Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

ブログを始めた

2005-04-06 23:45:28 | Weblog
今日(2005年4月6日)からブログを始めた。タイトルを"Takahiko Shirai Blog"とし、特定のテーマには限定せずに、日々考えたり経験したりしたことを自由に書き込んでいくことにしたいと思っている。せいぜい活発に活用して自分のペースメーカーとして役立てることにしたい。

とりあえず、2~3日前からしきりに考えていた昨今の国際問題について、「中国の反日運動」と「盧武鉉大統領の記念演説」というふたつの評論めいた文章にしてアップロードしてみたが、自分の書いた文章をブログの画面で見ると何か新鮮な感じがしてくる。不思議なものだ。

ブログは、電子メールやウェブサイトなどとはちょっと異なる、特別な雰囲気があるように思われる。原理的にはウェブサイトとほとんど変わりなくても、全体的な構成の違いが効いているのではないだろうか。

試しにHTML構文を使って文章中に表(Table)を入れてみた。しかしながら、表枠の縦横寸法は機能するようであったけれども、罫線は縦横とも現れなかった。使えるHTML構文にはまだ多くの制限があるのかもしれない。

goo のエディタについては、もう少し多くの種類の機能が自由に使えるようにして欲しい。これだけの機能では、科学に関する文章を書くのは難しいのではなかろうか。例えば、H2O とは書けるのだろうか。あるいは、y = ax2 + bx + c とは書けるのだろうか。

あ、両方とも書けるんだ。このぶんだと工夫すればいろいろなことができるかもしれない。

盧武鉉大統領の記念演説

2005-04-06 14:17:50 | 国際
日韓関係が激しく揺れている。具体的には竹島問題や教科書問題が争点だが、先頃おこなわれた盧武鉉韓国大統領の「三・一節記念演説」が日本側に激震をおよぼしたことは疑いない。

盧武鉉大統領の「三・一節記念演説」(2005年3月1日付)と、引き続き公表された「韓日関係に関する対国民談話」(2005年3月25日付)のふたつは、私たち日本人にとっても熟読に値する。我国の報道などではさまざまなニュアンスで取り上げられているが、そのようなニュアンス抜きで、盧大統領が述べている真の内容に率直に耳を傾けるべきではないだろうか。私たちが自分の主張を述べるのはそのあとからでよい。

というわけで、ここに大韓民国駐日大使館のウェブサイトからコピーしてきたふたつの文書を掲げておくことにしたい。「記念演説」のほうには"Unofficial Translation"と銘打たれている。けれども、韓国の駐日大使館がみずから公開しているのだから、公的にみて信頼できる日本語訳といってよいであろう。

盧大統領のこの記念演説に対し、小泉首相は「国内向け」とコメントしたようだ。だが、あとから考えてみると、この発言は他国の大統領の演説に対する我国首相のコメントとして果たして妥当なものであったか、私としては少なからず疑問に感ずるところがある。私たちは盧大統領の記念演説の中身を熟読玩味し、小泉首相のこのようなコメントが果たして妥当であったか、しっかりと評価して掛らなければならない。

韓国側の報道によれば、小泉首相のこのコメントは韓国側に反射し、大きな衝撃を与えたといわれる。もちろん、小泉首相の「盧武鉉発言は国内向け」というコメントこそが、実は彼の日本への「国内向け」であろう。国内向けの軽いコメントといえども、相手国に逐一報道されていることを、要人たちは十分にわきまえて発言していただきたい。

独立運動に立ち上がった民衆を朝鮮総督府の官憲が弾圧し粉砕した「三・一独立運動」はすべての韓国人を熱くさせる。ソウルを訪れると私はパゴダ公園に立ち寄り、遥か歴史の彼方となった三・一独立運動に思いを馳せたものだ。しかしながら、パゴダ公園を訪れた日本人はそこにある事物を見て眉をひそめる者が多いという。けれども、三・一独立運動の実像を詳しく知れば知るほど、現在の韓国人の心情を適切に理解できるようになるはずだ。

盧大統領の「三・一節記念演説」は、そのような韓国の歴史背景に踏まえてなされたものであることを私たち日本人としても十分に理解し、その上で盧大統領の記念講演を熟読しなければならないと思う。そうすることこそが、韓国人がいま日本人に問うている歴史認識の捉え方なのではないか。

「(韓国の)国内事情がある。(盧大統領が)国内事情を考慮し、日本との友好関係も考慮しておっしゃったのだろう」とした小泉首相のコメントは、一見、韓国の歴史背景を考慮しているように聞こえるけれども、実はまったく考慮していないのである。そこには両国間に横たわる大きな断絶の割目が垣間見えている。


