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ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ほっとすぺーす(№43)2006年1月 どうしてウソは遅いのか

2007年06月04日 10時36分43秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№43)2006年1月 
どうしてウソは遅いのか (グラフ省略)
 草花丘陵でのウソの初認(そのシーズンで初めて認めた日)は11月下旬から12月上旬ころになることが多い。1羽から数羽程度の小群がたまに見られるだけで、個体数は少ない。ウソは繁殖期には亜高山帯に生息する。たとえば北アルプスでは1500mから3000m(『野鳥の事典』清棲幸保 東京堂書店 昭和41年)、岩手県の早池峰山では1200mから山頂(1914m)まで(『森に棲む野鳥の生態学』由井正敏 創文 1963年)。清棲『野鳥の事典』の垂直分布の棒グラフによると北アルプスの場合、冬には0m~2300mとなっている。その本文のウソの項目では「冬は山を下って山麓や平地で越冬をするものが多い」と記述されている。グラフと本文とで若干ニュアンスがちがう気もする。筆者による奥多摩の鷹ノ巣山や、草花丘陵での観察記録では、かなりの個体は山に残り、一部は山麓や平地へ来るという感じ。
 そのなかで鷹ノ巣山の観察記録をもとにしたグラフはつぎのようになる。


 ふたつのグラフは1994年10月から98年5月まで、奥多摩の鷹ノ巣山の調査で得られたウソのデータを垂直分布にしたもの。登山口の標高は550m、山頂は1736m。さきのグラフは経年のデータ、それを月ごとに集計して現わしてみたのがあとのグラフ。
 この期間内では繁殖についての観察は得られなかったが、少数は繁殖期にも残るようなので、繁殖しているらしい。盛夏にはもっと高いところか、もっと緯度の高い地域へ移動するようだ。そして10月にはまたやってきて、冬には山麓部から頂上くらいまでの間に広く分散したようになる。春になるとだんだん上がっていく様子がよくグラフに現われている。
 これらのデータで見るかぎり、冬を通してかなり低山帯に残り、一部だけが丘陵や平野部にも現われるということだろう。ということは、山の中に食べ物がけっこうあるということか。
 草花丘陵でのデータのなかには、草や木の実を食べた記録がいくつかある。列挙すると、タマアジサイ、マルバアオダモ、カラムシ、イヌシデ、クマシデ、マルバウツギ、これらの実の中の種を食べているのだろう。そしてヤマザクラとコナラの芽。こうした植物の種や芽なら低山帯でも容易に得られそうだ。ウソはわざわざ平野まで下りてこなくても山でそれなりに食べ物が間に合うということらしい。
 ところで、ほっとすぺーす№38の「3月のメンドロン」の最後に、アカショウビンの方言名で「バクロノカカ」というのを紹介した。なぜ「馬喰の嬶」と呼ぶのかわからなかったのだが、その後、あることからひらめいたので、
つぎのテーマは、アカショウビンは馬を呼ぶ
 それには声に秘密があった。

