1ページだけ山田野廠舎のことが書かれている。わずかな記述とはいえど、実際の様子を知るうえで貴重な内容だ。

 研究室に戻ると、データ入力の学生さんがやってきた。僕はその傍らで、教育実習のファイルだの地方に行った際に買い求めた手ぬぐいだのが入っている棚の中身を引っ張り出して、捨てるものと取っておくものとの選別作業をする。資料が増えてまとめて置くスペースが不足してきたのだ。裏紙として使えるものと廃棄するものとを分別して、そのたんびに研究室から出たり入ったりを繰り返す。ちょうど2時間経ったところでコーヒーを淹れ、しばし雑談した後、学生さんは帰っていった。

 プリントアウトした資料のファイリング作業は今日も続く。空中写真に熱中して滞ってしまっていた。パンチで穴を開け、ちょうど中身を廃棄して空いたファイルを再利用して綴じていく。その最中に資料の中身をチェックするのはなかなか楽しい。

 生協からデータ入力の「最終兵器」が届いた。22インチのモニタである。90度回転させることができるので、これで資料の読めない部分を大画面で確認することができる。僕のメインPCにこれまで使用してきたモニタと並べて置くので、画面で確認しながら入力ができる。

 外は雨が降ってきた。先日鰺ヶ沢に調査に行った日からこんなお天気でどうもすっきりしない。少し経って雨が止んだころ、ゼミ生のAさんが研究室にやってきた。アルバイト関係の書類を渡した後、最後に取っておいた喜久福をおやつに食べながら雑談。プリントアウトしておいた空中写真を眺めながら、第二次調査に向けて話す。

 せっかく寄ってくれたのでもうひとつ、先日購入した一眼レフカメラの試用をしてもらうことにした。資料撮影用に購入したものだが、しばらく使用予定がない。いつまでも棚の飾りにしておくのももったいないので、写真が趣味のAさんに使ってもらい、それで使い方をレクチャーしてもらおうと思いついたのだ。我ながら妙案。Aさんは目をキラキラさせながら、大事そうに抱えていった。

 再びファイリング作業に戻る。プリントアウトしたもののなかに文字がかすれて読めない(コントラストを強くして、背景を白くすると読みやすいのだが、字も薄くなる。弱くすると文字はくっきりするが、背景もグレーになって読みにくい)ものがあり、プリントし直してファイルする。おかげで今日も帰りは遅くなったが、おみやげにもらった鳩サブレを1枚食べる。このお菓子は大好物だ。

 この間ファイターズ-ライオンズ戦のネット中継をみていた。武田勝投手を打ちあぐね、一方岸投手は序盤から不安定だったが、後藤選手の2発で追いすがり、さらに中村選手の1発で追いついて、さらに内野ゴロの間に1点勝ち越しての辛勝。だが今日の1勝は本当に大きい。2連敗するのとはワケが違う。前々から期待されながら機会に恵まれなかった後藤選手や黒瀬選手の台頭、さらに佐藤選手や赤田選手の復活はオリンピックのおかげ。

 帰宅して今日はしょうが焼きを作って食べる。昼も夜も豚肉になってしまったが、夕食のほうは昨日解凍した肉が残っていたので仕方がない。今日のところはまずまずの味になった。鰺ヶ沢で買ったトマトやキュウリもあって、安上がりの割には満足な食事だ。

 今週も天気は安定しないようだ。第二次調査のときには何とか雨だけは降らないでもらえるとありがたいのだが。

8月24日(日)曇後雨:現代の古墳

2008-08-26 00:38:13 | 仕事
 正午少し前に起きる。レトルトのカレーと生野菜をたっぷり食べる。ファイターズ-ライオンズ戦の動画中継をみる。帰国したオリンピックのG.G.佐藤を勇気づけるわけでもなかろうが、守備陣が滅茶苦茶だ。こりゃあいかん。

 やろうやろうと思いながら、ずっとほったらかしにしてあったテレビのアンテナ配線に着手する。引っ越しの際に適当につないでみたら、どうも地デジ放送のなかに映らないチャンネルがあったり、映っても画像が乱れたりする。ビデオに切り替えてテレビをみるとちゃんと映るので、不便だがずっとそうしていた。どうも官舎に住んでいたときとアンテナの型式なんかが違うようで、そのための機器も買ってあったのだが、面倒くさくてほっぽってあった。ようやく重い腰を上げてやろうか、となった次第。

 テレビとビデオそれぞれの取説で書いてあることが微妙に違っていて困ったりもしたが、30分ほどかけてつなぎ終えた。みてみると、お、地デジもきれいに映る。デジタル衛星放送も映るとは知らなかった。これでずいぶんとテレビ生活が充実しそうだ。

 今日のライオンズには見切りをつけて、3時に出かける。イトーヨーカドー地下のドトールに行こうと思ったら、お祭りによる交通規制のうえに駐車場は満車で入れない。やむなくさくら野弘前店のほうのドトールに行く。ミルクレープとコーヒーを楽しむ。