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大韓民国駐日大使館公開資料  三・一節記念記念演説
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掲示日 2005-03-01 Unofficial Translation

盧武鉉韓国大統領の三・一節記念演説


尊敬する国民の皆さん、独立運動功労者と御来賓の皆さん。

86回目の三・一節記念式典をここ柳寛順記念館で行えることは嬉しく、あの日の感動がより生き生きと感じられるようです。

三・一運動は、実に誇らしい歴史です。人間の自由と平等、国の自主と独立の権利を明らかにした三・一精神は、現在も人類社会と国際秩序の普遍的原理として尊重されています。また、上海臨時政府から今日のわが政府に至る大韓民国の正統性の根源となりました。

このような三・一運動の偉大な精神を引き継ぎ、二度と100年前のような過ちを繰り返さないことが、愛国先烈に対する道義であり、三・一節に新たにする我々の誓いであります。

国のために犠牲となり、民主主義と繁栄の礎石となって下さった愛国先烈の方々に頭を垂れ、敬意を表します。独立運動功労者と家族の皆様に、深い尊敬と感謝の言葉を申し上げます。

国民の皆さん

私は去る日曜日(2月27日)、独立記念館に行って参りました。

旧韓末、開化をめぐる意見の違いが論争を越えて分裂にまで至り、指導者たち自身が国と国民を裏切った歴史を見ながら、今日我々が何をなすべきかを、深く考えました。そして、我々の地を巡って日本と清、日本とロシアが戦争を起こした状況下で、無力だった我々がどちらの側に立ったとしても、何が違っただろうかと思い、国力の意味を改めて考えさせられました。そして今日の大韓民国が本当に誇らしく思えました。

今、我々は100年前の列強の狭間でまったく変数にもなれなかった、そんな国ではありません。世界に引けをとらない民主主義と経済発展を遂げ、自らを守れるだけの十分な力を持っています。北東アジアの均衡者の役割を果たせる国防力を育てつつあります。今日の我々の姿を、先烈たちも頼もしく思って下さることでしょう。

国民の皆さん

今年は韓国と日本の国交正常化40周年となる特別の年です。一方で、韓日基本条約に関する文書が公開されて、未だに解決できない過去の問題が甦ったり、また別の問題が提起されてもいます。

これまで韓日関係は、法的にも政治的にも相当な進展を遂げてきました。1995年に日本の村山首相が「痛切な反省と謝罪」を表明し、98年には金大中大統領と小渕首相が新韓日関係パートナーシップを宣言しました。2003年には、私と小泉首相が「平和と繁栄の北東アジア時代のための共同宣言」を発表しました。

韓日兩國は、東北アジアの未来を共に開くべき運命共同体です。お互いが協力して平和政策と共同繁栄の道を歩まずには、国民の安全と幸福を保障できないという条件の上に立っています。法的、政治的関係の進展だけで両国の未来を保障することは出来ません。もしそういう考え方を探るとすれば、やるべきことをやり尽くしたとは言えません。もっと実質的な和解と協力の努力が必要なのです。

真実と正義によって、両国国民を隔てている心の障壁を崩し、本当の隣人として生まれ変わらなければなりません。

フランスは反国家的行為を犯した自国民に対しては峻厳たる審判を下しましたが、ドイツに対しては寛大に握手し、欧州連合(EU)の秩序を作って来ました。昨年、シラク大統領はノルマンディー上陸作戦60周年記念式典にドイツ首相を初めて招待し「フランスの人々はあなたを友達として歓迎する」と友情を表明しました。

われわれ韓国民もフランスのように寛大な隣人として、日本と一緒にやっていきたいという願いを持っています。

これまで、わが政府は国民の憤怒と憎悪を煽らないよう節制し、日本との和解・協力のために積極的な努力を払ってきました。実際、韓国国民はよく自制し、理性的に考え、分別を持って対応していると思います。

私はこれまでの両国関係の進展を尊重し、過去の歴史問題を外交的な争点にしない、と公言したことがあります。そして今もその考えは変わっていません。過去の歴史問題が提起される度に交流と協力の関係がまた止まって両国間の葛藤が高まることは、未来のために助けにならないと考えたからです。

しかし、我々の一方的な努力だけで解決されることではありません。二つの国の関係発展には、日本政府と国民の真摯な努力が必要です。過去の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。それが全世界が行っている、過去の歴史清算の普遍的なやり方です。

