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ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ブトボソ談義 その(3)

2005年08月28日 16時20分48秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ブトボソ談義 その(3) 2004年5月

 ハシブトガラスとハシボソガラスはどのように棲み分けているか。大まかに言えばブトは山にも野にも町にも都会にもいて、ボソは郊外や農耕地ということになる。それを筆者のフィールドでの記録から描いてみよう。
 まず羽村市内を例にして町中での様子を、3年間の野鳥個体数調査の結果からみる。この期間に記録したブトの合計は541羽、そのうちの197羽は町中といっても、高木のつらなる帯状の段丘斜面に残した緑地で、周囲は住宅地という環境。しかし、その他の樹林地、住宅地、農耕地でもまんべんなく記録がある。
 それに対してボソは340羽、そのうちの180羽は農耕地で記録された。これだけでもブトとボソの好む環境のちがいはかなりはっきりしている。季節的な変化はこの調査ではあまりはっきり出なかったが、ボソは冬にやや多く、それもやはり農耕地で多くなっている。ブトは年間を通じて変化が少ないが、しいて言えば夏から秋がやや少ないという結果がでた。
 つぎに河川の環境ではどうか。これには1994年から1995年にかけての1年間の調査があるが、その結果からはどちらが多いとか優勢であるとかは言えそうもない。一応数は数えたが、河川敷に散らばる、あるいは集まるブトとボソを一定の調査距離を、一定の時間内で識別して数え分けるのは案外むずかしかった。このときの調査は鳥類全体の個体数が対象だったのでカラスばかりに時間がかけられなかった、という事情がある。
 その結果カラスではあるが、ブトボソは不明という数がかなり出た。感触としてはほぼ両者拮抗している。ということは町中よりもかなりボソの割合が多いというわけで、やはり農耕地と共通している開けた環境をボソは好むことを示している。
 丘陵地帯ではどうか。草花丘陵では、ブトは丘陵の外まわりにも林内にもいるし、開けたゴルフ場にも多摩川の河原にもいる。それに対してボソは林内にはまず入らない。筆者はこれまで、一度も丘陵の森のなかでボソを見たことがない。ときには林縁の木の梢に止まることがある程度か。
 山ではどうか。奥多摩の鷹ノ巣山で四季を通じて48回、野鳥の記録をとった結果では、ブトが66件、ボソはゼロ。ボソは麓でも記録されなかった。登り始めはいくらか開けた場所もあるのだが、山を下りるのは夕方だし、合わせても麓での観察時間は短いので、これだけでは充分ではない。ほかの山行記録ではJR青梅線の終点がある氷川の町中や、そこから多摩川の支流日原川ぞいに1.5kmほど入った寺地でボソを見たことがある。多摩川の本流ぞいでは、川井、古里、海沢、氷川でボソを見ているが、さらに上流ではまだ見たことがない。といってもカラスの調査でこの地域へ行ったわけではないので、本流沿いではどこまでボソが入るか、はっきりしたことは言えない。
 山間部でも開けた環境ならボソはいるようなので、そういう場所へも行くということは、要するに山がきらいというよりも、見通しの悪い森林や林内を好まないということなのだろう。餌の採り方に支障があるのだろうか。そこには何か決定的な避ける理由がありそうな気がする。
 山を避けるといえば、ハシボソガラスばかりではなく、ムクドリもまず山へ入らないものだ。と思っていたら、そうでもない現象が今年はおこった。そこで、つぎのテーマは

ムクドリも山へ入らない、かな

 ムクドリもどちらかといえば、平野の鳥、農耕地の鳥といえる。でも食べる物があると知れば出かけていくものだ。


ブトボソ談義 その(2)

2005年08月28日 16時12分25秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ブトボソ談義 その(2) 2004年3月