 大学に出て、昨日に続いて空中写真と公文書の閲覧に没頭する。空中写真を眺めていると、いつの間にか演習場を取り囲む緑の縁取り(土塁状になっていたようだ)がさながら古墳のようにみえてくる。大きな空中写真のほんの一部分に過ぎないので、拡大すると画像は当然荒くなる。それを補正をかけながらプリントアウトして、年次ごとの変化を確かめてみる。この時期まではこの建物はあったのか、この時期にこの道路が足されたのか、といった発見を楽しむ。今週の第二次調査の際にNさんにもいくつか報告ができそうだ。

 公文書のほうからも、インタビューの内容を裏づける事実が確認できる。掘り進めていくほど、少しずつだが輪郭がはっきりしてくる。歴史の面白さだ。早く第二次調査に行きたくて仕方がない。だが、はやる気持ちを抑えて、今は下調べに専念しよう。

 帰宅して肉野菜炒めを作る。どうも手際が悪く、火が通りすぎた代物になる。自分で食べる分にはいいが、人には食べさせられんなあ。腹の中に入ってしまえば、といういい方はできるが、もう少し訓練が必要だ。

 それにしても星野仙一という人物は見苦しい。結果は結果。勝負事なのだから仕方がない。そのことを責めるつもりは毛頭ない。だが帰国してからは、ひと言反省の弁を述べて、後は黙っていればいいのだ。それがいちいち批判にムキになったりするからみっともない。ノムさんあたりの挑発に乗ってしまうというのは器が小さいということ。ミスターや王さんは柳に風と受け流していたじゃないか。この辺が違うのだ。

 言い訳をしないというならば、引っ込んでいればいい。加えてこんな人物にWBCの監督の依頼をしたというのだから、野球界の首脳の気が知れぬ。もちろん、一度の失敗で見限るのはかわいそうだし、リベンジの機会を与えるというのは一般論としては成り立つ。だが星野は人物としてダメさ。もっとも、スポンサーをアテにしての起用だったのだから、本来の責任は星野本人にあるのではなく、上層部にある。そして、そのスケープゴートの役回りを十分に演じきれない星野がまた哀れである。

 とにかく鬱陶しい星野ジャパンとやらが終焉して、清々した。これでようやく熱のこもったペナントレースが楽しめる。選手たちが変な影響を引きずらないで、伸び伸びやってくれたらいいと思う。

8月22日(金)晴:うっかりぐっきり調査

2008-08-23 19:32:25 | 仕事
 7時起床。午前中から仕事があるときの食パン2枚の朝食。外はいいお天気だ。  長袖か半袖か迷ったが、半袖のシャツにネクタイを締め、ジャケットを羽織って出かける。

 大学に寄り、調査に必要な書類などと謝礼のお菓子をトランクに積み込み、メンバーのYさんとM君をを乗せて出発。途中弘前駅で、今回の調査にTAとして参加してもらうAさんを、通り道に家があるTさんをそれぞれ拾って一路鰺ヶ沢を目指す。

 県道31号から、途中で広域農道に入る。こちらは岩木山の斜面の高台を進み、ほとんど信号がない。しかもアップダウンが多くあって、ジェットコースターのような道。快適なドライブでほぼ予定通りの9時半すぎに鳴沢公民館に到着。職員のHさんにご挨拶する。事務室に案内されて、壁に掛けられた予定表をみると、今週から来週にかけて各調査グループの来訪が予定されていて大忙しのようだ。

 まずは町役場の敷地内にある教育委員会に案内していただく。こちらで学芸員のNさんから、山田野廠舎についてのレクチャーをしていただくことになっている。

 ご挨拶をして、せっかくなのでお話しの内容を録音させてください、とお願いしてICレコーダーの入ったソフトケースを取り出す。が、中には予備の電池しか入っていない。インタビュー調査に最も必要なものがないなんて、と焦る。が、ここはメモ書きでも大丈夫、と自分を落ち着かせる。まさかこんなところでこんなうっかりをやらかすとは。

 Nさんは中世の考古学がご専門だそうだが、廠舎についての調査をすでにかなり進められている。航空写真や当時の写真、それに公文書資料など、貴重な資料を用意してくださっていた。これまでに実施された聞き取り調査からわかったことなどについてもご教示いただいた。そのうえでわれわれの今回の調査の趣旨を説明する。僕らとしては、これまで行われてきたことのアシストという形で調査を進めていけばよさそうだ。今後の方向性についても、Nさんのお考えとかなり合致しているので、楽しくやれそうだ、という手応えを得る。

 あっという間に正午を過ぎてしまった。もう1グループを迎えることになっているHさんは時間を気にしておられた。予定ではもっと短時間で済む見込みだったのだろう。こういうときは先に現地に入った者のほうが有利である。

 昼休みに急遽テープレコーダーを調達しに行く。家電量販店などないから、果たしてすぐに入手できるか気をもむ。幸い、バイパス沿いのコメリに一台置いてあった。テープと予備の電池を購入。ちょうど5,000円。思わぬ所で思わぬ出費だ。

 お昼ご飯は役場近くの「たきわ」で食べる。地元の魚が安く食べられるお店。僕はイカの刺身ともずく酢、マグロの目玉にご飯とおつゆの定食メニューを付ける。これで750円はお値打ちである。皆思い思いのお刺身をお盆に載せて食べている。ここに来たらここで食べなきゃね。

