ハチに刺される
ミツバチの話 その3
2000年8月27日
ミツバチといえば、まず思い浮かぶのは蜂蜜、そして刺すということか。今回はそのうちから「刺す」ことについて書いていこう。なぜ刺すか。それはその時の状況でいろんな場合がある。それでは、五つの項目にわけてミツバチが人を刺す行為について考えてみる。
1.さされたっ☆
ハチに刺されると痛い。これはだれでも痛い。何十年養蜂をやっていて、数えきれないほど刺された人でもやっぱり痛い。わたしは養蜂をはじめるまえ、漠然と、「慣れてくれば痛くなくなるのだろう」と思っていたような気がする。というより、刺されたら痛いとか、こわいとかいう想像はしていなかった。人の仕事になっているくらいだから、そう耐えがたいものではないはずと思っていたのかもしれない。とにかく、ミツバチが刺すという点についてなぜか考えていなかった。
痛さの個人差があるかどうか、この判定はむずかしいだろうが、仕事をはじめて、日常的に刺されるようになると痛さ慣れしてくる。だんだん腫れなくなってもくる。どれくらい痛いとわかっているから驚かない。それと、刺されたらすぐに針をこすりおとして、蜂毒が体内に入らないようにするから、そのせいでも痛みも腫れも少なくてすむ。ミツバチの針の先には逆鉤がついている。だから刺さると簡単には抜けないので、ミツバチの尻からもぎとられることになる。その際、毒液の入った袋がいっしょについてくる。毒袋はピクピクとピストン運動をして毒液が注ぎ込まれる仕組みになっている。つまり刺された直後に針をこすりとれば、痛みや腫れ方はかなりちがうということになる。
体質によっては、蜂毒にアレルギー反応をおこす人もいる。そういう人は何度刺されても慣れるということがない。熱が出たり、発疹が出たりするから、気の毒だがあまりハチには近づかないほうがいい。
2.いつ刺されるか☆
ミツバチにとっていい季節、つまり、暖かく、花が咲いて流蜜の多い日は機嫌がいいからおとなしい。「流蜜」とはまた、たいそうな、といいたくなるが、花が咲いて蜜を出していることをいう。「蜜の流れる土地」ということばもあるくらいだし、願望をこめた言葉だといえる。
できれば彼らの機嫌のいい日だけハチをいじりたいものだが、仕事となるとなかなかそうはいかない。時期時期にやるべきことをやるためには、あまり日を選べないこともある。
春先の管理などはなるべく北風の吹かない暖かい日にすればハチはおとなしい。それでも途中で、空模様がかわって、日がかげって冷たい風が吹いたりすると急にハチが荒くなることがある。これは気の荒い外勤バチが帰ってくるからだ。「荒い」とはハチの刺しやすい性質をいう。
ハチの社会(正確には家族)では、個体の成長段階によって役割が変っていくが、最後の段階でハレて外の花へ蜜を吸いに行けるようになる。そうなったハチが最も刺しやすい。だから、天気が急変するとそんな外勤バチが一斉に帰ってくるわけで、ハチの手入れをしていても、ハチたちが不機嫌そうにツンツンしてくるのがわかる。
夏の北海道、南十勝はよく、海からガス(海霧)が入ってくる。有名な釧路の霧と同じ原因によるもので、北海道から東北にかけての太平洋岸一帯に出やすい。ずうっとかがんでハチの手入れをしていると急にハチが荒くなって「おや、どうしたか」と思って顔をあげるとすでにあたり一面ガスにおおわれていたということがあった。ついさっきまでの青空と緑の景色がうそのように一転してモノトーンの色調になっている。冷蔵庫のドアを開けたようにスーッと気温がさがって寒いくらいの陽気。このガスのためだろう。南十勝は耕地は広いが野菜畑はほとんどない。牧草地とデントコーンなどの飼料畑ばかりだ。
しかし、最もよく刺されるのはやはり蜜絞りとローヤルゼリー採取の時、つまりいちばんハチに接する時で、ハチからみれば最も迷惑な行為だから、刺されるのはあたりまえだ。でもこれにも時と場合でいろいろちがう。