霞網猟にみる冬鳥の渡り時期

2007年05月18日 10時58分47秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№42)2005年11月 
霞網猟にみる冬鳥の渡り時期
日本野鳥の会発行の雑誌『野鳥』の第1巻第6号(昭和9年発行)は鳥の渡り特集となっている。そのなかで今は禁止されている霞網による野鳥の捕獲の様子が中西悟堂によって伝えられている。場所は八王子市の東南部の多摩丘陵で、捕獲時期は毎年10月15日から12月5日ころまで。盛期は10月20日から11月10日ころまでの20日間で、その前後は鳥の渡りがずっと減るという。
そのなかから冬鳥で、比較的猟の多い鳥、ということは個体数の多いというのとほぼ同じ意味になると思うが、まずそれを列挙しよう。
○ツグミ(10月27、28日頃が前盛り、11月2、3日頃本盛り、11月7、8日頃が引盛り)
○シロハラ(10月10日頃渡りぞめ。盛時は大体ツグミと同じ。マミチャジナイもおよそ同断)
○マヒワ(10月15日頃より。多いのは20日以後で、何百と来る日もある。翌春まで捕れる)
○アトリ(10月20日頃から出始めて連続して来つづけ、多い時は数千に上り、ツグミよりも多く捕れる)
○アオジ(10月20日頃に2、30羽、同24、5日の本盛りには数百に上り、11月一杯渡る)
○カシラダカ(早くから来て、引きつづき翌春までは漸次ふえる。「春構え」といい、翌春の方が多く捕れる)
同じ東京都の西部にある丘陵地帯として多摩丘陵と草花丘陵はほぼ似た自然環境といえる。では、現在のおもに草花丘陵での冬鳥の状況と昭和初期の多摩丘陵での状況を比較してみよう。
まずツグミについて、前盛り、本盛り、引盛りと言っているのは、猟のことばだろうか。10月下旬が来はじめなら、現在もだいたい同じ。だが、今では盛りというには程遠く、ちらほら見える程度。シロハラが若干ツグミより早く来るというのも同じ状況。マミチャジナイは見たことがない。激減しているようだ。マヒワは年による差が大きく、見られない年もある。草花丘陵では数10羽から百数10羽程度までの群で見られ、12月から4月いっぱいくらいまでいる。10月には見たことがない。アトリは現在の草花丘陵ではごく少ない。アオジの来はじめはだいたい現在も同じだが、大きい群は見たことがない。カシラダカも草花丘陵では、たまに小群に出会う程度で、むしろ多摩川など少し開けた環境のほうが数は多いのだが、「多く捕れる」などという状況には程遠い。
つぎに当時でも少なかったという冬鳥はクロジ、イスカ、ノジコ、ミヤマホオジロなど。これらは現在も少ない。草花丘陵ではクロジがほぼ毎冬記録されるが、たまに見られる程度。ミヤマホオジロは年によって見られることもある。イスカ、ノジコは見たことがない。
冬鳥ではないが、イカルも「極めて少数」となっているのは、印象がちがう。『野鳥』の同じ号の別の記事、たとえば木曽谷での捕獲数をみるとイカルは少ない鳥ではない。関東地方あるいは多摩地方には当時少なかったのかどうか。
多摩丘陵での昭和6年10月20日から11月末までの40日間での捕獲数のうちツグミ類が2599羽、小物1775羽、計4374羽と中西悟堂は報告している。
そしてウソがいちばん遅く来る。ウソが現われたら猟期は終わりだという。現在の草花丘陵もやはりウソは遅い。11月下旬か12月に入らないと現われない。なぜウソだけは遅いのだろう。そこで、
次のテーマは、どうしてウソは遅いのか
草花丘陵と鷹ノ巣山、それといくらかの文献でウソのいる場所をさぐってみよう。

ウグイス、9月のさえずり

2007年05月17日 12時13分11秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№41)2005年9月 
ウグイス、9月のさえずり
 2005年9月2日、草花丘陵の尾根上のハイキングコース。尾根の北面からウグイスの囀りが聞こえる。3声、朝6時35分、蝉時雨のなか。その後、尾根上のゴルフ場の道路沿いに山頂方向へ声が移動していき、数えていくと「ホーホケキョ」を26声、そして北面のヤブへ飛び込む姿が初めてちらっと見えて、その後8声聞く。鳴いていたのは1羽のようだ。
 これにはとても驚いた。たいへんなものを聴いたと思った。9月にウグイスの囀りを聴いたのは初めてだからだ。ウグイスの鳴き止み時期が近年次第に遅くなっているとはいわれているが、ついに9月に入ったか。
 そこで自分のデータ、その他手元の資料からウグイスの終囀時期を洗ってみる。
 まず草花丘陵では1996年に8月22日、2002年に8月27日という記録があり、今年も8月22日に丘陵内で聞いた。その周辺の多摩川では今年8月31日にも聴いており、そしてついに9月2日が出た。以前、多摩川の睦橋周辺を歩いていたころのもっとも遅い記録が1995年8月21日。山の高いところでは遅くまで鳴くという印象があったが、実際はそうでもないらしく、鷹ノ巣山での記録で1996年8月20日があるが、9月はない。
 ただし囀りはしなかったが、存在の記録なら平野部でも9月にもある。1996年9月5日睦橋下流で幼鳥らしい1羽を観察している。97年9月29日には秋の初認記録。
 9月のウグイスについて、他人の資料では八王子市小宮公園で1985年9月22日(『数え上げた浅川の野鳥』八王子カワセミ会 1996年)、これは秋の初認の早い記録かもしれない。狭山緑地で1996年9月5日、98年9月17日(『東大和市立狭山緑地鳥類調査報告書』坂本卓也 1997年、1999年)。狭山丘陵では一応通年の記録があり(『狭山丘陵の鳥』荻野 豊 1981年)、留鳥ということになっている。しかし、これらの文献の記録は囀りについては記述がなく、いつまで鳴いていたのかは不明。
 一般に、ある年の囀り始めの記録、つまり初囀記録というのはわりあいに気をつかれる。春先にウグイスの今年最初の囀りを聴いたとか、待ちに待ったホトトギスの声をついに聴いたとか。しかし、それがいつまで鳴いていたか、ということになると、ずうっと記録し続けて後になって、振り返ってからわかるわけで、ちょっとした根気と、まめに記録をつける作業が必要になる。
 頼みにしている日本野鳥の会神奈川支部の目録『神奈川の鳥』でも、7、8月の囀り記録はあるが、9月はない。ただし『鳥類目録1』は未見。やはり9月のウグイスの囀り記録はないのだろうか。
あれこれ資料を探しながらついでに拾っておいたので、10月の囀りの記録を書いておこう。秋にもひょっとすると囀っているウグイスに出会うことがある。
1995年10月3日 福生市内の段丘の林で囀り。
1996年10月17日 奥多摩、鷹ノ巣山の標高1340mで囀り。まだ山の上にいる。
以上のふたつは自分のデータ。日本野鳥の会神奈川支部の目録『神奈川の鳥1986-91 鳥類目録2』で、1989年10月1日藤沢市で囀りというのもある。
ウグイスの秋の初認ということでは、草花丘陵やその周辺などでは、早い年で9月末、普通は10月の上中旬にやってくる。羽村市内の自分の記録では、1999年が11月6日、2000年は11月5日、2001年が10月13日でちょっと早い。ふつうは丘陵や多摩川よりも若干遅いような気がする。
他の冬鳥もそのころからだんだん見られるようになる。やってくる冬鳥たちには夏鳥の場合とおなじように、種類ごとにだいたいの順序があるようだ。では冬鳥はどんな順序でやってくるのか。ちょっと変わった記録も参考にして見てみよう。そこで、
次のテーマは、霞網猟にみる冬鳥の渡り時期
昭和初期の霞網猟の記録と最近の草花丘陵での記録を比較してみる。

