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ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

カマドウマは出てきますか

2005年08月27日 15時27分30秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
カマドウマは出てきますか 2001年1月

 何も悪いことはしてないのに、ただ嫌われるカマドウマ。どうしてコオロギとくらべてカマドウマはいやがられるのか。人の生活の場により近いからだろうか。たとえば、カタツムリとナメクジ。カタツムリは家のなかには入って来ないが、ナメクジはたまに風呂場にいたりしてギョッとすることがある。人は自分のからだの近くには生き物を寄せつけたくないものらしい。衛生感覚がそうさせるのか。ゴキブリだって台所まわりに近づかなければそう目の仇にもされなかっただろうに。
 しかし俳人はエライ。ちゃんと見てくれている。カマドウマは季語では「いとど」いう。むかしは必ずしも一種として認識されていなくて、コオロギといっしょくたにされていたようだ。羽が無いから鳴かないはずなのに、その鳴く音を詠んだりしている。そのなかで芭蕉はさすがです。

  海士の屋は小海老にまじるいとどかな

と、ちょっとエビに似たその姿を詠んでいる。「えびこおろぎ」と呼ぶ地方もあるようだ。でもこれは小海老を食べるときには思い出したくないですよ。いくつか見た歳時記にはたいていこの芭蕉の句が載っていた。
 近代では中村草田男のがいい。これもさすがで、よくその居場所をとらえたつぎの句が多くの歳時記に載っていた。

  一跳びにいとどは闇へ帰りけり

これは見事に言いきっている。闇へ帰るというのがいい。カマドウマの跳躍した先の、どこへ足が下りるのかわからない、その暗闇の不安を思うとぞくっとする。が、それはやはり、人間の感覚だろう。それにしても身の丈の何十倍も一気にはねて、しかも、必ずしも上手に着地していない。奈落に落ちていくような不安を感じてしまう。かと思うと、壁にぶつかって同じ所を何回も跳ねてみたり人の足にぶつかったり、「どうもおまえ、わかってないな」といった跳ね方をする。ときには、後ろ足が片方なかったりして、それこそどこへ跳んでいくかわからない。いやなのにそんなところをついつい見てしまう。それならほっと氏も1句、

  横跳びの行方図れぬいとどかな  歩苞(ほつと)

 嫌いではあるがよく見ると憎めないところもあるのです。でも足元で急に跳ねるとやっぱりびっくりする。足元でびっくり、というとヘビ。これならどうどうと嫌いですといえます。これを好きですなどと言えば白い目で見られる。そこで、つぎのテーマは

 ヘビもきらいだ

 嫌いなヘビのエピソード、または白い目で見られたい人、編集部までおたよりください。


アオゲラの巣はヤマザクラ

2005年08月27日 15時20分44秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
アオゲラの巣はヤマザクラ 2000年11月

 アオゲラの巣穴はヤマザクラに掘る。などと決めつけたら、とんでもない、といわれてしまうだろうか。なぜか、ほっと氏は草花丘陵では7ケ所でアオゲラの古巣を見ているが、すべてヤマザクラなのだった。草花丘陵はコナラの木が多い。ヤマザクラもかなりあるが、コナラのほうがずっと多い。なのにどうしてコナラに巣穴が見つからないのか。ナラの木はかたいからアオゲラは好まないのだろうか。今回は便りがなかったし、ほかの木についてはよく調べてないのでわからない。  
 ところでサクラの木もかたい方だという思いがほっと氏にはある。浮世絵の版木はすべてサクラ材だという話を、版画の本で読んだことがあるからだ。その本を探し出して読んでみると、版木はカツラからホオノキ、そしてサクラの木の順にかたくなるという。特にサクラは、かたくてねばりがあっていいのだそうだ。ねばりとはどういう意味なのか、もろくないということか。版木のサクラがなにザクラなのかわからないが、同じサクラの仲間ならヤマザクラもかたいのだろう。
 じゃあ、どうしてアオゲラの巣はヤマザクラなのか。あの幹の細かいイボイボが足がかかりやすくて都合がいい、と考えるのはあまりにも人間的な感覚だろうか。ゴキブリは冷蔵庫のドアの表面でも平気で歩く。鳥も人知のおよばない身体能力を持っているのだから、幹の表面の止まりやすさなんかが気になるというのは、やはり木登りでは猿にとてもかなわない人間には想像外ということか。
 さて、このヤマザクラ、実は枯れやすいのである。『ブナの森を楽しむ』(西口親雄 岩波新書)によると、「サクラ類は成長が速いが、比較的短命で、老衰するとすぐ枝枯れをおこす」という。草花丘陵を歩いていても、なるほど、よくヤマザクラの枯木や倒木をみる。そうすると、生木に穴を掘るアオゲラも、掘ろうとするその木が、すでに老境にさしかかっている、あるいは、この木はすでに虫が入っていて、先が永くないということがわかるのか。だから、一見しっかりしていそうでも、穴を掘るのかもしれない。そういう木なら掘りながら虫が捕れれば一石二鳥だし。ということは、いずれ草花丘陵にヤマザクラのなくなる日がくるのだろうか。いま日本の森は変りつつあるといわれている。暖地では照葉樹林化が急速に進んでいる。
 きのうの景色もきょうはなく、移り行くのは世の習い。さびしい季節になりました。コオロギの鳴く音もちろちろ冷たそう。かまどうまは孤独に首うなだれて………、カマドウマ、そういえば見なくなったなあ。あなたの家にはカマドウマいますか。ということで、つぎのテーマは、