たとえば巣箱を置く場所によってもハチは荒くなる。同じ蜂場(ほうじょう)内でも、他の巣箱にくらべていつも薄暗いところだったり、木の下だったりするとハチが荒くなる。雨だれが巣箱にあたる所はハチが荒くなると先輩に聞いたが、雨だれの音の刺激がハチを荒くするのだろうか。夏のはじめに置いた蜂場でいちばん奥の背後の森に近い一列の巣箱が夏が進むにつれてたいてい荒くなるのを経験している。
3.だれが刺されるか☆
できれば刺されたくないが、ベテランも刺される。刺されればやっぱり痛い。ハチがあつかい慣れないうちは静かに慎重に、そして神妙にかかるからあまり刺されないかもしれない。ある程度慣れて、それなりに仕事の戦力になってくるとスピードが要求される。そうなるとこれは刺されると思っても躊躇していられない場合もでてくる。
刺されれば痛いばかりでなく、ハチを一匹減らすことになる。針が抜けたハチは死んでしまうからだ。だから、彼らが刺したくなるような状況はつくらないほうがお互いのためにいい。そうはいっても仕事となるとなかなかうまくいかない。とくに採蜜のときなどは巣を持って巣箱の前も歩かなければならないし、盗蜂がついたりすると、時間との勝負だからハチの飛び交う中を動き回らなければならない。ハチは動くものに寄ってくるから、とくに巣運びを担当した人は足元を集中的に刺される。
ハチの性格は飼い主に似るといわれる。手荒にあつかう人のハチは荒くなる。ハチが荒いと定評のあるひとのハチを手伝いにいくのは気がすすまない。そう言われているひとが「さきにドンとふたをたたいてやるとおとなしくなるんだ」といっているのを聞いたことがあるが、真偽のほどはどうだったか、覚えていない。
ふだんの管理で刺されるのはほとんど手首から先だからゴム手袋をすれば痛い思いをしないですむ。しかし、痛くないとあつかいが自然に荒くなるといって、たいていはゴム手袋はしたがらない。わたしもしなかったし、たぶんそれは本当だと思う。
4.どこを刺されるか☆
最も刺されるのは手首から先で、特にゆびが刺されやすいのは当然だ。頭や目などの黒いところもねらわれやすい。ふだんは網をつけたむぎわら帽子をかぶるから、頭を刺されることはないが、たまたま網をかぶらずにいると髪の毛にもぐりこまれることがある。目玉をもろに刺されたことはないし、そんな話も聞いたことはない。そこまでにぶいひとはたぶんいないのだろうが、確かにねらって飛んでくることがある。不幸にして目蓋を刺されるとかなり腫れる。やわらかいところ、たとえば唇なども、めくれあがったようになってぽってり腫れる。ベテランでもかなり腫れる。もう形無しだ。
刺されていちばん痛いのは、爪のあいだ。これはもう情けないほど痛い。声もでない。力がぬけてバールが手からこぼれる。バール、つまりくぎ抜きをもっとも使う。これで巣枠をずらしたり寄せたりする。その痛さはちょうど釘を打ってて、誤ってかなづちでゆびを叩いたときの痛さだ。しばらくはツーンとなった手をだらりと下げて、ひたすら耐えるだけ。もう戦意喪失して帰りたくなる。やむを得ず、雨降るなかで不機嫌なハチを相手に、不機嫌に仕事しているときなんかによくそんなことがある。
5.どれだけ刺されるか☆
これまで計算したことはなかったが、いったい何発ぐらい刺されたのだろう。冬のうちはほとんどハチをいじらないから、だいたい3月から9月いっぱいとして、7ヶ月。そのうちには休みがあったり、ハチをいじる以外の別の作業があったり、悪天候もある。それらを除くとざっと150日。1日に何発刺されるかが問題で、最悪の状況はのぞいたとして、少なく見積もって仮に5発とすれば年間では750発になる。