ほっとすぺーす(№40)2005年7月 ホトトギスはいつ鳴き止むか

2007年05月14日 10時24分09秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№40)2005年7月 
ホトトギスはいつ鳴き止むか
フィールドにしている草花丘陵での、この数年のホトトギスの鳴いている期間はつぎのとおり。
2005年 5月20日~7月25日 しばらく間があいて8月1日にも。
2004年 5月18日~7月17日
2003年 5月20日~7月17日
2002年 5月24日~7月8日
1998年から2001年まではデータを採っておらず、1993年から97年はだいたい5月下旬から6月下旬となっている。これだけで見ると年々鳴き止む時期が遅くなっているようなのでこれはこれで気になるが、他所のデータも見るとそうでもないらしい。たとえば、日本野鳥の会神奈川支部による『神奈川県鳥類目録』では7月にも平野部での記録があるし、『東京都産鳥類目録』では、町田市玉川学園で60年代に4月から8、9、10月まで通した記録、それに大島、八丈島でも7、8月に記録がある。だから南関東としてみればだいたい5月中旬から聞かれ、7月中下旬、ときには8月上旬にホトトギスは鳴き止むといえるだろう。
ところで万葉集にはホトトギスの歌が156首あるというが、その中に一首、気になる歌がある。それはホトトギスのさえずりの終わりを歌ったもので、そんなことをわざわざ歌に留めたのは小治田の広瀬王(おはりだのひろせのおおきみ)という人で、その歌、

 ほととぎす声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき (1468)

 解釈は、「今までは時鳥の声をよく聞いたこの野では、秋風が立って萩がもう咲いたとでもいうのか、その声がめっきり聞こえなくなった」となる(新潮日本古典集成)。
 そこで考えてみたいのは、この歌が示す時期はいつごろかということ。つまり小治田の広瀬さんが万葉時代のこの年のこの時期に大和盆地で、「もうホトトギスの鳴く時期は終ったらしい」とふと気づいたのはいつだったのか、ということ。
 解釈によると、秋風はもう立ったのかまだなのか、どちらかよくわからないが、萩は咲いていない。でももうホトトギスは聞こえないという時期。問題は萩の種類と分布、そして開花時期であるが、『万葉の花』(松田修 芸艸堂 昭和50年)によると万葉集に出てくる萩はヤマハギであるという。なぜヤマハギなのかについては記述がない。『日本文学から「自然」を読む』(川村晃生 勉誠出版 2004年)によると、万葉集には萩を歌った歌が141首と植物のなかでもっとも多く、萩は実用の面からも景観からも非常に重要な存在だったとし、なかでもヤマハギは馬の飼料に最適であるという。ヤマハギは毎年地上部が枯れて、春にあらたな芽を出す性質がある。それで木なのに秋の七草に入っているのか。秋に馬の飼料用に刈り取り、春先に野焼きして新芽を出させる。馬の重要性は万葉集に馬の歌85首(『日本古典の花鳥風月』山田豊一 文芸社 1999年)と、動物を詠んだ歌のうちでもっとも多いことからも、察せられる。
そこで手持ちのデータから萩の開花時期を考えてみると、キハギは最近の草花丘陵での観察では6月下旬ころに咲き出す。この時期まだホトトギスは鳴いている。ヤマハギの開花時期なら8月中旬で、すでにホトトギスが鳴きやんでからしばらくたっている。草花丘陵と大和盆地とで季節の進み方に大差がないならば、この歌で想定している萩はキハギやその他ではなく、松田、川村両氏のいうようにヤマハギで、歌の時期はヤマハギがまだ咲かないがホトトギスはほぼ鳴き止んだ7月下旬か8月上旬。当時の大和盆地では、早く咲き出すキハギよりもやはりヤマハギが多かったのだろう。萩といえばヤマハギだったということになる。
 では同じく声が尊ばれるウグイスはいつまで鳴いているか。そこで、
つぎのテーマは、ウグイス、9月のさえずり
 9月にまさかウグイスのホーホケキョを聴くとは思わなかった。

ほっとすぺーす(№39)2005年5月 西行のアカショウビン

2007年05月14日 10時21分41秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№39)2005年5月 
西行のアカショウビン
  山里は谷の筧(かけひ)の絶え絶えにみづこひどりの声聞こゆなり 西行

 アカショウビンという名は、『図説日本鳥名由来辞典』によると江戸時代後期になってから出てくるという。それより古くから水乞鳥(水恋鳥)という名で呼ばれた。なぜ水乞鳥なのか、これには昔話があった。
 「水恋鳥は(前世に)親に死水をやらなかった罰で、自分でも水が飲めぬようになった。真赤な胸の毛が水に映って、近づいて飲もうとすると水が火に見えるという」(柳田国男『野鳥雑記』)。それで水が欲しい、水恋しと鳴いているのだという。各地に残る話は、なんらかの邪険、意地悪をして、その罰で水が飲めなくなるという形が多い。
 その上でこの歌を読むと、西行はこの鳥にまつわる昔話を知っていたはずで、絶え絶えに聞こえる水恋鳥の声を、渇水期で谷から引いている筧の水が絶え絶えであるのとかけている。あるいは、実際には水が絶え絶えではなくても、水恋鳥の昔話を歌に乗せてみたのかもしれない。西行はいつ、この鳥にまつわる話を知ったのだろう。子ども時代に聞いた昔話だったとも考えられる。
 和歌にこうして水恋鳥という名前が出るということは、同時代の人にとっては水恋鳥にまつわる話は共通認識で、そのまま納得できる歌だったのだろう。すでにこの当時昔話として語り継がれていたにちがいない。
 西行より古いところでは、『伊勢集』に出てくる(『平安私家集』新日本古典文学大系)。

  夏の日の燃ゆるわが身のわびしさに水乞鳥の音をのみぞなく

 この歌は平貞文の作で、『平中物語』(960年~965年に成立)にも出ているという歌で、恋の思いに燃えるつらさを水恋鳥が鳴くように泣いていると訴えている。脚注でも触れているが、燃ゆるわが身というのは水に映る自分の姿が真赤で、火が燃えているようで恐くて水が飲めないという、水恋鳥の話をやはり踏まえている。
 昔話の起源がこれだけ古いというのがわかる例はほかにもあるのだろうか。ホトトギスは多くの和歌に詠まれてきたが、たとえば時鳥兄弟の話などを踏まえた和歌があったらおもしろいだろうに。ホトトギスの歌はなにしろ初音ばっかりというくらい、初音と初音を待つという歌が非常に多い。それについてはまたいずれ、ということにして、初音ではなくて、終わりの声、つまりシーズン最後の「特許許可局」はいつごろだろうか、ということを考えてみよう。そこで、
つぎのテーマは、ホトトギスはいつ鳴き止むか
 話を自分のフィールドにもどして、実際のデータからホトトギスの終囀時期をみよう。

3月のメンドロン

2005年08月28日 16時59分45秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
3月のメンドロン 2005年3月

