2020年2月23日8時半頃。
分割してしまいましたが、いよいよ阿弥陀寺さんの本堂エリアへと足を踏み入れます。
宝物館の見学は9時からですので、それまでは境内をぶらぶらしましょう。
本堂の右手には、立派な橋が。
橋が架かっている小川沿いに、桜の木がありますね。
やはり桜は見栄えが良い。
皇太子殿下御来山記念(1990年4月13日)
こういうの、名称は何て言うんでしょうね?
本堂正面
と、ここでお寺の人が外に出てきました。
お寺の人「ひょっとして…」
時間前ですが、宝物館にご案内いただけることになりました。
ありがたや。
準備してくるということだったので、お手水の前で待機。
さあ、宝物館へ移動します。
さっきの橋を渡った先なんですね。
……地味に歩くのが速いですが、なんとか着いていけました。(足が痛い)
厳重!
さて、残念ながら内部は撮影禁止です。
この案内板に内部の様子が分かる写真がありますので、それで我慢してください。
宝物館では、お寺の人(ひょっとしてご住職?)が説明もしてくださいます。
まずは正面にある、重源上人坐像。
この像は重源72歳のころの姿だそうで、左目が見えないようになっているのも再現されているそうです。
木喰仏。
台座の蓮はちょっと色が残ってます。
「すくいとる」ということで、お辞儀をしたような格好です。
釈迦如来。
かつての国庁寺の本尊だそうです。
鉄宝塔。国宝です。
先ほどの案内板では、左側にずどんと写っています。
阿弥陀寺創建に際して鋳造されたそうで、建久八年(1197年)の銘文があります。
高さは約3mで、パーツは上から3つに分かれておりそれぞれ重さが400kg、300kg、500kgあるそうです。
「浴湯念仏」と私のメモ書にありますが、前回紹介したとおり、ここ阿弥陀寺さんには古くから湯屋がありました。
この宝物館には重さ1tもの鉄製の湯釜があります。
大般若波羅蜜多経。メモ書に「版画」とあるので、まあそうなんでしょう(忘れた)
ちゃんとした箱に入って展示されていましたが……。
実はこの阿弥陀寺さん、1993年に土石流が襲いました。
幸いなことに本堂も宝物館も無事だったそうなのですが、蔵が1つやられてしまい、そこにこの経典があったのだそうです。
幸い流出したのは一部でしかも発見することが出来ました。なんとかある程度クリーニングすることもできたそうです。
先ほど写真を載せた新しい橋、この土石流の後に架けられたものです。
というかむしろ、土石流の前はここに川など無かったそうで、よくぞ本堂も宝物館も避けたギリギリの場所を流れてくれたものだと。
御仏の加護ですかね。
(再掲 - 橋)
(再掲 - 小川)
さて、そんなこんなで宝物館の見学終了です。
20分弱かな?
本堂に上がって見物して良いということだったので、遠慮無く。
本堂に上がって右を向いた図
同じく、左を向いた図。ご本尊はこちらでしたか。
ご本尊の正面に正座
にじり寄る
いわゆる「鎌倉新仏教」系とは異なり、ゴージャスな感じですね。
本堂の梁にずらっと掲げられているけど……なんだろう。
まさかの秩父でした。
さて、私が上がった場所からご本尊を挟んで反対側へ。
ちょっと雰囲気的に、これ以上は近寄りがたかった。
本堂を出ました。
ちなみに本堂エリアに入る門の横(本堂正面)には銀杏があります。
境内案内図にも載っているので、阿弥陀寺の顔でもあるのでしょうね。
さて、現在時刻は9:08です。
帰りのバスまであと1時間47分ありますね。。。
Google MAPによると1時間ちょっとで歩けると豪語しているので、足が正常であればこのまま徒歩という選択肢……は、それでもさすがに無いですね、ええ。
さあ、境内の他の場所を見て回りましょう。
幸いなことに阿弥陀寺さんは他にもいくつかお堂があります。
先ほどの橋を渡って、小川越しに本堂を見る。
ほんと、あと少し土石流がずれていたらと思うと。。。
ちなみにこの日の水量は、めちゃめちゃ少なかったです。
橋の完成は1996年(土石流の3年後)ですか。
まあ大量の土砂をどけるところからですし。
あ、ところで宝物館の横には、「かわらけ投げ」コーナーがあります。
あの輪を通すんですね。ノーコンなのでやめておきます。。。
さて、次は、本堂の裏手にある護摩堂を目指しましょう。
池の横を通って…
…本堂裏、何やら気になる隙間がある。
護摩堂。
雨だったらちょっと道中の足下が危ないかもしれません。
毛利広政により再建。実は本堂もそうです。
逆に言えば当時、さぞや廃れてしまっていたのでしょうね。
内部のご様子
さすが不動明王系列はおっかない。
護摩堂の横に、駕籠がかけてあった。
護摩堂の裏をさらに行くとお茶室があるっぽい。
ということでさらに裏へと進んだんですが……うん、明らかに違うね!
