ドン!
ということで、いきなり海鮮「丼」と効果音としての「ドン」を掛けたような雑なスタートで恐縮です。
2020年2月22日13時過ぎ、なんとか無事にお昼を食べようと思っていたお店に着きました。
さしみ亭 和加栄さんです。
到着が13:15頃ですが、ランチのラストオーダーが13:30なので、わりと危ないところでした。
しれっと予定を1件午後に回したのですが、それでも15分前なので、かなり冷や冷やものですね。
私が入店したときにもまだわりとお客さんがいたので、結構繁盛しているようです。
ちなみに私はカウンター席に案内されました。
注文は、海鮮丼で!
目の前で作っているのが見えるので、なんだか得をした気分ですね。
ということで、来ました。
海老は、一緒に添えてあるミカンの香りが移っており、口にした途端にミカンの香りが口にわっと広がって心地よいですね。
※味はちゃんと海老
あとは……中央奥にいる白身魚が中でもおいしかった。
お吸い物も、ひょっとしてこれはフグのアラですかね?
すごい。
お値段1,350円だったかな?
まあまあお値段しましたが、おいしかったです。
さて、では午後に回した予定を片付けましょうか。
和加栄さんから目と鼻の先、天神ピア1階にある「ほうふ昭和平成館」へ。
昭和館が、場所を変えて、平成まで加えています。
まあ、確かにもう令和ですからね。
大きなフロアの一角が、この「ほうふ昭和平成館」のようです。
少し離れたところに総合受付っぽい女性が1人おりましたので「ちょっと見させていただきますね」と声を掛けて見物します。
ちなみに、私が来てから帰るまで、他に見物人はいませんでした。
次回は6月21日って……4ヶ月後にいったい何が?
……このテレビ、スーファミを接続できるだけの端子があるのか。すごいな。
このゲーム機展示コーナーはいったい?
時代を先取り16ビット、メガドライブ!!
※下段の左から2番目
「防府天満宮」の焼き印(?)が入ってる。
わたし、ベーゴマとか駒とか、超絶苦手なんですよ。。。
パネル展示で、防府市の今昔が分かる写真がたくさんありました。
とてもありがたい。
まずは10年程度前。そう大きな差はなさそうな印象です。
90年代後半にインターネット情報館をオープン。
わりとやりますね。人数とPC台数とのバランスは……まあ昔のPCは高かったから。
大河ドラマ、毛利元就。
ちょっと見てたなぁ。あれ1997年なのか……。
20年ほど前の防府市。
駅の南側(写真右側)が、ここからの10年でだいぶ再開発されたのが分かりますね。
あとAEONの位置に別の店が入っている。
昔は宝酒造の工場があったのか。
奥の方にあった、昔の道具類を押し込んで、昔の家っぽさを出したエリア。
お、これはあれですね?
上に氷を入れるタイプの冷蔵庫ですね?
小学生の机。中から色鉛筆を出して瀬戸内海を青く塗りたい。
(1964年東京オリンピックのアサヒグラフを置いてあるのは、この旅行の半年後に開催されるはずだったオリンピックを意識しているんでしょうなぁ)
25年前の防府市。
駅の南側、だいぶ農地が目立つようになりました。前述の高架化を行う前ですね。
35年ほど前の防府市。
南側、現在のAEONの場所に合った大型商業施設がまだないですね。
代わりに大きな煙突が立った工場となっています。
ああ、煙突は宝酒造の工場でしたか。
いっきに20年飛ばして、55年ほど前の防府市。
これまでとは違い、北側から南を写していますね。宝酒造の煙突があります。
右側の写真は、だいたい映画『マイマイ新子と千年の魔法』の時代
三田尻駅から防府駅に変わったのは、1962年からでしたか。
防石鉄道。
そんなものもあったんですね。残念ながら半世紀以上前に廃線になっていますが。
映画から2年後。
何があったのかと目を疑うほどに垢抜けている。
展示をじっくり見たので、気づけば15分も経過していました。
どれ、次に参りましょう。
さらばだ、天神ピア(写真右)と、幸せます通り!
