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ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

長い繁殖期

2005年08月27日 18時11分04秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
長い繁殖期 2002年9月

 8月の末にもなると、地上の残暑とは裏腹に、上空は秋らしい青空がひろがることもある。多摩川ではカワラヒワが集まりだして、ハリエンジュの梢でコロコロとなつかしい声を聞かせる。気のせいか河原もどこかものさびしい。繁殖期が終って、もう囀る鳥の声も………。と思いきや、まだセッカが鳴いていた。
 多摩川でのセッカの鳴き納めは、年によって差があるが、8月の末から9月の半ばくらいになる。ほっと氏の繁殖に関する情報もそのころまである。というか、どれも8月と9月のものばかり。なんでこんなに遅いのだろう。たとえば餌運びが8月の下旬に観察されているし、巣立ちビナをつれた家族群について計7件の記録があるが、8月が3件、9月は4件で、最も遅いのは95年の記録で9月18日になっている。
 セッカの初囀は3月下旬から4月上旬なので、それを繁殖期のはじまりとすると、それから9月までが長い繁殖期間ということになる。その間、2回から3回繁殖を繰り返すと生態図鑑などには書いてある。しかし、もっとも盛んだと思われる6~7月になぜ観察記録がないんだろう。
 こんな時は、例によって日本野鳥の会神奈川支部の『神奈川の鳥 神奈川県鳥類目録』の2、3、4集を開く。そこにはうらやましいくらいセッカの情報が載っている。
 その中の繁殖に関するデータは3集の合計で30件。そのうち8月以降のデータが13件。なかには10月9日の巣立ちビナの観察もある。30件のうち8月以降が13件なら特に多くはないように見えるが、巣立ちビナを連れた家族群の記録だけをみると、全部で8件あるうち、8月以降だけで5件になる。ほかの3件は年を省略するが、6月10日、6月27日、7月29日となっている。
 家族群以外のデータは、巣材運びや餌運び、育雛に関するもので、それらは一応早い時期からある。だからほっと氏の観察不足はやっぱりその通り。が、それにしても巣立ちビナに関する情報は、こちらもおもに秋口ばかりというのはどういうことか。
 これはつまり、セッカの場合、あとの方ほど、子育てがうまくいくということなんだろうか。『原色日本野鳥生態図鑑―陸鳥編』には「巣は高い捕食圧にさらされており、巣立ち成功率は非常に低い」と記されている。2回3回と繁殖を繰りかえしても、なかなか巣立ちまでもっていけないという現実があるのだろう。そのためふつうなら多いはずの6、7月でも家族群などの観察が案外少ないということになるらしい。捕食相手はだれなのか同書には記述はないが、この時期は他の生物も繁殖適期だろうから、どうしてもえさに食われてしまう。それでも自然はうまいぐあいに配慮されていて、秋口までくさらずに努力を続ければ、なんとか育てられる。そのころまでセッカの子育てに必要な虫やクモが用意されているということなのか。
 長い繁殖期といえば、キジバトも長い。一年中のようにみえる。そこで、つぎのテーマは

キジバトの鳴かない日

 身近なキジバトにもたまには注目してみましょう。年中鳴いているようですが。

野鳥におこられた

2005年08月27日 18時03分06秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
野鳥におこられた 2002年7月