 午後はNさんの案内で、山田野演習場と廠舎を見学する。最初に鳴沢駅へ。五能線が開通した年の大正14年に、宮澤賢治はこの駅に降り立ち、山田野演習場に来ていた弟の清六さんを訪ねている。今は無人駅だが、演習のときには兵士たちで賑わったことだろう。一見新しそうな駅舎だが、よくみると壁面を改装しただけで、躯体そのものはかなり古そうだ。

 演習場の敷地に入る。敷地からは岩木山が真正面に望める。右手に現存する廠舎がある。かつては12棟並んでいたそうで、ここから撮影した絵はがきの写真もNさんにみせていただいた。

 演習場の敷地と外側とを隔てる形で松並木がある。これも自然にあったものというより、人工的に植えられたものだろう。

 廠舎の前まで行ってみる。内部にもあらためて入らせていただいて、もともとあった窓と、その後追加された窓の違いなどについてNさんに教えていただく。何しろ兵舎→住居→学校→農機具置き場と用途を変えてきた建物だから、改変は著しい。とくに南側は学校として利用するために相当改造されているそうである。北側は比較的兵舎としての面影をとどめているそうだ。夏は草が茂ってしまうので、草の枯れた秋口から冬にかけてのほうが見学には適しているそうである。

 敷地を南へと横切って、南端に至る。演習から戻ってきた兵士たちがみた廠舎の風景というのはこんな感じだろう、とのことだった。中央奥にわずかに廠舎の屋根がみえる。

 ここから聞き取り先のお宅へと移動する。今日はお2人の方からお話しを伺うことになっている。一人目の方は、戦後こちらに入植された方で、廠舎に住んだこともあり、また中学校時代の旧廠舎に通っていたそうだ。その当時の思い出についていろいろと聞かせていただいた。また、廠舎に住まわれていたときに残されていた食器(陸軍の★マークがちゃんと入っている)や、畑を耕している際にみつけた砲弾など、貴重な品の数々をみせていただいた。

 こちらのお宅を失礼するとき、1時間あまりずっと正座をしていたので、足がしびれてしまった。立ち上がるときに左足首の感覚がなく、ぐっきりと足をくじく。いかん、軽く捻挫したかもしれん。学生さんたちの前でみっともない限りだ。

 もうお一方は、やはり戦後入植された方で、かつ軍隊時代に山田野演習場での演習と廠舎生活を経験しておられる。わざわざ廠舎のところまで出向いて、そちらで今も残る痕跡などを示しながらお話ししてくださった。どこでどんなふうに食事をしたのか、風呂にはどんな感じで入っていたのかなど、なかなか知り得ない軍隊生活のエピソードを聞かせていただいた。

 若い学生さんたちには果たして興味をもてるような話しだったかわからないが、僕としてはものすごく面白かった。まさかこんなに充実したお話しを聞けるとは思っていなかった。これは公民館の活動を通して、地元の方に顔が利くHさんと、これまでの調査を重ねられてきたNさんのおかげである。いきなりよそ者が入っていってこんなに充実した話しを聞けるということはありえない。そのことをメンバーのみんなにわかってもらいたいなあ。

 Hさんとは廠舎のところでお別れし、僕らはNさんを事務所にお送りする。帰りがけ、僕のわがままで「海の駅 わんど」に寄り、野菜を買い込む。その後駅前のショッピングセンターパルに車を停め、駅前の「西海」でたこ焼きを買う。気のいいおばちゃんが4人分焼いてくれて、焼きたてのアツアツを食べることができた。ここのたこ焼きはタコが大きいだけでなく、野菜がたくさん入っていて、さながらお好み焼きとたこ焼きを一緒に食べているような気分になれる。そしてパルの中にある「TATSUYA」のパンを買って鰺ヶ沢を後にする。

 今日一日でかなりの成果が得られた。来週もう一度訪れることになるが、そのときの聞き取りもまた楽しみだ。あとは学生さんたちがもっと乗っていけるかだ。今日は遠慮がちだったのと、Nさんと僕が前に出てしまったので、次回は自分たちが主役のつもりで臨んでもらいたい。

 授業の一環として訪れることになった鰺ヶ沢だが、調べるにつれ、そして人に触れるにつれ、ここが大好きになってきている。廠舎と演習場の調査は、Nさんのお手伝いという形で、個人的には長期的なスパンでやっていくつもりだ。

 全員を大学まで送り届け、帰宅。疲れがどっと出た。テンションが上がりっぱなしで気がつかなかったが、結構無茶をした。食材を買い込んできたにもかかわらず、夕食を作る気にもなれず、カップ焼きそばと「わんど」で買った煮卵を食べた後、ソファに倒れ込む。一度目が覚めてメールをチェックすると、Aさんが聞き取りの対象者のNさんの写真を送ってくれていた。柔和な笑顔にほっとする。僕も同様に撮影したのだが、Aさんの写真のほうがずっといい。