たまにはまったく刺されない日もあるが、やたらに刺される日もある。今、思い出してもっとも多く刺されたころというのは、夏の後半、ローヤルゼリー採取の終盤のころか。もう花らしい花はないし、ハチは多いし、それで天気が悪くて、冷たい雨でも降ってという日には、巣箱を開けるごとに刺されているという感じだった。ローヤルゼリー採取についてはまたいずれ書くとして、ローヤルゼリー採取用の巣枠を各巣箱に1枚ずつ出し入れする作業がある。この時期にはそれが300枚になっている。ふたりで作業するとしてひとり150回巣箱を開け閉めすることになる。実際にはそれと付随する作業やハチの点検も加わるから、ざっと1日に180発。このあたりが1日に刺される最大の数だろうか。こんな最悪の日が年に3回あったとして、さきの750発に足すと、1290発。この仕事を4年間やったので、合計5160発。うーん。数字にすると実感が湧かない。ほんとかうそか、この数字を見てもピンと来ない。
これはかなりひかえめの数字で計算してきたつもりだから、これより少ないことはないだろう。1日平均にすれば3発半にすぎない。
最後に
養蜂の仕事の中で、ハチに刺されるということについて、思い出しながら書いてきた。しかし、このような日常的、職業的ハチ刺され状態がこの職業としてふつうのことだったのかどうかはやや疑問に思う。というのは、専業養蜂で、しかも平均以上に大群数の巣箱をあつかっていたから、ハチの事情より人間の都合を優先させる場合が少なくなかったのではないか。少々刺されてもここは仕事をやりきっちゃおうという場面が多くはなかったか。刺されながら、そんなことを思っていたこともあった。
それにたとえば、ローヤルゼリーの採取などはかなり人工的な行為で、天の恵み、自然の恩恵を待つというのとはだいぶちがう。どちらかといえば計画的、人為的なものだ。時間の都合、人の都合、さらに言えば経営上の都合と、痛さをこらえて押していくということになる。同時にそれは多くのハチを殺したということでもある。思えばずいぶん死なせたものだ。しかし、全体のハチの数からすればごく微々たる数にはちがいない。
仕事量に余裕のある群数(ハチの箱数)でハチのご機嫌をうかがいながら仕事ができたら、いくらも刺されはしないだろう。趣味でやるならそれは可能だし、ミツバチは元来おとなしいものだ。
針供養というのがあるが、養蜂界には蜂供養というのがある。わたしは出たことはなかった。
ミツバチの話 その3
2000年8月27日
ミツバチといえば、まず思い浮かぶのは蜂蜜、そして刺すということか。今回はそのうちから「刺す」ことについて書いていこう。なぜ刺すか。それはその時の状況でいろんな場合がある。それでは、五つの項目にわけてミツバチが人を刺す行為について考えてみる。
1.さされたっ☆
ハチに刺されると痛い。これはだれでも痛い。何十年養蜂をやっていて、数えきれないほど刺された人でもやっぱり痛い。わたしは養蜂をはじめるまえ、漠然と、「慣れてくれば痛くなくなるのだろう」と思っていたような気がする。というより、刺されたら痛いとか、こわいとかいう想像はしていなかった。人の仕事になっているくらいだから、そう耐えがたいものではないはずと思っていたのかもしれない。とにかく、ミツバチが刺すという点についてなぜか考えていなかった。
痛さの個人差があるかどうか、この判定はむずかしいだろうが、仕事をはじめて、日常的に刺されるようになると痛さ慣れしてくる。だんだん腫れなくなってもくる。どれくらい痛いとわかっているから驚かない。それと、刺されたらすぐに針をこすりおとして、蜂毒が体内に入らないようにするから、そのせいでも痛みも腫れも少なくてすむ。ミツバチの針の先には逆鉤がついている。だから刺さると簡単には抜けないので、ミツバチの尻からもぎとられることになる。その際、毒液の入った袋がいっしょについてくる。毒袋はピクピクとピストン運動をして毒液が注ぎ込まれる仕組みになっている。つまり刺された直後に針をこすりとれば、痛みや腫れ方はかなりちがうということになる。
体質によっては、蜂毒にアレルギー反応をおこす人もいる。そういう人は何度刺されても慣れるということがない。熱が出たり、発疹が出たりするから、気の毒だがあまりハチには近づかないほうがいい。
2.いつ刺されるか☆
ミツバチにとっていい季節、つまり、暖かく、花が咲いて流蜜の多い日は機嫌がいいからおとなしい。「流蜜」とはまた、たいそうな、といいたくなるが、花が咲いて蜜を出していることをいう。「蜜の流れる土地」ということばもあるくらいだし、願望をこめた言葉だといえる。