カマドウマは出てきますか

 あんな虫はきらいだった。こおろぎが畳の上へ出てきてもおどろかないが、カマドウマは気持ち悪くって追っ払ったものだった。ゴキブリなら新聞紙で即座にたたかれるから、まだましか。この処遇のちがいはなんなんだろう。家と虫と人の関係、これもなかなかおもしろそう。そんなこともろもろ、編集部へお便りください。

野鳥のケンカ

2005年08月27日 15時12分53秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
野鳥のケンカ 2000年9月

 国分寺市のMさんは、藤野町の相模川で見たヒヨドリとガビチョウの歌合戦の模様をお便りしてくださった。2~3分張り合ったすえに退散したのは小うるさいヒヨドリのほうだったという。
 ガビチョウは今号の特集でも取り上げている「かご抜け」。カオグロガビチョウ、ソウシチョウとも共通するのはずうずうしくて、あつかましくて、押しが強いというところか。そういうと思い浮かぶのはモズ。この3種のうちのどれかとモズとが出会ったら、どっちが逃げるのか。密林のトラと草原のライオンみたいなもので、生息環境がちがうから自然状態ではあまり出会わないかもしれない。これからはモズが目立つ時期、上の3種とモズとの遭遇を目撃した人はお便りください。
 実際モズのあつかましさ、ケンカッ早さは相当なもの。ジョウビタキやヒヨドリはモズが来ると追われなくても逃げるし、トビやオオタカにまでちょっかい出してるのを見たことがある。春の多摩川でのこと(1995.4.12)、ニセアカシアの枝に止まっていたトビの頭をねらって、見ている間に3回突進していった。すれすれのところで身をひるがえすので、実際には体当たりしないのだが、トビは嫌って逃げていった。
 そんなモズにオオヨシキリが頭突きをくらわしたことをほっと氏は忘れない。やはり多摩川でのこと(1994.5.5)、高さ3mのクワの木にとまっていたモズに下からオオヨシキリが突進したのだった。オオヨシキリはモズがくわえていた虫が欲しかったのか、それともクワの枝先をソングポストにしたかったのか。モズは飛び去った。別のときには追い出したモズをさらに50mくらい追っかけていくオオヨシキリもいた。
 ケンカといえばアオゲラのなわばり争いにもほっと氏は出くわした。草花丘陵の尾根上でのこと(1995.5.7)、雄同士の2羽が出会って、横枝に向かい合ってとまり、15~16回も交互に横に身を振り、そのあと突っつく動作を10回くらい、憑かれたようにくりかえすのだった。たまらずかどうか、片方が逃げていったが、残ったほうもどうにも興奮がおさまらないといった様子で、そのあとも数回同じようにからだを振っていた。よほどハラハラ、ドキドキしたのだろう。野鳥の世界にも身のちぢむことがあるらしいと同情しきりのほっと氏。
 こんなこともあった。やはり草花丘陵(1995.4.29)、番いらしいアオゲラのいるところにリスの番いが現われた。片方のリスが横枝でアオゲラの雄と向き合い、双方しばし動きが止まったあと、剣豪の如く一瞬の勝負。入れ替わった直後、アオゲラはとなりの木に飛び移った。さながら樹上の決闘。どっちが勝ったのか、ほっと氏にはわからなかった。林内は何事もなかったかのように静かであった。
 そう安閑とはしていられない日々ではあっても、丘陵はアオゲラにとって大事な生活の場。大好きなヤマザクラの木もたくさんある。そうアオゲラはヤマザクラが好きなのです、きっと。草花丘陵を歩いていると、キツツキの巣穴がみつかる。ちいさいのはコゲラ、大きい穴はみんなアオゲラ。アカゲラは冬にしか見られないから、たぶんここでは繁殖したことはないだろう。そのアオゲラの古巣をさがしてみたら、みんなヤマザクラだったという話し。皆さんの気づいたアオゲラの巣はどうでしょうか。というわけで、つぎのテーマは