 へたり込むようにベッドに移動する。若いつもりでも、そろそろ考えて行動しなければいけないトシだということか。


8月21日(木)曇時々晴:年表づくり

2008-08-22 00:47:30 | 仕事
 8時半起床。9時半に間に合うように大急ぎで自転車をこいで大学に出る。が、今日はなかなかデータ入力の学生さんが来ない。15分ほど過ぎてから、午後でもいいですか、と問い合わせのメールが来たが、生憎その時間にはノートPCを別の学生さんに貸す約束をしている。もったいない気がしたが、今日はキャンセルさせてもらう。

 午前中のうちに書かなければならない書類が1件、メールが2件。それを終えると資料の打ち出しとファイリング作業。ここまでで午前中が終わる。正午過ぎにスコーラムへ。今日のランチはドライカレー。ちょっと重いかと思ったが、おいしく食べられた。

 1時に研究室に戻る。もう一人のデータ入力の学生さんがやって来る。こちらはデスクトップPCのほうで作業をしてもらう。

 僕はその傍らで、明日の調査に備えて旧兵舎に関する年表を作成することにした。図書館から借りてきた町史・県史、それからいくつかインターネットを通じて得られた情報を整序して組み立てる。何しろ100年の歴史をもつ建物だから、結構項目はある。面白くなって熱中する。

 作業をしてくれている学生さんに出す粉末のカフェオレを切らしていたので買いに出る。ついでにゼミ生のAさんがメールで教えてくれた東奥日報の記事(明日の調査にもってこいの資料になる)を求めて新聞も買ってくる。

 学生さんにコーヒーを出し、作業に戻るか、というところでPCがフリーズする。少し時間を置いてもにっちもさっちもいかない。やむなく再起動すると、2時間かけて入力した内容はすべて消えていた。熱中のあまり、保存を怠ったのだ。しばし呆然とする。

 が、めげていられない。もう一度最初から入力し直す。何とか5時までに完成した。プリントアウトして眺めていたところに、集中講義を終えた調査グループの学生さんたちがやってくる。ちゃんと質問内容を考えてきてくれただろうか。

 3人にそれぞれ質問したい項目を出してもらう。読んでみるとなかなか面白い。聞き取り対象者に合わせて項目の割り振りをする。どんな反応が返ってくるかは未知数だが、しっかり答えてもらえたらかなり面白いものになりそうだ。

 ひととおり打ち合わせを終えたうえで、他のグループの動向を探る。あそこのグループも明日現地調査に行く、とか、こっちは先生が全部面倒みてくれる、とか。担当教員によってかなりバラバラだから、損得勘定をしたくなるのもわからないではないな。

 明日は早いので、早めにメンバーを帰してから、研究室で集まった質問の順番を整序して、それから僕のほうで聞きたい内容も加え、質問の一覧表(インタビュアー用)とメモ用紙(記録者用)とを作成する。できるだけ自然な流れになるよう、頭を悩ませる。聞きたいことをすべて聞けるわけではないから、質問の重みづけもやっておく必要がある。

 ライオンズ-ホークスのネット中継をみながらやっていたこともあり(ローテーションの谷間の先発投手の足を野手が引っ張り、点を取ると取られるという悪循環で負け)、余計に時間がかかってしまった。10時過ぎに帰宅。今日は肉野菜炒めを作るつもりで肉を解凍しておいたが、諦めて再度冷凍する。鰺の開きを焼いて簡単に済ませる。

 どんな調査になるか、今の時点では見当がつかないが、人の話しを聞くことの難しさと面白さをメンバーにわかってもらえたらと思う。

8月20日(水)雨後曇:緊張感

2008-08-21 00:10:26 | 仕事
 8時半起床。外は雨が降っている。しかも肌寒い。半袖で出かけたが、これではたまらんと長袖の上着を取りに戻る。研究室に着くとすでにデータ入力の学生さんが来て待っていた。

 僕も今日から再びデータ入力作業に携わる。実際の資料に触れているのはやはりいい。ただ紙にプリントアウトしたものはどうも読みづらい。やはり画面で写真を直接みながらのほうがいいようだ。一昨日発注した22インチディスプレイの到着が待ち遠しい。

 途中休憩を入れて2人の学生さんとコーヒーを飲みながら雑談する。4年の女子学生からみて、好きな芸能人はどんな人なのか聞いてみたら、共通してYUKIとCHARAを挙げた。へえ、2人とも僕と同世代か、ちょっと上くらいなんだけどな。生き方もスタイルもカッコいいんだとか。わかるような気はするが、ちょっと意外な気がした。もっと若い世代にはいないそうだ。ちなみに2人とも西田尚美を知らなかった。まあそれはいいとして、鶴田真由を知らないのは驚いた。最近目立った活躍がないからか。

 鳴沢公民館のHさんから、明後日調査を受け容れられる旨連絡があった。準備時間は足りないが、早く進めたいと思っていたのでありがたい。

 スコーラムで昼食。チキンと茄子のグラタン。『昭和陸軍の研究』を読む。

 午後はトナーカートリッジが届いたので、プリントアウト作業を再開。ますますテーブルの上がひどいことになってきた。何とか整理しなくては。

 急に涼しくなって寝冷えでもしたのか、頭が痛い。大事を取って4時前に帰宅。少し横になる。夕方起きて買い出しに行く。調査対象者へのお礼のお菓子を買う。昨年の調査のときの験をかついで「しかないせんべい」で買う。たくさん買い込んだらおまけのお菓子をつけてくれた。メモ書き用の紙ばさみなども100円ショップで買い揃える。今夜のうちに研究室に運び込んでおく。