 この春までほっと氏は羽村市内で鳥の数を数えて歩いた。コースのスタート地点にヒマラヤスギの大木があって、梢ちかくの枝の付け根にハシブトガラスが巣を架けていた。3年間歩いて、毎年繁殖期にはカラスに威嚇されたが、特に2000年はしつこくつきまとわれた。威嚇やつきまといをされたのは5月5日から6月21日まで。ただし、10日に1回行くだけだから、その行動の正確な始めと終りではない。
 カラスは個人を識別しているようだ。巣から100mほど離れた団地の駐輪場にいつも自転車をおいているが、それをどこで見ているのか、いち早く気づいて遠くで鳴き出す。すぐにその声が大きくなって、あっという間に頭上に来ている。ほっと氏は鳥を探してゆっくり歩いているから、うるさくてしょうがない。巣のあるヒマラヤスギのすぐ下を通って、そこから100mくらい離れるまで、ずっとつきまとっている。電線にとまって嘴をカチカチ鳴らしたり、コナラの梢で小枝を毟り取る。無気味で怖いくらいだ。それをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。つつかれたら痛そうだから、ほっと氏もほかの鳥に注意しながらカラスのほうへもチラチラ目をやる。そうしていると、やつも突進してこない。
 巣立った幼鳥2羽を確認したのは6月6日だった。その後もしつこかったが、21日にはそれまでと違って、あまり鳴きたてないし、あっさりしていて、ようやく終息していった。
 もっとこわいのはツミだった。いきなり突進してくるのだ。目が会ったり双眼鏡を向けようものなら即座にスクランブルをかけてくる。これは同じく羽村のコース内の公園で行き会うツミ。これが後ろばかりでなく、前からでも横からでも来る。どこから飛び出してくるかわからないので、ケヤキなどの幹を楯にして、木から木へと弾丸を避けるようにして歩いた。まるで戦争ごっこだ。99年の6月3日から23日のことだった。巣の場所はわからずにいたが、後日、散歩の人から場所と、ヒナが落ちて羽村動物園の職員にもどしてもらったという話を聞いた。巣は公園の周回コースわきの木の枝、高さ2.5mほどのところだった。毎朝散歩しているおばさんたちの中には頭をはたかれた人もいて「怖いからひとりで歩かないようにしている」といっていた。
 こういうおこりっぽいツミはほかにもいるのだろうか。2000年にも羽村市内の別のところでツミの営巣をみたが、そこは道路の歩道わきの林で、歩道の上へ張り出した、ほぼ真上に見上げる高さ5mほどの枝の又。キジバトが作ったような隙だらけの粗末な巣だったが、3羽の幼鳥が巣立った。ここのツミはおこらなかった。家族群を見たのは7月3日が最後だった。
 無事に子育てが終って、あとはただ暑い夏。多摩川ではオオヨシキリのさえずりもハタと止んで、じりじりと日が照りつけるというのに、まだしつこく鳴く鳥がいる。そこで、つぎのテーマは

長い繁殖期

 春が地上に湧いてくるとしたら、秋は空から下りてくる。もう繁殖期は終ったと思っていたら、ガンバッテイル鳥もいた。

野鳥がさわった

2005年08月27日 16時49分08秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
野鳥がさわった 2002年5月

 ほっと氏のチーズを当然のように横取りしていくコガラ。1999年12月7日、大岳山頂でのことだった。まるくて小さなフランスパンで、上が噴火口のように破裂していて、中にサイコロ状に刻んだチーズがつまっている。コガラは縁にとまって頃合いのチーズをむしりとり、くわえるとすぐ飛び去っていく。姿が見えなくなったかと思うと、消えたあたりにすぐまた現われて、パンに向かって一直線に飛び込んでくる。近所に貯食場所があるのだろう。ほっと氏はパンをゆっくりかじり、コガラが飛んでくると、手の動きをとめてコガラに与えるのだった。やつはチーズを運んでいくばかりで、その場ではチーズもパンも食べなかった。
 ヤマガラも1羽飛んできたのだが、すぐそばまで来ては、枝移りするばかりだった。好みの食べ物でないのか、それとも臆病だったのか。ヤマガラはよく手に乗っている写真があるから馴れやすいと思うが。以前、テレビで都民の森を紹介する番組があって、手に乗るヤマガラを映していた。コガラもヤマガラもかなり貯食性が強いそうだ。馴れやすさには、それも関係あるだろうか。
 では、おなじカラ類のヒガラやシジュウカラはどうなのだろう。『原色日本野鳥生態図鑑・陸鳥編』によると、ヒガラはおもに昆虫食だが、針葉樹の種子などを貯食する習性もある、という。ほっと氏の観察でこんな場面があった。1995年11月13日のこと。奥多摩湖のすぐ北にある倉戸山の山頂の北側にナツツバキの木があって、実がなっていた。すでにこの時期には実のさきは割れている。コガラとヒガラが来ていて、コガラはナツツバキの実から種をほじくり出してどこかへ運んでいったが、ヒガラはその場で食べていた。コガラに比べると貯食性はあまり強くないらしい。同じ本によると、シジュウカラには貯食性はないという。
 実は日本野鳥の会奥多摩支部の探鳥会のデータにも1件だけ手乗りのコガラの記録がある。こんな時、データが整理されているとほんとにありがたい。ぜひ、こういう記録も残しておいて欲しい。1997年4月22日、大菩薩嶺となっているので、嶺の山頂だろう。「前回と同様、人なつこいコガラが人の手のひらでパンくずを食べていきました」という記述なので、少なくとも同じ年の3月2日の探鳥会でも手乗りコガラがいたわけだ。
 近年は中高年の山歩きが平日も休日も無く見られるので、人気のある山の頂きなら、小鳥がなついているのかもしれない。ほっと氏はまだ調べていないが、御前山や三頭山など、ほかにも人の多い山では手乗りが見られるのではないかと予想している。いつ頃から始まったことなのか。山好きの人、気がついた人はいませんか。
 鷹ノ巣山の山頂でのこと、これは94年5月19日。北面の藪のなかを双眼鏡で覗いていたほっと氏。そこへヒガラが近づいてきた。知らんぷりしていたら、足もとの地上に一度下りて、そのあとほっと氏のズボンのひざの横に跳びついた。ズボンの生地にひっかかるヒガラの爪を通して伝わるかすかな重さ。思い出すと今もその感触がよみがえってくるのだった。
 手乗りする小鳥はかわいいが、反対に野鳥におこられることもある。そこで、つぎのテーマは