アオゲラの巣はヤマザクラ

 アオゲラの古巣を見つけたら、それがなんの木か見てください。あるいは以前見たときはなんの木だったか思い出してください。ヤマザクラのほかにはどんな木に穴を掘るか。編集部へお便りください。

わたしがえらんだ三鳴鳥

2005年08月27日 15時01分00秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
わたしがえらんだ三鳴鳥 2000年7月

 ウグイス、コガラ、カッコウを三鳴鳥にえらんだ羽村市のUさん。静かに山道を歩いていると、森の中から澄んだ声。ほっとして立ち止まるとコガラがすぐそばの小枝まで来るんですよね。
 ところで、日本三鳴鳥というのはウグイス、コマドリ、オオルリということになっている。ウグイスはともかく、どうしてコマドリとオオルリなのか、先日来考えていたところへ編集部にお便りがきた。
 神奈川県大和市のTさんからだった。Tさんが選んだ三鳴鳥はヒバリ、ホオジロ、ミソサザイで、それぞれをその環境の象徴として代表させている。ヒバリはきれいな大気、ホオジロはたくさんの緑、ミソサザイは清流の川という具合。選びかたの寄りどころとして、環境を持ってきた。それでピンときたのが、コマドリの赤、オオルリの青という色だった。つまり、選び方に色を持ってきたのではないか。
 それというのも、いくつか本を調べていて、「三鳴鳥」と「三名鳥」があり、ふたつは混同されていることに気づいた。かならずしもさえずりだけで選んでいるのではなかったらしい。そうすると、ウグイスは別格、文句なし、有無を言わせず、犯すべからずという不動の地位を得ていることにして、あとのふたつにはその特徴的な色を持ってきた。
ちなみに『野鳥の事典』(清棲幸保)をみると、コマドリの方言にはひこま、あかこま、きんぎょどりなど、赤い体色からついたなまえがある。ひこまの「ひ」は緋色の「ひ」だと思うが、ひーかちという方言もあるので、もしかするとさえずりの出だし部分のヒーかもしれない。オオルリは飼鳥界ではルリともいわれ、瑠璃鳥として青い鳥の代表になっている。つまり、日本三鳴(名)鳥というのはもともと飼鳥界から出たのではないか。
 そうでないと、ウグイスはともかく、町にはあまり縁がないコマドリ、オオルリが出てくるのはおかしい。特にコマドリは山深い地に棲む鳥だからふつうの人はまず聞くことも見ることもない。そんな鳥を飼って鳴かせて、近く親しんでいるのは飼鳥家だろう。となると、日本三鳴鳥など決まってなくてけっこう、それぞれ好みの三鳴鳥でいきましょう。
 というわけで、ほっと氏が選んだのは不動のウグイスにコルリ、ミソサザイ。とくにミソサザイのあっぱれな鳴きっぷりがいい。「ミソサザイは鳥の王」という昔話だってある。鳥たちが集まって、最初に日の出をみつけたものが鳥の王になるということになり、みんな東を向いて待っていたところ、ミソサザイだけはあっちこっち向いて、西の山に日が当たるのを見て、真っ先に「お天道様みつけた」と叫んだ。これには各地で少しずつ話にちがいがある。
それはともかくとして、あっちこっち向いてというのはミソサザイの動きを言い当てているし、「オテントサマミツケタ」というのもそれからすると、やはり聞きなしになっているらしい。「オテントサマミツケタ」と早口で数回くりかえしてみてください。タ行音がよくはずんでミソサザイの力強いさえずりに似てくる。と思う。ような気がする。思いっきり想像すれば。どうでしょうか。気合を入れてもう一声。それで、つぎのテーマは、