 歴史上ではハシブトガラスとハシボソガラスはどう表現されているか。ブトとボソはいつから区別されていたか。
 まず『図説日本鳥名由来辞典』をみると、ハシブトガラスは江戸時代前期から、ハシボソガラスは江戸時代中期からそれぞれ名が知られているという。奈良時代には区別しないで、「からす」と呼ばれていたが、鎌倉時代から「やまがらす」という名が現れ、安土桃山時代の日葡辞書には「やまがらす」と「さとがらす」の名が見られ、江戸時代には、「やまがらす」が「はしぶとがらす」、「さとがらす」が「はしぼそがらす」といわれていたという。
 『本朝食鑑』によるとカラスは生臭みの気が多く、みだりに食べてはいけない、としている。これはおもにボソのほうについていっているらしい。というのは、集解の冒頭で、「現在村市にいる烏は、いずれも慈孝烏(ボソのほう)である」とし、文末に「~嘴の肥大なものを、俗に嘴太鴉とよぶ。常に山の中の樹に棲んで、村市に出てこない」と、両者の棲息域のちがいをあげて区別している。このちがいをきちんと分けていたのだから、よく見ていたのだ。鳥に興味を持つ以前の筆者は身の回りにいるカラスに2種類あるなどとは思っても見なかった。
 でも、ブトは山の中に棲むといっており、確かにそうなのだが、村市に出てこないというのはどうだろうか。現在のブトは山にも街にも農耕地でも沿岸部でもどこにでもいる。あるいは古くは「やまがらす」といわれたくらいだから、ほんとに山がちの土地にしかいなかったのかもしれない。野鳥の生息地は案外変動する例がある。もしそうならば、そのブトがのちに街にでてくるようになったのはいつからなのだろう。
 それはひとまず置いといて、さらにブトボソをさかのぼる。万葉集にはカラスのでてくる歌が3首ある。ほかに夜烏というのがあるが、これはゴイサギのことらしい。『ちんちん千鳥のなく声は』(山口仲美)によると、万葉集巻14の3521の歌、「鴉とふ大軽率鳥(おほをそどり)の真実(まさで)にも来まさぬ君を児ろ来(ころく)とそ鳴く」の「児ろ来」はカラスの鳴き声を「コロク」とうつしたもので、澄んだ声のハシブトガラスとしている。また、『日本書紀』のヤタガラスが登場するところで、地方の豪族を天皇に従わせるために遣わしたヤタガラスが「率わ、率わ」と鳴いたという。これは「いざわ、いざわ」と読み、ダミ声のハシボソガラスと思われると推定している。
 とすると、奈良時代ではまだ、両種に名前の区別はなかったとしても、とにかくブトの声、ボソの声どちらも当時の人は聞き、たまたま記録にもうかがえることになった。
 で、さきほどのブトが街へ出てくるようになったのはいったいいつからなのか。たぶんこれは答のでない問いだろう。ただ、『ちんちん千鳥のなく声は』の筆者は、いくつかの例をひいて、江戸時代、ブトは身近な鳥だったことを示している。ブトの聞きなし「子か子か」「嬶嬶(かかあかかあ)」「買うたか買うたか」「買うた買うた」「阿呆阿呆」など。これらの聞きなしはブトが決して山から出てこない鳥ではないことを現わしている。つぎのテーマも

ブトボソ談義 その(3)

 さて、それでは実際に、身の回りの街やその周辺、近郊の丘陵や山でブトとボソはどのように棲み分け、あるいは混在しているのか。観察記録から見ていくことにしよう。

ブトボソ談義

2005年08月28日 16時05分31秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ブトボソ談義 2004年1月

 ふだん、身の回りにいるカラスには2種類ある。これはバードウォッチャーの間では常識だが、一般にはあまり知られていない。ひとつは嘴の太いハシブトガラス、一方はそれよりやや嘴の細いハシボソガラス。ここではブト、ボソということにする。ブトのほうがボソより少し大きいが、両者がそばにいて比較できればわかるという程度。鳴き声もいくらかちがう。棲む環境もブトは街中や都会それと山の中だが、ボソは郊外や農耕地。しかし、はっきり棲み分けているわけではなく、かなり混在している。
 では、一般のひとは2種のカラスをどう認識しているか、この2種を分けている場合があるだろうか、という興味で試みに最近の俳句と短歌を探ってみた。といっても調べたのはわずかに朝日新聞の朝日俳壇と歌壇の2002年と2003年の2年分にすぎない。それに、なかには鳥にくわしい人もいるかもしれないから「一般のひと」というくくり方が正しいかどうかはわからないが、この2年のあいだに俳壇で12句、歌壇で9首のカラスを詠んだ作品があった。その結果ブトボソのちがいを詠んだ、あるいはちがいを前提にして詠んだ作品はなかった。
 では、作品の内容からブトかボソかをあえて分ければどうか、ということで、紙上探鳥をした結果、つぎの3句を選んでみた。