私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解します。同様に日本も立場を替えて考えてみなければなりません。日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければならないのです。

日本の知性にもう一度訴えます。真実なる自己反省の土台の上に韓日間の感情的なしこりを取りのけ、傷口が癒えるようにするため、先立ってくれなければなりません。それこそが、先進国であると自負する日本の知性的な姿です。そうしなければ、過去の束縛から抜け出すことはできません。いくら経済力が強く、軍備を強化したとしても、隣人の信頼を得て国際社会の指導的国家となるのは難しいことです。

ドイツはそれをしました。そして、それだけの待遇を受けています。彼らは自ら真実を明らかにして謝罪し補償するという道徳的な決断を通じて、EUの主役に乗り出すことができたのです。

尊敬する国民の皆さん

韓日協定(韓日基本条約)と被害補償問題については、(韓国)政府も不足があったと思います。

国交正常化自体は止むを得ないことだったと思います。いつまでも国交を断絶したままでいるわけにもいかず、我々の要求をすべて貫徹させられなかった事情もあったでしょう。しかし、被害者の人々にとっては、国家が国民個々人の請求権を一方的に処分したことは納得しがたいことです。

遅きに失しましたが、今からでも政府はこの問題を解決するために積極的に努力します。国民の皆さんの意見を集め、国会と協議して適切な解決策を模索していくつもりです。首相室では既に官民共同の委員会を設置して様々な方策を検討していますし、より包括的な解決のために国民諮問委員会の設置を準備しています。

そして請求権問題以外にも、いまだに埋もれている真実をあきらかにし、遺骨を返還してもらう等の問題に積極的に対応していくつもりです。日本も、法的問題以前に、人類社会の普遍的な倫理、そして隣人同士の信頼の問題であるという認識をもって、積極的な姿勢を見せてくれなければならないでしょう。

国民の皆さん

三・一運動の精神を反芻しながら、先烈たちが夢見た先進韓国の未来に向って精一杯頑張りましょう。日帝の銃剣に立ち向かった先烈たちの勇気と、すべてを超えて一つになった大同団結の精神が、我々の未来を導いてくれるのです。

ありがとうございました。


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大韓民国駐日大使館公開資料  対国民談話
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掲示日 2005-03-25

韓日関係に関する対国民談話

(青瓦台 総理室)

尊敬する国民の皆様、私は、報道を通じて、国民の皆様の怒りを実感しています。同時に、沈黙を守っている多くの国民の皆様方が、もどかしさを感じていることにも共感しています。

皆様が感じる怒りともどかしさを少しでも和らげようと、この文を書きました。

国民の皆様がお持ちになっているもどかしさは、強い怒りと抗議にもかかわらず、希望的な結末が予測しにくいという点でしょう。これまでわが国民は政府の煮え切らない対応をした時にも、強硬な対応の後にも、さしたる結果をもたらすことが出来ずうやむやになってしまった時にも、我々の意志を貫徹する適当な手段がないという状況を理解し、咎めることなく悔しさを静めてきました。

今回の政府の対応に対しても同様です。まだ、ある面ではすっきりしたと感じながらも、やはり望ましい結果を期待するには程遠く、もどかしく思われていることでしょう。

しかし国民の皆様、今回はこれまでと違う形でいくつもりです。正しい対応をとっていきます。もちろん感情的な強硬策はとりません。戦略を持って慎重に、かつ積極的に対応して行きます。途中でうやむやにすることもありません。将来を見通し、持続的に対応していきます。

尊敬する国民の皆様、日本はこれまでに自衛隊の海外派兵の法的根拠を整え、今や再軍備に関する議論を活発に進めています。これらは我々に苦しい過去を思い出させ、未来を不安にさせています。しかし、すでに日本が謝罪し、私たちがこれを受け入れ、新しいパートナーシップを宣言していました。普通の国家が一般的に享受する国家権能を日本だけが受けられないということは日本国民も納得できないでしょう。このような判断から、私たちは心配を押さえ込み、言いたいことを我慢してきました。それは、韓・日関係の未来のためでした。

厳密な意味で、謝罪は真の反省が前提になるものであり、それに相応しい実践が伴わなければならなりませんので小泉首相の(靖国)神社参拝は、これまでの日本の指導者らが行ったきた反省と謝罪の真意を損なうものです。

これに対しても韓国政府は直接的な外交の争点としたり、対応措置をとることなく、自制を促すのみに止めてまいりました。これこそが、日本の指導者らが口癖のように繰り返す「未来指向的韓・日関係」のためでした。しかし、今はこれ以上見過ごすことのできない事態となってしまいました。