野鳥におこられた

 最近は街のカラスがおこりっぽい。繁殖期には不用意に巣に近づかないように。


野鳥の事故を見てしまった

2005年08月27日 16時42分03秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
野鳥の事故を見てしまった 2002年3月

 尾のない鳥をみることがある。これまでにほっと氏が見たのはヒヨドリ、モズ、シジュウカラ、トビといった鳥。どこでどんな目に会ったのかはわからない。尾無しで飛ぶ姿は異形ではあるが、けっこう変わりなさそうにふつうに飛んでいるように見える。本人の飛び心地はどうなんだろう。
 ある時、ほっと氏は大岳山から御岳へ下る途中、ヒガラのアクシデントに出くわした。ミツバツツジの枝先に足をからませてバタバタやっているのだった。まだ春先のことで葉が茂っていない。ちょっと立ち止まって見ていたが、どうもはずれそうもない。なんともドジなヒガラだ。枝をたぐり寄せればとどきそうなので、近づいていった。すると窮地におちいったところへ外敵まで現われたとばかりに一層動揺したのか、いちだんと激しくバタバタやった。その拍子に足がはずれた。
 そばの小枝に飛び移って、しきりに羽づくろいをする。いかにもハアハアしている感じ。ねじれて裏返ったようになった風切り羽の一部がなかなか元にもどらない。羽ばたいてみたり、閉じてみたり、ちょっと飛んで別の枝に移ったり。またそこでも羽づくろいをくりかえす。それでも、案外痛手は軽かったようだ。飛び移る感覚を確かめるように、何回も枝移りをくりかえす。そしてようやく現場から離れていった。どうやら笑い事ですんだようだ。
 笑えないのは釣り糸がからむアクシデント。水辺の鳥はなんでも被害に遭う恐れがあるが、ほっと氏はサギ類の被害をこれまでに何度か見ている。ダイサギやコサギが片足をだらりと下げたまま川の上空を飛んでいることがあるし、釣り糸が下がっているのが見える時もある。
 多摩川の河川敷を歩いていた時のこと。ササゴイが草むらにかこまれた砂地の上でもがいていた。口から釣り糸が出ていて、その先は草にからまっている。綱引きをするようなかっこうで足をふんばっているが針を飲み込んでいるのだろうから、そうそう抜けるもんじゃあない。ほっと氏も困った。あばれる鳥をおさえて、首をつかんで糸をひっぱってみたがぜんぜんダメ。口のなかをのぞくと針は見えない。すっかり飲み込んでいるようだ。しょうがないから、口もとのところからはさみで釣り糸を切った。手を離すとササゴイはすぐ舞いあがって飛び去った。針を飲み込んだまま、その後どうなったのだろう。
 ところで、はじめて手でつかんだササゴイは案外小さかった。野鳥にさわれる機会はふつうは滅多にない。だから、事故にあった鳥か、落鳥個体をひろった時くらいしか手にすることができない。しかし、向うから進んでやってくることがなかにはある。
 ほっと氏は大岳山の山頂でパンをかじっていた。すると、コガラがやって来て、パンにのったチーズをくわえて飛び去った。じっとしていると何度もやってくる。餌付け状態になっているのか? そこで、つぎのテーマは