  寒鴉古今東西嗚呼と啼く     (秦野市)熊坂 淑
  鴉の子銀座の空を故郷とす    (富士見市)笠原茂舟
  声澄めり鴉は遠く聴くものか   (東京都)井原三郎

 最初の句、ああと鳴くというのは、つまり澄んだ声で鳴いているわけで、ブトの声。ブトはアーアー、カアーカアー、などと鳴き、ときにはガーガーとにごった声も出すが、ボソはにごった声でしか鳴かない。ただし、「嗚呼と啼く」というのが実際に「アア」と鳴いたのか、それともカラスが鳴いたのでカラスなら「嗚呼」だとしたのかもしれない。
 2句目、銀座あたりで繁殖したカラスならブトにまちがいない。都内で殖えすぎて近年問題になっているのはハシブトガラスで、ボソは都会へは出ないようだ。
 3句目、同じく「声澄めり」ということでブト。ただし、ボソの声でも遠くなるとにごった感じが薄らいで、「澄めり」となるかもしれない。だからこそ「遠く聴くものか」という表現になったともみえる。
 もっと多くの例をさがしてみるべきだろうが、今は置いといて、ブトボソを分けた例として、ひとつだけみつけた中西悟堂の歌を紹介しておこう。

  嘴の太きと細き鴉あり別群となりて渚にあさる

 俳句では見当たらなかったので、いっそ拙句で、

  嘴太の鴉や街に七つの子

 今でも山に七つの子はあるだろうが、最近は都会生まれのほうが多いのかもしれない。つぎのテーマも

ブトボソ談義 その(2)

 ブトボソのちがいは歴史上ではどうだったのか、地元、多摩地方での生息状況はどうなのかなど、興味深い問題があるので次回もカラス。

何を食べるか鳥名でわかる!?

2005年08月28日 10時49分58秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
何を食べるか鳥名でわかる!? 2003年11月

 サンショウクイは山椒を食い、ムシクイは虫を食い、ハチクイは蜂を食い、アジサシは鯵を食い、ハチクマは熊を食い、ヒシクイは菱を食い、アリスイは蟻を吸い、ミツスイは蜜を吸い、カツオドリは鰹まる飲み。さあ、この中でどれとどれがほんとでしょう。興味あるひとは調べてください。
 ほっと氏はこの中でひとつだけ、ヒシクイに興味があるので取り上げることにした。というか、実はたまたま日本野鳥の会発行の野外鳥類学論文集『Strix』の21号を見ていたら、「ヒシクイはほんとにヒシの実を食べるのか」といった内容の論文があったのだ。今回はそれを紹介する。といっても紙幅がないので結論だけ。
 その論文の題名は「オオヒシクイによるヒシ属果実の採食」。世界にはヒシクイは5亜種あって、日本へ渡ってくるのはヒシクイとオオヒシクイの2亜種。亜種ヒシクイは太平洋側、亜種オオヒシクイはおもに日本海側で越冬する。しかし全5亜種のうちヒシの実を食べるのは日本へも渡ってくる亜種オオヒシクイだけで、他の4亜種はヒシ属を採食する習性がないという。つまり看板にいつわりあり。名前で判断しちゃあいけなかったのだ。くわしく知りたいひとは『Strix』21号(2003年)を読んでください。
 ということは、ヒシクイという名前はオオヒシクイを見てつけたわけか。日本へ渡ってくるヒシクイの個体数は亜種オオヒシクイが過半数を占めるという。方言でも「やちひしくい」、つまり谷地ヒシクイとか、「沼太郎」というのがあって、これが亜種オオヒシクイのこと。それに対して「丘ひしくい」というのがあってこれは亜種ヒシクイであろうという。これは『バーダー』1997年1月号の「特集-雁」に載っている。ちゃんと、習性の違いに気づいていたらしい。昔のひとはよく見ていたのです。
 『図説日本鳥名由来辞典』によると、ヒシクイの存在は奈良時代から知られていたという。ただ、ヒシクイという名で呼ばれるようになったのは室町時代からということ。
 『バーダー』のおなじ号によると、ヒシクイとオオヒシクイの区別点として嘴のかたちが違う、生息地の分布域が違う、生息環境が違う、渡りルートも違う、声も違う、おなじヒシクイなのにこんなに違う。これではほとんど別の種ではないか。この違いはハシブトガラスとハシボソガラスの違いくらい、いやもっと違うかもしれない。なのになぜ、あちらは種が違い、こちらは亜種の違いなのか。分類学上これをわける根拠っていったいなんなんだろう。ほかにも鳥には種は違うがよく似ている、という鳥がずいぶんある。
 それではお馴染みのハシブトガラスとハシボソガラスの場合はどうだろう。両者の違いはいつからわかっていたのか。どのような違いに気づいていたのか。きっと記録はされなくても大昔から気づいていたのだろう。そこで、次のテーマは、