野鳥のケンカ

 下っ腹から脳天までつきぬけるようなオオヨシキリの絶叫。そうとう気合が入っている。気合といえば小鳥でも時にかなり激しい気性をのぞかせることがある。同種間、異種間のけんか、モビングのときに、思わぬ気の強さを見せられてハッとすることがある。そんなところを見たという情報を編集部へどうぞ。

モズの鳴きまね、こんなの聴いた

2005年08月26日 21時11分42秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
モズの鳴きまね、こんなの聴いた 2000年5月

 モズが鳴きまねする鳥の種類にはどんなのがあるだろう。羽村市のUさんはこの春、庭でメジロの鳴きまねらしいのを聴き、青梅市のJさんは多摩川でメジロとヒバリをまぜたようなさえずりを聴いたという。ほっと氏のノートからはヒバリ、セグロセキレイ、ヒヨドリ、ウグイス、コヨシキリ、オオヨシキリ、キビタキ、ホオジロ、アオジ、カワラヒワの10種類があげられる。そのほかにもなんの声か不明が14件ある。これらはみんな多摩川での記録で、キビタキだけは草花丘陵の中で聴いたもの。
 数年間のうちはっきり何のまねとわかったものだけで27回の記録がある。うち8回は4月に聴いている。やはりさえずる時期にともなっていちばん多くなるらしい。2月から4月の合計が20回。それと10月に4回。つまり春のさえずり時期と秋の高鳴きの時期によく他の鳥の鳴きまねもするということになる。
 ではなんの鳥がよくまねされるか。これは多摩川という場所柄なのか、オオヨシキリが10回でもっとも多い。つぎにコヨシキリを6回記録しているのは意外だった。ある日の記録では(1995年10月24日)クワの木の梢でコヨシキリの声で鳴き、自分の地鳴きが入ったあと、大きい声になってギギシギギシとやりだした。確かに鳴き分けていると思える鳴き方だった。その前の10月17日にもほぼ同じところでコヨシキリの鳴きまねを聴いている。コヨシキリは春と秋の渡りの時期に時たま観察されるが、この年の秋は多摩川でのコヨシキリの記録が多く、さえずりを何回か聴いていて、前後数年のなかではもっともコヨシキリのさえずりをよく聴いた年だった。そのこととモズの鳴きまねが関係あるとはいえないが。
 でも、こう見てくると河原ではオオヨシキリ、コヨシキリ、そのほかにも多摩川でよく見る鳥、丘陵ではキビタキの鳴きまね、という具合に一応その環境にあった種類の鳥のまねをしているようにみえる。ほっと氏は自分のデータからそんなふうに思ったのだが必ずしもそうではないらしい。
 日本野鳥の会の「野鳥」463号のモズ特集をみると、北海道にはいないはずのコジュケイの鳴きまねを札幌近郊で聴いた話が載っている(小川 巖)。このようなデータを集めればモズがどんなところを行き来しているのかを推理することができるとしている。今後もモズの声には気をつけよう。
 ところで、これまでに聴いたうちで最も多くの種類の鳴きまねを入れた鳴き方は、1996年3月27日のもの。場所は羽村市郷土博物館のうら。多摩川の堤防で5種類の鳥の声が入った。まずヒバリのさえずりからはじまり、そのなかにアオジのさえずりがまじる。このとき川のほうではやはりヒバリがさえずっていた。つぎにカワラヒワの声、そして自分のキュンキュンという声、つづいてヒヨドリのにごった声、つぎにホオジロのさえずり、自分のキュンキュン、ふたたびアオジのさえずり、またホオジロ、カワラヒワのさえずり、そして何かわからないが何かの鳴きまねらしい声を最後にして別の木に移った。ここまで11分かかっていた。拍手。
 モズのソロコンサートが終ったら、つぎのテーマは、

 わたしがえらんだ三鳴鳥

 日本三鳴鳥といえばウグイス、コマドリ、オオルリということになっているらしい。でも、ひとには好みがある。わたしはぜったいミソサザイとか、いやコルリの変奏曲こそ最高!あなたが選んだ三鳴鳥はなんですか。編集部へおたよりください。

奥多摩の山 私のベスト3

2005年08月26日 21時03分09秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
奥多摩の山 私のベスト3 2000年3月