野鳥がさわった

 野鳥が手に乗ったり、体にとまったことはありますか。そういう話があったら編集部へ。


鳥追い歌を知ってますか

2005年08月27日 16時34分32秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
鳥追い歌を知ってますか 2002年1月

 鳥追いとは民俗辞典などによると、農村の正月の行事で、おもに東北から関東、信州にかけての子供の行事で、鳥追い歌を歌いながら田畑に来る鳥を追い払うというものなのだという。ほっと氏は各地に残る鳥追い歌をさがしているうちに、鳥を追い払うさきには、鬼が島、えぞが島、遠島、佐渡が島などがあるが、なかでも佐渡が島が多いことに気づいた。
 悪さをする鳥は佐渡へ追っ払ってしまえというわけだが、追っ払われる先の佐渡が島はたまったもんじゃあない。それなら佐渡が島ではどこへ追ってやれと歌っているのか、それを知りたいとほっと氏は思った。まさか越後の国へとか、本土のほうとは言ってないだろう。
 気になっていたところへ、ある本が目についた。武田久吉の『農村の年中行事』。武田久吉は登山家で植物学者。アーネスト・サトウの息子で日本山岳会創立にもかかわっている。民俗にも関心が強く、植物に関する民俗や石仏についての本なども残している。『農村の年中行事』の中で武田は鳥追いについて一項を設けて、各地の鳥追い歌を紹介している。たとえば、

西から東へ立つ鳥は おん鳥めん鳥十三羽 羽が十六目が一つ 二つに割って塩つけて 三つに割って味噌つけて こん俵へされ込んで 佐渡が島へ ホンガラホイ(信濃北安曇郡)

 塩漬けにして、俵に押し込んで佐渡が島へ流してやるぞ、と鳥をおどしている。そして武田も気になったらしく、「こう諸方で佐渡が島へ追いやったのでは、この島は害鳥で一杯になりそうだ。それで、この島では何といって鳥を追うか、『佐渡年中行事』をひらいて見ることとしよう」といって、『佐渡年中行事』から鳥追い歌を7件紹介している。しかし、その中には越後へ追おうとか、信州へ追っていくというのは見当たらなかったという。
 ほっと氏の疑問も自分だけのものではなかったし、なんとなく答も見えてきた感じで興ざめしていた。それが最近になって偶然、決定的な文献に出会った。これで鳥追いは終りにしようかなという感じ。それは『環日本海地域比較史研究』第1号というもので、その中に「鳥追い歌に関する地理学的覚書」(青山宏夫)という題名の論文があった。
 それは、各地の鳥追い歌の歌われている場所と鳥を追いやる先との関係を検討して、そこから、日本の辺境観、異域観といったものをさぐるというもので、鳥追い歌がそんなひろがりを持ったテーマとして、扱われていたのだった。さらに、その論文での参考文献のなかに『新潟県における鳥追い歌-その言語地理学』(渡辺冨美雄他。野島出版)という本があって、「佐渡の鳥追い歌には、鳥を追いやる先が明示されないものがほとんどである」との一文が紹介されている。
 追われる鳥も大変だが、霞網で一網打尽もこわい。生きていれば数々のアクシデントにみまわれる。フィールドを歩くと事故に遭遇している野鳥に出会うこともある。そこで、つぎのテーマは

野鳥の事故を見てしまった

 釣り糸がからむ、ネコに襲われるなど、目撃談があったら編集部へお便りください。

カワラヒワの行き先

2005年08月27日 16時25分40秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
カワラヒワの行き先 2001年11月