ブトボソ談義

 もうすでに分かりきっているというなかれ。ハシブトガラスとハシボソガラスの違いについて、身の回りから、もう一度見直してみよう。今、頭上をぱっと通りすぎたカラス。ブトかボゾかわかりましたか。

ペリットはちびっと

2005年08月28日 10時42分07秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ペリットはちびっと 2003年9月

1996年12月20日、多摩川睦橋の下流。オオタカの成鳥がヤナギの大木の高さ10mくらいの横枝にとまって、6~7回首をつきだして「ウエッウエッウエッ」という感じのあとペリットを出す。

1995年1月11日、多摩川平井川合流点。カワセミの雄が枯草の茎の天辺にとまり、やや下を向いて嘴をあけ、「ゲー」をするような、欠伸するような口のあけ方を2回した後、白いかたまりを吐き出した。

1994年11月11日、多摩川睦橋の上流。モズが飛んできてネムノキの中間の枝にとまり、2回口をあんぐりあけて3回目にペリットをぽろりと落とした。

1995年4月17日、多摩川多摩橋の上流。モズの雄がクルミの高さ2mほどの横枝にとまり、1度口をあいて閉じて2度目にあんぐり口をあいてペリットをぽろりと落とした。

1997年1月19日、草花丘陵浅間岳。ルリビタキの雌タイプが低木の横枝でヒッヒッヒッと何回か鳴いたあと、口をあけてペリットを出す。こちら向きだったので、白い半透明の丸いものが出てくるのが見えた。

1995年1月14日、草花丘陵浅間岳。シロハラが地上で前を向いて嘴を2、3回開閉して細いものを吐き出した。

 鳥がペリットを出すところを見たのは以上の6回だけ。どれも、ほっと氏がたまたま双眼鏡をのぞいていたときだった。猛禽類やシギ類の観察をやらないとこの数はなかなかふえないかもしれない。
 獲物をとりあえず飲み込んで、腹の中でより分ける。うまくできている。でもそれは食べ物を味わっていないということか。やっぱり人間でよかった。ほっと氏は思い出す。子どものころ、スイカの食べ方がへたで口のなかで種をすばやくわけて吐き出すのが苦手だった。スイカの種を食べると盲腸になるというのは迷信だろうか。どうもそれがインプットされていて、種を出すことにこだわってたもんだから、スイカを食べるのがおそかったのだ。
 いつかみた洋画。西洋人がブドウの房にかぶりついて、むしゃむしゃ食って皮も種も出してないシーンがあった。あちらはそういう食べ方なんだろうか。
 それはともかく、現代日本人は身に余る経済力でそうとう悪食、とはいわないか。悪食はいい。ゲテモノ食いはエライ。そうでなく、食い意地がはっている。世界中から食材を買いつけて、かなりめちゃくちゃな食生活にして、あげくの果てに大量の残飯。言わばこれは社会的不消化物。つまり巨大な醜いペリットを排泄している。そんな人種になり下がったわけか。それでも飽食はオイシイ、便利は最高、お手軽はやめられない。
 鳥のなかには逆に食べるものを決まった何かに特化してしまったものがある。雑食よりむしろそのほうが圧倒的に多いようだ。そこで、次のテーマは、

何を食べるか鳥名でわかる!?

