ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ほっとすぺーす(№40)2005年7月 ホトトギスはいつ鳴き止むか

2007年05月14日 10時24分09秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№40)2005年7月 
ホトトギスはいつ鳴き止むか
フィールドにしている草花丘陵での、この数年のホトトギスの鳴いている期間はつぎのとおり。
2005年 5月20日~7月25日 しばらく間があいて8月1日にも。
2004年 5月18日~7月17日
2003年 5月20日~7月17日
2002年 5月24日~7月8日
1998年から2001年まではデータを採っておらず、1993年から97年はだいたい5月下旬から6月下旬となっている。これだけで見ると年々鳴き止む時期が遅くなっているようなのでこれはこれで気になるが、他所のデータも見るとそうでもないらしい。たとえば、日本野鳥の会神奈川支部による『神奈川県鳥類目録』では7月にも平野部での記録があるし、『東京都産鳥類目録』では、町田市玉川学園で60年代に4月から8、9、10月まで通した記録、それに大島、八丈島でも7、8月に記録がある。だから南関東としてみればだいたい5月中旬から聞かれ、7月中下旬、ときには8月上旬にホトトギスは鳴き止むといえるだろう。
ところで万葉集にはホトトギスの歌が156首あるというが、その中に一首、気になる歌がある。それはホトトギスのさえずりの終わりを歌ったもので、そんなことをわざわざ歌に留めたのは小治田の広瀬王(おはりだのひろせのおおきみ)という人で、その歌、

 ほととぎす声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき (1468)

 解釈は、「今までは時鳥の声をよく聞いたこの野では、秋風が立って萩がもう咲いたとでもいうのか、その声がめっきり聞こえなくなった」となる(新潮日本古典集成)。
 そこで考えてみたいのは、この歌が示す時期はいつごろかということ。つまり小治田の広瀬さんが万葉時代のこの年のこの時期に大和盆地で、「もうホトトギスの鳴く時期は終ったらしい」とふと気づいたのはいつだったのか、ということ。
 解釈によると、秋風はもう立ったのかまだなのか、どちらかよくわからないが、萩は咲いていない。でももうホトトギスは聞こえないという時期。問題は萩の種類と分布、そして開花時期であるが、『万葉の花』(松田修 芸艸堂 昭和50年)によると万葉集に出てくる萩はヤマハギであるという。なぜヤマハギなのかについては記述がない。『日本文学から「自然」を読む』(川村晃生 勉誠出版 2004年)によると、万葉集には萩を歌った歌が141首と植物のなかでもっとも多く、萩は実用の面からも景観からも非常に重要な存在だったとし、なかでもヤマハギは馬の飼料に最適であるという。ヤマハギは毎年地上部が枯れて、春にあらたな芽を出す性質がある。それで木なのに秋の七草に入っているのか。秋に馬の飼料用に刈り取り、春先に野焼きして新芽を出させる。馬の重要性は万葉集に馬の歌85首(『日本古典の花鳥風月』山田豊一 文芸社 1999年)と、動物を詠んだ歌のうちでもっとも多いことからも、察せられる。
そこで手持ちのデータから萩の開花時期を考えてみると、キハギは最近の草花丘陵での観察では6月下旬ころに咲き出す。この時期まだホトトギスは鳴いている。ヤマハギの開花時期なら8月中旬で、すでにホトトギスが鳴きやんでからしばらくたっている。草花丘陵と大和盆地とで季節の進み方に大差がないならば、この歌で想定している萩はキハギやその他ではなく、松田、川村両氏のいうようにヤマハギで、歌の時期はヤマハギがまだ咲かないがホトトギスはほぼ鳴き止んだ7月下旬か8月上旬。当時の大和盆地では、早く咲き出すキハギよりもやはりヤマハギが多かったのだろう。萩といえばヤマハギだったということになる。
 では同じく声が尊ばれるウグイスはいつまで鳴いているか。そこで、
つぎのテーマは、ウグイス、9月のさえずり
 9月にまさかウグイスのホーホケキョを聴くとは思わなかった。

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