 しばらく研究室でICレコーダのチェックをする。これまでのMDレコーダから今回新調してみた。自分の声を吹き込んで音量を確認してみたりする。

 調査が目前に迫って、かなりハイになっている。細々としたところに漏れがないか、気になっている。どうも学生が主体であることを忘れそうだ。だが調査とはあれこれ緊張感がともなうことをどれだけ理解してくれているか。幸い、ある程度僕の意図を理解してくれている3年生が同行してくれるので、その点は心強い。

 帰宅してライオンズ-ホークス戦のネット中継を途中から観戦。すでに中盤で大量リードしていた。しかし強いな。この3連戦は1勝すればいいと思っていたが、大差で連勝してしまった。

 オリンピックのソフトボールと野球の試合を交互に行き来しながらみる。ソフトボールは執念の勝利、野球は気迫負け。後者はどうも締まりがなくていけないな。

 風邪っぴきにならぬよう、早めに休むことにする。

8月19日(火)曇後雨:旅程表

2008-08-20 01:14:45 | 仕事
 10時起床。11時に大学に出る。空は重たい感じで曇っている。どうやら午後には雨になるらしい。すっかり秋の陽気だ。

 昨日に続いて資料のファイリングとラベル貼りをする。プリンタのトナーが切れている以上、今できるのはこれくらいだ。

 スコーラムで昼食。席に着くまではランチは売り切れになっていなかったが、ありつくことはできなかった。なかなかどうして、夏休みにランチを食べるのは激戦である。カレーとサラダとドリンクを頼む。保阪正康『昭和陸軍の研究』(朝日文庫)を読み始める。

 午後は9月の出張の書類をまとめる。初めての海外出張で、どうも書類作成が要領を得ない。国内のほうは参考例があるので記入方法はすぐにわかるのだけれど、海外のほうはそういったものがないので、事務の方に教えていただきながら作る。とくに難しいのが旅程表だ。2回、3回と直して持っていくのだが、その都度僕のほうの細かいミスがある。その場で謝ってすぐに作り直して、ようやく受け取ってもらえた。

 厳しそうであるのだが、そんなことはない。むしろわかるまで丁寧に説明してくださるのでありがたい。大学院生のときにお世話になっていた東大の事務員さんと比べれば、非常に親切である。院生の時分には何度怒鳴られたことか。東大において最も権威主義的なのは教員でも学生でもなく、事務官(まだ独法化前だったから)だったな。何であんなにエラそーだったんだろ。腹の中で、「この木っ端役人が!」とよくつぶやいたものである。仕事中に将棋ばっかり指しているような類の者もいたし。ちなみに「木っ端役人」という単語は、安部譲二が夕刊紙に書いていた競馬予想欄で僕は知ったのである。まあ、親切な人がいなかったわけではなかったし、今思えばいろいろ教えていただいたなあ、と懐かしく思ったりもするのだが。

 その点うちの学部の事務員さんは総じて親切で、ちょっとしたミスなら難なくフォローしてくれる。それに甘えてばかりはいられないのだが、若くて話しやすいという点でもとてもありがたい。これは大いに誇れるところだ。

 2時に人文学部のH先生のところの学生さんがやってきて、データ入力をしてもらう。僕のほうは第二次のデータ入力の準備を進める。懸命に打ち込みをしている脇で立ったり座ったり、研究室の中をうろうろ動き回るものだから、迷惑だったろう。

 5時から鰺ヶ沢調査の打ち合わせ。次回の打ち合わせまでにインタビュー項目を5~10個考えてくるように、と指示する。昨日まとめた資料を事前にどれだけ読み込んで臨んでくれるか、格別強調することはしない。あくまで本人たちのやる気次第。

 7時前に帰宅する。自転車をこぎ始めたら雨が降り出し、家に着くころにはかなりの降りになった。急いで着替えをし、食料品の買い出しに行く。空っぽになっていた冷蔵庫が賑やかになった。今週分の買いだめをしてひと安心。

 自宅で夕食を摂りつつ、テレビはオリンピックの日本-中国戦、ネットはライオンズ-ホークス戦をつけ、両者に目をやる。前者は涌井投手が完封。後者は打線が爆発して快勝と、申し分ない結果だった。明日もこの勢いで。

8月18日(月)晴:下準備

2008-08-19 02:47:24 | 仕事
 10時起床。お盆休み明けで、格別会議のような仕事はない。ならばゆっくり出て行けばいい。銀行に寄り、100円ショップでファイルとボックスをしこたま買い込んで大学に出る。

 外はかなり涼しくなったのだが、研究室はドアを開けるとむっとした熱気。窓を開け、扇風機を回して空気を入れ換える。

 午前中は書類を数枚作成して終わり。スコーラムで昼食。ランチは三色丼(鶏そぼろ、炒り卵、ほうれん草)なのだが、行ったときにはほうれん草が切れていて、二色丼と相成った。でもミニサラダにおまけでシュウマイが付いていた。