 たとえばムシクイは虫を食い、あたりまえか。アジサシはアジを食う。ええっほんと?

これも聞きなし

2005年08月28日 10時34分50秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
これも聞きなし 2003年7月

 「よしきりはもと、長源寺の召使いで、住職が檀家を廻る時は、いつもお供をして、雨傘、日傘から履物の世話万端を受け持って仕えるのでした。ところがあるとき、住職が出かけようとしたところ、雪駄の片方が見えません。よしきりは不始末を詫びましたが、住職は許してくれないばかりか、よしきりを打ったりなぐったりするのです。よしきりは口惜しくてたまりません。住職をにらみつけ、覚悟をきめて、きっぱりと言いました。『長源寺長源寺、雪駄片ぴた何だべしょう、切るなら切れ、切らば切れ、切れ切れ切れ』。そして口惜し涙を流しながら、何べんも言っているうちに1羽の鳥になったのです。」(『岩根沢ものがたり』井場英雄1976年、より抜粋) 正解はオオヨシキリでした。
 岩根沢というのは山形県西村山郡西川町にあり、月山の東の山麓。草履の片方や、お寺といった要素を含むよしきりの昔話は、所によってかたちを変えて、東北地方~中国地方までの広い範囲に伝えられていると、柳田国男の『野鳥雑記』にみえる。
 では聞きなしで、古い例というとどうだろう。万葉集にはホトトギスの歌が数多くあるが、そのなかにこれは聞きなしというのが2首ある。

  信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり

 巻14の東歌にある歌で、ホトトギスの声は最後のトキスギニケリ。
 この「トキスギニケリ」がホトトギスの声だというのは実は長い間気付かれなかったのだという。昭和44年、国文学の後藤利雄氏が「東歌を見直す」(『東歌難歌考』桜楓社)で、「トキスギニケリ」はホトトギスの鳴き声をうつしたものだ、と指摘した、と山口仲美氏が紹介している(『ちんちん千鳥のなく声は』大修館書店)。
 もう1首は、

  我が衣(きぬ)を君にきせよとほととぎす我れをうながす袖に来居つつ

 巻10の夏雑歌で、ホトトギスの声は、衣(きぬ)を君にきせよ、つまり「キヌキミニキセ」。『新潮日本古典集成』の万葉集によると、「時鳥の声を『衣(きぬ)君に着せ』とでも聞きなして、そこに興味を寄せて作りなした歌か」と解釈している。
 朝日新聞2002年12月6日朝刊に、「米大陸最古の文字?」という見出しで鳥の絵が載っていた。メキシコのオルメカ文明遺跡から見つかり、紀元前650年ごろの円筒形の印章という。絵の具をつけて転がすと羽をひろげた鳥の絵になり、漫画の吹き出しのように口から文字らしい文様が出ている。これがほんとに文字で、もし解読されたら、人類最古の鳥の聞きなしが出てくるかも。古代エジプトではどうだろう。大昔から人間は鳥の声に相当強い関心があったのだ。
 話が古代まで飛んで、さてどうやってもどろうか。ほっと氏はこじつける。口から出すのは声だけじゃあない。そこで、つぎのテーマは、

ペリットはちびっと

 鳥は、食べた昆虫や小動物の消化できない部分を球状にして、吐き出す。これをペリットという。ペリットを出す瞬間は口をあんぐり開いて……

繁殖期の草花丘陵、さえずり状況

2005年08月28日 10時20分44秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
繁殖期の草花丘陵、さえずり状況 2003年5月

