中国各地における今回の反日デモに関連して、日本政府が中国政府に対し当面要求すべきことは、次のふたつに絞られるのではなかろうか。以下の述べるのは、まず私自身("Takahiko Shirai Blog")の考え方である。
まず、要求すべき第一のことは、中国政府がこれまで続けてきた「愛国主義教育」とは実際にどんな内容のものであったか、ターゲットになっている日本はもちろん、国際社会全体に対し具体的に公開してもらいたい。そして、その教育内容のどこに重大な問題があるのか、まず国連などの場を通じて国際的コンセンサスの判断に委ね、そこで問題箇所が指摘されたら、中国政府の手で速やかに改善して欲しいと思う。また、問題箇所をどのように改善したのか、中国政府としてはそれにも国際的コンセンサスを得る必要がある。
要求すべき第二のことは、過去、日中間にどのような経緯があったにせよ、それはあくまでも「過去の日本」に関することであるから、中国政府としては「現在の日本」を「悪」と糾弾するような教育は爾後決しておこなわないと国連などの場を通してみずから宣言して欲しい。
日本側からすべきこれらの要求は、大量破壊兵器の国連査察要求と同一の考え方に立っている。もちろん、中国政府の「愛国主義教育」は大量破壊兵器ではない。けれども、あたかも日本に照準を合わせた核弾頭ミサイルのように、それは他国に対し絶大な破壊力を秘めているのだ。であるからこそ、核兵器と同じような予防措置を講じなければならない。他国に対する敵対的要因の排除、つまり、精神面における一種の「軍縮」ということにある。フセイン大統領時代のイラクが密かに温存していた(と思われた)大量破壊兵器が国連査察の対象となるなら、中国共産党が中心となって中国国民に強要している愛国主義教育を、「戦争をも引き起こしかねない危険物」として国連査察の対象としても何ら不思議なことではなかろう。
もちろん、今回ジャカルタで緊急裡に開催することになった小泉首相と胡錦涛国家主席の首脳会談において、このような重要なことにまで踏み込んで細かく話すべきではなかろう。それではお互いに退路が断たれて、将来行き詰ってしまう危険がある。
けれども、小泉首相としてはこの絶好の機会に、中国が現在続けている「愛国主義教育」というものは、日本を標的とした宣戦布告の性格を持つものであり、国際平和を破壊する危険性があまりにも大きいということを、日本側の主張としてはっきりと伝えなければならない。更に、日本が抱くこの危機感は、国際社会から必ず全面的支持を受けるであろうということもはっきりと伝えなければならないであろう。
胡錦涛国家主席に対し日本の主張を率直に述べることのできた「絶好の機会」、中国側が危機的状況に陥っているため、日本側の主張に率直に耳を傾けてくれたかもしれないこの「絶好の機会」を、残念ながら、小泉首相はあたら無に帰す拙劣なやり方を選んだ。このことは彼の大きな外交的失点として、将来厳しい評価を受けることになるのではないか。
トップレベルの会談では、国家としてのこういう主義主張のレベルまでお互いに踏み込んで話し合うことがなければ、単なる外相会談での論議と何ら変わるところがないのではなかろうか。ところで、今朝(2005年4月24日)の新聞各紙の社説ではどこまで踏み込んで論じられているだろうか。
朝日新聞、毎日新聞、讀賣新聞
日本経済新聞、産経新聞、信濃毎日新聞
朝日新聞社説(2005年4月24日)
日中会談 深刻さは変わらない
とりあえず傷口に絆創膏(ばんそうこう)をはって出血を止めたということか。だが、傷そのものには何の治療も施されていない。いつかまた、さらに悪化して傷口が開く恐れが強い。
インドネシアで開かれた日中首脳会談で、小泉首相と胡錦涛国家主席は両国間の友好関係を大切にし、発展させていくことで一致した。
週末ごとに数万人規模の反日デモが中国各地で行われ、日本大使館や商店、留学生らが襲われる。国交正常化以来、最悪といっていいほど両国関係がささくれだつなかでの首脳会談だった。
これ以上の事態の悪化を何としても食い止めなければならないという両国の思いは、会談前からはっきりしていた。
この日、北京など中国の主要都市では、大勢の警官隊が動員されて日本大使館などの警備にあたった。共産党や政府は組織を挙げてデモを抑え込む態勢を組んだ。
日本側も、22日のアジア・アフリカ会議で演説した小泉首相が95年の村山首相談話の表現を引用し、かつての侵略や植民地支配についての反省と謝罪の気持ちを表明した。
そんな努力を積み重ねた結果、ようやく実現したトップ同士の顔合わせだった。