はて……?
(本堂正面に戻って境内図を確認)
てことは、本堂の反対側からのアプローチが正解でしょうかね。
この庭は「砂防指定地等保全整備に関する広報事業」として宝くじ普及宣伝事業により設置されたものです
土石流の2年後ですね。まあさすがに檀家さんの力でどうこうできるレベルではなかったでしょうからね。
これ以上進むのはやめましょうか。
ちなみにその砂防ダム。
でかい。高さは何メートルかな、というか少なくともそこにあったであろう体積の土砂が流れたんですね。
はてさて、こちらでもないということは、お茶室に行くには川向こうからですかね。
またこの桜まで戻ってくるとは。
地味に足の耐久値が。。。
と、川の反対側を上流に向けて歩き出すと、先ほどのお寺の方が追いかけてきました。
なんでしょね?
お寺の人「もしよければ、車で送りましょうか?」
マジですか!!?
え、そんなさすがに悪いような……しかし、ううむ。
時間つぶしも兼ねて訪問予定だった春日神社を捨てることにはなりますが、正直バスまで時間が余るのはほぼ確実だったので、
ここはお言葉に甘えてしまいましょう。
ただ!
少しだけ、待ってください!
この上を見てきますんで!!!
宝物館横にある、収蔵庫。境内の案内図によると、宝物館が「新収蔵庫」、こちらが「旧収蔵庫」と記してありますね。
ええっと……このお堂は何だ!!
(慌てて写真撮りつつ次へ次へと進んだので、不明)
開山堂。
またしても毛利広政さん。
扁額が新しいですね。
水かけ五大尊。
図らずも日光のおかげで大層ありがたみのある風な写真になりました。
これは思わず「南無阿弥陀仏」と唱えるレベル。
1歩前進して、今度は光が入らないようにしてパシャリ。
水をかけたいところですが、時間が無いので一礼して次へ。
おや、小さい滝が。
幸いなことに新しくはなさそうです。
さあ、上へ。
お待たせしては申し訳ないので階段を駆け上がったのですが、予想に反して足は痛くないですね。
やはり部位によるというか。
念佛堂
1484年焼失、1903年再建。
さすがの毛利広政さんも、このお堂は再建しなかったんですね。
鐘楼
さすがに当時の鐘は失われており、これは1958年に東大寺から寄贈されたものだそうです。
……ちなみに念佛堂の裏手に経堂があるのですが、完全に見落としたようです。
さあ、10分弱で見られるところをざっと見て、戻りました。
入り口からずっと使っていた杖をお返しして、車へ。
……うお~、早いさすが車!
途中、昨日歩いた松崎小学校前も通りました。
ちなみに防府の人と「マイマイ新子がきっかけで~」と話して高樹先生の小説ではなく片渕監督の映画の方で受け答えしてきたのは、この方が最初で最後でした。
15分とかからずに防府駅前へ。
ありがとうございました!!