 ♪大岳山の黒雲が あの雲がかかれば 雨かあられか♪
 (『増補改訂青梅市史下巻』による)
 青梅地方には棒打唄というのがあって、大岳山に雲がかかると雨になると、むかしから唄われていたらしい。どんな節で唄うのだろう。 
 麓からよく見えるというのは名山としての条件のひとつかもしれない。そして奥多摩でもっとも人気のある山のひとつが大岳山であり、この山はたいていのところからよく見える。
 神奈川県大和市のTさん、東大和市のTさん、立川市のMさんから大岳山がいちばん好きとのお便りをいただいた。どなたも麓からの山の姿を選んだ理由にあげている。羽村市のUさんとSさんは雲取山が第1位。皆さんの2位以下には御前山や川苔山、三頭山、高尾山などが続く。Tさんは五日市の出身で2位3位は馬頭刈山、戸倉城山とつづき、めいっぱい地元びいきなのだ。山高きをもって尊しとせず、近くが一番。まあ少ない投票で順位づけしてもしょうがないので、今回はよく健闘した大岳山をおおいに讃えておくことにしよう。
 実は編集会議でも大岳山を上げる声が多かった。あの山頂部の特異なかたち、登りやすさ、奥多摩の入門的な位置、いろいろにとれるコースなど、人気の理由はいくつも浮かぶ。それになんといっても多摩の住人にとって、四季おりおりに眺めるその姿は左右に尾根を長く張り、威風堂々として盟主にふさわしい。かくいうほっと氏も実は去年だけでも5回登っているかくれ大岳ファン。
 その特異な姿はむかし江戸湾を航行する船の目標にもなったと、何かの本で読んだことがある。東京湾からはたしてどんなふうに見えるのか。奥の高い山がせりあがってきて、目立たなくなったりしないのか。ほっと氏は知らないが、見たことある人いかがでしょう。
 船のことはいざ知らず、山へ登ったとき、いや平地でさえもふだんめったに行かないところへ出かけたときなど、ちょっと開けていると山をさがして、「ああ、あっちが大岳山か」などとうなずいて自分のいる地点を再確認したりすることがある。大岳山はそのようにも存在しているということにこのたびはじめて気づいた。そうか、船でなくても無意識に大岳山を目当てにしていたのだった。古代人が草生す武蔵野の台地の一角に立ち、あの山をみておのが位置を確かめていただろうなどと想像してみると、ますます存在の大きさが納得できるし、かつては信仰の山だったのもうなずける。
 武蔵野に原と川と丘しかなかったその昔、いつでも西の空を限る大岳山はいまよりずっと大きな存在だったにちがいない。
 さて、いよいよ春到来。夏鳥のさえずりにはまだ早いが、さっきからこりにこって鳴いてる鳥がいる。ヒバリ、ヒヨドリ、カワラヒワ、あっオオヨシキリまでやりだした。というわけで次のテーマは、

モズの鳴きまね、こんなの聴いた。

 この会報の届くころが、もっとも盛んにモズが鳴きまねをする時期かもしれない。電線でキュンキュン、木の枝でキュンキュンやりだしたら、しばらく注目してみよう。何かを聴いたら編集部へお便りを。過去に聴いたときの話でも結構です。

散歩は楽し

2005年08月26日 20時15分51秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
散歩は楽し 2000年1月