露・日戦争は、その名のとおりロシアと日本の領土をかけた戦争ではなく、日本が韓半島を完全に占領するために起こした韓半島侵略戦争でした。実際、日本はこの戦争に勝利した後、韓国の外交権を強奪し、事実上の植民地統治を始めました。日本はこの戦争中に独島を自国の領土に編入しました。まさに武力で独島を強奪したことにほかなりません。日本の島根県が‘竹島の日’として宣布し100年前の2月22日は、日本が独島を自らの領土に編入した日にあたります。これこそ、過去の侵略を正当化し、大韓民国の光復(解放)を否定する行為です。

教科書問題も同様です。2001年に日本で歪曲された歴史教科書がほとんど採択されなかった時、我々は日本の良心に期待を抱き、東北アジアの未来に楽観的な展望を持ちました。ところが現在、その歪曲された教科書がまた生き返ろうとしています。これもまた侵略の歴史を正当化する行為です。

これらの行為は、一つの地方自治体や一部の非常識な国粋主義者らの行為にとどまらず、日本の執権勢力と中央政府のほう助の下で行われています。そのため、我々はこれを日本の行為としてみなすしかありません。こうした行為は、これまで日本の反省と謝罪を全て白紙化に戻す行為です。

今回は政府も断固として対応しなければなりません。侵略と支配の歴史を正当化し、また再び覇権主義を貫徹しようとする意図をこれ以上、見過ごすことは出来ません。韓半島と東北アジアの未来がかかっている問題であるためです。これらの行為は、日本の殆どの国民の考えと異なるものであるということは事実です。しかし政治指導者が煽り、間違った歴史を教えるようなことが続けば、状況はすぐに変わりうるでしょう。

尊敬する国民の皆様、政府は、積極的に対応いたします。これまで政府は、日本に対し言わなければならない言葉や主張があっても、なるべく市民団体や被害者に代弁させ、発言を慎んできたことは事実です。被害者らの血の滲むような叫びにも手を貸すことなく、被害者らが真相究明のため奔走するのにも積極的に手伝って来ませんでした。政府間の葛藤が持たらす外交上の負担や経済に与え得る波紋に対する考慮もありましたが、何よりも未来指向的な韓・日関係を考えての自制でした。しかし、その自制がもたらした結果は、未来を全く考慮していないような日本の行動です。今は、政府が対応しないことによって、日本の行為を招いたのではないかとの疑問が起きています。このままではいけません。今からでも政府ができることを全て行います。

まず、外交的に断固とした対応をとります。外交的対応の核心は日本政府に対し断固として是正を要求することです。日本政府の誠意ある対応を期待できないという疑問もありますが、当然、行わなければならないことならば、聞き入れられるまで、休まず粘り強く要求します。

さらに、国際世論を説得いたします。現実の国際秩序は「力の秩序」であり、国家関係は利益優先です。しかし他方では、国際社会は、互いに尊重しなければならない普遍的価値と秩序を強調する方向へと漸次的に進んでいるのも事実です。日本が普通の国家を越えて、アジアと世界の秩序を主導する国家になろうとするならば、歴史の大義に符合するよう対応をとり、確固たる平和国家として国際社会の信頼を回復すべきです。国際社会も日本が人類の良心と国際社会の道理に合う行動をするように促す義務があります。私たちは国際社会にこの当然の道理を説得していきます。また、何よりも重要なのは日本の国民を説得することです。窮極的な問題の解決のためには、日本国民が歴史を正しく理解し、韓・日両国と北東アジアの未来のために、日本がとるべき道は何であるのかを正しく理解しなければなりません。それによってこそ日本政府の政策が正しい方向を定めることができるのです。

これらは決して容易なことではありません。他人の過ちを指摘するということは困難であるばかりか、気まずいことでもあります。お互いに顔を紅潮させて、対立することも多くなるでしょう。他国の人々の前で、互いをけなし争う姿を見せることは非常に心苦しいことでもあります。手厳しい外交戦争もありえるでしょう。その上経済、社会、文化その他の様々な分野の交流が萎縮しそれが韓国経済を脅かすのではないかとの憂慮も生じるでしょう。しかし、こうした問題に関しては、さほど心配する必要はありません。すでに韓国もある程度の困難は十分に耐え得る力量を持っています。そして国家として必ず解決すべき問題のためには、耐えねばならない負担も、毅然と背負わなければなりません。しかしその一方、耐えがたいほどの負担にならないように状況を管理していきます。