時間は10時ちょうど。
本来ならあと55分しないとバスが出発しないので、実に1時間以上を稼いだことになります。
今回は、阿弥陀寺から駅までは単に連れて行っていただいただけなので、地図の掲載は割愛します。
続く
分割してしまいましたが、いよいよ阿弥陀寺さんの本堂エリアへと足を踏み入れます。
宝物館の見学は9時からですので、それまでは境内をぶらぶらしましょう。
本堂の右手には、立派な橋が。
橋が架かっている小川沿いに、桜の木がありますね。
やはり桜は見栄えが良い。
皇太子殿下御来山記念(1990年4月13日)
こういうの、名称は何て言うんでしょうね?
本堂正面
と、ここでお寺の人が外に出てきました。
お寺の人「ひょっとして…」
時間前ですが、宝物館にご案内いただけることになりました。
ありがたや。
準備してくるということだったので、お手水の前で待機。
さあ、宝物館へ移動します。
さっきの橋を渡った先なんですね。
……地味に歩くのが速いですが、なんとか着いていけました。(足が痛い)
厳重!
さて、残念ながら内部は撮影禁止です。
この案内板に内部の様子が分かる写真がありますので、それで我慢してください。
宝物館では、お寺の人(ひょっとしてご住職?)が説明もしてくださいます。
まずは正面にある、重源上人坐像。
この像は重源72歳のころの姿だそうで、左目が見えないようになっているのも再現されているそうです。
木喰仏。
台座の蓮はちょっと色が残ってます。
「すくいとる」ということで、お辞儀をしたような格好です。
釈迦如来。
かつての国庁寺の本尊だそうです。
鉄宝塔。国宝です。
先ほどの案内板では、左側にずどんと写っています。
阿弥陀寺創建に際して鋳造されたそうで、建久八年(1197年)の銘文があります。
高さは約3mで、パーツは上から3つに分かれておりそれぞれ重さが400kg、300kg、500kgあるそうです。
「浴湯念仏」と私のメモ書にありますが、前回紹介したとおり、ここ阿弥陀寺さんには古くから湯屋がありました。
この宝物館には重さ1tもの鉄製の湯釜があります。
大般若波羅蜜多経。メモ書に「版画」とあるので、まあそうなんでしょう(忘れた)
ちゃんとした箱に入って展示されていましたが……。
実はこの阿弥陀寺さん、1993年に土石流が襲いました。
幸いなことに本堂も宝物館も無事だったそうなのですが、蔵が1つやられてしまい、そこにこの経典があったのだそうです。
幸い流出したのは一部でしかも発見することが出来ました。なんとかある程度クリーニングすることもできたそうです。
先ほど写真を載せた新しい橋、この土石流の後に架けられたものです。
というかむしろ、土石流の前はここに川など無かったそうで、よくぞ本堂も宝物館も避けたギリギリの場所を流れてくれたものだと。
御仏の加護ですかね。
(再掲 - 橋)
(再掲 - 小川)
さて、そんなこんなで宝物館の見学終了です。
20分弱かな?
本堂に上がって見物して良いということだったので、遠慮無く。
本堂に上がって右を向いた図
同じく、左を向いた図。ご本尊はこちらでしたか。
ご本尊の正面に正座
にじり寄る
いわゆる「鎌倉新仏教」系とは異なり、ゴージャスな感じですね。
本堂の梁にずらっと掲げられているけど……なんだろう。
まさかの秩父でした。
さて、私が上がった場所からご本尊を挟んで反対側へ。
ちょっと雰囲気的に、これ以上は近寄りがたかった。
本堂を出ました。
ちなみに本堂エリアに入る門の横(本堂正面)には銀杏があります。
境内案内図にも載っているので、阿弥陀寺の顔でもあるのでしょうね。
さて、現在時刻は9:08です。
帰りのバスまであと1時間47分ありますね。。。
Google MAPによると1時間ちょっとで歩けると豪語しているので、足が正常であればこのまま徒歩という選択肢……は、それでもさすがに無いですね、ええ。
さあ、境内の他の場所を見て回りましょう。
幸いなことに阿弥陀寺さんは他にもいくつかお堂があります。
先ほどの橋を渡って、小川越しに本堂を見る。
ほんと、あと少し土石流がずれていたらと思うと。。。
ちなみにこの日の水量は、めちゃめちゃ少なかったです。
橋の完成は1996年(土石流の3年後)ですか。
まあ大量の土砂をどけるところからですし。
あ、ところで宝物館の横には、「かわらけ投げ」コーナーがあります。
あの輪を通すんですね。ノーコンなのでやめておきます。。。
さて、次は、本堂の裏手にある護摩堂を目指しましょう。
池の横を通って…
…本堂裏、何やら気になる隙間がある。
護摩堂。
雨だったらちょっと道中の足下が危ないかもしれません。
毛利広政により再建。実は本堂もそうです。
逆に言えば当時、さぞや廃れてしまっていたのでしょうね。
内部のご様子
さすが不動明王系列はおっかない。
護摩堂の横に、駕籠がかけてあった。
護摩堂の裏をさらに行くとお茶室があるっぽい。
ということでさらに裏へと進んだんですが……うん、明らかに違うね!