しかし、会談の内容は厳しいものだったようだ。両首脳とも反日デモや靖国神社参拝、歴史問題などでの基本的な立場は譲らなかった。外相会談などで浮き彫りになっていた、すれ違いの構図は変わらなかった。
結局、今回の反日デモの背景となった問題はまったく手つかずで先送りされたことになる。両国政府はこのことを重く受け止めるべきだ。
とくに心配なのは、警官隊の威嚇や当局の指示でデモはとりあえず止まったものの、反日の熱が決して冷めたわけではないことだ。
1919年に学生たちが反日愛国を訴えて立ち上がった五四運動を記念する5月4日に向けて、再び大規模な反日デモを組織する動きがある。
村山談話を持ち出すことで歴史問題に対する自らの真剣な姿勢を強調しようとした小泉首相だが、まさにその日に少なくとも80人の国会議員や麻生総務相がそれぞれ靖国神社に参拝した。
議員たちは「戦時に亡くなった方の御霊を参拝するのは自然な姿」というが、中国側にはどのように映っただろうか。靖国参拝をめぐる日中間の距離があまりに大きいことが再確認されてしまった。
重ねて言うが、首相は靖国神社参拝に注がれる隣人の厳しい視線を受け止め、歴史問題についてもっと真剣に説明する必要がある。中国側も、反日デモでの破壊活動の責任を正面から認めない限り、日本側の反中や嫌中感情は広がるばかりであることを肝に銘じるべきだ。
双方とも、傷口への根治治療を急がなければならない。
毎日新聞社説(2005年4月24日)
社説: 日中首脳会談 冷たい関係修復の一歩に
小泉純一郎首相と中国の胡錦濤国家主席がインドネシアで会談した。反日デモで険悪化した日中関係を対話を通じて修復し、友好発展に努力することで一致した。
関係のさらなる悪化に歯止めをかけた点は評価できる。しかし、胡主席は首相の靖国参拝問題を含む歴史問題に言及し、反日デモに理解を示す姿勢を変えなかった。国際常識に照らして遺憾である。
両首脳は、一時的な対立に惑わされず日中友好の重要性を共有し合うことを確認し、広範な分野での交流に向けた共同作業計画を策定することでも一致した。
日中間には、歴史認識や小泉首相の靖国神社参拝で対立が続いていても、経済面では相互補完関係を深めるのが互いの利益になるという共通認識がある。しかし、今回のデモ騒動で日本や諸外国の企業は、今後の対中投資に警戒感を持ち始めている。反日行動が今後も続くようでは政治だけでなく経済関係も冷却化し、双方の国民感情が一層悪化しかねない。過激な反日デモが再発すれば、首脳会談の成果も問われる。
中国では今後、「抗日戦争勝利60周年」の記念行事が続く。1919年の学生デモに端を発した抗日運動である「五・四運動」記念日の5月4日も間近だ。小泉首相は反日デモについて、中国が適切な対応をとるよう求めた。中国当局には、日本の在外公館や日系企業、在留日本人の安全確保に万全を尽くすよう強く求めたい。
日中のいがみ合いについて国際社会では、中国の対応をいましめる一方で、過去の清算に関しては日本が努力不足であるという受け止め方が残念ながら多い。小泉首相がアジア・アフリカ首脳会議で、過去の植民地支配と侵略に対し「反省とおわび」を表明したのも、そうした国際社会の反応を意識してのことだ。
まして、72年の日中共同声明や95年に村山富市内閣が閣議決定した談話を経てもなお、近隣諸国との関係で「反省とおわび」が必要とされる状況がある。
胡主席は歴史問題で「中国人の感情を傷つけないでほしい」と述べるとともに、「反省を行動で示してほしい」と求めた。発言の背景には、A級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社に小泉首相が参拝を続けている問題があるのは確かだ。首相も、中国と真の信頼関係を築こうとするなら、具体的な打開策を示す必要がある。
胡主席は台湾問題に言及し、台湾の独立を支持しないよう要請した。日米安全保障協議委員会(2プラス2)で台湾海峡問題を日米共通の「戦略目標」と位置づけたことを、日本の対中強硬政策への転換と見て警戒感を示した。
今回の首脳会談は、日中間の距離がまだまだ遠いことを見せつけた。両国間には歴史認識、靖国といった従来の難題に加え、東シナ海のガス田開発などの新たな問題も山積している。関係を安定化させるには、あらゆるレベルの対話を積み重ねていくしかない。首脳会談はその第一歩である。(2005年4月24日 1時33分)
讀賣新聞社説(2005年4月24日)
日中首脳会談]「変わらぬ中国の『歴史的事実』歪曲
中国という国は、明確な国際法違反を認めず、謝罪もしない国だ、ということを世界に発信したのも、同然ではないか。
今月初めから中国で大規模な「反日」デモが続発して以来、初めての日中首脳会談が行われた。小泉首相は胡錦濤国家主席に対し、デモの暴徒化による日本大使館への破壊活動などの再発防止を求めた。胡主席は謝罪をせず、賠償の意思も示さなかった。
外交関係に関するウィーン条約は、在外公館の保護は受け入れ国の責務だと定めている。「反日」デモの暴徒は、北京の日本大使館などに投石し、100枚以上の窓ガラスを割った。中国はデモ参加者の破壊活動を抑える有効な対策を講じなかった。条約違反は明らかである。
胡主席は、侵略戦争の反省を改めて要求した。だが「日本は反省していない」というのは中国や韓国の言いがかりだ。明白な歴史的事実の、歪曲(わいきょく)である。
日本は、1972年の日中共同声明で「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と表明して以来、首脳会談や文書の形で、公式な反省・謝罪の表明を20回以上も重ねてきた。
首脳会談に先立って、小泉首相はアジア・アフリカ会議の演説でも、先の大戦に関して「痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを心に刻む」と述べた。
一国の指導者が国際会議で、歴史認識に言及するのは異例だが、中韓のプロパガンダによる国際社会の“誤解”を解く機会になった。
胡主席は「反省を実際の行動に移してほしい」と述べた。それなら、中国も愛国・反日教育の中止を「行動」で示すべきだ。中国の歴史教育が共産党の都合に合わせて事実をゆがめていることが欧米諸国でも指摘され始めている。
首脳会談があった23日、これまで3週連続で繰り返された「反日」デモは影を潜めた。中国が規制したからだ。これは、今まで「反日」デモだけは「黙認」していた実態の裏返しに過ぎない。
規制に転じたのは、「反日」デモが反政府暴動に発展しかねないとの懸念が出てきたこと、欧米も“チャイナリスク”として批判的に見ているのがわかってきたこと、によるのではないか。
中国側が日中首脳会談にためらいを見せたのは、予想外の展開にどう対応すべきか戸惑っていた面もあったろう。
経済の相互依存関係が切り離しがたくなった現在、「反日」運動の暴走は両国共に損害を被ることにしかならない。
中国は、そうした両国関係の実情をよく見据えるべきである。(2005/4/24/01:56)
産経新聞主張(2005年4月24日)
日中首脳会談 謝罪なしの握手むなしい
一体あの騒ぎは何だったのだろうか。
ジャカルタで行われた日中首脳会談で、小泉純一郎首相と胡錦濤国家主席の握手を見た人は、そう感じたのではあるまいか。
首相が、反日デモの破壊行為への謝罪要求を取り下げた結果だとすれば、極めて遺憾であり、関係改善を手放しで喜ぶわけにはいかない。
首脳会談での「手打ち」は事前に予想されたことだった。小泉首相は二十二日、「過去の非をあげつらうのではなく、日中友好の発展が両国の利益になり、最も大事との観点で会談を進めたい」と語っていた。
一方、中国側も十九日以来、日中の協力関係の重要性を強調、反日デモの規制を本格化するキャンペーンに転じたからだ。
両国にとって日中関係の重要性は言うまでもない。経済・貿易面での相互依存関係は深まり、北朝鮮の核問題など国際問題での協力も不可欠だ。東シナ海のガス田開発から来日中国人の犯罪問題まで課題も多い。摩擦や問題を減らし、関係発展を図る前提は、相互信頼にほかならない。
今回の反日デモは、中国は信頼できる国かという疑問を再び惹起(じゃっき)した。日本の外交施設への破壊、在留邦人への暴力に対する抗議に、中国側は「責任は歴史問題で反省しない日本にある」と強弁し、デモを擁護した。
先の日中外相会談で、李肇星外相は「中国は日本に申し訳ないことをしたことは一度もない」と謝罪に応じなかった。二〇〇二年の在瀋陽総領事館の主権侵害や昨年の中国原潜の領海侵犯などと同様、今回も謝罪しない中国に対し、小泉首相は責任を追及せず、適切な対応の要請にとどめた。
胡錦濤主席は逆に、対日関係を発展させる方針を強調する一方、「歴史問題と台湾問題での対応を通じ、中国人民とアジア人民の感情を傷つけた」と批判、日本は反省すべきだと述べた。反日デモは当然という論理だ。
胡主席は靖国神社参拝問題についても「歴史への反省を行動で」と注文を付けたという。首相は「敵対より友愛の精神が日中に有益と確認した」と述べたが、破壊行為への中国の反省がなく、注文を付けられるばかりでは、関係改善もむなしい。
日本経済新聞社説(2005年4月24日)
双方の努力で日中関係の修復を急ごう
小泉純一郎首相と中国の胡錦濤主席が23日、日中関係の打開策を巡りインドネシアで会談した。中国で大規模かつ過激な反日デモが続発するなど、日中関係は国交正常化以来の最悪状態にある。両国首脳にはこれを機に相互訪問などを通じ本音の意見交換を定期的に行い、日中の中長期的な友好協力関係を再構築してもらいたい。そのためには双方の努力が必要だ。
中国には反日デモにおける破壊・暴力行為の非を認め、再発防止に全力をあげるよう求める。また未来志向の日中関係を構築するために、日中戦争に過度に偏した近代史教育を見直してもらいたい。一方、日本は近隣諸国との対話を深めると同時に、戦前の歴史を直視し、過去を肯定していると疑われないように言動を戒めるべきだ。
一連の過激なデモの先頭には、江沢民政権が推進した愛国(反日)主義教育を受けて育った若者たちが数多く見られた。インターネット世代の彼らは学校教育をもとにネット論壇で日本非難を競い合い、日ごろの憂さ晴らしを行ってきた。観念の世界で反日意識を増殖し、今回はそれを大々的に行動に移した形だ。
この数日間、共産党政権はデモ沈静化のため、各地で日中関係の学習会を開いた。その中では毛沢東、周恩来、トウ小平の歴代指導者がいかに日中関係を重視し、善隣友好政策をとったかを強調している。反日教育の行き過ぎや誤りを修正せざるを得なくなった、とも受け取れる。
共産主義イデオロギーの正当性を失った政権にとって、国家の統合を維持するためには愛国主義教育が必要かもしれない。しかしそれが隣国への敵がい心を増殖し、激しい対立が日常化するなら決して中国のためにならないはずだ。
中国政府には戦後の日本が過去への反省のもとに、平和国家として中国の経済発展に協力を惜しまなかったことを公平に教えてもらいたい。 小泉首相は22日のアジア・アフリカ首脳会議で10年前の村山富市首相(当時)談話を引用し、戦前の日本の植民地支配と侵略戦争への反省とおわびを再表明した。
国際会議でのこうした謝罪は異例であり、日本国民としてはやりきれない思いも残る。しかし小泉首相の4年連続の靖国神社参拝が近隣諸国の国民感情を刺激したことは疑いない。第2次大戦の戦勝国である欧米の旧連合国も、この問題では中国や韓国に同情的である。小泉首相が靖国問題の解決なしに謝罪を繰り返しても、事態の打開策とはならない。
信濃毎日新聞社説(2005年4月24日)
アジア外交 足元軽視の付けは重い
小泉純一郎首相と胡錦濤国家主席との日中首脳会談がどうにか実現した。会談を行うかどうかでせめぎ合いが演じられたこと自体、小泉外交の手詰まり感を浮き立たせる。
会談で胡主席は「歴史を鑑(かがみ)に」することや、台湾独立不支持を行動で示すことを小泉首相に要請。日本に対する厳しい姿勢をあらためて示す形になった。
小泉政権の発足から四年になる。政権が動き始めた当初は、ブッシュ米政権との親密な関係や日朝首脳会談の実現を通じ、外交が政権の浮揚力になっていた面がある。
それがここへきて、各面で行き詰まりを見せている。韓国との関係は竹島領有権や教科書問題で、坂道を転げるように悪化した。対北朝鮮は膠着(こうちゃく)状態にある。北方領土問題は動かず、春に予定されていたプーチン・ロシア大統領の来日は結局、実現していない。
近隣国といい関係を保つことが外交の基本である。日本は中国、韓国との間で不幸な歴史を引きずっているだけに、慎重なかじ取りがとりわけ大事になる。
それなのに小泉首相は中国、韓国の国内事情、国民感情に丁寧に目配りしてこなかった。たまったひずみがいっぺんに表に出ている形である。肝心の対米関係も、牛肉輸入問題ですきま風が強まっている。
近隣国との関係が悪化した原因の一つは、首相の靖国神社参拝にある。四年前の自民党総裁選での“公約”に沿って、首相は毎年の参拝を欠かさないできた。
中国、韓国からはむろん、反発する声が上がる。それに対し首相は「理解してもらわないと」と言うだけだ。理解を得るための努力を真剣に重ねたようには見えない。
丁寧な説明抜きの紋切り型ワンフレーズで押し通す―。小泉首相の政治スタイルが日本外交も袋小路に追い込んでいる形である。
中国、韓国での反日機運には、両国の国内事情も働いている。暴力的なデモを容認するかの中国政府の姿勢は、批判されてしかるべきだろう。だからといって日本側が自分の主張だけを言い募るようでは、いい関係は作れない。
小泉首相は今回、ジャカルタに集まった各国首脳を前に、戦後五十年の村山富市首相談話を引用する形で「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を述べた。今あらためて「反省とおわび」を表明せざるを得ないこと自体、外交の失敗である。