国民の皆様、どんな困難があっても、退いたり、うやむやにするのではなく、国民が受け入れことのできる結果が出るまで、持続的に対処していきます。今回は必ず根本から改善します。困難な時は国民の皆様に助けを求めます。新しい局面を迎えた時には、国民の皆様の意見に耳を傾けます。

これらのことを決心して、国民の皆様に報告しながら、いくつかお願い申し上げます。

第一、一部国粋主義者らの侵略的意図を決して容認してはなりません。だからといって日本の国民全体を不信や敵対してはならないということです。日本と韓国は宿命的に避けることのできない隣国です。両国国民の間に不信と憎しみの感情が芽生えれば、再び途方もない不幸を避けることができないでしょう。

第二に、冷静に落ち着いて対応していかなければなりません。断固たる対応の中にあっても、理性的な説得と品位を失ってはいけません。ある程度の感情表現は当然ですが、節度を失ってはいけません。力による戦いではありません。名分がなければ捕えられることにもなります。過度に感情を刺激したり、侮辱する行為は特に自制しなければなりません。

第三に、根気と忍耐を持って対応しなければなりません。この争いは一日二日で終わる争いではありません。持久戦です。どんな困難でも甘受するという悲壮な覚悟で臨み、体力消耗を最大限に減らす知恵と余裕を持って粘り強く対応しなければなりません。

第四に、将来を見て戦略的に対応していかなければなりません。慎重に判断し、話し、行動しなければなりません。一喜一憂せず、無理をしてもいけません。これまで、あまりに多くの言葉と行動が出てしまったのではないかという不安もあります。

尊敬する国民の皆様、我が国民の要求は歴史の大義に基づいています。私たちは無理なことを要求してきたのではありません。更なる謝罪を要求してもいません。不十分な謝罪でさえ、白紙に戻してしまうような行為を正すよう要求しているだけです。そしていまだに処理されず残された問題に関しては、事実を認め適切な措置をとることを促しているだけです。私は事必帰正(万事必ず正しい道理に帰する)という言葉を信じます。私にはこれらを正しく処理する所信と戦略があります。決して国民の皆様を失望させはしません。信頼を持って協力してくださるようお願いします。そして勇気と自信感を持ってくださることをお願いいたします。私たちの要求は必ず歴史が応えてくれるでしょう。

中国の反日運動

2005-04-06 00:47:12 | 国際
2005年3月28日、吉林省長春市を中心として、アサヒビールの不買運動が起っていると現地紙「新文化報」が報じた。日本の国連安全保障理事会常任理事国入り反対のためだそうだが、「武漢晨報」や「重慶晨報」もこのニュースを報じた。アサヒビールばかりではなく、三菱重工、いすず自動車、日野自動車、住友生命、味の素、東京三菱銀行、清水建設、中外製薬、大成建設なども標的になっているという。

「日本の常任理事国入り反対」が消費財の不買運動と結びつくのは、あまり解せることではない。あるいは、中国政府が裏で民衆を反日へと煽っているのではなかろうかと、日本人としては中国政府のやり方を疑わざるを得ない気持になる。

日本の国連常任理事国入りへの反対運動は、2005年4月2日には四川省成都市にも飛び火し、市の中心街にあるイトーヨーカドーの現地合弁事業の店舗が数千人のデモを受け、看板やガラスを壊された。このとき、数名の者が店内に侵入し、幾らかの商品が損なわれたとも伝えられている。このデモも長春での不買運動と同様に中国政府の関与を疑うことができよう。

それにしても、なぜ奥地の成都などで反日デモが起ったのだろうか。翌4月3日になると深圳でも2000人規模のデモがおこなわれた。けれども、成都のデモは深圳のデモよりずっと激しいものだったらしい。

四川省雅安市漢源では昨年10月、発電用ダム建設のための土地収用に絡んで、10万人規模の暴動が起り、死者も出ている。中国政府は四川省の民衆の不満が政府に向うのを恐れて、それを逸らすために反日運動を煽っているのでなかろうか。

中国政府はインターネット上で大々的に繰り広げられている反日署名運動に理解を示してきた。であるから、政府のそのような「理解」こそが、民衆の反日運動を煽っていると見ることもできる。中国の政府と民衆の関係では「理解」と「煽動」とは紙一重のことなのかもしれない。

このほど、王毅駐日中国大使は谷内外務次官に対し、「中国政府がデモや抗議と一体だとか、背後で関係していることはあり得ない」と述べたと報道されている。けれども、中国では政府の「理解」が民衆への「煽動」という効果を及ぼすなら、なにをかいわんやである。