はて……?
(本堂正面に戻って境内図を確認)
てことは、本堂の反対側からのアプローチが正解でしょうかね。
この庭は「砂防指定地等保全整備に関する広報事業」として宝くじ普及宣伝事業により設置されたものです
土石流の2年後ですね。まあさすがに檀家さんの力でどうこうできるレベルではなかったでしょうからね。
これ以上進むのはやめましょうか。
ちなみにその砂防ダム。
でかい。高さは何メートルかな、というか少なくともそこにあったであろう体積の土砂が流れたんですね。
はてさて、こちらでもないということは、お茶室に行くには川向こうからですかね。
またこの桜まで戻ってくるとは。
地味に足の耐久値が。。。
と、川の反対側を上流に向けて歩き出すと、先ほどのお寺の方が追いかけてきました。
なんでしょね?
お寺の人「もしよければ、車で送りましょうか?」
マジですか!!?
え、そんなさすがに悪いような……しかし、ううむ。
時間つぶしも兼ねて訪問予定だった春日神社を捨てることにはなりますが、正直バスまで時間が余るのはほぼ確実だったので、
ここはお言葉に甘えてしまいましょう。
ただ!
少しだけ、待ってください!
この上を見てきますんで!!!
宝物館横にある、収蔵庫。境内の案内図によると、宝物館が「新収蔵庫」、こちらが「旧収蔵庫」と記してありますね。
ええっと……このお堂は何だ!!
(慌てて写真撮りつつ次へ次へと進んだので、不明)
開山堂。
またしても毛利広政さん。
扁額が新しいですね。
水かけ五大尊。
図らずも日光のおかげで大層ありがたみのある風な写真になりました。
これは思わず「南無阿弥陀仏」と唱えるレベル。
1歩前進して、今度は光が入らないようにしてパシャリ。
水をかけたいところですが、時間が無いので一礼して次へ。
おや、小さい滝が。
幸いなことに新しくはなさそうです。
さあ、上へ。
お待たせしては申し訳ないので階段を駆け上がったのですが、予想に反して足は痛くないですね。
やはり部位によるというか。
念佛堂
1484年焼失、1903年再建。
さすがの毛利広政さんも、このお堂は再建しなかったんですね。
鐘楼
さすがに当時の鐘は失われており、これは1958年に東大寺から寄贈されたものだそうです。
……ちなみに念佛堂の裏手に経堂があるのですが、完全に見落としたようです。
さあ、10分弱で見られるところをざっと見て、戻りました。
入り口からずっと使っていた杖をお返しして、車へ。
……うお~、早いさすが車!
途中、昨日歩いた松崎小学校前も通りました。
ちなみに防府の人と「マイマイ新子がきっかけで~」と話して高樹先生の小説ではなく片渕監督の映画の方で受け答えしてきたのは、この方が最初で最後でした。
15分とかからずに防府駅前へ。
ありがとうございました!!
時間は10時ちょうど。
本来ならあと55分しないとバスが出発しないので、実に1時間以上を稼いだことになります。
今回は、阿弥陀寺から駅までは単に連れて行っていただいただけなので、地図の掲載は割愛します。
続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます