Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

中国の偏向教育

2005-04-20 14:07:47 | 国際
日本側はこれまで中国側から一方的に、「歴史認識を改めよ」、「教科書の歪曲はけしからん」、「小泉首相の靖国参拝は取りやめろ」などと、実にさまざまな抗議を突きつけられ続けてきた。

しかしながら、一衣帯水ともいえる隣国日本に対して中国の若者たちがこれほどまでも激しく憎悪するようになったのは、別に日本側に責任があったわけではなかった。むしろ、中国政府が過去20年間近くにわたり続けてきた恐るべき偏向教育にその最大原因があったことが、今回、反日デモが激化した事態を契機として、図らずも明らかになったのである。中国政府のこの偏向教育はまさに国家がみずから手を染めた国家犯罪とでもいうべきではなかろうか。

従来、中国政府はこれまで、「日本は歪曲された歴史教育をおこなっている」、「日本の歴史教科書は歪曲された記述に満ちている」などと繰り返し主張してきた。けれども、実は話は逆だったのではないか。中国政府のほうが長年にわたり、甚だしく事実を曲げた、いわば「日本憎悪教育」とでも呼ぶべき偏向教育を続けてきていたのである。その事実が、今回の激しい反日デモを契機として白日の下に曝された。そのようなことをやってきた彼らに、「現在の日本」を非難する資格などあろうはずはない。

いやしくも自国が近代国家であると自称するならば、自国民を隣国憎悪へとマインドコントロールするような、まがまがしい偏向教育など許されるべきではないであろう。「愛国教育」という名において自国民を隣国憎悪に駆り立てるなど、それこそまさに21世紀の国際社会に生きる近代国家としての適格性を欠いている。そんなことを長年平気で続けてきた中国には、「非近代国家」の烙印が捺されてもやむを得まい。中国が近代国家としての適格性を欠くなら、彼らがこれからやろうとしているオリンピックや万博などは、果たして無事に開催できるか、極めて心配なことである。

中国政府がなぜこれほどまで禍々しい「愛国教育」をしなければならなかったか、改めて検討してみる価値がある。そもそも、小平が考えついた社会主義市場経済とはいったい何だったのか。改革開放政策を推進していくための単なる方便に過ぎなかったではないか。現実には、そんな都合のよい経済システムなどあるはずがない。その証拠に、どんなに優れた社会学者や経済学者といえども、明確かつ具体的な形で社会主義市場経済の理論的説明などできた試しはなかった。経済に市場原理が導入された途端、その経済は社会主義から離れていかざるを得ない。文化大革命終息後の中国現代史は、まさにそのことを如実に物語っているではないか。

ソ連と東欧諸国の社会主義体制の解体が始まり、社会主義が放棄されようとしていたとき、中国もまた大きく体制を揺るがせ、重大な危機に直面していた。このとき、小平はおそらく、「国民生活水準をもっと高めなければ、中国も同じようにに行き詰まるだろう。国民生活水準を高めるには、市場経済に移行するしかない。そのためには、社会主義は放棄しなければならない。けれども、共産党一党独裁は堅持持しなければならない。なぜなら、もし共産党が政権を喪えば、中国は極度の混乱に陥る。もしそうなったら、他国の侵略を受ける危険性が大きい。例えば、台湾がアメリカを引き入れ、混乱に乗じて大陸侵攻を企てるようなことが起るかもしれない」などと、さまざまなことを考えたであろう。

そこで、中国政府は、一方では市場経済の導入しながら、もう一方で共産党一党独裁体制を揺るがせることのないよう、自国民をマインドコントロールしなければならなかった。自国民をマインドコントロールするのが「愛国教育(愛国主義教育)」 ― 日本を仮想敵国とした「日本憎悪教育」 ― を続けることにした。これにより中国政府は、あたかも曲芸のような、ぎりぎりのところで辻褄を合わせた。その結果として、曲がりなりにも今日に至るまで、共産党一党独裁体制を堅持することができたのである。

こういうように見てくると、小平の当時の戦略がいかなるものであったか、今更ながらその先見性の深さに思いを致す。1989年の天安門事件直後、江沢民は小平に呼ばれ、政治局常務委員、総書記、党中央軍事委員会主席などの要職に就いた。次いで1993年になると、彼はトップの座(国家主席、国家軍事委員会主席)に登りつめた。けれども、彼は上海市長(1985-1989)を経験しただけの地方官僚でしかなかったので、国家指導を為し得るほどの経綸の持主ではなかった。彼はみずから独創性を発揮するというより、むしろ小平路線の忠実な実行者の道を選んだ。いわゆる「愛国教育」にしても小平の考え方をそのまま踏襲し、ただひたすら、過激な日本憎悪へと煽る「愛国教育」を推進したのであった。

