友人 Y.S が撮ってきた中国桂林の風景写真を元にして描いた。元の写真は目の覚めるような青空の下の桂林だったが、空を白いまま残したら水墨画風になった。現代の中国人画家たちが描く色彩入りの水墨画だ。
パソコン画というと、和紙に墨で描くときのような滲みなどはとても出せないだろうと思う人が多いだろう。だが、透明度を適切に設定してやれば、かなり滲みに近いものが出せる。この絵はそういう技法の問題にチャレンジするために取り組んだ実験的作品である
パソコン画の場合は何事も過剰になりがちだ。だから、滲みの技法も、むしろできるだけ抑えるようにしなければ、作品全体として自然な感じにはならない。
パソコン画には、パソコン画だけしかない独自の世界がある。その一方で、在来の絵画の世界に寄りかかった作品もあるように思われる。
また、桂林の風景はどうかわからないが、在来の絵画の世界に寄りかかった実風景もあるのではないか。おそらく、「記号化された風景」というものがあるのだろう。「富士山」なんか記号そのものじゃないか。だから「○○富士」、「△△富士」なんかがあるのだ。
というわけで、滲みはパソコン画の世界では記号のひとつと考えればよい。
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![](http://takahiko.shirai.as/drawings/guiling.jpg)
桂林風景
パソコン画というと、和紙に墨で描くときのような滲みなどはとても出せないだろうと思う人が多いだろう。だが、透明度を適切に設定してやれば、かなり滲みに近いものが出せる。この絵はそういう技法の問題にチャレンジするために取り組んだ実験的作品である
パソコン画の場合は何事も過剰になりがちだ。だから、滲みの技法も、むしろできるだけ抑えるようにしなければ、作品全体として自然な感じにはならない。
パソコン画には、パソコン画だけしかない独自の世界がある。その一方で、在来の絵画の世界に寄りかかった作品もあるように思われる。
また、桂林の風景はどうかわからないが、在来の絵画の世界に寄りかかった実風景もあるのではないか。おそらく、「記号化された風景」というものがあるのだろう。「富士山」なんか記号そのものじゃないか。だから「○○富士」、「△△富士」なんかがあるのだ。
というわけで、滲みはパソコン画の世界では記号のひとつと考えればよい。
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桂林風景