 9月と10月、御岳山のカワラヒワはどこへ行くのか。御岳山ばかりではない。わたしの手元にある山のふるさと村の記録でも確認鳥種の中に9月のカワラヒワの記録がない。日本野鳥の会奥多摩支部の『多摩の鳥』に以前連載された「私のフィールド」でみると霞丘陵や成木川でも8月から10月に観察回数が少なく、特に9月はまったくない。
 ほっと氏は以前、『狭山丘陵の鳥』(荻野豊1981年)を読んだ。その中のカワラヒワのところに「不思議なことに9月にはほとんど観察されていない。このことは高尾山や荒川河川敷にある秋ケ瀬公園でも認められている」という記述に出会った。実は9月ごろには多摩川ではカワラヒワが多くなるのをほっと氏は経験していたのだった。夏の盛りにあまり見られなかったカワラヒワが8月中旬からそろそろ群れで河川敷に現れるようになる。それが9月10月と次第に数が多くなるのだった。彼らは河原でマツヨイグサ、オオイヌタデ、オオブタクサ、ヨモギなどの種をさかんに採食する。
 それでは、9月から10月のカワラヒワはどこで減ってどこで増えるのか。もう少し、多摩地域の資料にあたってみることにした。といってもあまり多くの資料がない。結局9月あるいは9~10月にほとんど見られなくなることが確認できたのは、御岳山、山のふるさと村、霞丘陵、成木川、狭山丘陵のほかに、草花丘陵、玉川上水、羽村市内(この3ヶ所はほっと氏による)、狭山緑地(坂本卓さんによる)といったところだった。
 そして平井川(森谷さんによる)では観察されており、その月の全観察日数のうちのカワラヒワの観察回数からすると特に減ってはいないようだ。昭和記念公園での日本野鳥の会奥多摩支部の探鳥会の記録を見ると、観察回数はほかの時期よりは少ないものの、一応記録されている。浅川では(八王子カワセミ会の記録)夏に少なく、9月から個体数が増えている。多摩川では前述のように8月中旬からだんだん増えてくる。
 というわけで、山や丘陵、それに街中からはカワラヒワが見られなくなるのは、河原に集まるせいなんだろうと思う。ただ、ねぐらまで河原に移るようでもない。ほっと氏はこの時期、早朝河原歩きをしていると、どこからかカワラヒワの群れが飛来してニセアカシアの梢に降りるのを何度かみたことがある。それは河川敷の外からやってくるようだった。
 『原色日本鳥類生態図鑑-陸鳥編』のカワラヒワの項には、「親から独立した若鳥や、繁殖を終えた成鳥は、8~9月の換羽期に河原のヨシ原や水田で大群を形成し、一時的に繁殖地を去る」という記述がある。というわけで、すでに言われていることなのだが、ねぐらまで移ってしまうのかどうか。
 カワラヒワの群れ、スズメの群れ、ムクドリの群れ、そして渡ってきた冬鳥たちの群れ。野鳥の群れは秋から冬への風物誌だが、かならずしも歓迎されていたものでもなかった。旧正月の行事として各地に残る鳥追いがそれを物語っている。そこで、つぎのテーマは、

鳥追い歌を知ってますか

 子どものころ鳥追い歌をうたいましたか。鳥追いの行事の思い出はありますか。ほとんど絶えた民俗行事かもしれませんが、何か関係のある話しをお持ちの方は、編集部へお便りを。

オオヨシキリが鳴きやんだ

2005年08月27日 16時15分08秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
オオヨシキリが鳴きやんだ 2001年9月