 散歩はしないが、買物に行く途中探鳥しながら歩くという国立のKさん。「カラスが巣材をくわえて入っていった場所を見て、後日双眼鏡を手に探したが見つからない。絶対巣はあるはずなのに……。それが同じ場所を自転車で通過したとき肉眼でみつけることができました。高さの差でこんなに違うことに驚いたり~」。視点をかえる、角度をかえる、いろんな意味で大事だと思う。Kさんは行くところ、いるところ常に探鳥の心がけでこれはうれしい。まさしく常在探鳥。野鳥観察者はかくアラネバナラナイ。実際そうしているからこそ気づくことがあるもので、ますます歩くのがおもしろくなる。でもくれぐれも街中でフクロウみたいに首をよこよこさせたりしないように。それと歩道の縁石を踏み外さないように。
 ところで今回のテーマは散歩。Kさんのほかにはお便りがなかったので、勝手にほっと氏は自分の散歩をふりかえってみるのだった。ほっと氏流散歩の心得。
 まず第1に早朝歩くこと。これはもう世の中が静かで気持ちがいいから。
 第2に歩きすぎないこと。いちどに充分歩いてしまうと、それで気持ちが満たされてしまったり、あきがきたりすることがあり、翌日へつながらない。さっと起きられなかったりすると「まあ、きのうたっぷり歩いたからいいかっ。」ということになる。言い訳に転用されやすいので、これは要警戒なのだ。
 第3はしたがって永く続けること、そしてできれば毎朝歩く。
 第4に歩く順路が決まったら、あまり変えないこと。おなじところをいつも歩いていてこそ気づくことがある。しかしべつのところも歩きたいという気持ちはもちろんある。そこで両方を満たすために固定したコースと日替わりのコースを設けておく。で、その日の気分や目当てでどこを歩くか決める。
 日替わりコースには家を出て、どこかまわって帰ってくることのほかに、電車を利用する場合もある。歩きだけではどうしても行動圏が決まってしまう。そこで散歩の終点をひとつかふたつ先の駅にして、電車で帰ってくる。あるいは先に電車でひと駅乗って、そこから回り道しながら家へもどってくる。そんなふうにすると飛躍的に変化に富んでくる。
 そうまでしていい気になって、あちこち歩いていると知らぬ間に度を越してしまっている。つまり心得第2の歩きすぎ、やりすぎになっているので要注意。しかし、ふだんそんなことを思いながら歩いているわけではない。文字にしてみるとこんなになるというまでの話。それに時には一日じゅう山の中を歩きたい。冬枯れの低山歩きは格別です。となんとかつないで、次のテーマは、

奥多摩の山 私のベスト3

 人気第1位は某百名山で決まりかもしれないが、2位以下はかなりバラけるのではないか。もっとも便りが来なければバラけもヘッタクレもない。あなたの好きな奥多摩の山を3位まであげて、簡単な理由をそえて編集部までどうぞ。

羽をひろった

2005年08月26日 20時09分15秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
羽をひろった 1999年11月

 ヤマドリ、アオバト、カケス、カルガモ、カワラヒワ等々。立川市のIさんの羽コレクションの中にはそのほかにも種類のわからないものが結構あり、「こういうのも捨てずにとっておくところがなんともミミッチイ」とのお便りですが、気持ちわかります。よく似た羽で種類が確実な拾い物をしたときに判明することがあるので、いつどこで拾ったか、記録してとっておきましょう。
 国立市のK子さんは去年の6月、狩をしてきたツミがいつも調理する場所で、一部が黄色い羽を拾い集めたそうです。カワラヒワと勝手に決めていたのが、今年の9月18日、新宿高野ビルであった鳥の巣展をみたときに、それを確認する機会があったとのこと。拾ったときにはなんの羽かわからないことはよくあるもの。持っていればそのうちわかることがあるので保存しておきましょう。
 ところで、究極の羽コレクションは風切と尾羽のまるごと一体分、ということになるだろうか。きれいに台紙に張りつけたら壮観。それも珍鳥であればあるほどいい。しかし、ふつうの鳥でもなかなか機会はない。ほっと氏は散歩が好きでよく歩くが、いつかも散歩の途中でヒヨドリが落ちていた。まだ新しくて傷も無いので、これは各部の羽の形のちがいを見る上でいい参考になると持ちかえったのだった。左右のつばさ全部と尾羽も全部、一体分抜いて台紙に貼りつけた。でも、死んでるからといっても鳥から羽を抜くというのはあまり気分のいいものではない。後味が悪いので全部抜くのはもうこれきりにしようと思っている。その後シメの落鳥個体を友人からもらったが、そのときは抜くのは半身のつばさだけにしておいた。
 ある時、負傷したトラツグミをみつけた。ねこにでも襲われた直後だったのか、林内の路上でじっとしている。近づくとよちよち歩いたが、両手を伸ばすとすぐつかまえられたので、ディパックに入れて持ちかえった。とりあえず空き箱に入れて、羽の模様をよくよくながめていたほっと氏。「やや傷があるとはいえ、抜けばほぼまるごと一体分のトラツグミであるぞ」と悪魔のささやきが聞こえた。それを察したのか、トラツグミはだんだん元気になってきた。結局は近くの動物病院へ持ち込んだ。3~4日後に病院から電話があり、飛べるようになったので放鳥したとのことだった。はじめて野鳥のためにいいことをしたほっと氏であった。そこでつぎのテーマは、