  囀の奥の方でも囀れる  加倉井秋を

 これもうれしい句ですね。足もとの藪でウグイスが鳴き、そのさきの斜面ではヤブサメが鳴き、尾根の上のほうだろうか、どこからかキビタキの声……
 1994年から98年6月までの4年半のあいだ、ほっと氏は草花丘陵で野鳥のさえずりを記録していた。それをもとにしてつくったのがさえずり暦で、35種になった。これには登りはじめに聴く川の鳥も一部ふくんでいる。わかりにくいスズメやヒヨドリは除いた。セキレイ類はなんとなく記録しそびれて、入っていない。
 その結果、月別では4月が30種でもっとも多く、ついで5月の29種、そして6月が23種。さらにこまかく分けて、10日ごとの旬別もつくった。もっとも多いのは4月下旬と5月上旬で26種、ついで5月下旬の25種、3番目に多いのが4月中旬と5月中旬と6月上旬の23種となった。7月は18種だけで、ぐっと減ってしまう。
 4月に鳴いた鳥は以下のとおり。コジュケイ、キジ、イカルチドリ、イソシギ、キジバト、アオバト、ツツドリ、アオゲラ、ヒバリ、モズ、ルリビタキ、クロツグミ、アカハラ、ツグミ、ヤブサメ、ウグイス、オオヨシキリ、エゾムシクイ、センダイムシクイ、セッカ、キビタキ、オオルリ、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロ、アオジ、カワラヒワ、イカル。
 4月に聴いて5月には聴かれなかったのはモズ、ルリビタキ、ツグミ、ヒガラ。モズは早い時期から繁殖がはじまるが5月には静かになってしまう。ルリビタキとヒガラはすでにいない。ツグミはわりあい遅くまで残るが、さえずることが滅多にない。
 4月にはまだ聴いてないが5月には聴いたものは、カッコウ、ホトトギス、メボソムシクイ。ツツドリ、カッコウ、ホトトギスはいつもおなじ順番でくる。メボソムシクイがエゾムシクイ、センダイムシクイより半月からひと月遅いのは、目的地が春の遅い高い山や、より北地だからか。
 これで合計33種になり、あとは記録が3月しかないカシラダカと秋にさえずったソウシチョウの2種があって全部で35種。最近はこれにガビチョウが加わる。ソウシチョウは越冬地ではあまり春には鳴かないのだろうか。ほっと氏はまだハデな声は聴いていない。
 さて、これらの鳴く鳥のなかには、その声の特徴をよくとらえた親しみやすい聞きなしがあるのはご存知のとおり。ソウシチョウやガビチョウにもそのうち聞きなしが生れるのだろうか。それとも、すでにもうだれか作っているかもしれない。よく知られている聞きなしはいろんなところで紹介されているので、ここでは触れないでおこう。しかし、なかには「えっ、こんな聞きなしもあるのか」というものもある。そこで、つぎのテーマは、

これも聞きなし

 「長源寺長源寺、雪駄片ぴた何だべしょう、切るなら切れ、切らば切れ、切れ切れ切れ」この聞きなしは何だべしょう。
 

光の春に留鳥のさえずり

2005年08月28日 09時58分28秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
光の春に留鳥のさえずり 2003年3月