 めずらしくお便りをいただいた。あきる野市のHさんは市内の野辺付近の秋川左岸で鳥の観察をしているという。オオヨシキリは7月19日にはいつも通りの大合唱だったのが、20日には少し減り、21日以後は聴かれなくなったとのこと。これは平年並みといっていいのだろうか?。
 というのは、ほっと氏のよく行く多摩川では今年、7月16日にはすでにさえずりはほとんど終っていた。ほっと氏の手帖によれば、オオヨシキリの鳴きやみは、1992年が7月23日、93年、94年、95年が7月21日、96年が7月19日、97年が7月14日となっている。だからHさんの記録は例年通りといっていい。鳴きやみのズレは場所にもよるのか。
 鳴きやんだあと、もうまったく鳴かないというわけではない。それまで、うるさいくらいにあちこちで盛んに鳴き交わしていたのが、ある日、ほぼ一斉に鳴きやんでしまい、その後は思い出したようにたまに鳴くくらいということだ。その時期がだいたい7月下旬。その後はあの勢いはどうしたの、というくらいおとなしくなる。たまに鳴いていても、たいていは小声で気合が入ってない。「もう仕事は終ったよ」という調子なのだ。『原色日本野鳥生態図鑑-陸鳥編』によると「繁殖シーズン末期には、雄が次々と繁殖場所から姿を消し、後には卵や雛の世話をする雌だけが残される」という記載がある。このことを言っているのだろうか。ちなみに一度終息したあと、8月中下旬から9月にかけてまたいくらかさえずることがある。他鳥でも、秋にさえずりが一時的に復活することはよくみられる。
 では、多摩川で予想がはずれたのはどうしてなのか。どうして、今年は早く鳴きやんだのか。カラ梅雨のせいだろうか。今年の梅雨は雨が少なく、高温で、日照は多過ぎるくらい。梅雨寒という時期がほとんどなかった。6月21日から7月21日のあいだの東京の雨量はたったの4ミリで平年の2パーセントだったという。野鳥の子育てには都合がよかったかもしれない。それで早く鳴き納めになったのだろうか。そこで、同じく鳴き納めが7月14日と早かった97年の繁殖期の様子を気象年鑑でみたら、雨量、日照ともほぼ平年並み、気温だけは高めとなっている。気温が高いという以外は似ていない。それに秋川のほうはこれでは説明できない。
 それにしても、ほっと氏の記録した92年から97年までのあいだ、年々鳴きやむ時期が早くなっているのはたまたまだろうか。これももしや温暖化の影響か。今年7月の、とびっきりの暑さは先行きに不安さえ感じさせる。年々夏が酷になっていく。98年、99年、2000年の鳴き納めはいつだったのか。観察をさぼっていたのはくやまれる。
 さて、暑い夏はオオヨシキリとともに速やかに去っていただいて。鳥の世界は大移動のシーズンが始まっている。このころ、留鳥のカワラヒワだって小旅行に出るらしい。日本野鳥の会奥多摩支部発行の『別冊多摩の鳥』の66ページ、「御岳山における観察鳥種の整理一覧」をご覧いただきたい。その中の№19カワラヒワを見ると9月1件、10月はゼロとなっている。この時期御岳山からほとんどいなくなることを示している。そこで、つぎのテーマは、

カワラヒワの行き先

 9月から10月にかけて御岳山でカワラヒワをみつけたら、編集部へお便りください。また、同じ時期、ほかの場所でもカワラヒワについて、気づいたことがあったら教えてください。

「あゆたか」って聞いたことありますか

2005年08月27日 16時05分12秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
「あゆたか」って聞いたことありますか 2001年7月

 北原白秋の詩に「鮎鷹」というのがある。多摩の「あゆたか」、つまり、コアジサシを歌っている。その冒頭を紹介すると、
  鮎鷹は多摩の千鳥よ、
  梨の実の雫く切口、
  ちちら、ちち、
  白う飛ぶそな。
  ~~
 紙幅がないので、最初の部分だけにとどめる。白秋の詩集「海豹と雲」(昭和4年刊)のなかにある。全集でもいいが、ほっと氏は新潮社版『日本詩人全集7 北原白秋』で読んだ。
 『日本詩人全集7 北原白秋』の年譜によると、「明治43年2月から9月まで、ほとんど毎日小石川植物園に通う」という記述があった。白秋26歳のとき。詩や短歌に動植物がよく登場するように、白秋の自然への関心はかなり高いようだ。その白秋が「あゆたか」を知ったのはどういういきさつだったのか。ほっと氏は悟堂が教えた可能性を予想していた。だが、そうではなかった。
 川崎市多摩区に稲田郷土史会という郷土史研究の会があり、「あゆたか」という会誌を発行している。以前から気になっていたほっと氏は、この機会に問合せてみた。
 その結果、稲田郷土史会の水尾藤久氏から返信といただき、同会理事の角田益信氏からは著書「多摩川音頭余話」をいただいた。それによると、誌名は稲田郷土史会の生みの親ともいわれる伊藤葦天氏(明治16年生郷土史家)の命名という。土地の古い人は「あゆたか」という名をよく知っているが、現在はその鳥が見られなくなったので、名前を知る人は少ないとのこと。相模川や酒匂川では「あゆさし」、多摩川だけは「あゆたか」といい、それも登戸付近だけの呼び名であること。また白秋作詞の「多摩川音頭」というのがあり、歌詞には鮎鷹が出てきて鳴き声が囃子になった、「鮎鷹踊り」というのが昭和5年に披露されたというのだから、かなりお馴染みの「あゆたか」だったようだ。では、「多摩川音頭」の鮎鷹のところをちょっとご紹介。