江沢民政権は予想外に長く続いた。ということは、政治経済環境がこれほど激変したにもかかわらず、小平路線は見直されることなく、ずっと継続されてきたということである。一昨年(2003年)、江沢民はようやく胡錦濤にその地位(共産党総書記、2004年には共産党中央軍事委員会主席)を譲り渡した。けれども、はっきりいえば、反日問題は胡錦濤の責任ではなく、江沢民の遺産そのものである。小平路線の忠実な継承者であった江沢民が指導してきた歳月の長さこそが、日中不協和音をもたらした最大原因というべきであろう。

中国という国家はできるだけ早く、共産党一党独裁などというような負の遺産を捨て去るべきであろう。共産党一党独裁は20年以上も前の亡霊のようなものである。国家運営には、いまやすっかり役立たなくなった、古色蒼然たる代物だ。改革開放政策の成功により経済離陸を果たしたかに見える中国としては、過去の亡霊にとり憑かれた体制に留まっていることなど、もはや許されないのだ。経済的な成功で得られた果実を無駄に喪わないためにも、一刻も早く共産党一党独裁という遅れた政治体制からの離脱を図らなければならないのではないか。

ただし、血みどろの権力闘争に陥ることは避けなければならない。自由で民主的な、開かれた国家へと、平和裡に変貌していって欲しい。経済の繋がりが強い日本としては、中国が一刻も早く、「普通の国家」となってくれることを心から願わずにはおれない。

もちろん、日本政府としては中国の政治体制についてあれこれ悪しざまにいうことはできない。けれども、日本のみならず、アメリカやEC諸国、あるいは東南アジア諸国などを含め、ほとんどすべての国々が、「中国よ、普通の国家となれ!」と思っているのではないか。そう思っていないのは、北朝鮮、キューバなど...ごく小数の特殊な国だけだろう。

さて、今回の反日デモに関連して、日本政府が中国政府に対し当面要求すべきことは、次のふたつに絞られるのではなかろうか。

まず、要求の第一は、中国政府がこれまでやってきた愛国教育とは実際にどんな内容のものであったか、日本を始めとした国際社会に対し、具体的に提示して欲しい。そして、問題箇所は中国政府の手で速やかに改善して欲しいのだ。また、それがどのように改善されたのか、国連などの場を通じて国際的なコンセンサスを得る必要もあるであろう。

要求の第二は、過去、日中間にどのような経緯があったにせよ、それはあくまでも「過去の日本」に関することであるから、中国政府としては「現在の日本」を「悪」と糾弾するような教育は爾後決しておこなわないと、国連などの場を通してみずから宣言して欲しい。

これらの要求は大量殺戮兵器の国連査察などと同一の考え方に立っている。もちろん、中国政府の「愛国教育」は大量殺戮兵器ではない。けれども、あたかも日本に照準を合わせた核弾頭ミサイルのように、それは絶大な破壊力を秘めている。であるからこそ、核兵器と同じような予防措置を講じる必要がある。敵対的要因の排除、つまり、精神面での一種の「軍縮」というわけである。フセイン大統領時代のイラクが密かに温存していた(と思われた)大量殺戮兵器が国連査察の対象となるなら、中国の愛国教育を国連査察の対象としても、決しておかしいことではなかろう。

もちろん、中国には中国独自の考え方がある。日本政府がいくら要求を出しても、中国政府が素直に受け止めると期待することは難しい。けれども、二国間紛争を国際社会のコンセンサスと関係づけることには重要な意味がある。二国間論争といえども、国際社会のコンセンサスの下でおこなわなければ、実りのある解決には結びつかない。二国間でだけで論争すれば、いつまでも平行線を辿り、結局のところ、水掛論に終るのではあるまいか。

自国民を他国への憎悪感情へと誘導していく「愛国教育」という名の偏向教育は、近代国家としては決して手を染めてはいけない、いわば「禁じ手」なのである。かつてユダヤ人を憎悪対象としたことが、やがてナチスによるユダヤ人大量殺戮となった。過去の苦い経験が今日貴重な教訓となっている。このような教訓を、中国政府ももっと切実なものとして受け止めて欲しい。