 人文学部の社会心理学のI先生が少し遅れてやってくる。同じく二色丼を注文する。食べながら、せめて卵が切れてたほうがよかったですね、という。両方とも味がついているので、緩衝材としてのほうれん草は重要な気がした。しかし夏休みのせいか、食材が切れるのが早いようだ。終戦の日を過ぎたばっかりで、往時を偲んでの食糧難フェアでしょうか、といったら、それならほうれん草より鶏肉がなしでしょう、と返された。確かにそのとおりだ。

 I先生のパソコンのOSの話しから始まって、ワープロ時代の思い出話とか、ディスプレイにまつわるこだわりとか、そんなところからなぜか東条英機論にまで至る。さらにはグルジアとロシアの紛争も話題になった。研究の話しもしたような。博識の先生と話しているとこれまた勉強になる。気がつくと3時を過ぎていて、Nさんに頭を下げながら会計を済ませた。

 図書館に行って、『青森県史』や『鰺ヶ沢町史』を借りてくる。明日の調査の打ち合わせの前に、いくらか情報を仕込んでおかねばならない。だが、軍関係の施設だったせいか、意外と情報は少ない。探し方にも問題があるのだろうが、歴史書の記載が少ないということは、それだけインタビュー調査の価値もあるというものだ。

 人民食堂で夕食。まだ人も少ない。それでもちゃんと営業してくれるのはありがたい。

 ライオンズ-バファローズの一戦は、いったんはライオンズが逆転したものの、不安定な中継ぎ陣が崩れて再逆転負け。もっとも今日は清原選手の誕生日であり、かつ今シーズン限りでの引退表明もあったから、仕方ないとしよう。そうそう勝ち続けられるわけでもない。

 『鰺ヶ沢町史』やいくつかの資料のコピーを人数分取り、それを一部ずつ2穴ファイルに綴じていく。明日の打ち合わせでメンバーに渡すためだ。そこまでやる必要はないのかもしれないが、そこまでやらないと動いてくれないのがうちの学生なのだ。放っておけない僕の性分にも問題があるのだろうが、よっぽど一人で調査をしたほうがあれこれ深く突っ込んでやれそうな気がするのだが。いや、あくまでも授業の一環であることを忘れてはいけない。

 帰宅して、風呂に入りながら『私説・日本合戦譚』を読む。最終章の西南戦争の部分を読み終えた。松本清張の歴史叙述は、基本的には小説家のスタンスを崩してはいないが、それでいて資料批判は歴史研究者のようにきちっとしている。2つの顔が併存していることで楽しく読めた。あらためて、よくぞ復刻してくれたと思う。

8月11日(月)晴:紙不足

2008-08-12 01:45:29 | 仕事
 9時起床。トーストとゆで卵の朝食を摂り、歩いて大学に行く。日差しは強いが、汗ばむほどの陽気ではない。

 研究室に着いてしばらくすると電話が鳴る。出てみると一橋大学で教えていたときの学生さんで、今は青森の放送局に勤めているM君だ。先日新聞報道された高校の統合・再編計画について意見を求められる。僕としては、一般論としての問題点をいくつか述べた。彼のほうはすでにきちんとした情報を仕入れている。むしろ僕のほうが教えてもらうことが多かった。

 M君は教職課程を履修していて、教育実習の研究授業でも素晴らしい授業をやってのけた。だから今でも教育に対する関心は強いらしい。偶然にも近いところで仕事をしているが、活躍ぶりはうれしい限りだ。

 僕のほうは勉強不足を痛感させられる。どうしても自分の研究のほうにばかり関心が向いてしまって、地域の課題といったことがよく理解できていない。これからは地方新聞も購読しなければダメかもしれないな。よく授業のネタ(「こんなことやったらすぐ東○日報なんかに載っちゃいますからね」というのは多用するフレーズである)には使わせてもらっているのだけれど。

 スコーラムで昼食。ランチは豚の冷しゃぶ。総じてスコーラムの豚料理はおいしいと思う。しかもあっさりめなのが◎。今日は文庫本ではなく『週刊プロレス』を持参して読む。最近は鈴木みのる選手が活躍したときだけ買うようにしている。今回は世界タッグ防衛の記事が載っていたので買った。

 午後からはデータの修正作業。データ入力は写真を紙にプリントアウトしたものを用いているのだが、背景を薄くするために「明るさ」「コントラスト」両方をマックスにしてプリントしているので、ときどき文字が薄くなる。その場合にはパソコンの画面で読みづらい文字を拾っていかねばならない。今日はもっぱらその作業に従事。

 夕方からライオンズ-ファイターズ戦をネット観戦。今日の試合をものにすれば、球団創設から4,000勝を達成することになる。しかもライオンズクラシックの真っ最中でもある。岸投手と武田勝投手の投げ合いときたら、そう点は入るまいと思っていた。結果は中村選手の一発と黒瀬選手のスクイズで挙げた2回の3点をそのまま守りきっての快勝。勢いと強さを感じさせる試合運びだった。