 日本の近代登山史に名を残す英文学者で登山家の田部重治。その著『新編山と渓谷』(岩波文庫)によると、明治45年3月30日、同行の中村清太郎と共に奥秩父の飛竜山(2069m)から、前夜宿泊した丹波山(たばやま)村へ元の道を下りようとしていた。そして「丁度、尾根を半分も下りかけた時分に、左の谷の霧の間から異様の鳥の鳴き声がする。何という名の鳥かと(案内の男に)聞けば、それはこの辺ではメンドロンと称せられ、雨の降る時に鳴くのであるという。夕暮、宿にかえってメンドロンという鳥の事を聞くと、宿では皆その名を知っていた」と「甲州丹波山の滞在と大黒茂谷」に記している。
 メンドロンとはカワセミ科の夏鳥アカショウビンで、今ではかなり珍鳥。はっきりした範囲はわからないが、多摩川の上流地域の方言である。日本野鳥の会奥多摩支部の支部報『多摩の鳥』34号によると、山梨県小菅村でビンドロロ、メンドロ、東京都桧原村でビンドロ、メントロロ、メンドロなどといわれると三上晃朗氏が報告している。中西悟堂も東京都五日市町(現在あきる野市)ではメンドロロと称すると書き残している(『定本野鳥記3巻』春秋社)。
 たしかにアカショウビンに違いないのだが、しかし早すぎる。田部の記述によると「明くる31日、起きてみると雪がうすく地上に積もっている」といった時候で、この日ふたりは大菩薩嶺北面の雪の大黒茂谷で遭難するのである。それはともかく、アカショウビンが食べるのは図鑑によるとサワガニ、カエル、ムカデ、カタツムリなどで、こんな時期に得られるのか。というわけで、アカショウビンの渡りで早い記録はないか調べてみた。
 多くは5月から7月の記録なのだが、かなり早いのもあることはあった。『静岡県の鳥類』(静岡県環境部自然保護課静岡の鳥編集委員会1998年)によると、「87年4月5日に田方郡函南町の丹那盆地において、午後9時30分から11時17分までの間に、西から東へ向かうおそらく百羽単位と思われる本種の声が聞かれ」たと、夜の渡りの様子を紹介している。ということはこの年は4月早々にアカショウビンが関東地方へ入っていたことになる。
 また『長野県鳥類目録3』(日本野鳥の会長野支部2000年)で、「1997年5月6日 白馬村落倉 シラカバに営巣、育雛中」の記録がある。これを逆算すると遅くとも4月上旬には来ていなければならないだろう。そうすると3月末は早いがあり得ないことではない。
 アカショウビンには先に紹介したほかにいくつも呼び名がある。たとえばアマゴイドリ、バクロノカカ、きれいなところで水乞鳥。そこで、つぎのテーマは、

西行のアカショウビン

 西行には水乞鳥(水恋鳥)の名でアカショウビンの歌が1首だけある。

「SPはくやしい」

2005年08月28日 16時52分31秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
「SPはくやしい」 2005年1月

 ふだん鳥を見ているときにも手帖を持ち歩く。それには確認できなかった鳥まではいちいち記入しないが、個体数の調査などを自分なりにやるときには、一応未確認だったことも記録するようにしている。そうするとデータベースに「~SP」「不明」「~か?」などといったデータも並ぶ。「SP」はspeciesで「~の一種」ということ。つまりわからなかったわけで、これはくやしい。
 1999年4月から2002年3月までの3年間行なった羽村市内での調査では、調査範囲内のデータ件数5665件のうちこれら未確認データが267件。未確認率4.7パーセントだった。20回鳥を見ると1回くらいは何の鳥だかわからなかった、ということになる。調査範囲は左右それぞれ25メートル。それより外側ではさらに不明率は高いだろうがそこまでは記録していない。
 1994年10月から1998年5月まで計48回行なった奥多摩の鷹ノ巣山(1736m)のときは、調査範囲内のデータ件数3627件のうち未確認データが308件。未確認率8.5パーセント。調査範囲はこの時は左右それぞれ50メートル。羽村市内に比べると不明率はかなり高くなっている。これは調査範囲が倍にひろがったから、というよりも、やはり街中の見慣れた鳥を相手にするのと、山中のほとんど樹林内の環境で、しかもあまり馴染みでもない鳥も含む場合とではかなり差が出るということだろう。
 羽村市内のデータでは不明のうち「カラスSP」が88件。声無しで通り過ぎるカラスを下から見上げるとハシブトかハシボソかちょっとわからない。「ツグミSP」が26件。この二つが「不明」についで多い。ただの「不明」の中身はスズメ、ヒヨドリ、ムクドリなどで、家の陰にパッと飛んで消えてしまった、鳥だったがなんだかわからなかった、という場合など。
 鷹ノ巣山では不明の中身はもっと多種多様で、そのなかで多かったのが「キツツキSP」の37件、「ツグミSP」13件。当時のデータの備考欄をのぞいてみると、鳴き声などが記入されていて、なんとか手がかりを探ろうとしていた様子が思い出される。
 鷹ノ巣山では地鳴きかさえずりの声だけによる鳥の識別が約6割で、視認で記録しているデータも結果的には見えたから視認としていたが、最初に声によって認識されている例が圧倒的に多いと思う。山の場合は鳴いてくれないと存在すらわからないことが多い。ということからも、とにかくさえずりはありがたいものだ。山の鳥は見るより聴く。そういう訳で思わぬところから情報が得られることがある。そこでつぎのテーマは、