  雲雀野やこゝに広がる多摩河原  高浜虚子

 虚子がそう詠った時代、雲雀野は至るところにあったろうが、現在ではほんとに多摩川の河原へ行かなけりゃヒバリも聴けないという有り様だ。「もうこれ以上なにも変えてくれるな」と空からヒバリが訴えている。そのヒバリはたいてい2月中下旬になってから鳴きだす。それならほかの留鳥たちはいつからさえずり出すだろうか。
 1994年1月から98年の6月まで、ほっと氏は草花丘陵を歩きながら、野鳥のさえずりを記録していた。
 1月、早くも鳴き出すのはコジュケイ、キジ、イカルチドリ、キジバト、アオゲラ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロ、カワラヒワ、イカルの11種。これはさえずりとかんたんにわかる種についてのみで、ヒヨドリ、スズメなどはよくわからないので含まない。イカルチドリは丘陵へ入るまえに多摩川の河原で聴いている。
 すでに前年のうちから鳴いているのがコジュケイ、キジ、アオゲラ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、カワラヒワ。なかでもアオゲラはこの記録の期間、秋から冬へさえずりがきれぎれながらも連続していて、境がはっきりしない。
 2月もおなじく11種だが、記録件数はずっと増える。メジロは1月に1件だけ記録があった。2月には記録がなくて、代わりにモズがさえずりはじめた。
 3月になるとウグイスも鳴き、3月末にはイソシギ、ヒバリも加わる。冬鳥のツグミ、カシラダカもたまに鳴いている。アオジは3月末から5月初めの渡去までわりあいよく鳴いている。これで合計18種になった。
 とは言っても、1、2月のさえずりは最盛期とはだいぶ違う。ときおり思い出したように鳴く程度の場合が多い。今シーズンの冬の鳴き初めの時期も94年から98年の記録とだいたい同じ傾向を示した。以下は今年の場合。
 コジュケイは前年のうちから聴いていた。イカルチドリは1月14日に多摩橋の川上で聴いた。暗くて見えなかったが、たぶん地上で鳴いたのだろう。キジバトはすでに12月29日にほっと氏は聴いた。知人がそれより先、羽村市内で25日に聴いたという。以前の「ほっとすぺーす」の「キジバトの鳴かない日」で12月の下旬からキジバトは新たなさえずりのシーズンに入るらしいと書いたが、これが、冬至以後ほっと氏の近辺でのキジバトの初囀となった。
 ヤマガラは1月8日草花丘陵で、シジュウカラは1月5日これも草花丘陵、福生市内ではすでに1月3日に聴こえた。ホオジロは1月13日草花丘陵。カワラヒワが1月11日やはり草花丘陵。アオゲラは前年から続いて鳴いていた。キジとメジロはこの冬、1月中には聴かれなかった。
 以上が今シーズンの留鳥の初囀状況。気温でいえば厳冬期でも鳥たちは日脚の伸びを感じとってか、案外いろんな鳥がすでに鳴いている。
 というわけで、ほっと氏は以前、4年あまりの間に集めたさえずりの記録を集計して草花丘陵のさえずり暦をつくったことがあった。だから続いて、つぎのテーマは、

繁殖期の草花丘陵、さえずり状況

 もっともさえずり種数が多かったのは……、そうです。予想どおり5月上旬です。

カイツブリはいつ夏羽になるか

2005年08月27日 20時50分27秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
カイツブリはいつ夏羽になるか 2003年1月

その前に、キジバトの繁殖情報を追加。Mさんによると、2002年11月18日、八王子市恩方町で育雛中の巣を発見、なかには1羽のヒナがいたとのこと。貴重な11月の記録となった。こうなると12月の営巣もあるのかもしれない。日本野鳥の会神奈川支部の目録によると12月の上中旬には繁殖関連の記録はないようだ。でも、さえずりの記録は少しある。『東京都産鳥類目録』(1975年)には1970年11月19日世田谷区で「抱卵中」という記録がある。この時期みなさん、キジバトの動きにご注意ください。
 それではカイツブリの話。これは1995年と96年の冬の観察で、場所は多摩川の睦橋下流でのこと。結論からいうと、95年は1月5日、96年は1月15日が夏羽の観察初見日。それぞれ1羽を観察した。その後、2月半ばまではどちらの年も合計10羽くらい集まっている中で1羽だけの夏羽だった。
 そして本格的に夏羽への移行が進むのは2月の下旬から3月の中旬で、この期間に夏羽と冬羽の比率が逆転する。それとともに最大11羽かぞえた個体数も夏羽への移行が進むとともに減っていった。3月中旬以後はほとんど夏羽ばかりになって、4月半ばにカイツブリは本流から姿を消した。
 というわけで、カイツブリが夏羽に変わっていく期間はだいたい見当がついた。ただし同じ個体がそこで換羽しているとはかぎらない。だんだん個体数も減っていくということは、夏羽になったものから去っているのかもしれない。あるいは他所から北上中の夏羽や冬羽が加わりながら、全体として減っていったのかもしれない。
 それとこの観察では、個体数が少ないし、2シーズンだけの結果。ほんとうは1月初旬以前にも夏羽がめずらしくないのかもしれない。昭和記念公園や多摩湖などではどうなんだろう。
 ところでカイツブリは北海道では夏鳥というが、あの体形、あの飛び方で北をめざして飛んでいく個体もいるのだろうか。ほっと氏は1mより高いところをカイツブリが飛ぶのを見たことがない。水面の上以外のところを飛ぶのも見たことがない。あの大きすぎるくらいの足をだらりと垂らしてどのくらい跳びつづけられるのだろうか。あの飛び姿で、渡りの途中です、といわれても笑ってしまう。
 この観察ではちょっと寒いのだけ我慢すれば、むずかしいことは何もない。だが、こまるのは羽色の移行状態が途中のとき、夏に入れるか、冬に入れるか、判断に苦しむ場面があること。そこで「中間」という項目も用意していた。ところが、その「中間」と夏羽、「中間」と冬羽とのそれぞれまた中間があるのだ。しかも、日蔭、日向、順光、逆光で、同じ個体の羽色がちがって見える。これにはほっと氏も人知れず悩んだのだった。だから「不明」という項目も作った。
 さて、悩みはおいて、鳴き出した野鳥のさえずりに耳をかたむけよう。そこで、つぎのテーマは、