 「わたしゃ鮎鷹、多摩川そだち、水の瀬の瀬を、水の瀬の瀬を見てはやる。」

 白秋は当時世田谷に住んでおり、旧知の伊藤睦男氏(葦天の弟)が団長をしている稲田村青年団から「多摩川音頭」の作詞を依頼される。そこで白秋は昭和4年5月、作詞のために稲田村を訪れるのだが、その際、多摩川で白いツバメのような鳥を見て「あれは何という鳥だ」というのに対し、案内の伊藤葦天氏が「あゆたか」と教えたのだという。
 以上がいただいた返信と、角田益信氏の著書「多摩川音頭余話」にでていたこと。数年ぶりにほっと氏の疑問が解けた瞬間。
 かたや、夏の多摩川でおなじみといえば、オオヨシキリ。4月下旬の渡来と同時にさかんに鳴き出す。この声を聴くと、また夏がくるんだと思う。ほっと氏はじっとりした暑さが肌によみがえる気がするのだった。かれらは暑さも湿気もなんのその、旺盛に鳴いている。でも7月下旬になると申し合わせたように、ふっつりと鳴きやんでしまう。そこで、つぎのテーマは

 オオヨシキリが鳴きやんだ
 
 さあ、今年の夏、オオヨシキリは7月の何日に鳴きやむでしょう。毎日川沿いを散歩している人、通勤で川沿いを通る人、それなら行って調べてみようという人。鳴きやんだ日がわかったら編集部へ。

冬鳥のさえずり聴いた

2005年08月27日 15時57分11秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
冬鳥のさえずり聴いた 2001年5月

 聴きましたか、冬鳥のさえずり。夏鳥のように、待っていれば鳴いてくれるというものでもないので、偶然の出会いに期待するしかないでしょう。
 東大和市のAさんからお便りがとどいた。3月26日に東大和公園内でカシラダカのさえずりを聴いたという。メジロ?ヒバリ?と首をひねりながら双眼鏡で見るとカシラダカの群のなかから聞こえてきたとのこと。今年は40羽以上が公園で越冬しているそうだ。3月4日には夏羽を2羽見ている。また「冬の間は30m位離れた所に立っただけでいっせいに枝に逃げていたが、3月に入ると6~7mの位置まで近づいても逃げなくなった」ということで、採食に余念がない様子を伝えてくださった。
 ほっと氏の経験ではツグミ科とホオジロ科の冬鳥に比較的さえずりが聞けるチャンスが多いようだ。もっとも、鳴禽類で冬鳥といえばそもそもこの2科がおおいのだから、あたりまえか。あんまり参考にはならない。
 種類でいえばシロハラ、ツグミ、カシラダカ、アオジといったところだろうか。シロハラとツグミはアカハラのさえずりに似ている。姿が見えないと、ちょっとへんなアカハラの声ということですんでしまうかもしれない。カシラダカはヒバリのさえずりに似ている。でも、ヒバリのようには声量はなく、小声でチルチル、チチルルチルチルといった調子ではっきりしない。繁殖地へ行ったらどうなんだろう。アオジはわりあいよく鳴いてくれるので、聴いたひとも多いと思う。あののんびりした声を聴くと、「ああ、ほんとに春らんまん」という気になる。
 上の4種のうち、カシラダカとアオジは3月上旬から中旬にさえずりが聴けるようになる。シロハラ、ツグミはややおくれて下旬から4月上、中旬に聴ける。
 この時期、探鳥をしていてやはり気をつけてほしいのは、夏羽への換羽。Aさんのお便りにもあるとおり、カシラダカのオスは頭が黒くなるし、アオジのオスも顔がかなり黒くなる。シメは換羽ではないが、くちばしが肉色から鉛色にかわる。多摩川では3月下旬になると、アシ原にいるオオジュリンの群れのなかに、だんだん頭の黒いのが現われてくる。4月のなかばにはほぼ完全な夏羽をみることがある。水際へいくとタヒバリの胸にもいくらか赤みがついているのに気づく。
 ところで、オオジュリンのことを東京の方言でなべかぶりというのだそうだ。これは清棲幸保の『日本鳥類大図鑑』にでている。この鳥のオスの夏羽からついた名前と思われる。でも東京地方でどうして、この鳥になべかぶりという名がついたのだろう。秋、渡ってきた時にはすでに冬羽だし、渡去の時期にならないとなかなか夏羽が見られないというのに。それとも別の由来があるのだろうか。『日本鳥類大図鑑』にはオオジュリンの方言はこの1件のみで、ほかの地方ではどう呼ぶのかわからない。
 方言といえばいまひとつ気になっている。これも東京地方、というより、多摩川で呼ぶらしい。コアジサシのことをあゆたかというところがある。漢字では鮎鷹。漢字でもいいし、みずみずしい語感が夏向きでとてもいい。そこで、つぎのテーマは