3月のメンドロン

 探鳥趣味のあこがれの鳥メンドロンことアカショウビン。それが3月の奥秩父に。

ツグミ類の地鳴きはむずかしい

2005年08月28日 16時44分56秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ツグミ類の地鳴きはむずかしい 2004年11月

 山の中で鳥を探すということは、まず声がたよりで、声で鳥がいるのを知り、でも姿がなかなか見えず、結局は声だけで終ってしまう場合も多い。冬の落葉樹林で見通しがきけばいくらか見る機会はふえるが、青葉繁れる夏鳥の季節となれば、さえずりばかりで姿はさっぱり、ということのほうが多い。幸い野鳥はそれぞれの種が独特の鳴き声で耳を楽しませてくれる。
 しかし、繁殖期が終るとたいていの鳥はさえずらなくなる。さえずらない鳥をそれでも声だけで識別するためには地鳴きがわからなければならない。地鳴きというのはさえずり以外の普段の声で、チッとか、キュッとかのひと声かその繰り返しで、たいていは短い。つぶやきみたいにしか聞こえないが、仲間同士の意思疎通などには重要なのだろう。人の耳にはどれも同じように聞こえて、探鳥の初心のころは、声で、特に地鳴きで鳥種を当てるのはむずかしい。筆者も地鳴きには苦労した。じつは今も苦労している。
 ふつうの鳥はかなりわかるようになったが、キツツキ類のアカゲラとアオゲラの地鳴きの区別がつかない。夏場はフィールドにしている草花丘陵にはアオゲラしかいないが、秋口になるとアカゲラが来る。春4月ごろまでいるから、この間は非常に悩まされる。毎年悩んでいるが、未だにわからない。本人たちはちゃんと区別できているのだろうか。
 ツグミ類の地鳴きも悩みの種。10月の下旬ころになると、アカハラ、シロハラ、ツグミがやってくる。その少し前から夏鳥のクロツグミが渡り途中に立ち寄ってゆく。一時的に4種のツグミ類が同居する。これらツグミ類はシー、ツュー、ポョョッ、プョプョプョッ、などという声を出しながら、林内をすばやく飛び回る。
 どの種も地鳴きは共通しているように聞こえるので、シーと鳴けばシロハラ、クーと鳴けばクロツグミというわけにはいかない。鳴かないといることに気づかないし、鳴いたときにはもう飛んでいるので、よく見えない。飛ぶと、カラ類と違って、ずっと先へ行ってしまうので、鳴いた本人を確かめられないのがもどかしい。
 居る場所は微妙に違って、クロツグミは樹冠、アカハラとシロハラはそれよりやや下、もっと寒くなるとシロハラはさらに降りる。地上にも降りるようになる。そのころにはアカハラは林内にはいなくなる。ツグミは渡ってきた当初は林内にいるが、そのうち開けたところへでてしまう。とはいっても、必ずそうというわけではないから、いた場所で種は決められない。
 悩んでいるうちに冬は深まり、いつしか春らしい陽気ともなると、冬鳥はどれも人知れず姿を消している。かくして悩みはつぎの年へ持ち越される。
 ツグミ類の地鳴きによる確認のむずかしさは、鳴いた後、容易にその個体を見て声と姿を一致させることができないことによるのだろう。この点は先のアカゲラ、アオゲラの場合も同じ。鳴いたら最後、どっかへ行っちゃうというわけだ。手帖には「ツグミSP」と記される。「SP」はspeciesで、「ツグミの一種」ということ。しかし、手帖に「~~SP」ばかりではくやしいではないか。そこで、つぎのテーマは、

「SPはくやしい」

 ふだん鳥を見ていて、どんな鳥がわかりにくいか、どういう時わかりにくいか、どのくらいわからないか、そんなことを振り返ってみよう。

ムクドリは椋鳥か?

2005年08月28日 16時39分02秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ムクドリは椋鳥か? 2004年9月(今回は若干長くなった)