散歩は楽し

 なにも拾えなくても散歩は楽しい。町の中でもそれなりにおもしろいことはある。家々の庭にはいろんな花が次々咲くし、垣根を見て歩いてもおもしろい。スズメのねぐらやムクドリの集合場所に行き会ったりして、町なかの野鳥の生活ぶりもみられる。
 きょうも散歩してきたあなた、とっておきのコース、散歩の心得、印象深いできごとなど、散歩で出会った鳥の話そのほかを、どうぞ編集部へ。

あの鳥になりたい

2005年08月26日 18時25分33秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
あの鳥になりたい 1999年9月

 国立のK子さんは好きな鳥はヤマセミとエナガだが、「ヤマセミにわが身を置きかえるのはあまりにおこがましい。エナガは可愛すぎてまったく入る余地なし」とおっしゃる。ほっと氏は食い気だけでヤマセミを選んだが、自分の体形やセンスのなさを持ち出すと救われないので、この際は考えないことにしよう。羽村のUさんは山好きだけに、「ビンズイになって夏は涼しい高山、冬は里山で過ごしたい」という。今年の夏はどこでビンズイしてきましたか。
 Uさんとほっと氏の、男ふたりはわが身をかえりみずストレートに望みの鳥になりきったが、そこんところが女性はそうはいかないらしい。単純に理想を描く前に現実を見てしまうのか。Uさん理想を描きつづけましょう。
 ほっと氏は最初はやはりワシタカになって大空を帆翔するところを想像したのだった。しかし、ワシタカ類の減少や絶滅が心配されるいま、自分がその種になることを想像するのはいささか胸の詰まる思いのすることに気づいた。極端な話、佐渡の山中で残り数羽になったトキの中の1羽が自分だったとしたら、とてものんびりドジョウなど突っついている気分にはなれない。
 そこで、トビなら絶滅とは無縁と思い、多摩川の上空を舞う姿を思った。そのトビもむかしは町中にもよく飛んできて、ネズミを道路へ放り投げておくと、トビが降りてきてつかんでいったものだという。『六義園の野鳥』(松田道生1995年)によると文京区にある六義園ではセンサスや近年の観察記録、過去の文献記録を合わせても3件しかトビの記録がない。また、『大都会を生きる野鳥たち』(川内博1997年)では、「日本野鳥の会東京支部が毎月行っている明治神宮での探鳥会の記録を追っていくと、1966年以降はほとんど観察されなくなって」いるという。
 トビも都会ではかなりまれな鳥になっているのだ。古くは、柳田国男の『野鳥雑記』(昭和15年)に「鳶の別れ」という短文がある。それによると大正時代の東京市内でも「鳶など一羽も鳴いていないでないか」として「かつて帝都の青空の中に、無数の鳶が輪を描いていた時代」があったことと比較している。東京は明治末か大正の頃にはすでにトビにとって棲みにくいところになってしまった。してみると、トビだって生きにくい近代を生きてきたということか。話が沈んできたところで一転、つぎは、

羽をひろった

 多摩川でのこと。草むらの中の小道を歩いていたら、古川のほとりの草陰からアオサギが舞い上がった。「ギャッ」とひと声して慌てふためいて急上昇していく。その翼から、一枚の羽がとれて舞い出した。「これはもらった」と思ったのもつかの間、羽はどんどんどんどん微風に乗ってアシ原の奥へ下りていった。あの中まではさがせない。
 ひろった羽のこと、羽の思い出、羽に関すること、なんでもお便りください。

次回のテーマは、「あの鳥になりたい」

2005年08月26日 18時18分19秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす 1999年7月

次回のテーマは、
 「あの鳥になりたい」

 ♪ああ~人は昔むかし~鳥~だったのかもしれないね~~と、歌姫がうたってましたっけ。鳥のように空を飛べたらとはだれしも思うこと。なるんだったらワシタカ、という人も多いかもしれないけど、ヤマセミなんかもなかなかかっこいい。それにいつも新鮮な活魚の刺身、というよりおどり食い。でも毎日となるとちょっとつらいかな。じみ~に穀物食の鳥か、それとも果実食のアオバトあたりが長い目で見るとヘルシーでいいのかも。それにしても食べることからの連想ばっかりだ。
 あなたは何の鳥になりたいと思いますか。鳥の名前と理由を、長くても短くても結構、自由に書いて送ってください。