ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ケガレの起源と銅鐸の意味35 烏勧請の起源 第2部 烏勧請にみる西日本と東日本

2016年10月03日 15時17分10秒 | 日本の歴史と民俗
   引用・参考文献

1) p4 萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道―日本文化の原点を追う』大修館書店、1996年、p46~p53。
2) p5 木村成生「烏勧請の起源 第1部」『個人誌 散歩の手帖』25号、2012年。
3) p6 新谷尚紀『ケガレからカミへ』木耳社、1987年、p46~p52。
4) p6 大林太良『稲作の神話』弘文堂、1973年。
5) p6 田中宣一『祀りを乞う神々』吉川弘文館、2005年、p144註1。
6) p11 田中真治「岡山県の御鳥喰の事例―とくに玉野市碁石の場合」『日本民俗学』147号所収、1983年。
7) p11 金田久璋『森の神々と民俗』白水社、1998年。
8) p12 4)に同じ、p263~p264。
9) p12 6)に同じ、p24。
10) p12 3)に同じ、p62~p63。
11) p12 7)に同じ、p115。
12) p12 4)に同じ、p263。
13) p13 4)に同じ、p261。
14) p13 赤坂憲雄『東西/南北考―いくつもの日本へ』岩波新書、2000年、p114。
15) p14 網野善彦『東と西の語る日本の歴史』そしえて文庫7、そしえて、1982年、p146~p150。
16) p16 2)に同じ、p49。
17) p19 14)に同じ、p114~p126。
18) p20 吉野裕子『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』講談社学術文庫、2008年、p204。吉野は、日本の北から南まで「カラス祭り」(烏勧請)が一律の設定で行われていることについて「この一致の背後には、何か非常に重要で、動かすことのできないこの行事の意図するところ、つまりテーマが潜んでいるように思われる」と記し、烏勧請の重要性に関心をよせている。しかし、太陽とカラスの関係や射日神話まで言及しているが、その考察は陰陽五行説にひきつけたもので、賛成できない。
19) p21 4)に同じ、p293。
20) p21 14)に同じ、p66~p126。
21) p22 14)に同じ、p102~p114。
22) p24 14)に同じ、p161。
23) p25 1)に同じ、p223。
24) p25 上田正昭「神楽の命脈」『日本の古典芸能1 神楽 古代の歌舞とまつり』所収、平凡社、1969年、p27。
25) p25 24)に同じ、p42。
26) p25 1)に同じ、p29。
27) p25 萩原秀三郎『鬼の復権』吉川弘文館、2004年、p59。
28) p26 折口信夫「大嘗祭の本義」『折口信夫全集』第3巻所収、中央公論社、1995年、p173~p175。
29) p26 長島要一「W・ブラムセンの情熱―『和洋対暦表』と古代日本」『図書』岩波書店、2010年11月号。この中でブラムセンは中国の暦法を導入する以前、日本では初代神武から16代仁徳までの天皇の寿命が長いことに注目し、「神話的な存在だから長命だったのだろう」などとは考えずに、春分と秋分を起点にそれぞれ「一年」として「一年二年説」をとなえている。
また柳田国男は『新たなる太陽』(定本13巻p286)で4月15日を「新年と言はぬまでも、重い一つの境目であつたことが無かつたとも言はえぬ」と述べている。
30) p27 6)に同じ、p25。
31) p31 3)に同じ、p62。
32) p34 2)に同じ、「3章 弓神楽から天岩屋戸神話へ」
33) p34 3)に同じ、p86。
34) p35 和歌森太郎『民俗歳時記』民俗民芸双書、岩崎美術社、1977年(ほるぷ版)p58。
35) p39 2)に同じ、「5章 1日の始まりは日没から」。
36) p39 吉野裕訳『風土記』平凡社ライブラリー、2005年、p19。
37) p41 2)に同じ、p24~p26。
38) p42 2)に同じ、p35。
39) p42 2)に同じ、p18。

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