 結論から言ってしまえばムクドリは椋鳥ではないらしい。実は筆者は榎の鳥、ではないかと思っている。
 当地での筆者の観察によると、ムクドリとエノキとは非常に相性がいいからだ。秋になるとエノキの実が熟して、ムクドリがさかんに食べる。町中でも電線にムクドリの群れがとまるところでは、下にフンが溜まる。フンといってもほとんど種子や皮ばかりで、これがたいていエノキなのだ。エノキは丘陵にもあるが、平地にふつうにある木で、発芽しやすいのか、ムクドリがよくばらまくせいか幼樹があちこちに出る。
 それに対してムクノキは少ない。めずらしいというほどではないが、少ない。町中では段丘に残されたわずかな緑地に見られる程度か。高さ10メートル以上の大木になり、ケヤキのような樹形を作り、実もたくさんつけるのだが、タイミングが悪いせいか、ムクドリが食べに来ているところをまだ見たことがない。
 いつも行く草花丘陵にも斜面に大木が何本かあり、今年も実をつけている。まだ熟すのは先のことだが、丘陵のムクノキにムクドリが来たのをやはり見たことがない。よく来るのはヒヨドリ、イカル、シメなど。ただ梢は高い位置にあるので、鳴かないと鳥が来ていることに気がつかないことが多い。エノキはそれに対して、比較的低い位置から枝が横へ張るので小鳥が来ていれば気づきやすい。
 図鑑によるとムクノキというのは関東以西に分布するということで、言わば西日本の木であるらしい。どおりでエノキほどなじみがないわけだ。と思いつつ、いくつかの本、その他の情報をめぐってみたところ、どうも西日本においても、エノキのほうが多くて人の生活にも関係が深いらしい。ただ筆者は当地の狭い範囲におけるムクノキとムクドリの関係しか見ていないので、はたしてムクノキが多いかもしれない地方にもこの観察が当てはまるのかどうか、あまり自信がない。
 たいていの本ではムクドリの語源というと、ムクノキに来るから、椋の実を食べるから、ということになっている。『図説日本鳥名由来辞典』もそうだが、さらにその記述にしたがって『日葡辞書』をみると、ムクドリがでているし、ムクノキもエノキも載っていて、間違えやすいといわれるこの2種の木は『日葡辞書』の上では区別が出来ているようだ。西暦1600年当時のたぶん長崎、ひろく言えば九州ではムクドリと呼ばれる鳥がいて、ムクノキも載っていて西日本の木、となるとやはりムクドリは椋の鳥か。でも自分の実感を大事にして、さらに調べる。
 『定本柳田国男集』(11巻「神樹篇-争ひの樹と榎樹」p116)によるとムクノキとエノキが間違いやすい木であることについて柳田は、「椋はなつても木は榎」という俚諺をひいて、頑なに間違いをあらためない片意地な人のことを嘲る意味であるが、「現に槻と榎とのように異なった木でも、時として人を迷わしめたことがあるのである。況んや椋は榎の一種と見るべき程に相近いもので、精確な区別をする為には学問が入用であり、普通の生活に於いてはまだ屢々争い又は疑われて居たのである」として実はこの2種の木はよく似ていて混同されていたものだったという。
 さらに、柳田はムクドリのことを「越後に於ては之をエノミクヒと呼んで居る」といい、エノミは椋の木の実であろうと述べている(11巻「神樹篇-争ひの樹と榎樹」p117)。エノミというからには榎の実だろうが、そこに引用された原典の『越後名寄13』を見ていないので、その木を柳田がムクノキと断定した根拠はわからないが、東京赤坂の榎坂町での榎はムクノキであるとの例をあげて、ムクノキはムクエノキとも呼び、椋の実を榎の実というのも必ずしも誤りではない、としている。
 前川文夫の『植物の名前の話』でも「オシャグジデンダとエノキ」のなかで、古くはエノキとムクノキは同一視されていたと述べている。
 だからこの鳥を椋鳥と呼んではいたが、じつはその鳥はおもにエノキに来ているところを見ていたのだった、かもしれないわけで、筆者の観察もそれを支持している。
  そうすると反対にエノキをムクノキと呼ぶ例があれば、「だからムクドリはじつは榎の鳥、つまりエノキドリだ」とはっきり言ってもいいことになる。今のところその例をひとつだけ見つけている。それはあるホームページで得た情報で、エノキの方言にメムクノキというのがあるというものだ。ただ、どの地方の方言で、どこから得た情報なのか、出所が明らかでないのが残念。
 『日本国語大辞典』の「むく-の-き」の項目には「おむく」というのがある。つまりムクノキが雄のムクノキ、エノキが雌のムクノキということだろう。これは木の大きさ、葉の大きさ、実の大きさ、そのいずれもムクノキのほうが大きいので「おむく」、エノキのほうが小ぶりなのでメムクノキなのだろう。やはりムクドリは椋と呼ばれた榎に来ている鳥についた名ではないか。
 調べているなかで拾ったムクドリの俳句。『古典文学植物記』(學燈社)の「椋」の項に載っていた。