できれば彼らの機嫌のいい日だけハチをいじりたいものだが、仕事となるとなかなかそうはいかない。時期時期にやるべきことをやるためには、あまり日を選べないこともある。
春先の管理などはなるべく北風の吹かない暖かい日にすればハチはおとなしい。それでも途中で、空模様がかわって、日がかげって冷たい風が吹いたりすると急にハチが荒くなることがある。これは気の荒い外勤バチが帰ってくるからだ。「荒い」とはハチの刺しやすい性質をいう。
ハチの社会(正確には家族)では、個体の成長段階によって役割が変っていくが、最後の段階でハレて外の花へ蜜を吸いに行けるようになる。そうなったハチが最も刺しやすい。だから、天気が急変するとそんな外勤バチが一斉に帰ってくるわけで、ハチの手入れをしていても、ハチたちが不機嫌そうにツンツンしてくるのがわかる。
夏の北海道、南十勝はよく、海からガス(海霧)が入ってくる。有名な釧路の霧と同じ原因によるもので、北海道から東北にかけての太平洋岸一帯に出やすい。ずうっとかがんでハチの手入れをしていると急にハチが荒くなって「おや、どうしたか」と思って顔をあげるとすでにあたり一面ガスにおおわれていたということがあった。ついさっきまでの青空と緑の景色がうそのように一転してモノトーンの色調になっている。冷蔵庫のドアを開けたようにスーッと気温がさがって寒いくらいの陽気。このガスのためだろう。南十勝は耕地は広いが野菜畑はほとんどない。牧草地とデントコーンなどの飼料畑ばかりだ。
しかし、最もよく刺されるのはやはり蜜絞りとローヤルゼリー採取の時、つまりいちばんハチに接する時で、ハチからみれば最も迷惑な行為だから、刺されるのはあたりまえだ。でもこれにも時と場合でいろいろちがう。
たとえば巣箱を置く場所によってもハチは荒くなる。同じ蜂場(ほうじょう)内でも、他の巣箱にくらべていつも薄暗いところだったり、木の下だったりするとハチが荒くなる。雨だれが巣箱にあたる所はハチが荒くなると先輩に聞いたが、雨だれの音の刺激がハチを荒くするのだろうか。夏のはじめに置いた蜂場でいちばん奥の背後の森に近い一列の巣箱が夏が進むにつれてたいてい荒くなるのを経験している。
3.だれが刺されるか☆
できれば刺されたくないが、ベテランも刺される。刺されればやっぱり痛い。ハチがあつかい慣れないうちは静かに慎重に、そして神妙にかかるからあまり刺されないかもしれない。ある程度慣れて、それなりに仕事の戦力になってくるとスピードが要求される。そうなるとこれは刺されると思っても躊躇していられない場合もでてくる。
刺されれば痛いばかりでなく、ハチを一匹減らすことになる。針が抜けたハチは死んでしまうからだ。だから、彼らが刺したくなるような状況はつくらないほうがお互いのためにいい。そうはいっても仕事となるとなかなかうまくいかない。とくに採蜜のときなどは巣を持って巣箱の前も歩かなければならないし、盗蜂がついたりすると、時間との勝負だからハチの飛び交う中を動き回らなければならない。ハチは動くものに寄ってくるから、とくに巣運びを担当した人は足元を集中的に刺される。
ハチの性格は飼い主に似るといわれる。手荒にあつかう人のハチは荒くなる。ハチが荒いと定評のあるひとのハチを手伝いにいくのは気がすすまない。そう言われているひとが「さきにドンとふたをたたいてやるとおとなしくなるんだ」といっているのを聞いたことがあるが、真偽のほどはどうだったか、覚えていない。
ふだんの管理で刺されるのはほとんど手首から先だからゴム手袋をすれば痛い思いをしないですむ。しかし、痛くないとあつかいが自然に荒くなるといって、たいていはゴム手袋はしたがらない。わたしもしなかったし、たぶんそれは本当だと思う。
4.どこを刺されるか☆
最も刺されるのは手首から先で、特にゆびが刺されやすいのは当然だ。頭や目などの黒いところもねらわれやすい。ふだんは網をつけたむぎわら帽子をかぶるから、頭を刺されることはないが、たまたま網をかぶらずにいると髪の毛にもぐりこまれることがある。目玉をもろに刺されたことはないし、そんな話も聞いたことはない。そこまでにぶいひとはたぶんいないのだろうが、確かにねらって飛んでくることがある。不幸にして目蓋を刺されるとかなり腫れる。やわらかいところ、たとえば唇なども、めくれあがったようになってぽってり腫れる。ベテランでもかなり腫れる。もう形無しだ。
刺されていちばん痛いのは、爪のあいだ。これはもう情けないほど痛い。声もでない。力がぬけてバールが手からこぼれる。バール、つまりくぎ抜きをもっとも使う。これで巣枠をずらしたり寄せたりする。その痛さはちょうど釘を打ってて、誤ってかなづちでゆびを叩いたときの痛さだ。しばらくはツーンとなった手をだらりと下げて、ひたすら耐えるだけ。もう戦意喪失して帰りたくなる。やむを得ず、雨降るなかで不機嫌なハチを相手に、不機嫌に仕事しているときなんかによくそんなことがある。
5.どれだけ刺されるか☆
これまで計算したことはなかったが、いったい何発ぐらい刺されたのだろう。冬のうちはほとんどハチをいじらないから、だいたい3月から9月いっぱいとして、7ヶ月。そのうちには休みがあったり、ハチをいじる以外の別の作業があったり、悪天候もある。それらを除くとざっと150日。1日に何発刺されるかが問題で、最悪の状況はのぞいたとして、少なく見積もって仮に5発とすれば年間では750発になる。
たまにはまったく刺されない日もあるが、やたらに刺される日もある。今、思い出してもっとも多く刺されたころというのは、夏の後半、ローヤルゼリー採取の終盤のころか。もう花らしい花はないし、ハチは多いし、それで天気が悪くて、冷たい雨でも降ってという日には、巣箱を開けるごとに刺されているという感じだった。ローヤルゼリー採取についてはまたいずれ書くとして、ローヤルゼリー採取用の巣枠を各巣箱に1枚ずつ出し入れする作業がある。この時期にはそれが300枚になっている。ふたりで作業するとしてひとり150回巣箱を開け閉めすることになる。実際にはそれと付随する作業やハチの点検も加わるから、ざっと1日に180発。このあたりが1日に刺される最大の数だろうか。こんな最悪の日が年に3回あったとして、さきの750発に足すと、1290発。この仕事を4年間やったので、合計5160発。うーん。数字にすると実感が湧かない。ほんとかうそか、この数字を見てもピンと来ない。
これはかなりひかえめの数字で計算してきたつもりだから、これより少ないことはないだろう。1日平均にすれば3発半にすぎない。
最後に
養蜂の仕事の中で、ハチに刺されるということについて、思い出しながら書いてきた。しかし、このような日常的、職業的ハチ刺され状態がこの職業としてふつうのことだったのかどうかはやや疑問に思う。というのは、専業養蜂で、しかも平均以上に大群数の巣箱をあつかっていたから、ハチの事情より人間の都合を優先させる場合が少なくなかったのではないか。少々刺されてもここは仕事をやりきっちゃおうという場面が多くはなかったか。刺されながら、そんなことを思っていたこともあった。
それにたとえば、ローヤルゼリーの採取などはかなり人工的な行為で、天の恵み、自然の恩恵を待つというのとはだいぶちがう。どちらかといえば計画的、人為的なものだ。時間の都合、人の都合、さらに言えば経営上の都合と、痛さをこらえて押していくということになる。同時にそれは多くのハチを殺したということでもある。思えばずいぶん死なせたものだ。しかし、全体のハチの数からすればごく微々たる数にはちがいない。
仕事量に余裕のある群数(ハチの箱数)でハチのご機嫌をうかがいながら仕事ができたら、いくらも刺されはしないだろう。趣味でやるならそれは可能だし、ミツバチは元来おとなしいものだ。
針供養というのがあるが、養蜂界には蜂供養というのがある。わたしは出たことはなかった。
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