 データ入力に必要な資料の後半に当たる部分をプリントアウトする。500枚の紙の束を2つ用意していたのだが、たちまち足りなくなった。明日まで待てばいいのだが、何となく気分的に今日中に済ませておきたい。結局、不要になった事務関係の書類など、裏紙を総動員して事に当たる。昨年の教授会資料のうち、シュレッダー処理しなくていいものまでが投入された。途中パソコンのメモリ不足でプリンタがストップするような目にも遭いながら、何とかすべて印刷することができた。

 これからアルバイターの第二陣を起用して、お盆明けにはかなり大々的に入力作業を進めることになる。

 少し遅くなったが、帰宅して夕食。風呂では松本清張『私説・日本合戦譚』(文春文庫)を読む。清張さんなりの解釈が入って面白いが、せっかくの再販なら明らかな誤植くらい直すのが出版社のスジってもんだろう。最近絶版になった文庫の復刊があってうれしいが、ときに編集者が手抜きをしているようにも思えてしまうのが少々残念である。

8月8日(金)晴(前半):オープンキャンパス

2008-08-09 02:20:57 | 仕事
 9時半起床。トースト1枚とゆで卵を食べ、大学に出る。

 今日はオープンキャンパスということで、どこもかしこも制服姿の高校生でいっぱいだ。大型の観光バスが次々にやってくる。教育学部だけで800人以上、全学では5000人近い来客の見込み、とのこと。

 研究室近くの模擬講義の会場として使用される教室を覗いたら、オープンキャンパスの実行委員である地理学のK先生が会場設営をされていた。あいさつをしてから、「いっちょうやってやりますよ」という。今回の講義担当はK先生からいただいたお話しなのだ。僕の模擬講義は午後なので、まだ時間に余裕はある。

 講義に使う写真をプリントアウトしてみたが、A4サイズだと少し小さい感じ。大学の外のコンビニまで行ってカラーコピーする。それをA3のボール紙に貼り付ける。これでほぼ準備完了。

 11時半にスコーラムで昼食(ペペロンチーノ)を摂る。お昼時は混雑すると踏んで、早めに済ませた。実際、僕が行った時間ですでに席はほぼ埋まっていた。隣で一人で食事をしていた高校生が、たまたまパンフレットの教育学部のところをみていたので、僕の講義概要のところを指さして、「これ、僕がやりますので来てください」と誘っておいた。実際どれくらい来てくれるのか、見当がつかない。例年10人くらいだと聞いているのだが。

 研究室で講義内容の確認。やることは6月の公開研と同じネタなので格別不安はない。与えられた時間も同じだから、時間が足りないということもないだろう。ただし、今回は講義ノートを使わず、メモ書き(京大カードの裏表)だけでやってみよう。綿密なノートを置いておくと、どうしてもそっちに目が行ってしまいそうだから。

 10分前に着替えをする。大学には白い半袖シャツとカーキ色の綿パンで来たが、これではインパクトに欠けるので、ちゃんと衣装を用意した。靴と靴下を脱ぎ、サンダルに履き替える。ズボンは短パンに。シャツは懐かしの「nWo」Tシャツ。その上に西武ライオンズのオールドユニフォーム(黄金期のビジターユニフォーム)を羽織る。さらにサングラスをかけ、麦わら帽子をかぶる。どこからどうみてもカタギにみえないことを鏡で確認し、5分前に教室に入り、窓際の席に座り、うちわをパタパタと扇ぐ。廊下側の席に座っているゼミ生のAさんと目が合った。にっこり笑っている。いや、またか、と呆れていたのかもしれないが。

 開始時刻の1時40分になったので、徐に立ち上がり、「こんにちは、皆さん。僕の模擬講義へようこそ」と声を張り上げながら教壇に上る。ここのところ、劇団四季のミュージカル「夢から醒めた夢」のオープニングで夢の配達人が登場するシーンをイメージした。

 教室にいるのは13人。うち2人はAさんとAさんのお母さんだから、高校生は11人だ。最初はきょとんとしていた子たちも、ニコニコしてこっちをみている。さすがに失礼なので、帽子とサングラスは外す。

 附属中学校での公開研よりもあらゆる面で反応がいい。話しを振ると、すっと答えてくれる。ネタにもしっかりついてきて、笑ってくれるのでやりやすい。すぐに波に乗っていけた。ノートがなくても展開につまずくところもなかった。

 オープンキャンパスには、たいてい学校単位で来ているので、当然制服姿が多い。夏休みにもかかわらずなぜ制服で来たのか、というところが「目にみえる規範」「目にみえない規範」の具体的な説明として役立った。ここについてはこの話しを「社会学概論」の授業、公開研の授業、そして今日と3回聴いてくれているAさんもほめてくれた。

 途中から入ってきた中年の2人の男性(おそらく引率の先生か何かだろう)は、数枚写真を撮り、少しだけ話しを聞いて出て行った。おそらくおかしな出で立ちと、フォーマルな雰囲気を排した授業に辟易したのだろう。思わずミュージカル『プロデューサーズ』で、「春の日のヒトラー」に呆れて劇場を去る観客をニヤつきながら見送るマックスとレオのような、痛快な気分になる。

 トイレの男女のマークをつかったくだりは、地理学のK先生がオーストラリアで撮ってきてくださった赤いズボン姿のマークのある男性トイレ、青いスカート姿のマークの女性トイレの写真が大いに役立った。イメージ図よりも実際の写真のインパクトのほうがはるかに大きい。