  むくの木のむく鳥ならし月と我  桐雨
  椋の実や一むら鳥のこぼし行く  漢水
  むく鳥の椋の葉ちらす初しぐれ  傘狂

 はたしてどれもムクノキだったかどうか。あるいはエノキを見て詠んだかもしれない。そして同じ本の「榎」の項に一句。

  榎の実ちるむくの羽音や朝あらし  芭蕉

 ひいき目かもしれないが、芭蕉のエノキの句のほうがよく対象を観察していると思う。ムクノキの3句はやや概念的ではないか。
 じつはムクドリの語源ではもうひとつひっかかる思いがある。それは「ムク」は声から来ているのではないかということ。ムクドリもいくつか鳴き声があるが、そのなかに「キュルキュル」と聞こえる声がある。この「キュルキュル」がキュムキュム、ムキュムキュ。ムキュムキュと鳴く鳥でムキュドリ、ムクドリ。
 こじつけみたいに聞こえるかもしれないが、ヒヨドリもウグイスもカラスもシジュウカラももとはその声に由来するという。ヒヨドリはヒーヨ、ウグイスはウークイ、カラスはカー、シジュウカラはシジュシジュ。案外そんなところなのかもしれない。
 エノキ、ムクノキの区別は慣れればわかるが、地鳴きによる鳥の識別はなかなかむずかしい。そこで次のテーマは

ツグミ類の地鳴きはむずかしい

 そろそろ冬のツグミ類がやってくるし、その前にクロツグミが……

ムクドリも山へ入らない…、かな

2005年08月28日 16時27分08秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ムクドリも山へ入らない…、かな 2004年7月

 草花丘陵の山道を歩いていたら、めずらしくムクドリの声が聞こえてきた。違和感があった。林縁ではときどき見かけるが、もしかすると林内にいてムクドリの声を聞いたのはこの10年近い期間ではじめてかもしれない。それがどうした、といわれそうだが、確かに「これはどうした」ということなのだ。ちょっと何でもないことのようだが、いや、そうでもないことだとあらためて思った。
 2004年6月20日のこと。声のするほうを双眼鏡で見ると、イヌザクラの樹冠にムクドリの群れが来ていた。梢や少し中の枝に止まったり、枝を移ったりして、さかんに実をついばんでいる。その様子はエノキやクワの木に実を食べに来ている時と同じだが、その場所が丘陵の尾根筋に近い場所でふだんムクドリが来るようなところではないという点がまるで違う。しばらくして一斉に舞いあがったら20羽ほどの群れだった。
 6月27日、沢筋の山道を下っていたら、斜面の上のほうでムクドリの声がする。そこはちょうどイヌザクラの大木があるところで、実をたわわにつけた樹冠部のすぐ上空を群れで飛んでいるのだった。「食べる物があればこんなところにも来るんだ」と思った。それはムクドリにとって決して怖いところでもないだろうし、遠いところでもない。行く気さえあればいつでもすぐに来られるところなのだが、鳥というのは、用がないところにはまず行かないもので、したがってこれまでムクドリにとって丘陵とは用のないところと筆者は思っていた。
 今年はイヌザクラの花つきが良く、いつも歩く道の近くにも数本の成木があるが、どの木もたっぷり白い花をつけた。その結果、実も豊作となって木全体が赤みを帯びて見える。よく似ている木にウワミズザクラがあるが、今年はウワミズザクラのほうはどちらかといえば不作で、よく実のついた木もあるが、実がついているのかどうかわからないくらい少ない木もある。いつもの年はその逆で、筆者などは「イヌザクラというのはウワミズザクラより実のつきが悪い木だ」とこれまで思っていた。ムクドリはふだん用のないところでも目配りしているというわけか。食に対する野鳥の執念、といって悪ければ探索技術、情報収集能力というのにはいつも感心させられる。
 それでイヌザクラの実のつき具合が丘陵の外から見えるのかと、ムクドリになったつもりで、行き帰りに多摩川の堤防の上から眺めてみたら、それらしい木がよく見える。木全体が赤みを帯びている。それほどたわわに実っているのだった。堤防から丘陵の斜面までの距離は200~300m。これだけ離れると双眼鏡で見てもイヌザクラとは確認できない。ウワミズザクラもあるかもしれないが、それにしても、これならふだん丘陵に用の無いムクドリにだってわからないはずがない。
 今年はムクドリにとってもイヌザクラにとっても、やや特別の年だったのかもしれない。それでもムクドリはヒヨドリやシジュウカラのように山の中、森林の内まではやっぱり入らない。
 そのムクドリだが、椋鳥というわりには、筆者はまだムクドリがムクノキの実を食べるのを見たことがない。あまり数はないが、ムクノキは町中の段丘の斜面林にあるし、草花丘陵には沢沿いに何本か成木がある。そこでつぎのテーマは、

ムクドリは椋鳥か?

 そんなことは当り前のようだが、これまでの経験からするとちょっと実感が違うので、その違いについて考えてみよう。