光の春に留鳥のさえずり

 気の早い鳥がもう鳴いています。なんの声を聴きましたか。

キジバトの鳴かない日

2005年08月27日 20時40分36秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
キジバトの鳴かない日 2002年11月

 キジバトの繁殖期の長さを手近のデータから見てみよう。まず、日本野鳥の会奥多摩支部の会報には「鳥だより」に冬の繁殖記録がひとつだけある。1996年1月9日に巣作りをはじめて、2月11日にはヒナが1羽見られたという。
 ほっと氏には冬の繁殖記録はない。繁殖に関する記録で時期的にもっとも遅いのは10月の巣材運びだった。それは多摩川の本流をはさんで、右岸の営巣地らしいところと左岸のハリエンジュの根元をさかんに往復して細枝を運んでいるところだった(1996年10月11日)。
 この2件の記録のあいだの期間を埋める繁殖記録を持ち合わせていない。つまり10月中旬から1月初旬までは繁殖に関する記録がない。そこで繁殖期ならとうぜん例のデデポッポウと鳴くわけだから、あの声の記録を集めればもう少し繁殖期間が絞りこめるだろうと思っていた。
 というわけで、いつもふつうの鳥ばかり飽きずに見て歩いているほっと氏は、デデポッポも記録していた。そうするとキジバトでも鳴き声を聞かない日がある。年間をとおして記録し続けてデータをまとめてみると、あれほど当り前にいつでも鳴いているようなキジバトでもわずかな期間鳴かない時期があった。
 羽村市内であつめた3年間の記録ではキジバトのさえずりは11月上旬と12月中旬に一度も記録がなかった。12月下旬になると増えはじめ、春にむかって次第に多くなる。4月から9月まではほぼ高い水準を維持し続けて、10月になると急に減り、11月で最低になる。
ただしこの記録はさえずるキジバトの個体数をかぞえたものではない。一定時間内のさえずり回数をかぞえたというのでもない。市内に8つの地区をきめて、その中でキジバトが鳴いていた地区の数をかぞえたものだ。だから、ちょっと間接的な記録という感じ。
 そういうことわりつき、ではあるが、このデデポッポの記録からいえるのは12月に新たな繁殖シーズンが始まるらしいということ。それも12月21~22日の冬至が境になっているようだ。「小鳥が春にさえずりだすのは、冬から春になって日が長くなると、精巣が男性ホルモンをより多く分泌するからである」(『小鳥はなぜ歌うにか』小西正一)というから、なるほどそれを裏付けている。冬至後もすぐには日の出の時刻は変わらないが、日の入りは少しずつ遅くなる。しかし、この1分2分という差に直ちに反応するのだろうか。
 でもこれほどはっきりはしていなくても、まだ寒さの底のうちから、コジュケイ、イカルチドリ、ヤマガラ、シジュウカラ、ホオジロなどは光の春とばかりにさえずり出すのも事実。
 長い繁殖期について考えていたら、新聞に井の頭公園でのカイツブリの子育ての記事が載った(2002年9月28日朝日新聞)。そういえばカイツブリも長いんですね。そこで、つぎのテーマは、

カイツブリはいつ夏羽になるか

 冬になると多摩川の本流にもカイツブリが集まります。1月のカイツブリの中にはもう夏羽が混じっていることも。