 「あゆたか」って聞いたことありますか

 多摩川の下流域でおもに呼ばれているらしい。ほかにもコアジサシの呼び方をご存知だったら、どうぞ編集部へお便りください。


ヘビもきらいだ

2005年08月27日 15時50分18秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ヘビもきらいだ 2001年3月

 久々にお便り。羽村市のUさんは子どもの頃、遊び場だった狭山丘陵でマムシを2~3匹は殺しているという。「山ユリを掘りにいった時、根元に手をのばした瞬間マムシを見つけ、とっさに退いた。よく見るとマムシに頭が無い。ユリの根元にスコップを入れた時、偶然にマムシの頭をカットしていたのだ」という。ところで、ユリ根を掘りにいったというのは、食べる目的でしょうね。食材として掘りにいった。どれくらい採れたものか、今度会ったら聞いてみよう。
 さて、好きでもないヘビのことをなぜほっと氏は書く気になったか。それは、「マムシはガラガラヘビだった」ところを目撃したからだ。
 ほっと氏は鷹ノ巣山南面の石尾根縦走路を歩いていた。1997年6月13日のこと。昼下がり。気持ちのいいあたたかい日だった。たまたま立ち止まったところで何気なく路傍の草むらを見たら、ヘビがとぐろを巻いている。もうすこしよく見ようと近づいて「おお、これはたしかにマムシであるぞ」と、内心びびる気持ちをおさえつつ、そおっと見入るのであった。どっちを向いてもこっちを見ているようなヘビの眼だが、たしかに目が会った。と思った。その時。
 なにか音がする。どこかで音がしている。「ビリビリ」「ビリビリビリ」。なんだろうと首つきだして見入るほっと氏。たしかにマムシのほうから音がする。するとマムシの尾の先が太くなっていて、輪郭がぼんやりしている。目にもとまらない速さで尾を振っているのだった。「ヤ・バ・イ」と思って、息をころして静かに2、3歩ひいた。マムシは近づいた外敵に対して強い警告を発していたのだった。静かな興奮を胸に、ほっと氏はその場をあとにした。
 『日本動物大百科』第5巻「両生類・爬虫類・軟骨魚類」(平凡社)のなかのマムシの項に、マムシは尾を振って音を出すということが書いてある。この本に出会うまで、何冊も図鑑やヘビの本を見たのだが、マムシが尾を振って音を出すなんてどこにも書いてなかった。あれはもしかして、気のせいかまぼろしか、だんだんあやふやな気持ちになってきていたので、ようやく確かな記述に出会って安心したのだった。
 ところで、ヘビは小鳥にとっては文字どおり非情な冷血漢。数日見守っていたシジュウカラやコゲラの巣からヘビが首を出したのを見たことがある。残念だが仕方がない。
 ある日、高尾山を歩いていた(1993年5月25日)。行く手のすぐわきの小枝でシジュウカラが血相変えて(表情はわからないが)鳴いている。2mくらい先に巣箱がかかっていた。ヒナがいるので警戒しているのだろうか。それにしても鳴き方が尋常でない。狂ったように泣きじゃくるといった様子。で、また巣箱をみると、ヘビの胴体が入り口から出ている。アオダイショウだ。しっぽの方はまだ幹に巻きついている。親鳥はしばらくの間、しきりに枝をかえながら鳴きつづけていたが、ついに飛び去ってしまった。その後は知らない。
 さて、ヘビも動き出す3月。いよいよ春です。まもなく夏鳥もやってきてさえずりを聴かせてくれるでしょう。いや、ちょっと待ってその前に。つぎのテーマは、

冬鳥のさえずり聴いた

 春になると、渡去まえの冬鳥がひょっとするとさえずることがあります。聴いたらすぐに編集部へお便りを。