さて、時刻はまもなく14時です。
ぶっちゃけ、今日の午後は予備としていたので、何の予定もありません。
足の問題があるのであまりアクティブなことは出来ませんが、回遊魚のごとくじっとしていると死ぬ感じなので、ちょっとGoogle MAPで見つけたホテル至近にある公園へ行ってみましょう。
てくてく。
……う~ん、足が痛い。
ざっと800mを歩き抜きました。所要時間は17分ですから……だいたい1分50mペースですね。
さっきよりは少しだけ回復したようです。
てことで、鉄道記念広場に到着です。
ここは、先ほど紹介した防石鉄道の駅がありました。
1919年開業、1964年廃線。45年間でしたか。
機関車部分
機関車の車輪部分は浪漫。
本当に動き出しそうな。
ちなみに正面からのショットは、このように大変撮影しやすいよう配慮された作りのたまものです。
そしてかつての路線に沿ってレンガを敷いてある。
とても良いと思います。
釜
客車の窓にあった解説。
仕様書……うん、分からん。
客車の後部。ここに立っていると事件が起こりそうな感じですね。
お、おなじみ「ビュースポットやまぐち」もありました。
ちなみに途中で、近所にお住まいと思われるお母さんと小さい男の子が来ました。
邪魔をしないようにしつつ写真を撮るのは、なかなか大変です。
さて、そうは言っても見終わりました。
5分ほどの滞在ですね。
う~ん、いったんホテルに戻りましょうか。
ベッドに横になって、足が回復するかどうかを試したいと思います。
途中にあったもの。
寿司とピザ。強い。
赤間地蔵尊。
おお、休耕地ですかね?
南側の開発が進んだのはさきほどの昭和平成館で見ましたが、まだ残っているんですね。
さあ、そんなこんなで、14時半頃にホテルへ戻りました。
ちょうど部屋のお掃除が終わったタイミングだったようで、廊下でホテルの人に会いました。邪魔にならずに良かった。
そして15分ほど足を休めましたが……まあ結論としては、劇的な回復はありませんでした。
ただまあ、無駄でもないのかな?
さあ、まだ3時間くらいは遊べます。
どうする私!!
続きます。
ちなみに今回の移動。
ということで、いきなり海鮮「丼」と効果音としての「ドン」を掛けたような雑なスタートで恐縮です。
2020年2月22日13時過ぎ、なんとか無事にお昼を食べようと思っていたお店に着きました。
さしみ亭 和加栄さんです。
到着が13:15頃ですが、ランチのラストオーダーが13:30なので、わりと危ないところでした。
しれっと予定を1件午後に回したのですが、それでも15分前なので、かなり冷や冷やものですね。
私が入店したときにもまだわりとお客さんがいたので、結構繁盛しているようです。
ちなみに私はカウンター席に案内されました。
注文は、海鮮丼で!
目の前で作っているのが見えるので、なんだか得をした気分ですね。
ということで、来ました。
海老は、一緒に添えてあるミカンの香りが移っており、口にした途端にミカンの香りが口にわっと広がって心地よいですね。
※味はちゃんと海老
あとは……中央奥にいる白身魚が中でもおいしかった。
お吸い物も、ひょっとしてこれはフグのアラですかね?
すごい。
お値段1,350円だったかな?
まあまあお値段しましたが、おいしかったです。
さて、では午後に回した予定を片付けましょうか。
和加栄さんから目と鼻の先、天神ピア1階にある「ほうふ昭和平成館」へ。
昭和館が、場所を変えて、平成まで加えています。
まあ、確かにもう令和ですからね。
大きなフロアの一角が、この「ほうふ昭和平成館」のようです。
少し離れたところに総合受付っぽい女性が1人おりましたので「ちょっと見させていただきますね」と声を掛けて見物します。
ちなみに、私が来てから帰るまで、他に見物人はいませんでした。
次回は6月21日って……4ヶ月後にいったい何が?
……このテレビ、スーファミを接続できるだけの端子があるのか。すごいな。
このゲーム機展示コーナーはいったい?
時代を先取り16ビット、メガドライブ!!