 ただ、うっかりここのところでひとつネタを落としてしまった。この話しの前に、教壇に上がってお手伝いをしてくれた2人の高校生に、「記念に」といってうちの大学のロゴをあしらったハンドタオルを渡した。その際、男子生徒にはピンク色のものを、女子生徒には水色のものをあげた。これも色の規範の説明のところで使おうと思って仕込んだことだったのだが、飛ばしてしまった。まあさすがに100%完璧にというわけにはいかないか。

 時間配分は完璧だった。最後の総括として、こう述べた。

「今日は大学でしか勉強できない社会学という学問の、ほんのさわりの部分についてお話ししました。さて、皆さんは教育学部は先生になるためのところ、と考えているかもしれませんが、ここは単なる教員養成の専門学校ではありません。大学です。大学というところは、何よりも学問をするところです。ですから、僕は皆さんを教育だけでなく、学問でもってお迎えしたいと思っています。」

 考えていたことをスムースにいうことができた。この総括でもって、僕を起用したK先生の期待に応えられたのではないかと思う。研究室公開をされたK先生と、模擬講義担当の僕の共通コンセプトは、コント55号ばりの「裏番組をぶっとばせ!」である。実際にぶっとばせてはいない。むしろ数としてはぶっとばされたほうかもしれないが、心意気だけは示せたと思っている。

 研究室に戻り、Aさんのお母さん、Aさんと臨時の三者面談。お母さんは僕の授業をずいぶんと楽しんでくれたようだ。一度ご挨拶はしたことがあるのだが、きちんと話すのは初めてである。母と娘というより、姉妹のように仲がいい。おかげで僕もあまり堅苦しくならずにざっくばらんにお話しすることができた。

 頃合いをみて、今夕青森に行くついでに車に乗っていってもらうことにした。これ以後は後半にて。

8月7日(木)晴:採点終了

2008-08-09 01:06:10 | 仕事
 8時半起床。シリアルの朝食を摂った後、大学に向かう。1週間続いた弘前のねぷたも今日が最終日。昼間になぬか日運行があり、これがフィナーレとなる。



 この祭りが終わると、弘前の夏もほぼ終わりという感じがする。それでも今日はまた暑くなりそうだ。

 研究室に着くとすぐにデータ入力の学生さんがやってくる。10時を過ぎたところで暑いのでアイスを食べましょう、という。何が食べたいですか、ときいたら「ガリガリ君がいいです」とのことだったので、作業を続けてもらう間に買いに行く。頼まれたのはソーダ味で、僕はコーラ味を選んだ。値段が56円というのは安い。僕が小学生のころ50円だったから、アイスの価格というのは全体の物価の上昇と比べてかなりゆるやかな変化をしているのだなあ。

 研究室に学生さんがいる間は採点作業ができないので、別の事務作業のほうを処理。正午から講座会議。さほど長くかからずに済む。

 スコーラムで昼食。すき焼き丼のランチを食べる。今日はいつにもまして先生方の利用が多いようだ。明日のオープンキャンパスの準備で教員が集まっているということもあるらしい。

 研究室に戻り、最後の1科目の採点開始。140枚。20枚くらい採点すると、残り枚数を勘定したくなる。そんなのは時間のムダとわかっているのだが、ついついやってしまう。飽きてくるとパソコンに向かってネットを覗いてみたり、スパイダソリティアをやってみたり。

 ワーナーマイカルシネマズ弘前での「クライマーズ・ハイ」の上映が明日限りだということを知る。明日は予定があるから、今日の6時からの回がラストチャンスだ。急に採点のピッチが上がる。

 100枚を終えたところで帰宅。汗だくになったので、シャワーを浴び、着替えをしてから映画館へ。

 この間原作小説を読んでいたので、前回観たときよりもひとつひとつの科白を噛みしめるようにして楽しむことができた。

 原作の人物像とキャストとを比べてみると、エンケン演じる等々力社会部長は出色である。それと伊東販売局長の皆川猿時もイメージとピッタリだ。この人、堤真一より7つも若いのに、堂々と渡り合っているあたり、大したものである。それと登山のシーンは原作と比べるとかなり改変されているが、小澤征悦の安西燐太郎もうまくはまっている。

 小説では北関東新聞社の内実をめぐる重要なキーである社長派と専務派の対立が捨象されているので、追村次長のスタンスが映画だとちょっとわかりづらかったりもする。

 いわゆるエース級の記者と兵隊と呼ばれる記者との関係構造なんかも今回はかなり読み取ることができた。ひとつの文章の重みなんかは僕が普段書いているものの比じゃない。書くこと自体がある種の戦争の様相を呈している。そして、携帯電話が普及した今では考えられないような情報伝達手段の争奪戦などは、たった23年前のことが、完全な「歴史」になっていることを物語っている。テレビドラマにもなっているが、この作品が映画として残ることに意味があると思う。

 帰宅してから残り40枚の採点。その後学籍番号順に並べ替えをして、データ入力。明日大学から科目主任の先生に送ればいいのだが、気分的に今夜中に済ませておきたくて、自宅から送信して、就寝。