※下段の左から2番目
「防府天満宮」の焼き印(?)が入ってる。
わたし、ベーゴマとか駒とか、超絶苦手なんですよ。。。
パネル展示で、防府市の今昔が分かる写真がたくさんありました。
とてもありがたい。
まずは10年程度前。そう大きな差はなさそうな印象です。
90年代後半にインターネット情報館をオープン。
わりとやりますね。人数とPC台数とのバランスは……まあ昔のPCは高かったから。
大河ドラマ、毛利元就。
ちょっと見てたなぁ。あれ1997年なのか……。
20年ほど前の防府市。
駅の南側(写真右側)が、ここからの10年でだいぶ再開発されたのが分かりますね。
あとAEONの位置に別の店が入っている。
昔は宝酒造の工場があったのか。
奥の方にあった、昔の道具類を押し込んで、昔の家っぽさを出したエリア。
お、これはあれですね?
上に氷を入れるタイプの冷蔵庫ですね?
小学生の机。中から色鉛筆を出して瀬戸内海を青く塗りたい。
(1964年東京オリンピックのアサヒグラフを置いてあるのは、この旅行の半年後に開催されるはずだったオリンピックを意識しているんでしょうなぁ)
25年前の防府市。
駅の南側、だいぶ農地が目立つようになりました。前述の高架化を行う前ですね。
35年ほど前の防府市。
南側、現在のAEONの場所に合った大型商業施設がまだないですね。
代わりに大きな煙突が立った工場となっています。
ああ、煙突は宝酒造の工場でしたか。
いっきに20年飛ばして、55年ほど前の防府市。
これまでとは違い、北側から南を写していますね。宝酒造の煙突があります。
右側の写真は、だいたい映画『マイマイ新子と千年の魔法』の時代
三田尻駅から防府駅に変わったのは、1962年からでしたか。
防石鉄道。
そんなものもあったんですね。残念ながら半世紀以上前に廃線になっていますが。
映画から2年後。
何があったのかと目を疑うほどに垢抜けている。
展示をじっくり見たので、気づけば15分も経過していました。
どれ、次に参りましょう。
さらばだ、天神ピア(写真右)と、幸せます通り!
さて、時刻はまもなく14時です。
ぶっちゃけ、今日の午後は予備としていたので、何の予定もありません。
足の問題があるのであまりアクティブなことは出来ませんが、回遊魚のごとくじっとしていると死ぬ感じなので、ちょっとGoogle MAPで見つけたホテル至近にある公園へ行ってみましょう。
てくてく。
……う~ん、足が痛い。
ざっと800mを歩き抜きました。所要時間は17分ですから……だいたい1分50mペースですね。
さっきよりは少しだけ回復したようです。
てことで、鉄道記念広場に到着です。
ここは、先ほど紹介した防石鉄道の駅がありました。
1919年開業、1964年廃線。45年間でしたか。
機関車部分
機関車の車輪部分は浪漫。
本当に動き出しそうな。
ちなみに正面からのショットは、このように大変撮影しやすいよう配慮された作りのたまものです。
そしてかつての路線に沿ってレンガを敷いてある。
とても良いと思います。
釜
客車の窓にあった解説。
仕様書……うん、分からん。
客車の後部。ここに立っていると事件が起こりそうな感じですね。
お、おなじみ「ビュースポットやまぐち」もありました。
ちなみに途中で、近所にお住まいと思われるお母さんと小さい男の子が来ました。
邪魔をしないようにしつつ写真を撮るのは、なかなか大変です。
さて、そうは言っても見終わりました。
5分ほどの滞在ですね。
う~ん、いったんホテルに戻りましょうか。
ベッドに横になって、足が回復するかどうかを試したいと思います。
途中にあったもの。
寿司とピザ。強い。
赤間地蔵尊。
おお、休耕地ですかね?
南側の開発が進んだのはさきほどの昭和平成館で見ましたが、まだ残っているんですね。
さあ、そんなこんなで、14時半頃にホテルへ戻りました。
ちょうど部屋のお掃除が終わったタイミングだったようで、廊下でホテルの人に会いました。邪魔にならずに良かった。
そして15分ほど足を休めましたが……まあ結論としては、劇的な回復はありませんでした。
ただまあ、無駄でもないのかな?
さあ、まだ3時間くらいは遊べます。
どうする私!!
続きます。
ちなみに今回の移動。
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